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熊野詣に行ってきた。「特急くろしおで行く熊野三山と秘湯十津川温泉2日間」というツアーである。熊野三山とは、本宮町の熊野本宮大社、新宮市の熊野速玉神社、那智勝浦町の熊野那智大社の三社である。

 

特急くろしおは紀伊田辺駅で下車。バスで国道311号線を行く。中辺路である。熊野三社の根本宮である.熊野本宮大社へ参る。つぎい国道168号線を北上し、奈良県にはいり十津川で宿泊。翌日は、逆に国道168号線を南下し、新宮市の熊野速玉神社へ。さらに那智熊野大社へ。ここでは古道・大門坂を歩く。そして紀伊勝浦駅からスーパー特急くろしおに乗る。そういう行程である。

 

中辺路の神域のはじまりといわれている滝尻王子で句碑がふたつ。

 松蝉や熊野古道(ふるみち)草の中   五十嵐播水

 滝尻や夕日に鮎のまた掛かり   五十嵐哲也

なぜ神戸の俳人親子、「九年母」主宰の句碑がこんなところに、と裏をのぞいてみると、紀伊俳壇創設以来の選者である、と紀伊民報社社長の説明書きがある。こうしていたるところに句碑・歌碑が林立するのだろう。

 

熊野本宮大社。参道にそうように熊野古道が続き、すこしはずれたところに旅のほこりを祓ったとされる祓戸王子がある。長い時間をかけてここにいたれば、石段を眺めるだけで、神域にはいったと体感できたに違いない。バスではそうはならない。二句。

 

祓戸(はらへど)で浄め爽気の杉木立

秋冷の木立のなかの霊地かな

 

 

熊野速玉神社。境内に佐藤春夫の「望郷五月歌」の詩碑がある。またすぐそばに新宮市立佐藤春夫記念館があった。明治251892)年にこの近くで生まれている。「山紫に水明(きよ)く、人朗らかに情けあり」という新宮市歌までつくっている。望郷の詩人といわれたそうだ。

 

紀伊勝浦駅にも佐藤春夫の詩碑がある。紀勢本線全線開通の1959年(昭和34)に建立された「秋刀魚の歌」である。声に出して読みたい詩であり、全編暗誦したい詩である。     

とりわけ、

そが上に青き蜜柑の酸()をしたたらせて

さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。

 のフレーズと、

そが上に熱き涙をしたたらせて

さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。

 とのコントラストがいい。好きな詩である。しかし、

  あはれ、人に捨てられんとする人妻と

  妻にそむかれたる男と…

 というフレーズもあり、駅前の詩碑としてはいかがか。

 

わたしなら、佐藤春夫からはこの句を選ぶだろう。

  恋語る魚もあるべし春の海  佐藤春夫

駅から5分でマグロの水揚げ日本一という勝浦漁港があるし、ここの駅弁はさんま鮨である。のんびりとして、いい。「人朗らかに情けあり」の風土にあっているし、観光地の句碑に適している。

もっともわたしも「秋刀魚の歌」をもじって一句つくったのだが…。

  熊野路のあはれ秋風さんま鮨

 

 

 

木の国のことに漢(おとこ)の時雨けり   角川春樹

隠国(こもりく)のいま火祭りの時雨かな   角川春樹

 佐藤春夫と同じ新宮市生まれに作家の中上健次がいる。その中上と角川春樹が、昭和60(1985)年に勇壮な火祭として知られている神倉神社のお燈祭(おとうまつり)に来ている。神倉神社は熊野速玉大社の飛地境内摂社である。「お燈まつりは男のまつり、山は火の滝、下り竜」。毎年26日は、女人禁制になる。

    

 熊野速玉神社の次に行ったのは、熊野那智大社である。熊野古道といえば、苔むした石段と杉の木の写真の、ここ大門坂が紹介される。西行法師も歩いたという霊地、杉の巨木のなか、黙々と石段をのぼる。もっとも世界遺産に登録されてから、人が多すぎて苔が少なくなってしまったという。

 

神にませばまこと美はし那智の滝   高浜虚子

那智といえば滝である。滝壷ちかくの飛滝神社にこの句碑がある(が、見なかった)。

高浜虚子生誕130年を記念して、平成16(2004)2月、芦屋市の虚子記念館に俳人達が集まって、和歌山県の那智の滝の自然を守ろうという「那智の森」シンポジウムが開催された。那智と虚子の関係はわからないが、この句をつくったという因縁はあるのだろう。 

 もう一句。那智の滝の句。

 滝落ちて群青世界にとどろけり   水原秋櫻子

 

 社も滝もじつはさほど興味はない。那智大社のとなりの青岸渡寺の境内、ここにある珍重庵の店で抹茶付きもうで餅を賞味した。そこで一句。

  もうで餅食へば熊野の黄落す

                                   (2004.10)






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