審判に望むもの、選手に望むもの 2000/10/29

清松みゆき

 2000年日本シリーズ、ホークスは誤審に敗れた。

 こう言われた場合、あなたはどう反応するだろうか?

 大部分のジャイアンツ・ファンは、「馬鹿言っちゃいけないよ。結局は力の差だよ」と答えるだろう。
 多くのプロ野球ファンは、「確かに、あれはシリーズの流れに大きな影響を与えたなあ。けれど、『たられば』を言ったらキリがないよ」と、結論を保留するだろう。
 そして、少なくない病的アンチ・ジャイアンツは、「その通りだ! ジャイアンツは審判を買収して、それで勝ってきたんだ。金さえ払えば……(以下略)」と喚き始めて止まらないだろう。

 さて、僕の見解は……。

 結論から言おう。ホークスは誤審があったことによって敗れた。だが、誤審に敗れたのではない。己が心のあさましさに敗れたのである。
 シリーズ第4戦の誤審は、すさまじく強烈であった。「2死1・2塁次打者城島……のはずが→スリーアウトチェンジ」「1死2塁……のはずが→2死無走者」(打者井口は直後に三塁打)と、チャンスがみごとに潰された形になった。それが、1点差ゲームの大事な中・終盤である。
 あの試合に限っては、「誤審に敗れた」と言っても、あながち否定はできない。
 だが、その時点ではまだ2勝2敗の五分。そこから2連敗したのは、間違いなくホークスの責任である。そして、その2敗は、ともに言い訳のできない6点差の完敗だった。

 第5、第6戦、ホークスの打撃陣は惨憺たるものだった。負傷による小久保の不調・欠場があったとはいえ、12三振、13三振である。低めワンバウンドしかねないボール球を振り回し、どちらとも取れる球を、あっけないほど見逃した。
 完全に、バッティング・アイが崩れていた。もともと荒いところのある打線だが、2試合続けてここまで荒いというのは、初めてお目にかかった。
 その根底にあったのは、審判不信である(城島の態度を見れば明白だ)。ボール球を振り回したのは、審判の判定を信用しなかった故であり、見逃し三振を続けたのは「今のは審判のせいだ」と責任から逃げ回った結果である。

 そんなに審判が信用できないなら、ゲームなんかやめちまえ!

 ストライク・ゾーンがバラつくのは、常のことである。1ゲーム通して安定したジャッジをする審判のほうが珍しい。というか、僕の記憶には、一人たりと存在しない。
 人間が審判をする以上、それは、しかたのないことである。それが、人間の目の限界である。
 審判とは、スポーツマンシップの体現である。互いにフェアプレイを誓う、その証しである。公平な第三者を最終的裁定者とおくことで、必然的に生じる身びいきを消滅させる、それが審判の役割である。選手間のみで判定していたら、際どいケースではにっちもさっちもいかなくなる。だから、審判を置いて、裁定をお願いしているのである。
 極論を言えば、審判に正確さは必要ない。公平でありさえすればよい。だから人間でも務まる。そして、人間間の裁定は人間にしか務まらない。

 アウト/セーフのレベルで誤審が発生することも、茶飯事である。ずっと日本プロ野球を見続けてきた僕の観測では、2〜3試合に1回の割で発生する。4試合で3回は、十分起こりえる。そして、それがまた、片方のチームに有利に偏ることも、十分に偶然の範囲内だ。
 残念ながら、ホークスの選手はそう割り切ることができなかった。疑心暗鬼に陥り、審判を信用しなくなった。
 結果が無様な三振の山であり、ストライクゾーンの内へ内へと寄っていった城島の配球と投手の制球である。
 第4戦、秋山の盗塁誤審において、あえて抗議を行なわず、退場劇を未然に防いだ王監督の配慮は、あたらあだ花になってしまった。

 しかし、長期のペナントならともかく、短期の日本シリーズでは、誤審の影響は確かに大きい。ぶれが平均化される機会がないからだ。
 その意味で、短いシリーズ中に2回の誤審を起こした小林審判(第1戦9回のスクイズ、第4戦6回の松中のヘッドスライディング)もまた、決して誉められたものではない。

 だから、短期の日本シリーズだけでもビデオ・リプレイを導入できんか……という、思いはあるが。

 それでも、ビデオ・リプレイが、本質的な解決には決してならないことは忘れてはならない。それとて、最終的に審判が裁定しなけれないけないのであるから。たとえば、ダイレクト/ワンバウント・キャッチの判定が覆った場合、走者をどの塁に置くかは、審判が決めるしかない。病的アンチ・ジャイアンツが、その結果が気に入らないと騒ぎ立てるのは目に見えている。第6戦・2回の江藤の死球など、ビデオでもきわめて判別のつきにくいケースも存在する。

 一方で、誤審を少なくするために、審判には、プレイの流れで予断をもって判定しないようにと要望する。結局は、誤審のほとんどが、この予断によって発生している、今シリーズ、アウト/セーフに関わる3回の誤審はみなそうである。そして、2−0や0−3の次の際どい1球は、実際に見ているのか疑わしいほど、決まり切った判定が下される。場合によっては、打者や投手によって決めているんじゃないかと思われるケースさえある。今シリーズでは、ニエベスや湯上谷は、かわいそうなほどの判定を受けた。その意味ではジャイアンツ有利の誤審傾向は存在する! その最大の利益享受者だったのが、現ホークス監督だろうが(笑)、この傾向だけは、早急に改善してほしいと願う。

 そして、審判への要望は、もう一つある。こちらのほうが、より切実だが、「埋め合わせの判定をするな」ということだ。第4戦、秋山盗塁の誤審の後、井口が見逃した球は何だったのか? 今まで、明らかにストライクに取っていたボールである。あのときの、審判の態度を見れば、あれが「埋め合わせ」であったのは、明白だ。

「埋め合わせ」など、百害あって一利なしだ! そんなものはいらない!

 埋め合わせようなどとすれば、選手が困るだけだ。「今、誤審があったから、今度は埋め合わせてくれるんだろうか」などと考えていて、まともなプレイができるわけがない。それよりも、1回1回割り切り、「なかったこと」と心をリセットするほうが、どれだけ楽か。
 さらには、何より避けねばならない不公平が正のフィードバックを受けて拡散する恐れすらある。
 その一瞬、一瞬に正確に判定しようと心掛けているだけでいい。そうしてくれさえいれば、いくつか誤審があっても、結果的に公平なものになるのだから。

 そして再び、僕の要望は選手へと戻ってくる。審判に予断を与えるような態度は慎んでほしいものだと。今シリーズ、「2ストライクから打者が見逃した後、捕手が『はい三振』と立ち上がり、それから審判のコール」というシーンを僕は何度も目撃させられた。

 ムカついてムカついて、しかたがなかったよ。

「審判を騙すのも技術のうち」という言葉を、僕は認めない。自分自身が判定すれば、どうしても身びいきになる。それをスポーツマンシップがいさぎよしとしないからこそ、審判に裁定してもらうのである。審判を騙そうとする行為は、自分自身のスポーツマンシップの否定にほかならない。
 態度に引きずられて判定する審判も情けないが(僕なら、あれやったら、全部ボールをコールする。「公平に」ね)、やはり、問題は、騙そうとする選手の側にある。
「よし、ストライク」と自分で思ったとしても、それは、身びいきであり、思いこみである可能性を否定できない。それでは、フェアな判断とは言い難い(打者は、「よし、ボール」と思って見送っているのだ)から、審判に判定してもらうのだ。それを忘れ、審判を道具として利用しようとするあさましさが、あの態度を産む。

 審判を道具として見るのは思い上がり以外の何物でもない。違うか?

 結論に戻ろう。ホークスの選手たちは、審判を道具としてしか見ていなかった。ゆえに、それが悪用されているのだと考えた。
 道具として見ていなかったからこそ、自分たちが悪用しうると考えるあさましさがあったからこそ、悪用されていると思いこんだのだ。
 結果、「道具に頼らず」自分たちで何とかしようと考えた。その行き着いた先が、シリーズ新記録の62三振である(この数字を新聞で確認したときには、腰抜かしたぜ)。

 審判は道具ではない。公平な裁定者であり、自らのスポーツマンシップの体現である。審判をおとしめる行為は、自らの心のあさましさを表に出すものと肝に命ずべきである。


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