神戸市役所に就職して36年間に8つの職場を点々とした。振り返ってみると一生懸命勤め上げたところもあったが、どう考えても給料分に見合う仕事はしていなかったと反省するところの方が多かった。今から3年前、子育ても一段落した時にタイミングよく神戸市が希望退職者を募集することになった。定年まで2年を残して退職すると退職金が3割増になるという。ほぼ1年分の給料で2年の時間が買えるという話だから悪くない。また年金が私の場合は61歳からの満額支給ということなので、それまでの3年間は退職金の割増分を年金代わりに食いつぶしたとしても十分にお釣りがくるという計算もできる。あれこれ私なりに損得勘定をした結果、ここらが潮時だと判断して退職することにした。そして新しい人生こそは悔いのないように生きようと決心した。

 私は第2の人生の基本として「主体性をもって自分流に生きる」ことと「社会のために尽くす」ことを考えた。具体的に言うと、後者についてはさいわい20年間続けてきている尺八という特技を生かしてボランティア活動により力を入れるということだ。最後の職場であった垂水福祉事務所では高齢者や震災被災者の支援活動にボランティアとして献身的に活動する民生委員さんの姿に非常に触発されるものがあった。それで在職中から時々はひとりぐらしのお年寄りのための給食サービスの席や障害者のための福祉施設で尺八を吹いてそれなりに喜んでもらっていた。さいわいいつも同行してもらっている箏の先生も快く協力してもらえそうなので、この活動により本腰を入れて取り組もうと考えた。
 

 そこで新たに4月から北区にある特別養護老人ホームを毎月1回訪問することにした。特別養護老人ホームは重度の障害を抱えたお年寄りが多いのでひとりぐらし老人とは少し勝手が違う。同じように特別にお年寄り向きに編集した童謡・小学校唱歌や懐メロを歌ってもらってそれに箏と尺八で伴奏するのだが、老人ホームでは反応が今一つつかめないので苦労する。拍手も少ないし、お年寄りの表情も読めないので演奏していても喜んでもらっているのかどうかがよく分からない。ある時座席の一番前に座って演奏中ずうっと天井向いて目をつぶっているおばあさんがいた。自分では体も自由に動かせないようで、約1時間ほどの演奏中終始同じ姿勢でいるのでてっきり寝ているものと思っていた。正直なところやりにくいなと思いながら、何とか気を静めて演奏を続けた。そのうちにふと気がついたのですが、椅子の手摺りの上に置かれたおばあさんの指先が微妙に動いているではありませんか。眠っていたはずのおばあさんが実はわれわれの演奏に合わせてきっちりと指で拍子をとっていたのです。

 そのことが分かった時、私は不覚にも涙がこぼれそうになり、尺八が吹けなくなるほど感動した。手が動かないので拍手はできないけれど、また言葉が不自由で大きな声では歌えないけれど、みなさんそれなりにきっちりとわれわれの演奏を楽しんでくれていたのです。冥利に尽きるとはまさにこのことです。この日の演奏が終わって飲んだコーヒーの旨かったことは生涯忘れられない思い出となりました。

 またこんなこともありました。箏の先生は目が不自由な女性です。彼女自身は物心ついた頃にはもう全く視力を失っていたので、見えないことを当たり前のこととして受け入れてこれまで生きてきています。しかし、健常者からみると「不自由を克服しながら健気に生きている」姿が非常に印象的に映るらしい。

 ある時ひとりぐらしのお年寄り給食サービスの席に招かれて行きました。いつも通り二人で1時間ほど楽しく演奏していざ帰ろうとしていると、80歳を過ぎた一人のおばあさんが彼女のところに寄って来ました。そして「今日の演奏に非常に感動した。ついては自分が嫁入りの時に買ってもらって大事にしている箏があるのでぜひもらってほしい。自分ももう年だし、あなたのような方に役立ててもらったらこんなに嬉しいことはないから。」との申し出でした。早速その方のお家にいただきに伺いました。その箏はほんとうにそのおばあさんの宝物であったのでしょう、戦災の時も大事に持って逃げ、つい最近の震災も無事に切り抜けたというだけあってお箏を保護してくるんであった毛布は少し触っただけでボロボロになるほど傷んでいました。けれどもお箏の方は糸を張り替えただけで十分に使えます。こうしておばあさんが大事に守ってきた宝物が再び現役復帰することになりました。

 ボランティアを続けているとこういったまるでドラマの世界のような出来事によく出会います。今の今まで「亭主に死に別れて一人になったけど、かえってせいせいしたわ」と精一杯強がっていた人が「花嫁人形」を歌い出した途端、ポロポロ涙を流し出したということもありました。「久しぶりにお腹の底から大声を出してすっとした」と晴れ晴れとした表情で礼を言って帰って行く人も多い。そういう日はこちらの心まで浄化され、気持ちに余裕が生じて帰り道が多少渋滞してもイライラしません。夫婦ゲンカの後遺症も癒してくれるので家庭円満にも貢献してくれます。このようにボランティアというのは他人の役に立てばと思って「やってあげてる」つもりがその実、逆にこちらが元気や生きがいを貰っているわけですから「やらしてもらっている」のです。まさに「情けは人のためならず」を実感しています。
 

 次は「主体性をもって自分流に生きる」ということです。退職するに当たってとにかく考えたことは「時間を大切にしたい」ということでした。考えてみたら市役所に勤めていた数十年間はほとんど自分で時間を管理して生きる生活ではありませんでした。決まった時間に出勤し、一定の時間になれば退社するという生活は一見不自由に見えますが、実は非常に気楽です。二日酔いでガンガンする頭をかかえながらでも仕事があれば出て行かねばならないが、そのおかげで規則正しい生活が守られる。ところが退職すると時間的には「サンデー毎日」になり、一見自由になったように思える。ところが決まった時間に会社に出かけなくてもよいということは、いつまで寝ていてもよいということだし、昼間から酒を飲んでいても誰に文句を言われることもない。だからよほど自分がしっかりしていないとかえって自堕落な生活に陥りやすい危険性を持っているのです。30数年間も時間を他人任せにして生きて来ておれば、われわれ凡人はそういった生活が習い性になってしまっているので、突然自由になったからといっておいそれと自分の時間をしっかりと管理できるものではない。

 そこで私はせっかく取り戻した自分の時間をどうすれば有効に活用できるかについて改めて考えてみました。先にも述べたボランティア活動にこれまで以上に時間をかけて励むこともその一つになる。しかしそれでもまだまだ時間は余る。そこで何か新たなことに挑戦してみたいと思いました。運動はこの年になるとあまり激しいものはかえって逆効果です。日課にしている飼い犬の散歩をもう少し時間をかけてやる程度で十分でしょう。絵画や書には今一つ興味がわかないし、音楽は尺八をやっているので間に合っている。

 いろいろ考えた末に思い切って外国語の習得に挑戦することにしました。英語は中学校から10年以上やっても片言の会話さえもできなかった。イタリア語やスペイン語は発音が日本人に向いているというので一時食指が動きかけたが、実際に現地へ出かけて行くとなると時間も経費もかかるので簡単に行き来することができない。いろいろ考えて比較的簡単に覚えられて、実用にも役に立つ外国語と言うことで韓国語を学ぶことにした。

  韓国と日本は歴史的、文化的に最も密接な関係にあった国です。時差もないし距離的にも国内旅行の感覚で行ったり来たりできる近場にある。日本語も韓国語も同じウラル・アルタイ語属に属する言語で、助詞の使い方や語順が同じなのでわれわれのような年配者でもたやすく学習ができる。司馬遼太郎によれば両者はもともと同じだったものが、たかだか6千年前にそれぞれ別々に独立して歩きだして現在に至ったという程度の違いだそうです。このウラル・アルタイ語属に属する言語は他にトルコ語、モンゴル語がある。そういえば大相撲の世界で最近活躍が顕著な旭鷲山、旭天鵬、朝青龍などモンゴル出身の力士のしゃべる日本語はまるで日本人そのものと言ってもいいぐらい違和感がありません。こうして58歳の手習いとして韓国語の勉強が始まりました。

 NHKラジオのハングル講座を毎日早起きして聞きながら、週2回夜2時間づつ兵庫韓国学園に通うことにしました。ハングル文字は一見したところ難しそうですが、アルファベット文字のように子音と母音の組み合わせになっていて、文字自体はその気になれば1日でも覚えられるほど簡単なものです。文法も日本語と全くと言っていいほど一緒ですから、英語のように語順を頭の中で一度転換させる必要がありませんからほんとうに楽です。例えば「明日は日曜日だから学校が休日です」は「明日ヌン日曜日イニカ学校ガ休日イダ」となり、カタカナで表記したのが韓国語の助詞に当たる部分ですが使い方は日本語と全く同じです。さらに「明日」「日曜日」「学校」「休日」といった単語はもともと中国から伝わった漢字語ですから、これも発音が少し違うだけで意味は一緒ですから簡単に覚えられます。このような漢字語が韓国語全体の7割ほどを占めていると言われますから助かります。

 去年ソウルに6カ月間留学していた時にこういう経験がありました。ある時下宿のアジュムマ(おばさん)が「ピンゲ」という言葉を発しました。よく説明を聞いても分からないので辞書を引いてみると「口実、言い訳」と出ています。そこで私が「クーシルですね」と言うとアジュムマが「ピンゲみたいに簡単な言葉が分からないのにどうしてクーシルという難しい単語を知っているのか」と不思議そうな顔をしました。実は「口」は「クー」で「実」は「シル」と韓国語では発音するのでその通り読んだだけのことなのです。
 

 このように漢字にはそれに対応する決まった韓国式の発音があるのでそれさえ分かってしまえば初めての単語でも想像して言ってみればかなりの確立で当たります。まるで謎解きをしているような面白さもあります。こうして私は韓国語にどんどんのめり込んで行きました。学園の方は2年間無遅刻無欠席を通して皆勤賞をもらいました。同級生の多くは仕事をもちながら通っているので大変だが、こちらは時間がたっぷりあるので少々物覚えが悪くても予習、復習を2倍、3倍とやって臨めるので若い人にも十分に太刀打ちできます。こうして初級、中級を無事にクリアーして3年目を上級クラスで迎えることになりました。

 何でも新しいことをやりだすとそれを実際に使ってみたくなるものです。それまでも学園の修学旅行や個人旅行で数回韓国を訪れていましたが、こんどは本格的に韓国へ語学留学してみようと考えました。さいわいソウルにあるたいていの大学が外国人のために特別の講座を開いていて日本からも多くの人が留学しています。いろいろ調べた結果、西江大学というカトリック系の大学が年齢制限もないし、会話中心の授業に人気があるということで6月末から6か月間西江大学に通うことになりました。事前のテストの結果私は3級からのスタートとなりました。3カ月で1学期になっていて、各学期末に試験を受けて合格すれば上の級に進級するシステムですから、私の場合日本での2年間の勉強の成果がこちらの2学期分相当と認められたわけです。

 授業は月曜から金曜まで毎日午前9時から午後1時まで4時間づつあります。1クラスの生徒が12名で、日本から来ている人が半数を占めますが、中国、ロシア、アメリカなどからもたくさん来ています。先生は若い韓国女性が多く、よくできた教材に沿って親切に指導してくれます。私のように60歳を過ぎればこの国ではもう十分に「老人」として尊敬の対象になりますから、順番に当てられてきて私が少しぐらいトチッたり、間違った答えをしても温かく見守ってくれるのでほんとうに毎日の授業は楽しいものでした。最初のうちこそ授業中は一切韓国語以外使用禁止で戸惑いましたが、それにもいつしか慣れました。

 大学まで徒歩5分という至近距離にある下宿の生活も久しぶりに大学時代に戻った気分で快適です。朝夕2食付きで6畳ほどの個室に住んで下宿代が月5万円ですから日本に比べると非常に安い。下宿のアジュムマは日本語が全然できないけれども話好きで親切だから食事の時などもいろいろと世間話をしながら韓国語の勉強になってかえって好都合です。こうして私は韓国での生活にどんどん馴染んで行きました。

 韓国の食べ物と言えばキムチに代表されるようにとにかく辛いものというイメージがありますが、辛くないものも結構多い。サムゲタンをはじめスープ類はたいてい日本人の口に合います。そして意外に野菜をたくさん食べます。私の下宿でも大体8種類ほどのおかずが毎回出ますが、そのほとんどは幾種類かのキムチとワカメやモヤシのスープで、肉や魚は出てもどちらか1品ある程度です。そして基本的に野菜は生では食べませんのでかなりの量を毎日食べることになります。

 すると当然のことながら便所に行く回数が増えます。私は日本ではまあ1日か2日に1回排便がある程度でしたが、韓国で生活しだしてからは最低でも日に3回、多い時は5回もトイレに通うことがありました。韓国のトイレ事情がちょっと日本と違っています。ソウルは東京と同じ1千万人が住む近代都市です。当然下水が発達していて水洗便所は完備しています。ところがトイレには必ず大きな屑入れが置いてあるのです。要するに使用した後の紙をそのまま下水に流さずにその屑入れに捨てなければなりません。下宿はもちろん大学や地下鉄の便所でも同じことです。慣れるまでは用を足してついいつもの習慣で便器に捨ててしまってあわてて素手で拾い上げるという惨めな体験も何回か経験しました。一説によると韓国の下水管が日本に比べると細くてよく詰まるからだとも聞きましたが真偽の程は分かりません。いずれにしても狭いトイレの中で剥き出しの便所紙を目の前にしながら用を足すというのはちょっと抵抗感のあることでしたが、これも毎日のこととなるといつしか慣れて何とも思わなくなって行きました。 

 このように日本人と韓国人の生活習慣は一見似ているようで違いもまた多い。食事の時も日本では箸を使いますが、韓国は箸も使うがどちらかと言えばスプーンが中心です。そして一つの器に盛ったものを各自が直接口に運ぶスプーンでもって取り合うということが多い。食堂でそれぞれ違うメニューを注文した男学生同士が自分の食べ物を食べながら時々相手の皿にもスプーンを突っ込んでいるのを見たことがありますが、これなどまず日本では見られない光景です。ある時下宿の友人と一緒にアジュムマに連れられて喫茶店に行ったことがありました。アイスクリームにいろんな果物を混ぜたパッピンスという食べ物をアジュムマが注文してくれたのですが、大きな器に山盛りになったパッピンスにスプーンが3つ突きささって出てきました。60歳を過ぎた初老の3人連れが仲良く一つ物をつつきあう図はどうも様にならないと思うのですが、こちらでは「同じ釜の飯を食う仲」という言葉が実際の生活の中に今も生きているということを実感しました。

 韓国の銭湯も一風変わっていて面白い。一般に韓国は日本に比べて雨が降りません。年間総雨量がソウルで日本の半分の1500ミリほどで、そのうちの半分が6、7月の梅雨期に集中するので普段は空気が乾燥しています。ですから一般の家庭には風呂がなくてシャワーで済ますところが多い。そして時々銭湯に行くわけです。私がよく通った銭湯は規模が大きくて屋上に露天風呂まであり、スチームと普通のサウナ、プールを小さくしたような水風呂、そして仮眠室までありました。銭湯にはどういうわけか必ず散髪屋と靴磨きが同居しています。素っ裸のまま頭を刈ってもらってそのまま風呂場に直行して洗えるので合理的と言えば合理的です。私がびっくりしたのはこちらの人はタオルで自分の前を隠すということをしません。もともとタオルも自分で持って来るということはせずに、浴室の入り口にうずたかく積み上げてあるものを体を洗う時に使うのです。韓国人は一般に長湯です。サウナに入ったり、シャワーを浴びたり、浴室の一部が下からホコホコと暖められていて寝そべれるようになっているところで横になって寝ていたりします。当然のようにみんな生まれたままの姿です。床に気持ち良さそうに寝そべっているご同輩の一物が全く無防備にだらんと横向いているのを浴槽に首まで浸ってぼんやり眺めている図も慣れてしまえばこの上なく平和な光景でいいものです。聞くところによれば女湯でも基本的に同じことだそうですから多分「羞恥」の観念が日本と韓国とではだいぶ違うのだと思います。

 ワールドカップとともに始まり大統領選挙に終わった私の韓国留学生活でしたが、この6カ月間の経験は貴重なものでした。旅行者としてでなく実際に韓国で生活してみて初めて分かったことも沢山ありました。おかげで私の韓国語の実力もずいぶん向上し、韓国中を旅行して歩くには全く不自由しない程度には身につきました。
 これからはせっかく身についた韓国語を錆び付かせないためにも、またさらに一段と磨きをかけるためにも日本と韓国を自分の住処と考えて行ったり来たりしようと思っています。そのことが結果として民間交流の一助にもなると思います。韓国に興味のある方はぜひ声をかけてください。いつでもご一緒させていただきます。