最近は、料理などで特に相性のいい取り合わせや組み合わせを「マリアージュ」というらしい。マリアージュはつまり結婚ということで、それだけ相性がいいということなんだろう。
さて、もう僕が言わんとしていることはわかると思う。カツカレーというのは、マリアージュという言葉が流行する遥か以前から、超然と存在するマリアージュに違いない。
それにしても、誰が最初にカレーにとんかつを放り込もうと考えたのだろうか。カレーもカツも、ハイカロリー食の代表格、食のヘビー級である。確かにカツカレーはマリアージュに違いないのだが、たとえるなら佐々木健介と北斗晶だ。がっぷり四つに組み合い、二人三脚だが四の字固めだかで力強く生き抜く夫婦である。
我が家では、時折セーターが消失する。
セーターは洗濯が大変なため、汚れたセーターはひとまとめにしておいて、機会があれば洗濯する、という方針をとっているのだが、いかんせん洗濯の頻度が一冬に一回くらいと非常に低いのだ。従って運が悪いと一年、下手をすれば二年も帰ってこないケースがあるのだ。
さて、三月も数日を過ぎ、春の陽気を先取りしたある日、突如、白いリブ編みのセーターが帰ってきた。とたんに涙がこみ上げてきた。このセーター、安物なのだが(1000円!)、一昨年の初頭に購入し、その後実に2シーズンも洗濯待ちにあったものである。再会の感激もひとしおだ。
嬉しかったので、さっそく着た。リブ編みなので、体にぴったりフィットする。丈もちょうどいい。いい感触だ。もう春先、これから何回着られるかわからないが、大事にしよう、と心に決めた。
その夜、夕食に肉野菜味噌炒めが出た。食べ終わってセーターを見ると、腹のところに味噌が飛んで染みになっていた。
あちゃー。二年の時を経てようやく洗濯から帰ってきたというのに、その日のうちに洗濯カゴへ舞い戻らなくてはならないとは。また二年会えないのか。自分の食べこぼしが悔しい。哀しい。いろいろな想いが脳裏をよぎって、
このセーター、そろそろ捨てよう、と思った。
沖縄料理の定番は、大抵好きだ。チャンプルー、テビチ、ミミガー、ラフテー、豆腐よう、なんでも好きだ。
海ぶどうも好きだ。特にあのさっぱりしたタレが好きだ。
しかし、ここにもまた例の問題が隠されている。
「あのさっぱりしたタレは好きなのだが、はて海ぶどう本体は、どんな味がしたっけ。思い出せない。ひょっとして、味なんて無いんじゃないか。海ぶどうの代わりにトンブリをあのタレにつけて食べてみたらどうだろう。もしかしたら海ぶどうに限りなく近くなってしまうのではないか」
という感じで、「コラム食べ物」の最初に扱った、うなぎと同じ問題がここでもまた現れてしまった。「具かタレか」論争は、とどまるところを知らない。我々に課せられた永遠のテーマだ。
…とか何とか言って、海ぶどうのタレだけ割り箸の先でなめてみたり、タレを付けずに海ぶどうを食べたりしながら、ちびちび泡盛を飲むのも粋ではないのか。それでいいのだ。海ぶどうとタレを使ってれば、食べ方にかかわらず海ぶどうなのである。
沖縄料理屋に行ったら、隣の席の人が、こう注文した。
「山ぶどう、ひとつ」
熊かよ!
(海ぶどうの間違いです)
ひじきを食べたら髪が生えてくるという考え方は、
あまりに
あまりに安直だと
食ったひじきがそのまま生えてくるとでも言うのかと
私は
深く、深く
問いかけたいのであります!
*****
と宣言した後で、調べてみたところによると、ひじきが豊富に含む亜鉛分は、髪の毛の成長に必要不可欠なものであることが判明。「ひじきを食べると髪が生える」というのは、どこぞのとんちんかんが編み出した単純理論ではありませんでした。
時折、無性にチキンが食べたくなる瞬間がある。それも、煮物や鍋物のさっぱりしたチキンではなく、チキンソテー、フライドチキン、唐揚げ、照り焼き、そういった脂の乗ったジューシーなチキンを。
先日のスキーバスの帰り道、運悪くチキンが食べたくなってしまった。
ああいう密室でチキンが食べたくなると、もうどうしようもない。街中ならうろうろ出来ようが、バスの中では、椅子の上でくねくねするばかりである。手に入らないと知りつつ、すごく苦しい。恋に焦がれる乙女だ。チキンに焦がれるメガネ。
そうやって身もだえしておると、やがてサービスエリアに着いた。そこには運よくモスバーガーがあったので、居ても立ってもいられず、モスチキンを食べた。
それはそれは旨かったのだが、食べた後に一抹の寂しさが残った。あまりにタイミングが良すぎたのだろう。
恋にしろチキンにしろ、簡単に手に入ったらつまらないのかもしれない。チキンにしたって、東京まで焦らされたら、もう涙が出るほど美味だったかもしれない。渇き飢え、よがってもだえて、限界まで我慢して始めて真の幸福が得られるんだろう。
Mッ気のある纏め方をしたが、ちなみに俺自身はMじゃないので、焦らされるのとか好きじゃありません。
スキーのために滞在中の旅館で、ぼんやり「めざましテレビ」をみんなで見ていた。
あれの最後に星占いがあって、自分は何位だとかなんとか言ってわいわい騒いでいた。そんな中で最下位になった人がいて、自分勝手な行動に周囲の非難が集中だと言う上、そのときに示されたラッキーフードがロールキャベツだったのだ。
スキー場にはロールキャベツなんて気取ったものを出す店はないし、夕飯は地鶏の鍋だ。これは自分勝手な行動に注意だな、なんてひとしきり笑った。
さて、午前中パーッと滑って、適当なレストランでお昼にしようという話になったのだが、なんとその店の期間限定メニューに、ロールキャベツ定食があったのだ。
これは、と思って彼女に勧めた。彼女は渋々ロールキャベツ定食を食した。なんというタイミング。これで自分勝手な行動に非難が集中することもないだろう、なんてひとしきり笑った。
さて、午後もパーッと滑って、夕飯時になった。我々は夕飯の時間は勝手に決められるものだと思い込んでおり、部屋でだらだらしていたところ、突然電話が鳴って、お夕食の準備が整っております、とのこと。
食堂に集ってみると、彼女の姿がない。話によると風呂に入っているそうだ。
ロールキャベツを運よく食べた意味はあまりなかったみたいだな、なんてひとしきり笑った。そして俺たちは、地鶏の鍋を彼女抜きで食べ始めた。
蔵王スキー場にて。「フライドポテト盛り放題:一皿400円」というメニューを見つけた。
へぇ、けち臭いスキー場にしてはなかなか太っ腹じゃないか、さては今年は芋が取れすぎたのか、などと感心しておったら、俺のひとつ前に並んでいた、中国人と思しき団体が、それにチャレンジしていた。
俺は彼らがフライドポテトを皿に盛ってゆく様をじっと眺めていた。そしてこう思った。
「中国人って、ほんとに、中国人だなあ」
彼らの皿の上には、もう本当に限界までうずたかく積まれたフライドポテトの峰がそびえていた。
まったく、やれやれ、と思いながら、俺もフライドポテトを注文して、彼らに勝るとも劣らぬバベルの塔を築き上げたのはナイショだ。
カレースパゲティの想い出。
とあるスキー場のロッジで、カレースパゲティとかいうメニューを見つけて、思わず食券を購入した。
食券をおばちゃんに手渡した(以下すべて丸見え)。
おばちゃん、傍らのポリ袋(ソフト麺みたいなやつ)をお湯に投げ込む。
少しして、おばちゃん、それを取り出し、開けて、麺を皿に盛る。
おばちゃん、傍らのカレーライス用のカレーをすくって、麺にかける。
そして俺に手渡した。
800円くらいした。
衝動を抑えきれなくなり、ビール買った。
*****
ゲレンデフードはとにかくすごい。実は明日からスキーに行くのだが、うんざりしつつ、内心ちょっと楽しみでもある。ものすごいのがあったら紹介します。
もううまく数えられないが、コレが公開されるのはたぶんひな祭りくらいだろうと思う。
五段くらいのひな壇を出すと、下の方に菱餅がひっそりと置かれている。白、うすピンク、うす緑の菱餅。
子供の頃、あれが本気でおいしそうだと思っていた。アレは普通のお餅ではない、と思っていたのだ。やわからそう。甘そう。もちもちしてそう。そんな妄想が小さな頭の中をうずまいたものだ。
あれから15年くらい経とうとしている。俺はいまだに、菱餅を食べた覚えは無い。そして、食べたいとも思わない。
食べてしまうと、あの、柔らかくてもちもちして甘い菱餅への漠然とした憧れが壊れてしまいそうだから。
刀削麺(とうしょうめん)という麺類を知っているか。
小麦粉を水で練って、ティッシュ箱くらいのかたまりにする。それを肩に担いで、独特のT字型の庖丁でしゅっしゅっしゅっしゅとテンポよく削る。削った細長い欠片は削られてそのまま熱湯の中へ。茹で上がれば出来上がり。太く短く、長さも厚さも不ぞろいで、コシがあるという。そんな麺類。
一度食べてみたいなあ、と思っていたので、中華街の杜記(?)とかいう有名点の微妙に二号店に行ってきた。
俺が食べたのは坦々刀削麺。坦々麺のまろやかですっぱみのある辛さと、極太麺がなかなかにいい相性。
一緒に行った人は叉焼麺を注文していた。だし汁にハムっぽい叉焼と野菜を入れた刀削麺だったのだが、何がかわいそうかって。
つまり、うどんだったわけよ。
「若者のアイドル」が焼きうどんであったように、叉焼刀削麺はうどんであると。
あ、刀削麺自体は大変美味なので、みなさんお試しあれ。
トムヤムクンが好きだ。あのすっぱ辛いのがひたすら好きだ。変なにおいのパクチーも好きだ。というかいっそ具なんてもやしだけでも構わない。二日に一度くらいなら味噌汁代わりにトムヤムクンでも問題ない。
む? じゃあ自分で作ってみればいいのでは? と思って、先日丸善でタイ料理の本を立ち読みしてみた。
そしたら、日本では手に入りにくい材料を丸めて焼いた独特の調味料(味噌みたいなものか)がベースになっているらしいことがわかった。全部そろえると軽く数千円するだろう。何でも手作りすればいいというわけではなかったのである。
*****
世界三大スープは、ブイヤベース、ミネストローネ、トムヤムクンだと思っていた。だけど今調べたところによると、ブイヤベース、ボルシチ、トムヤムクンまたはふかひれスープ、らしい。
間違って布教していた。すみません。
しかし俺ならふかひれよりトムヤムクンだな。あとブイヤベースより味噌汁だな。
高坂のサービスエリアで売っている「なすみそおやき」は異常に不味いので食わないほうがいい。
ハンバーガーは、分解すると、パン、ハンバーグ、野菜、ソースに分かれる。これを再構築すると、ハンバーグとサラダのプレートとパンという、ハンバーグ定食みたいになる。
ということは、だ。日本の定食もハンバーガーみたいに一本化できるのではないか。
まずは定食メニューを決めよう。さばの味噌煮、白いご飯、逢恋草のおひたし、漬物。白いご飯をライスバーガーみたいにして、おかずを挟み込む。味を想像する。漬物はピクルスのようなポジションになる。
……。
あれ、案外、いけるかもしれない。
こんどやってみます。
味噌煮込みうどんは、それほど「旨い!」というほどではないと思うし、三年生のときの旅行ゼミで3000円もとられて以後、それほどいい印象はない。
*****
俺の部屋にある耳かきには、なぜか味噌煮込みうどんを擬人化したキャラクターのフィギュアがくっついている。
これは、大学一年の頃、東海道沿線をうろうろしていた際、名古屋の駅に降り立った際どーしても耳掃除がしたくなって、コンビニを探すより早くお土産やさんで買ったものだ。
それからしばらくはその耳かきの事を忘れてしまったのだが、何年か経ったつい先日、旅行バッグのポケットの隅からこいつが出てきたのだ。
何となく懐かしくなって、愛用している。
使い勝手もよいのだが、「みそにこみ」と書かれた鍋みたいなキャラクターがあまりにお粗末なのが難点である。思い出とは得てして不恰好なものなのだろう。
コンビニのおにぎりのレパートリーの中で、ツナマヨがダントツで最高のカロリーを示していることを知って以来、ツナマヨには手を出さずにいたのだが、改めておにぎりの具の大きさを考えると、そんな小さなことで一喜一憂していた自分に嫌気が差し、今後はツナマヨにもっと積極的な姿勢を示そうと思った。
それが数ヶ月前。それからおにぎりを買う機会はいくらかあったのだが、未だにツナマヨには手を出さないでいる。なぜでしょう。
……。
なぜなら、ツナマヨがとりたてて好きという訳でないからだ。
報告まで。
先日、我が家でもずくが出た。
もずくを食べると、あれだ。鉢の底に、くずみたいな短いもずくと、とろとろの酢が残るだろう。これをどうするかということが、ちょっと食卓の話題に登った。
俺は、すっぱくて苦手、という先入観があったので、残すと主張した。母親もそう主張した。しかし家のおじいさんだけは、飲む、と言い切ったのである。
そんなすっぱいもの飲めるかい、と思ったのだが、物は試し、勇気を出して飲んでみた。一気に、ちゅるっと。
…なんだ、酢、うまい。キリッとした味が病みついてしまいそうだ。
というわけでもずくのちょっとした苦手感は克服し、さらには酢まで飲めるようになってしまったと、そういう自慢でございました。
野菜でないサラダがあるかい、という無粋な突っ込みはこの際やめておくが、野菜サラダって旨いよね。
人間の体ってよくできているものでさ、ミネラルとかビタミンが不足してくると、どうしても野菜が食べたくなるわけ。そんなときボウルに山盛りのサラダを突きつけられたら、もう居ても立ってもおれんようになる。
フォークを握り締めて、わっさわっさと、カレーか何かのように野菜を口に詰め込む。キャベツは噛んでると甘みが出る。おいしい。
さて、バイト先の話になるのだが、朝食で出していた大皿のサラダは大抵、余る。それをみんなでお昼ごはんと一緒に食べるのだが、俺は皆が食べ終わったタイミングを見計らって、大皿ごとかっぱらい、わっさわっさと口にねじ込むのを日課としていた。
そんな「野菜のブラックホール」TKであったのだが、去年くらいバイトに新しい人が入って以来、なかなかできなくなってしまった。なぜかというと、彼がサラダに驚くべき量の大葉ドレッシングをかけよるからである。ひたひたになるくらいだ。
サラダは好きなのだが、ドレッシングをかけすぎたサラダほど手に負えないものはない。もう野菜の味が完全にしない。よく汁気を切って食べるのだが、それでもしょっぱくて、一口ごとにしかめっ面になる。そんなにドレッシング好きなら直接飲めばよかろうホレホレと問い詰めたくなるくらいだ。
あまりにひどいので、野菜の水気を切る、手動乾燥機みたいな道具を使ってみようとしたら、さすがにおこられた。
冬の寒い時期にはお湯を注ぐだけの粉末カップスープが重宝する。特に俺の今シーズンなんか「粉末カップスープ・ルネサンス」とも言うべき、カップスープ再発見のひと冬だった。
バイトに行くと朝起きたらカップスープ。おいしい。おやつもカップスープ。おいしい。夜食もカップスープ。おいしい。二日酔いにもカップスープ。腹に染み入るコーンポタージュ。腹が膨れないという一点を除いては大変優秀な成績を残している。
だが問題は、やはり「腹が膨れない」ということだろう。
例えば、寒い中歩いて家に帰ってくる。おやつは戸棚のカップスープ。お湯を注いでかき混ぜる。飲む。あああったかい、あったかいといいながらずるずる飲む。冷めてくると一気に飲む。体がほかほか暖まる。
……だけど腹が減る。寒いときにはあまり感じられなかったが、体が暖まると余計に意識される。何か食べたい。パンしかない。しょうがないからパンにマーガリンを塗って焼いて食べることにする。ついでにコーヒーを淹れようと思う。パンとコーヒー、贅沢だな。というか、あれ、さっき飲んだスープって意味ないじゃん。
こんなことが何度かあった。
最初からパンとスープを食べればいいのだが、やっぱりスープの手軽さにかどわかされて、何よりまずスープを飲んでしまう。そんな俺はきっと悪い女に騙されて遠回りするタイプなんだろうな。
シチューでなくステュウと表記するのは本来の読み方に従ったまでだ。そして勘のいいまた人のいい読者ならお気づきの事と思うがチキンステュウといえば俺が以前執筆した小説の重要なサポートメンバーだ。
あの小説は今思い返してもなかなかよくできているし、誰かに指摘されたとおり傍流的なエピソードがあってもいいかな、とは思うものの、具体的かつ抽象的、説明的かつ示唆的な物語構成が出来たと感じている。うん、あれはよかった。
特に人物同士の関係は極めてソリッドかつ断片的で狙い通りのものができていた気がする。愛し合う二人にハッピーエンドは来るのか。何が間違いだったのか。予感は予感に過ぎなかったのか。彼の確信は裏切られるのか。などなど。
荒削りのところも随所に見られるものの意欲作である、と自分で評している。自画自賛のよき例である。
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さて、問題のチキンステュウ、もといチキンシチューだが、今まで「チキン入りのクリームシチュー」なるものなら幾匙も口に運んだが、チキンシチューという独立したジャンルがあるかどうかは、実は定かではなかった。
今ふと気になってグーグルで検索してみたら、チキンシチューの作り方なるサイトが幾つかあったので、よしとしよう。あぶねえあぶねえ。
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物語中で彼女が作るチキンシチューはうまそうだと思う。というか作者自身が旨そうだと思うのだからむしろ実際旨いと言ってしまってかまわないだろう。
そんな一品料理があることを、ネットを通じて知った。どうやら簡単に作れるらしい。犬のおやつを作るときに卵黄だけ余るというので、試しにやってみた。
やり方は本当に簡単。まず、容器に味噌を1cmくらい敷く。それにくぼみを作って、卵黄を乗せる。黄身を潰さないようにしながら、その上に味噌をかるくかぶせる。蓋かラップをして冷蔵庫に入れ、一日か二日おく。
黄身が固まったら完成。スプーンですくって器に盛り、白いご飯と一緒に食べよう。味噌の適度な塩味と、黄身のまろやかさ。おいしい。お酒や焼酎のつまみにもなる。
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ネットには「味噌にそのまま乗せる」と書いていたので、その通りにしたら、親に
「そのまま漬けたの!? 普通味噌には醤油やみりんで味付けするでしょう!」
と言われた。でも完成作を食べてもらうと、けっこうおいしいと好評だった。ほらみろははは。
うちのおじいさんと一緒にレトルトのカレーを食べていたときにふと思った。
うちのおじいさんが今の俺と同い年くらいの頃は、お湯であっためてご飯にかけるだけのカレーが発明されるなんて、ほとんど考えられなかったのではないか、と。
レトルトのカレーだけじゃない。インスタントの味噌汁も、レンジで暖まるあんかけ焼きそばも、まるで想像もつかないものだったに違いない。
時代の流れってのはそんなもんさ、と言えばそれまでだが、これは逆に、俺がじいさんになる頃には、今からでは想像もつかない食べ物が食卓に上がってくるということだろう。
例えば、紐を引っ張ると付属の金属板が温まり、その場で焼いて食えるステーキとか。
例えば、付属の謎のパックでその場で揚げられる天ぷらとか。
例えば、重箱みたいなのに入っていて上から順に食べるフルコースとか。
あ、最後のは別にやろうと思えば現代でもできますよね。
まあたまには飲み物の話題もいいだろう。
日本ではかなりメジャーになった中国茶、ジャスミン茶。俺も大好きで、中学生か高校生くらいのときから、ペットボトルで飲んだり、自分で茶葉を買ってきて、淹れたりしていた。低温で蒸らすと香りがふわっと舞うのだ。
最近知ったのだが、ジャスミンの香りは、かの有名なイランイランとともに、催淫作用があるらしい。
以下コピペ(もとネタはここ)
『ジャスミンは催淫作用があるとされることでも有名で、インドやアラビアでは古くから「媚薬」として盛んに使われてきました。ジャスミンの催淫特性は、その香りにためらいを取り払って本来的な人間の欲求を解放する力があるためと考えられています。特に男性の官能的な気分を刺激する香りとされています。』
そんなジャスミン茶を飲みふけっていた思春期。だから大人になってこんな(以下略)
メトロセクシャル、とは違う。メトロスペシャル。俺が勝手に名づけた。大学の食堂、銀杏メトロでの最強コンボだ。
60円の冷奴の上に、60円のオクラをかけ、醤油をたらしたもの。
これが旨い。夏は殊更旨い。ビールがあると輪をかけて旨い。メトロで11人で飲んでいたとき(まずこの前提がおかしい)、冷奴5つとオクラ5つを買ってみんなで食べた。
全部あわせて600円というのがまるで信じられない。
*****
もう授業もなにもかもすべて終わり、銀杏メトロに行く機会がまたあるかどうかはわからない。だけど、あの素朴な味わいは永遠に忘れることは無いだろう。夕方から発泡酒を飲みふけっていた俺らに向けられたオバちゃんの視線とともに。
ある朝、どうしてもスパゲッティーが食べたくなった。それもこてこてのクリームパスタ。うにクリームか明太子クリームが食べたい。なのでラゾーナにある「壁の穴」に行ってみた。
メニューを見る。明太子クリームを発見。しかし、気になるパスタも発見した。その名も
若者のアイドル(\820-)
うん、22歳ならギリギリ若者だろう。アイドルなら外れはあるまい。えい、注文しちゃえ。とばかりに、クリームパスタは脇にのけておいて、そこに当座の好奇心を挿げ替えた。
そして出てきたパスタを見る。ピーマン、ベーコン、ソーセージ、トマト、きのこが炒められ、和風スパゲッティの上に乗っている。彩りは豊かだが、どこかで見たようなたたずまい。なんだろう? いずれにせよ、本来の目的たるクリームパスタとはだいぶずれてしまった。
さて、頭をもたげるクリームパスタ欲を押し殺して、ひとくちほおばる。その瞬間、謎はとけた。
焼きうどんだよ、これ。
うん、ちょっと麺の細い焼きうどんだよね。かつおぶしがあれば完璧に焼きうどんだよ。そういえば具も冷蔵庫の残りっぽい組み合わせだし。いや、別においしくないとかそうじゃなくて、アルデンテでもちろんおいしいんだけど、ね、ほら。
要は、名前に騙されるなと。ちゃんと写真を見てから注文しろと。
冷凍のさぬきうどんのところで、「冷凍のさぬきうどんを出すお店をやればいいと思う」と書いたけれど、なんと実際にあった。
本郷の「なか卯」「ミュン」の入ったビルのとなり、夜は立ち飲み屋さんになるところ。ランチタイムはリーズナブルなうどんを出している。「白椿」を使用した冷凍うどん使用、と看板に明言してあった。
「なか卯」に行く予定を急遽変更してお店に入る。「温泉卵うどん」がおいしそうだったので、それにする。
待つこと数分。うどんの上に乗っていたのは、温泉卵でなく、生卵だった。
それって、月見うどんでは。
*****
もちろん、麺も卵もおいしく頂きました。
*****
うちでよく食べる冷凍の讃岐うどんは、加ト吉のものと判明。いっぺん釜揚げして急速冷凍するらしい。うまいよ。
順当に公開が進めば、この記事はバレンタインデーに公開されるはずだ、ともくろんでいます。というわけでチョコレート。
チョコレートといえば俺のここ数年間の勉強を支え続けてきた食材だ。受験期には、恵比寿のコンビニで100円チョコを買って、塾の裏の公園で夕陽を見ながら食べるのがお気に入りだった。テスト、レポート、卒論、どれもチョコレート無しではうまくいかなかっただろう。
なに? そんな話を聞きたいんじゃないって?
バレンタインデーの想い出…ねえ。本当に昔々、ある女の子から本命のチョコレートをもらったんだけど、結局その子とは何も無かったなあ。なんたって、そのチョコレート(手作り)が硬すぎたんだよね。噛めない。歯でゴリゴリ削りながらちょっとずつ食べた記憶がある。しかも四個も。
大学に入ってからは、チョコレート好きを前面に出していたから、比較的楽しく過ごせたね。まあ「ネマワシ」なんだけどね。
今年? ああ、これを書いているのはバレンタインデーのずっと前だから、わかんないや。あはははは。
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サークルや何かでみんなに配るようなチョコもイベント性が高くて楽しいけど、個人的にもらうチョコはやっぱり、どんなに安物でも奥行きのある味がする。たいてい部屋に持っていってコーヒーと一緒におとなしく食べるんだけど、くれた人がどんな顔して選んでくれたのかな、とか、ホワイトデーには何を返そうかな、とかぼんやり考えながら食べる。なかなか粋な時間だと自分でも思う。
実を言うと、その楽しみは本命でも義理でも一緒なんだよね。
義理チョコは義理なりに、いくらか義理を感じながら、うきうき食べられる。これをくれた人は本命はどんなの渡したのかな、とか、同じようなのもらった同士たちの様子とか想像して。
本命チョコは本命チョコで、しんみり食べさせていただく。いくらしたのかなあ、とか、いくらくらいで返せばいいのかなあ、とかヒヤヒヤして。
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バレンタインデーはミーハーで嫌い、という人も中にはいると思う。でも、女性から男性へ贈り物をする特別な日だなんて、見ようによっては西洋古来の風習っぽい感じがして素敵ではないか。こう言い換えてみよう。
「この地方では古くから、年が明けて2回目の満月の日に、女性から男性へ焼き菓子や花などをプレゼントする習慣があります」ほーら素敵よ奥さん。物は言いようなのだ。
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カカオ99%のチョコって、チョコというかただのカカオじゃん。
こないだ、大学の食堂に、大きなタッパーいっぱいのキムチを持参して、それをつまみながら夕飯を食べている韓国人留学生のひとがいた。
そういえばトリノオリンピックでも、選手村に韓国の選手がキムチを持参して規定に違反してなんとかという事件があった。本当に韓国の人はキムチが好きなんだなあ、と感心。
で、その匂いが俺らの席までうすく漂ってきた。えもいわれぬキムチの香りに、俺は思わずビールを買ってきてしまった。
……不自然?
いやまあ、その留学生の人たちが来る前から飲んでいたんですがね。なに、あはは。お酒を飲んでいるときは人は何かにつけてお代わりをしたがると、そういうことなんですね。あははは。
国民的豚料理といえば、とんかつと生姜焼きだろう。厚切りの柔らかい生姜焼きをキャベツやサラダ菜(あっ!)と一緒に食べる。いかにも、なおかずである。
で、こないだ、生姜焼きにマヨネーズをかけて食べる人がいることが発覚した。それも結構たくさんいるらしい。なんでも、付け合せのキャベツにかけたマヨネーズをそのまま生姜焼きにオン! するらしい。
最初にこの話を聞いたときは驚いた。食い飽きたと思っていた生姜焼きに新しい側面があったとは。まさに日常はワンダーランド。
しかし俺なんて付け合せのキャベツにさえマヨネーズをかけないのに、それを生姜焼きにもかけたらこってり過ぎやしないか。油オン油にならないか。いいのか日本人。だけど「かける派」の諸君はアレがうまいアレがうまいと一向取り合ってくれないのだ。
みなさんはどうですか? 生姜焼きにマヨ、ありですか? なしですよね?
夏の盛りを過ぎ、朝晩にぬるみはじめた空気が薄く町を覆う頃になると、やはり秋刀魚の焼き魚を考えずにはいられない。
皿からはみ出すほどの、太くてテカテカの身を背開きでひらく。ふんわりと潮の香りが湯気とともに食卓にたちこめる。その香りをすだちでキュッと引き締め、たっぷりの大根おろしに満遍なく醤油をかける。骨を抜いて、油が浮かんでつやつやする大きな身を、おろしと一緒にほおばる。ああああ、旨い。秋のうちは週三日は秋刀魚でいい。
そんなさんまについていくつか。
目黒では、落語の「目黒の秋刀魚」にかけて、毎年9月の第二・第三日曜日に、さんままつりを開催している。なんと、タダで秋刀魚の焼き魚が食えるのである。但し食べようと思うと相当並ぶ。あと徳島から「ミスすだち」が来る。必見。
秋刀魚の焼き魚を食べるとき、わたも食べる人がいる。確かに苦い。エグい。だが苦味の中に、ほんのりと旨さが隠れている。後味が悪くないのだ。秋刀魚のわたは代表的なオヤジ味覚への第一歩である。俺はもちろん食べる。
秋刀魚を食べるときのコツは、細かい骨を気にしないことだと思う。枝葉末節にとらわれてはいけない。
定食屋でごくまれにすだちの代わりにレモンが添えられていることがあるが、あれは邪道だと思う。思いつつやっぱり絞ってしまうし、これはこれでなかなかに旨かったりして、その度に持論がゆらぐ。秋刀魚の前に妙なこだわりは無力なのだろう。
新鮮な秋刀魚は刺身や鮨にするが、日本人の多くは、正直焼き魚が一番旨いと思っているはずだ。
秋刀魚の焼き魚をほぐしたやつと醤油とおろしを白いご飯に混ぜ込むと、食の永久機関ができるのではないか。
なんという名前だ! サラダになるために運命付けられた名前! なんとか球児、という名前の野球選手がいたような気がするが(調べたところタイガースの藤川球児さんです)、それに相通じる哀しさを感じさせる名前!
と思っていたのだが、もっと上を行く野菜があった。
「サラダ菜」
え、ええー! なんたって彼自身の情報としては「菜」しかないのだ。人名に例えるならば、「公務 員男」とかだろうか。お前は不二子キャラか。おそるべき運命の名前。細木和子でなくとも将来がわかってしまう。
あんまりかわいそうに思えてきたから、サラダほうれん草やサラダ菜のサラダ以外の用法をお教えしよう。魚や肉を包んで巻き、ホイル焼きにするとおいしいぞ。
サラダほうれん草やサラダ菜にもそれくらいの自由はあるはずだと思う。かの藤川球児選手に職業選択の自由があったように。
とうとう40回も続いたか。我ながらちょっとすごいと思う。
なんとなくネットサーフィンしていて、ふとmikipediaの「味噌汁」の項に行き当たった(参照)。
やばい。日本人としてグッと来るフレーズ満載だ。
『飯に味噌汁をかけて食べるいわゆる「汁かけ飯」は、まさにヨーロッパのスープの元来の形に酷似する』。そうだったのか。というかねこまんま、正しくは「汁かけ飯」って言うんだ。
『調理に際しては味噌を加えた後に強く煮立たせると味噌の香りが揮発して風味が減じることに気を配る必要がある』そりゃ知ってはいるけど、堅苦しく言うとこうなるのか。ふーん。
『二日酔いに効くといわれる』そう言ってるのは主に俺です。
『マーガリン--椀に盛ってから入れる』ええマーガリン!?
『鶏卵--味噌を入れてから入れる。椀に盛った状態で半熟になるタイミングで入れる』好みじゃん!!
*****
アルバイト先では朝食に味噌汁を出している。昆布とかつおぶしできちんと出汁をとり、豆腐と油揚げというオーソドックスな具をいれ、赤味噌と白味噌をミックスした正統派味噌汁だ。でも、味噌も豆腐も油揚げも大豆だから、分解したら大豆と塩にしかならない。料理の妙でもあるし、ぞろ空しくもある。
かぶは野菜(根菜類)の一つで、アブラナ科の越年草。正式な名称は「かぶら」だが、関東地方の呼び名である「かぶ」が定着して今に至る。(中略)生のままでは固いが、味噌汁の中に入れ、加熱すると非常に柔らかくなる。
……そうなのだ。かぶは加熱すると非常に柔らかくなる。大根にくらべてはるかに短時間で、はるかに柔らかくなる。あの煮物のかぶといったら、口に入れた瞬間ほどけるようだ。比類なき柔らかさ。どれだけ年をとっても食べ続けたい一品である。
*****
おおきなかぶ、という絵本がある。おじいさんがおおきなかぶを抜こうとして、抜けず、おばあさんや孫や犬や猫やねずみの力を借りてかぶを引っこ抜く、という物語だ。
かぶの煮物のことを考えていてふと思う。あのかぶを、あの100人前の豚汁とかやる巨大な鍋でまるごと煮て、かじりついたらさぞかし面白かろう。スプーンで掘削して食べるもいい。甘くて柔らかい半透明の球体。魅力的だ。
夢があるような、ないような。中途半端な大人に育ってしまった。
それにしてもこのコラムには「キャビア」だの「フォアグラ」だのといった高級食品がまるで登場しない。俺の食生活水準のいい具合の低さを露呈している。
だけど、高級な食材、高級な料理ばかりがおいしいものとは限らない。ありあわせのものでもひと手間かければ、例えばカレーにバターとニンニクを投入すれば、ぐっとおいしくなる。あるいは時と場合によってもおいしさは変わる。気まずい食事だとどんな高級料理も苦痛だし、愉快な仲間と食べる魚肉ソーセージは至高のおいしさを発揮する。
納豆巻だってそうだ(何と強引な持ってゆき方!!)。
コンビニのおにぎりの棚に、申し訳なさそうに並んでいる納豆巻。168円とかの高級おにぎりが幅を利かす中で、130円で頑張っている納豆巻。つい手が伸びてしまうのも人情だろう。
海苔のすみっこを剥がして、あのご飯だけをころころところがして海苔と合体させる作業が好きなのだ。失敗すると納豆巻の片方は海苔がはみ出して、もう片方はご飯がむき出しになってしまうあのスリル。5センチくらい余った海苔は、二重に巻くと硬くなるから、破ってあとで食べる、あの心憎いギミック。
それに食べやすい。手が汚れない。おにぎりのように崩れる心配もない。これはビジネスの場において極めて重要な要素だろう。手になじむ感はおにぎりやサンドイッチの目じゃない。
数あるジャパニーズ・ジャンクフードの中でも高スペックを誇る納豆巻。最近「働きマン」の影響でひそかにブームらしい。明日は君も納豆巻をどうぞ。納豆巻を片手で食べながら、カメラに向かって流し目をするとき君は最高にクールだ。
なんとなく入ったバーに、こんなメニューがあった。おいしそうだなあと思って、注文してみた。
注文する間に考えた。ニョッキ。パスタの一種で、もちっとした食感とつるっとした表面がかわいらしい。クリームソースなんかをかけるアレだ。
でも待てよ。ニョッキってパスタだろ。小麦粉だ。ということは揚げニョッキって、丸い小麦粉を揚げただけじゃん。そうか。つまり。
揚げ玉か!
*****
待つこと数分。白いニョッキとほうれん草(?)の混ぜ込まれた緑のニョッキがカラリと揚がって、タルタルソースが添えられて俺の前に出てきた。
もちっとして、おいしい。揚げモチみたい。揚げ玉なんて言ってすまなかった。揚げ玉には俺の方からよく言っておくから、今日のところは引き下がってくれないか。
カレー。なぜなら、今食べたいから。カレー食べたい。カレー食べたいよー。
カレー周期がある、という話は、ある程度人生経験を積んだ日本人の比較的メジャーな話題だろう。カレーが食べたくなる周期が日本人には確かにある。家族ではだいたい周期が重なりがちらしく、「ちょうど今日カレーが食べたかったんだよ」のような事例は日本全国津々浦々で頻発しているだろう。
そんなカレー周期と我が家の絆を、今から調べてきたい。
今夕方なのだが、ここしばらくカレーを食べていない事実をかんがみると、今日の夕飯はカレーに違いない、と思っている。今からちょっとリビングに行って、カレーかどうか確かめてくる。答えは二段落後!
**調査中**
今日の夕飯は、肉じゃがとムツ(魚)の煮付けだった。
煮付けがムツでなくせめてカレイならシャレになったのに、それすら叶わない。世知辛い世の中だ。
また豚の角煮である。恐縮きわまる。
我が家には、保温調理器なるものがある。魔法瓶みたいになっていて、鍋を常に火にかけ続けなくとも煮物ができるというスグレモノだ。これを使うとおいしく豚の角煮ができるらしい。
また我が家には、圧力鍋なるものがある。密閉できるようになっていて、通常の鍋より高圧・高温で調理ができるというスグレモノだ。これを使うとおいしく豚の角煮ができるらしい。
はてさて、言わんとするところは通じたか。どっちの豚の角煮がおいしいか、我が家で比較検討したことがある。
あの、究極対至高みたいで、大興奮した。
……これは!
軍配は、保温調理器にあがった。やはり時間をかけることがミソなのだろう。手早くやりたいときは圧力鍋が便利だが、それ以外のときは保温調理器で作ったほうがいいらしい。
うん。
わかった。
また飲み物の話になるが、ご容赦願いたい。
俺が中学3年か高校一年くらいの頃、MIUという、海洋深層水をつかったスポーツドリンクが売られていた。そのキャンペーンで、「深海生物のフィギュアボトルキャップ」がオマケで付いてきていた。
中学高校の部活で、それがはやりにはやった。どれぐらいはやったかというと、みんなコンスタントに一日2〜3本もの500mlペットボトルのMIUを飲むくらいにはやった。無論、俺はその中心的人物であった。
当時は「ローソン注文」という制度があって、要はおやつの買出しなのだが、それに「MIU×6本」とか書かれていたりした。ローソンのMIUを買いあさり、足りないから遠いAMPMまで足を伸ばしたり、オマケの袋の上から触っただけで中身がわかるくらいになったりした。部活が終わって帰るころには、ゴミ箱に異常な本数のMIUの空きペットボトルがはいっていたものだ。
そんな生活にもやがて、終わりは来た。一週間ばかり買いあさり続けた頃、尿がやけに黄色く濁ってきたのだ。間違いなくMIUのせいだ。本能的にヤバイと思った。慌ててやめた。
俺がまだ15の頃である。
*****
一年くらいの後、MIUのおまけで「深海生物のフィギュアpart2」というのが店頭に並んだ。思わず買って飲んでみた。「悪い意味で」懐かしい味がしたのをよく覚えている。もう飲むことはあるまい。
数ある豚肉料理の中で、角煮ほどコンスタントに人気のある奴はいない。生姜焼きといい勝負だろう。柔らかくほろほろと崩れそうな肉。甘辛いタレに、ちょっと芥子を塗ってアクセントに。ああ、たまらん。
しかし、角煮ほど当たり外れの大きい料理も少ないだろう。不味い角煮! 想像しただけで腹立たしい。安い店で時折お目にかかる。なかなか噛み切れない肉の繊維が歯に挟まる。脂身がぎとぎとしている。ああ、忌々しい!
とはいえ、一度旨い角煮を口にしてしまうと、たとえ不味かったときのリスクが大きかったとしても、つい注文してしまう。人々の心に眠ったギャンブル精神をあらわにする角煮。われわれはこれからも固い角煮のリスクを負いながら、ついつい注文し続けるだろう。
われわれお酒飲みにとっては、ある意味、日本を代表する料理の一つだと思う。
さて。たこわさびは美味しいのだが、あれはイカでやってもいいんじゃないでしょうか。
だめですか。そうですか。
いくらの軍艦巻きを食べるときに、醤油はつけるものだろうか。つけないものだろうか。俺はこの半生でずっと醤油をつけてきたのだが、つけない人もいるらしい。
確かに、いくらは大抵漬けだから、醤油をつけなくても味はする。でも、つけないで食べると、どうしてもわずかにご飯が勝ってしまう気がする。少しつけたほうが、味に変化が出て、面白いと思う。
と、ずっと考えていても、らちが明かない。いくらのカリスマがいて、「いくらの軍艦巻きには醤油をつけないんじゃ愚民ども」なんて言ってくれない限り、この問題は永遠に解決の日の目を見ないだろう。
だから、いくらの軍艦巻きに醤油をつけるか、つけないかで人を判断するのはあまりにも軽率である。そんなのは些細な違いに過ぎないのだ。醤油をつける人も、つけない人も、手に手を取り合って、共存できる社会を築いていくべきだと、強く思う。
*****
楕円形に丸めた飯に海苔を巻いたからって、「軍艦」とは大きく出すぎじゃないか。せいぜいゴムボートか、佐渡島とかにある、サザエか何かをとるあの丸い桶(おばあちゃんが乗ってるやつ)がいいところだ。
宇都宮には餃子があるように、長崎にはちゃんぽんがあるように、室蘭にはカレーラーメンがある。
北海道や室蘭と関わりを持たない多くの人は頭に?を浮かべるだろう。あるいはdanchuとか読む人は、カレーラーメンのひそかな流れは知っていても、室蘭が本拠地だとは知るまい。
だが、室蘭には「室蘭カレーラーメンの会」が存在し、老舗「味の大王」など多くの店舗が加盟して、地域の活性化に貢献しているのだ。
で、その「室蘭カレーラーメンの会」の中心は「蘭たん亭」というお店なのだが、そこの主人が俺の母親の知人であるらしいのだ。その関係で先日、袋入りのカレーラーメンが六袋ほど届いた。これも地域で販売するという。
俺も早速食べてみたのだが、北海道ラーメンだけあって、袋麺の割には麺にコシがあって旨い。肝心のスープは、ラーメン用にアレンジされていて、カレーうどんのそれよりもとろみが少なく、出汁との折衝点を見出している。縮れ麺にスープがよく絡んで、辛旨い。麺を食べ終わったあとも、ついついスープを飲み続けてしまった。
室蘭にお越しの際には、是非味わっていただきたい。またひとつ、日本の味が増えた。
室蘭カレーラーメンの会のページは、こちら。
(……アフィリエイト料もらえるかな)
No.29ということで肉の話題。ペッパーステーキ。
皆さんはペッパーステーキを食べたことがあるだろうか。つばめグリルでもディナーメニューで出している。豚のかたまりの一面に超荒挽きの黒胡椒をまんべんなくまぶして焼いたものだ。
ペッパーステーキ、おいしいのだが、非常に辛い。もちろん普段から慣れている唐辛子やカレーの辛味でなく、胡椒の辛味なのだが、あまりに過剰だ。一口ごとにガリガリと胡椒を噛み砕いて食べなくてはならない。肉料理というより、胡椒に肉を添えて焼いたものに近い。
さて、そんな際どいペッパーステーキなのだが、先日レシピ本をぺらぺらめくっていたら、こんな料理に出会った。
「ペッパーステーキのクリームソースがけ」
豚のかたまりに、黒胡椒がわんさか乗り、それにクリームソースがかかっている。辛いのかまろやかなのか。ガリガリとトロッとしているのか。味に想像が追い付かない。ビールにも合うまい。かといって白いご飯にも合うまい。
だいぶ豚肉とは遠いところに行ってしまったなあ、と遠い目で思った。豚のかたまりは、素直にポークソテーにすればいいと思うブー。
果物は地上に数あれど、グレープフルーツほど繊細な味わいを持ったものは少ないのでは、と思う。すっぱ苦いという玄人向けの旨さ。酸味と苦味という点では、コーヒーに近いのかもしれない。沁みる。
そんな素敵なグレープフルーツに、砂糖をかけて食べる人がいるという。苦味が消えるそうだ。
苦味を消してしまったらグレープフルーツのアイデンティティがなくなってしまうのではないか。グレープフルーツの個性がお子様味覚の犠牲になってしまうのではないか。そう思って渋い顔をしていたのだが、先日グレープフルーツを食べる機会があり、試しにすみっこに砂糖をふりかけてみた。
うん、さわやかでおいしいね。B級だろうがお子様だろうが、おいしいものはおいしい。それでいいじゃないか。
*****
グレープフルーツを食べるのに、ぎざぎざがついた三角のスプーンを使う。あのスプーン、グレープフルーツを食べるのにしか使わない気がする。
だけど、あれでアイスクリームを食べると、アイスにミステリーサークルが描けるよ。
たまにはコーヒーの話もよかろう。
我が家には、エスプレッソマシーンがある。エスプレッソ用の豆もある。だが、我が家の人々は、俺を除いてほとんどそれを利用しない。なぜなら、コーヒーマシーンもあるからだ。
まあ、コーヒーマシーンの方が楽だからね。
*****
エスプレッソマシーンは一時期、リビングを追われ、俺の部屋にあった。というより、部屋にエスプレッソマシンがあったらオシャレだなーと思って、自分から保管を申し出たのである。俺の部屋の本棚の上に、黒いボディの彼は鎮座していた。
エスプレッソマシーンが部屋に来て初日。さて、カフェラテでも飲むか、と思った。思ったはいいが、材料はすべて下の階の冷蔵庫の中なのだ。
カフェラテに必要なのは、粉を詰めたフィルターと、マグに入ったミルクと、エスプレッソのための水の計三点。片手で持ちきれない。一度一階から水とミルクを持ってきて、もう一度下に行き、フィルターにコーヒーを詰めて帰ってこなくてはならない。
後片付けも同様だ。マグとサーバーを持って降り、また上へ戻り、フィルターを持って下って洗わなくてはならない。
いうまでもなく、一度で挫折した。あれから数ヶ月、彼とはエスプレッソマシーンを直視できないでいる。何事もイメージだけで物事を決めてはならんぞと、今朝もリビングの隅からエスプレッソマシーンが俺にさとす。
歌舞伎揚が好きだ。と、また告白してしまった。このコーナーは既に、俺の好きな食べ物を列挙するコーナーになっている。だってしょうがない、嫌いな食べ物が無いんだ。
歌舞伎揚は適度な硬さとあっさり味が旨いのだが、唯一こまった点がある。それは、噛み切ったときに必ず、必ず粉が飛び散ることだ。
われわれはいろんなものを発明し、高度な機械文明を築き上げてきた。しかし、歌舞伎揚のかけらが飛び散らないようにする技術だけは未だに開発できていない。われわれは2007年の現代においても、仕方無しに用心深く、あの小袋で包むようにして食べ、粉を飛び散らせ、たまにあのビニールの袋まで噛んで文字通り苦い思いをする。
たしかに、袋のまま三つか四つに割って、袋を開けて、ひとくちずつ食べれば粉をこぼさずにすむ。そんなのはわかっている。俺だってバカじゃないさ。だけど、あのかじりつく感じ、歯型残る感じ、あれこそが大事なのである。
あと、俺はたまに、息を思いっきり吸いながらかじってみる。飛び散った粉を吸い取ろうという算段なのだが、どうにもうまくいっている気がしない。空回りの多い人生だ。
カップ麺に、「恐るべきさぬきうどん」というのがあったので、買った。一度麺を湯通しして、それからスープをあけてお湯を注いで一分。
食べてみる。ずるずる。うむ、全然ダメだ。とても「冷凍さぬきうどん」に適うべくもない。
スーパーでたまに売ってる「冷凍さぬきうどん」は、旨い。冷凍とは思えないほど旨い。茹で過ぎさえしなければかなりのコシが出る。葱を刻んで、釜揚げにするのが一番楽だし旨い。きっと、冷凍という技術と、うどんという食べ物と、構造上の相性がいいんだと思う。
時折、外でうどんを食べる機会がある。大抵の店は、冷凍の讃岐うどんと同じくらいか、より不味いこともままある。中には、「手打ち」と書いてある店も、及ばなかったりする。そんなお店の人には冷凍のさぬきうどんを紹介したくなる。こっちの方が楽だし旨いぞ、と。
だからといって、冷凍讃岐うどんの店がもしあったとしても、何となく行きたくない。
だって、それなら家で食べるし。
身勝手もいいところだ、俺。
まずい、ネタが残り少なくなってきたぞ。
*****
レストランのアルバイトで、ロールキャベツをつくることがあった。肉を挽いてあわせるところから、キャベツで巻くところまで、全部やった。
肉をあわせるときに、肉以外に、炒めたまねぎと、刻んだしいたけと、米を入れた。前二者は、美味しい出汁が出そうなのでなんとなくわかる。でも、どうして米を入れるのかはわからなかった。手近にいた社員の人にも聞いてみたが、判然としなかった。
実は、今でもよくわかっていない。灰汁をとるためとか、かさ増しとか、逆にスープを吸うからとか、諸説紛々として自分の中でもまるで収拾がつかない。
でも、かさ増しってのが一番オチとして面白いので、とりあえずかさ増しってことで納得している。
*****
アルバイト先のロールキャベツは、巻き方に工夫があって、爪楊枝を必要としない。
つまり、爪楊枝を使わない巻き方をできるってことが自慢なのだが、内心、おとなしく爪楊枝をつかって巻いたほうが、具も大きくできるし、ベーコンなんかも一緒に巻けるので、おいしいんじゃないかと思っている。ちょっと引け目がある、複雑な自慢だ。
本郷三丁目の駅の真向かいにある「赤かぶ」という沖縄風居酒屋に、こういうメニューがある。行くと必ず、頼んでしまう。辛い。こりこりしている。おいしい。ビールがもりもり進む。
赤かぶ、といえば、割引券で有名だった。夕暮れ時になると、本郷三丁目の駅から本郷通り沿いのどこかに奇妙な男があらわれ、飲み物15%offとか総額15%offとかいうクーポンチケットをくれる。
一度だけ、チケット無しで飲みに行ったことがある。飲む前に手分けして駅の周りをうろついたのだが、どうも奇妙な男の姿が見当たらなかったのだ。会計の段になって、お店の女性が、「クーポンはお持ちで無いですか?」と俺に訊いた。ないです、と、残念そうに答えた。
その辺で配っているものを持っているのと持っていないのとで、ミミガーの辛味噌和え一皿の値段くらいの差がついてしまう不条理に、俺は悲しくなった。どうせなら全員割り引いちゃえばいいじゃん。なあ。
犬のクッキーも旨いが、人間用のクッキーもまた、旨い。何かの折に缶入りのクッキーなど届こうものなら、内心ガッツポーズである。つい、もう一枚、もう一枚と手が伸びる。
*****
月に一度か二月に一度ほど、無性にチョコチップクッキーが食べたくなるときがある。
なんとなくおなかがすいたな、甘いものが食べたいな、と思ったときに、まずチョコチップクッキーが思い浮かぶとアウトだ。居ても立ってもいられない。すぐ買いに行く。
だが、たいていチョコチップクッキーは200円くらいする箱入りのやつしかない。一瞬迷うが、クッキー欲に負けて買う。箱をあけ小袋を引き裂いて食べる。油っこい甘み。さくさくの食感。極めて旨い。
だが200円の箱にはいっぱい入っているので、いつも食べすぎて、油でおなかがもったりする。たまに売っている100円で5〜6枚の袋がちょうどいいはずなのだが、でもそれじゃ足りなかったりする。人間は欲深い生き物だ。
*****
そういえば、セサミストリートにクッキーモンスターという怪物がいた。彼は基本的に日々チョコチップクッキーを食べていたのだが、どうしても腹が減ると皿やフライパンまで食べていた気がする。
しかしクッキーと皿やフライパンの共通点は、円盤状であることくらいしか思いつかない。彼は、円盤状のものならなんでも食べるのだろうか。CDとか。フリスビーとか。
*****
そんなわけで、俺に手作りお菓子のプレゼントを計画している女子諸君は、チョコチップクッキーを第一候補に入れておくとよかろう。ただ、あまりたくさんくれるなよ。
我が家の家族はやけに犬に造詣が深い。妹はドッグトレーナーをやっている。母は犬のおやつを手作りして知人に売り、収益を犬の保護団体に寄付するという運動をやっている。我が家でもコーギーを一頭飼っており、食事やおやつはだいたい手作りだ。
で、その犬のおやつに、クッキーというものがある。さつまいもクッキー、チーズクッキーなどいくつかのバリエーションがあるが、人間のクッキーと違って、全粒粉を少し使い、砂糖を入れない。バターもちょっとしか入れない。出来上がりは、遠くでチーズやさつまいもの味がするカンパンみたいになる。
もちろん、特殊な材料を使っていないので、人間も食べることができる。試しにひとつ食べてみたところ、味は薄いけどかなりの歯ごたえがある。ほんのりチーズやかぼちゃなどの香りがする。
結論としては、かなり旨い。味が薄いからぱくぱく食える。歯ごたえもいい。旨くて作るのが簡単で低カロリー。最強のおやつだ。人間の甘くておいしいクッキーもいいけれど、犬用クッキーの素朴さも捨てがたい。
こんな俺は人間失格だろうか。いや、旨いものは旨いと言える大人の方が素敵じゃないのか。などと自問しながら、今日も犬とおやつを分け合うのであった。そんな兄を、遠くから妹が見ていた。
大学2年生の夏頃、俺は茶道サークルに入り浸っていた。お昼時になると、キャンパスの隅っこにある茶室から程近いところにあるお弁当屋さんへ行っていた。同じサークルの女の子といつも二人で行った。
まず、お弁当屋さんへ直行する。俺は大抵チキンカツ弁当を注文する。その子は大抵ミートボール弁当のご飯を減らしてもらう。お弁当を受け取り、帰りがけにコンビニで「ガリガリ君」を買う。食べながら茶室に帰ると、ちょうど茶室に着くころに食べ終わる。
お弁当屋さんにも顔を覚えられた。ガリガリ君の「あたり」が出たのは最初の一回だけで、あとは全部二人ともはずれだった。特別暑い日は、溶けたガリガリ君が砂利道にぽとぽと落ちた。なぜか、そんなことをやけによく覚えている。
こないだ、駒場でごはんを食べる機会があった。俺は久しぶりに、チキンカツ弁当とガリガリ君を食べることにした。
都合があって、先にガリガリ君を食べ、移動してからチキンカツ弁当を食べた。旨い。チキンカツの衣はさくさくで、素朴なおいしさがある。400円は安いな、と思った。
だけど、気づいた。どう考えても、先にガリガリ君を食べてから弁当、という当時の流れはおかしい。アイスを先に食べて、胃を冷やしてから弁当だなんて、おかしすぎる。
だけどあの頃は、おいしいおいしいと言って二人してアイスを食べ、それからおいしいおいしいと言って二人して弁当を食っていた。味覚というのはぜんたい不思議なものだ。
以下は、2006年12月ころにmixiに書いた文章の転載になります。
*****
最近、生協で売っている、80円の豆大福ばかり食べている。 となりの饅頭には眼もくれず、 馬鹿の一つ覚えみたいに豆大福を食べている。
ただの大福なんて、柔らかくて甘いだけだ。 男に例えるなら、優しいだけでつまらない「いい人」だ。 女のためにいくらでも甘くなる、懐柔する、そんな男。 早晩飽きられてしまうだろう。
その点豆大福は、甘みの中に塩気がある。 柔らかさの中に固さがあり、その中に脆さまで包まれている。 一見とっつきづらいが、 優しさと厳しさと脆さの同居した、奥の深いダンディだ。
豆大福みたいな人になりたい。 豆大福を食べるたびに、そう思っている。
そしたら、腹の辺りが 次第に大福みたいな感触になってきた。
うん、豆大福への道は近い。
*****
あれからしばらく経つ。俺のおなかはますます大福に近づきつつあるのに対して、中身はそんなでもない。相変わらず薄っぺらいままだ。何事も形から入ってはいけないという好例である。
お昼ごはんを家で食べているとき、ちょっと物足りなかったので、白いご飯に特化した食べ物をつくってみることにした。
卵を溶いて、キムチをそれに投入して、納豆を投入して、少し醤油をたらしてよく混ぜる。それだけなんだけれど、すごくおいしくて、さらに茶碗二杯も白飯を食べてしまった。
ということは、いわゆる「ご飯にあう」食べ物たちを全部混ぜてみたら、それはそれはすごいものになるんじゃないか、と今もくろんでいる。
納豆。キムチ。卵。なめこ。芥子高菜。瓶詰めの海苔の佃煮(ごはんですよ)。昆布の佃煮。ふりかけ。焼き海苔。こういったものたちを全部ボウルに入れてミックス。最強の「ご飯にあう」フードの完成だ。茶碗五、六杯は楽勝だろう。おなかパンパンだ。
もしやってみたらここに書くね。
ナッツ類が好きだ。塩は少なければ少ないほどいい。なくても構わない。塩を控えめにしたほんのり甘いミックスナッツをぽりぽりやっていると、リスも案外悪くないな、とか考えてしまう。リスじゃないのに。
アーモンドは、まあまあ。味はおいしいのだが、薄皮が歯に挟まったりと、食感の点で難がある。
ピスタチオは、けっこう好き。殻という演出の心憎さの勝利。
ピーナッツは、殻つきのやつは好きなのだが、ミックスナッツに入っているときはそんなに好きじゃない。
カシューナッツが、ミックスナッツの中ではヒーローだ。あの甘み、歯切れのよい食感。脂っこいのが玉に瑕。
くるみもかなり好き。あの苦味が他のナッツに無いコクを引き出す。脂っこいのと、薄皮の食感が残念だ。
松の実、ひまわりの種、クコの実、ウォルナッツなんかも好き。
そんな感じでナッツ好きな俺なのだが、リスやねずみに生まれ変わろうとは思わない。リスやねずみに生まれれば、一生ナッツを食べ続けてよいというメリットはあるものの、酒が呑めないという大きなデメリットがある。酒とナッツは車の両輪なのだ。などということをナッツをつまみながらウイスキーを飲みながらふと思う。
二日酔いの定番フードといえば、味噌汁かグラタンじゃないかと思う。二日酔いの朝に、冷凍庫をあさって、冷凍グラタンが出てきたときなんかは、心から救われた気分になる。ホワイトソースの、あの濃いのにぼんやりした味を噛みしめると、ああ俺は呑みすぎたけどなんとか生きてる、生きててよかった、って思う。
バイト先では、土日祝日だけ、シーフードグラタンを出していて、お昼ご飯を食べるときに出てくる。
しょっちゅう土曜日に飲みすぎて、翌日の日曜日に二日酔いのままバイトをするのだが、そんな日は終わった後のお昼ご飯で必ずグラタンを食べる。言うまでも無く、とても旨い。この「日曜グラタン」には、何度救われたことか。
*****
ところで、グラタンはおかずだろうか。皆様は、グラタンで白いご飯を食べられるか。俺は食べられる。それどころか、途中からグラタンにご飯を投入する。粉チーズなんか振るとドリアみたいで旨い。ただ米in小麦だから、相当ずっしりくるけど。
といっても、蜂の巣ではない。牛の第三の胃である。ひだのある見た目が蜂の巣に似ているから、こう名づけられたらしい。
煮込み料理や炒め物に使われるのだが、結構おいしい。コリコリした食感。脂が少なく、コラーゲンやカルシウムを豊富に含むという。肉、という感じではないのだが、軟骨系が好きな人にはおススメだ。
*****
昔、友人と二人で居酒屋に行ったとき、「ハチノス炒め」というメニューが眼に留まった。男二人だし、勇気を出して注文した。そしたら、旨かった。これがハチノスとのファーストコンタクトだ。
要するに、何事も、勇気が必要なのだ。勇気の分だけ、見聞が広がるということだろう。
(この話にオチはありません)
なまこを食べる機会は、あまりない。かく言う俺も、酢の物かなにかで食べたきりのような気がする。タコを硬くしたような、かなりの歯ごたえを有していた。
なまこといえばグロテスクな外見だ。あの、海の大ナメクジwithイボイボみたいな、適当な外見。最初に食べた人はさぞかし腹が減っていたんだろう。
しかし、よく考えてみよう。なまこより、タコの方が、よほどグロテスクで、わけわからなくないか。タコの方が少し浅い海にいて身近なだけで、実はなまこに奇妙な足が生えたものなんじゃないのか。あるいは、タコの足が退化したものがなまこなんだろうか。
と、一通り考えてみたが、正直、どっちでもいい。足があろうがなかろうが、どっちも酢の物にしてしまえばいい、と思った。
駅の立ち食い蕎麦屋などをたまに利用する。どこもさしてメニューは変わらないのだが、たまに悩む。悩んだときにはたいてい、たぬきそばにする。
たぬきそばの醍醐味といったら、なんと言っても、麺を食べ終わった後に残る、汁を吸ったあげ玉。割り箸でひとつひとつつまんで、口に持ってゆく。持って行きながら、つぎにつまむあげ玉を捜す。あの「あげ玉ハント」がたぬきそばの九割と言っても過言ではないだろう。
だが未だに、全てのあげ玉を食べきったことは無い。何時間かかるかわからないが、いつか挑戦してみたい。
*****
たぬきそばというのは、実は非常に理にかなった食べ物なのである。
というのも、駅蕎麦にしろふつうの蕎麦屋にしろ、蕎麦屋ではたいてい天ぷらを出すだろう。天ぷらそばというメニューもあるだろうし、店によっては単品でも出すだろう。その天ぷらを揚げる際に出る天かすが、あげ玉として、たぬきそばに利用されるのである。あっぱれ見事な廃物利用だ。
廃物をかけそばに乗せるだけで何十円も値段が上がるのはちょっと悔しいが、そこは眼をつぶってあげよう。
以前、渋谷のイタ飯屋に一人で行ってピッツァを一枚食べて以来、ピッツァを一人で一枚食べることについての興味がある。……ピンポイントな興味だ、と自分で思う。
本場イタリアではピッツァは一人で一枚食べるものらしいが、その文化は日本に根付いていない。なんでだろう。
現代日本では、ピザといえば大勢でつついて他のチキンだのサラダだのと一緒に食べるもの、という観念が定着しつつある。これはおそらく、日本のピザはアメリカンスタイルで、生地がパンのようになっているから、一人で食べるにはボリュームがありすぎるのだ。アメリカンスタイルのピザは、みんなでテレビでアメリカンフットボールでも見ながら「ガッデム」とか叫びながらビール飲みながら食べるものなのだ。
それに対して、イタリアのピッツァは「イタリアンクリスプ」などという適当な名前が示すとおり、生地が薄くてぱりぱりなので一人でも食べられる。実際イタリアでは、一人一枚ペロッと食べてさっと帰るものらしいがどうなんだろう。
まあ、どうやって食べても、あの、生地×チーズ×トマト×油のコンビネーションはガツンと来ますね。
*****
宅配ピザのチラシほど罪作りな奴はいない。あれを見ているとどうにもピザが食べたくなる。あれは広告メディアとしての役割を十二分に果たしている。俺が宅配ピザ企業だったら、下手なCMを打つよりもチラシに金をかけたいと思う。
例えば、チラシに匂いをつけたりしたら国民イチコロじゃないだろうか、なんて考えている。
俺にはまったく嫌いな食べ物がない。微妙な食べ物もない。食べ物全部は「好き」の領域に属する。
なので、一番苦手な食べ物を決めるのは困難を極める作業なのだが、全体的に味の強いものはちょっと苦手である。甘すぎたり、すっぱすぎたり、塩辛すぎたり。イカの塩辛は好きだけど。
したがって、もずく酢はもっとも苦手な部類に属する食べ物だ、と言ってもいい。だが、甘い。俺はとっくにもずくのすっぱさを克服しているのだ。
たまに食卓に出ると、家族の目を盗んでちょっとだけご飯にかけてみる。ちょいネバッとした酢飯になっておもしろい。味も薄まっていい具合だ。やはり白飯の前に敵は無いのだ。
*****
市販の海草サラダに、もずくは入っているのだろうか。多分入っていないだろう。
もずくの方があきらかに知名度が高いのに、あの赤いビラビラとしたよくわからない海草の方が目立っているのはどういうことか。嘆かわしい。もずくも仲間はずれにしないで、サラダに入れてやれば食感に変化が出て面白いと思うのだが。
たまに、「もし一種類しか魚が食べられなくなるならどうしよう」って考えることはないか。
みなさんはどうだか存じ上げないが、俺は、ある。
そのたびに、「秋の秋刀魚は捨てがたいな…でも鮪のインパクトも…しかし鮭の万能っぷりも目を見張るものが…」などと勝手に各魚のいいところを戦わせて遊んでみるのだが、このたび、一番外せないのは、鰹だということに気づいた。なぜなら、
鰹がいなくなると、かつおぶしもなくなるから。
かつおぶしがなくなるとは一大事だ。冷奴やオクラや焼きうどんが味気なくなる。お好み焼きにいたっては死活問題である。そしてそれどころか、なんと、かつおだしがとれなくなるのだ。お味噌汁やその他の料理に甚大な影響をおよぼす。めんつゆも危ないからそば・うどんもピンチだ。親子丼だって、各種煮物だって無事じゃすまない。とにかく、かつおが無くなったらあれもこれもおいしく食べられなくなってしまうのだ。
今だから言う。鰹、俺はいままでお前を軽視しすぎていた。お前は日本一重要な魚だよ。そう、サザエさんにおいてお前は、一癖あるキャラクターでストーリーに幅をもたせる重要人物であるようにな。
*****
唐突だが、サザエさんの登場人物の、重要度を比べてみようと思う。
まず、先述の理由でカツオ君が一番重要だ。タラちゃんも外せない。なぜなら、鍋物にとどまらず、練り物の多くは「すけそうだら」で出来ているからだ。その次は、ワカメちゃんとの判断が難しいところだが僅差でノリスケおじさんに決定。刻み海苔の汎用性と韓国海苔の存在が勝因か。鯛子おばさんの息子がイクラなのは奇妙だが、この親子は鯛めしVSイクラ丼と置き換えて、イクラちゃんの勝ち。サザエさんやマスオ君は正直なくても大丈夫そうだ。鱒なんてほとんど食べたことがない。それよりアナゴ君の方がよほど重要だ。
そして波平やフネは食い物ですらない。どんまいだ。
バッカスとは古代ギリシャの神様の一人で、ローマ神話ではデュオニソスという。酒と豊饒の神で、絵画に描かれるときにはほとんど必ず、ぶどう酒を片手に酔っ払った中年オヤジの姿になる。
そんな酒の神から名前をとったバッカスというチョコレートがあり、冬季限定発売となっているが、これが旨い。ダースくらいの粒が12個で200円と高めなのだが、中にブランデーがしっとり入っており、パッケージにはご丁寧に「運転などは注意してくれ」と書いてある。スーパーで168円などで売ってようものなら即、まとめ買いだ。
10月に入り、お菓子コーナーにバッカスが並びだすと、あ、秋だな、と思う。誕生日も近いものだから毎年ウキウキする。
だが、そんなバッカスにも寂しい一面がある。冬も終わりに近づき、空気がぬるみだすと、スーパーなどではなんと一箱100円で叩き売られるのである。
俺はその100円セールを見るたびに、何かやりきれない気分になってしまう。バッカスが来年までお預けであることと同時に、昨日まで168円で興奮していたのがなんだったんだろう、と、嘆息してしまう。
クリスマスのケーキは、クリスマスという明らかなイベントがあるから値下げも納得できる。だが、バッカスみたいに、不意に見切り品になるのはどうも納得がいかない。
納得いかない、と思いながら、3箱くらい引っつかんでレジに持ってゆく。それが俺にとっての冬の終わりの合図だ。
キノコの勢力図を想像して欲しい。
……。
キノコに勢力があるか、という指摘はさておき、おそらく、なめこはかなり異端に属すだろう。しめじ、えのき、まいたけ、エリンギ、マッシュルームなどのシャキシャキ系キノコと、まつたけ、しいたけなどの香り系キノコが中心部を占める。なめこは、きくらげなどと同様、異端である。なめこ自体の食感はシャキシャキしているにもかかわらず、あのぬめぬめと短足(でいいのか)のせいでアウトサイダーである。
あのぬめぬめは、一体なんなんだろう。一度、あのぬめぬめだけを集めて食べてみたい。なめこの味がするのだろうか。あれとキノコ部分、どっちが本体なんだろうか。
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なめこと大根おろしをあえたものが好きです。
満を持して、おでんである。
好きなおでんの具、というのは外れないトークのネタになる。俺の好きなおでんの具は、大根、たまご、ちくわぶ、はんぺん、牛すじ、こんにゃく、餅巾着、挙げればきりがない。だが、ここではもうすこし踏み込んだおでんの話をしたい。
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静岡風おでん、というのをご存知だろうか。俺は食べたことがない。
静岡にはおでん屋もいっぱいあるし、ちっちゃい駄菓子屋とか飲み屋でもおでんを出していると聞く。そしてそのおでんが、東京のそれとはまた別物だそうだ。
まず、全ての具財が串に刺さっている。はんぺんもこんにゃくも卵も、牛すじみたいに串らしい。そして、つゆの色が濃い。関東のうどんくらいの濃さがあるらしい。さらに、どの店にも謎のふりかけが置いてあって、それをかけて食べるらしい。しかしどの噂も最後には「とても旨い」という結論で締めくくられているのが憎い。
一串50円など値段も良心的だという話もあるが本当のところはわからない。もし静岡に行く機会があれば、絶対に食べたいと思っている。
セロリの浅漬けがスーパーで売っていた、といって、母親が買ってきた。
食べたことのない人もいるかもしれないけど、アレは相当旨いよ。セロリの臭みが抜け、爽やかな香りといい感じの食感が残った、という素敵な代物。
見かけたら是非試してみてね。「浅漬けのもと」を使えば自宅でもできるかもしれない。
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ちなみにこないだ、居酒屋で、「セロリのきんぴら」なるメニューを発見した。これも大変おいしかった。サラダばかりじゃない、なかなか侮れないぜ、セロリ。
言うまでもないことだが、お好み焼きは二種類に大別される。大阪風(関西風)か、広島風か。
我が家のお好み焼きは、珍しいことに、広島風である。昔住んでいたマンションの隣人が広島出身の方で、それまでお好み焼きに興味のなかったうちの母親がその方から教わった。
水溶き小麦粉を薄く延ばす。その上に味の素をちょっと散らす。キャベツを山盛りにする。豚バラを乗せる。焼き蕎麦の麺も乗せる。あげ玉、さつま揚げ、桜海老、葱、なんでも乗せる。となりで卵を焼き、その上にバサッとひっくり返し、焼けたら出来上がり。
特に創意工夫があるわけでないが、極めて旨い。最近は焼くばかりであまり食べられない母親を不憫に思って、俺が焼くこともある。さりげない親孝行だ。
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大阪風と広島風とどっちが旨いか比べようと思って、大学一年の夏、食べ比べたことがあった。まず広島で広島風のお好み焼き屋に入り、その店で一番豪華なお好み焼きを注文した。翌日大阪に行き、道頓堀あたりのお好み焼き屋に入り、その店で一番豪華なお好み焼きを注文した。ペーペーの学生とは思えぬ贅沢三昧だ。
結論。どっちもすごくおいしかった。優劣はつけられなかった。
だから俺は胸を張って言う。みんな、スタイルにとらわれるな。大阪風であれ広島風であれ、お好み焼きは旨い(中身がいっしょだから、とか言っちゃダメだよ)。
ビーフン = 焼きビーフン = ケンケンケンミン焼きビーフン、たまに食べるとおいしいよ、毎日食べるとちょっと飽きる
という構図が出来てはいないか。だが世の中には汁ビーフンという食べ物がある。春雨スープみたいなやつだ。ヘルシーでおいしい。
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本郷、湯島の方に、汁ビーフンなどの中華麺類と中国茶を出す、小さな店がある。大学に入学するときの健康診断が終わった後、友達と二人でそこに入った。
ビーフンは大変おいしく頂いたが、それ以上に、店員のお姉さんが気になった。
お姉さんは左手に火傷のあとがある、美人だった。ホールの仕事をこなしながら、たまにキッチンの手伝いもする……というと聞こえはいいが、どっちもボケボケだった。俺らに変なグラスでお水を出したり、ピーマンを切るのに難儀したり、そういうひとなのだ。おりしも、昼間からビールを飲んでいやみを言う、いやらしい会社員集団なども来ていて、俺は大変彼女を不憫に思い、また同時に、好ましく思った。
その日俺たちはビーフンを食べ、帰り際に「また来ます」と言って帰った。
あれから三年半、その店には行かなかった。しかし俺は先日、なにかのついでがあって通りがかり、その店に入ることにした。
結論から言えば、彼女はいなかった。代わりに中国系とおぼしき女性が同じ事をしていた。一応俺は彼女の左手を確認したが、火傷のあとはなかった。
しかし、帰り際に、俺は見た。壁にちょこんと掛かった、黒いメッセージボード。それには、内容はうろおぼえだが、こんなようなことが書いてあった。
「店長をはじめお店のみなさん、ほんの一年間でしたが、本当にありがとうございました。あっという間の一年でした。挨拶ひとつできなかった私がここまでやってこれたのも、みなさんのおかげです。最初に『いらっしゃいませ』と声を出したときの緊張を、今でも覚えています。これからも元気にやっていってください。本当に、ありがとうございました!」
それが三年前に見た彼女のものという証拠はない。だけど俺は、そう信じることにした。きっとあの時、彼女は来たばかりだったんだろう。あれから一年かけて立派に身のこなしをマスターし、俺の知らないどこかへ去っていったに違いない。
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俺は今、考えているんだ。「また来ます」という約束は、果たされたのだろうか。それとも破ってしまったのだろうか。
いなりずしって、意外と旨い。
寿司と名前がつき、「助六」などというパッとしないあだ名までつけられ、まるで「寿司の万年補欠」のような呼ばれ方をしているが、一品の料理と見るとなかなか、味が深い。思い出すとたまに、食べたくなる。
お揚げからふわっとかおる、甘辛い味。なんとなく日本の原点みたいな味。落ち着く味だ。酢飯のちょっとした刺激。混ぜ込まれた白胡麻の食感と香り。そして、一つ食べ終わるごとに一口、ガリ。実はガリと一番よく合う寿司はいなりずしだと俺は思っている。ガリ無しでいなりは語れるまい。
それだけではない。いなりは「あ、あともう一口」を叶えてくれる有能な補欠なのだ。特に麺類と相性がいい。例えば、かけそばと稲荷。たぬきうどんと稲荷。白飯じゃ物寂しい。普通の握り寿司じゃ主張しすぎる。おにぎりじゃ重い。そんなときはやっぱり、いなりだ。
あたりまえのようにそこにいて、実は名脇役。寿司の名に甘んじないで、背後から日本の食生活を支える、けなげなやつだ。
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油揚げを甘辛く煮るのは、家庭ではちょっと面倒だ。スーパーの惣菜屋なんかで売っている「いなり用の油揚げ」は味がしみてておいしいらしい。
卵のベーシックな調理方法はいろいろある。ゆで卵、オムレツ、半熟卵、スクランブルエッグ。目玉焼きだけでも三種類は知っている。そのまま焼くやつ、ギョーザみたいに水で蒸すやつ、両面焼きにするやつ。
そんな万能選手の卵だが、コンスタントに日本人に受けがいいのは「温泉卵」である。俺が調査したところ、日本人の100%が「温泉卵が一番好き」と言った。訊いたの二人だけだけど。
さて、そんな温泉卵の簡単すぎる作り方を紹介する。
でかい魔法瓶を用意して、熱湯をそそぐ。熱湯の量の三分の一くらい水を入れる。卵をいくつか入れる。蓋をして、20分くらい待つ。はいできあがり。
簡単だからって作り過ぎないように。一度に三つ食べるとおなかが痛くなるよ。実証済み。
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温泉卵はスクランブルエッグと並んで、カレーやサラダにもあわせやすい。シーザーサラダに乗せるといい。ドレッシングにも案外合うのよ。だが、スクランブルはバターを使うからカロリーや油分がだいぶ跳ね上がる。さすが、温泉と名がつくだけあって、体にもよさそうだ。と、ざっくりしたまとめ方をしてみる。
そんな気取ったはじまり方をして、初回はうなぎである。理由は、こないだの夕飯がうな丼だったから。ふわふわの蒲焼を割ったときに、白いご飯の湯気に紛れて漂ってくる、甘辛い琥珀色の匂い。うーん、うなぎはうまい。
しかし、みなさん、一度は、こんなことを考えたことがあるのではないだろうか。
「うなぎは、うなぎが旨いんじゃない。タレが旨いんだ」、と。
だが、それは間違っている。まず第一に、うなぎのタレだけでご飯を食べてみればよくわかる。物足りなくて、すぐ飽きて、食べるどころじゃないのだ。
次に、他の白身の魚、そうだな、タラか何かにあのタレをつけて食べたと想像して欲しい。まずわれわれの脳を直撃するのはあのにおい、「あっ、うなぎだ!」という信号である。脳がうなぎモードに入るだろう。
次にタラを噛む。脂の乗りが違う。ぽそぽそする。「あれ、うなぎじゃないぞ」となる。うなぎなのか、うなぎじゃないかはっきりしろ。うなぎの味でうなぎじゃない! とばかりに混乱すること請け合いである。
つまり、タレあってこそのうなぎ、うなぎあってこそのタレなのだ。
……あなごだって? 何か言ったかい?
このコラムでは、毎日なんらかの食材、もしくは食べ物をとりあげ、それについてうんちくを述べたり、想い出を語って一人悦に入ったりするつもりです。「読んでいて腹の減るコラム」を目指します。ぜひともお付き合いください。
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科学技術が進歩し、われわれは何でも作り出せるようになった。ビルも、飛行機も、パソコンも、胃薬でも何でもテクノロジーで作れるようになった。
だけど、私たちが口にするものといえば、未だに、肉だの野菜だの、米だの麦だのって、ぜんぶ生き物に由来するものばかりだ。現代の科学技術をもってしても、やはり自然の肉や魚より旨いものは作り出せてない。
肉にしろ魚にしろ、僕らはもっぱら、生き物の死骸を食べている。死骸という言い方がえぐいなら、いのちの器と言ってもいい。いのちが息づいた器と、そこに残されたいのちのかけらを食べることで、僕らは自分のいのちを維持している。
どんなにおいしい味がして、栄養の豊富な化学製品ができたとしても、やはりそれは食べ物ではないと僕らは感じるだろう。食べ物は、いのちを持っていなくてはならないのだ。目に見えないし、味わえないけれど、いのちこそが食べ物とそうでないものを区別しているのだ。
僕らは、いのちをたべて生きている。だから、僕らにいのちのかけらを残していった生き物たちには、謙虚でなくてはならないのだ。さあ、両手を合わせて、いただきます。