今の日本では、どんなモノでもお金を出せば買う事が出来るほど、身近にモノがあふれています。次から次にテレビから新製品のコマーシャルが流れています。モノが有り過ぎる事は幸せなのか不幸なのか分かりません。しかし、子どもの世界でモノが有り過ぎるのは、子どもにとって幸せな事ばかりとは言えません。次々に目新しい玩具を与えられると、脳の発達にどの様に影響があるのでしょうか。
子どもは目移りして一つのものにじっくりと取り組まず、集中出来ず気が散り、そのモノに対する観察、理解、納得などの体験が十分に出来ません。色々のものに手を出すが長続きしない遊び方が身についてきます。好奇心というのは、ただ目につくものに目や手がいくだけでなく、なぜ・どうして・どうすれば、などのいわば知的好奇心が育たなければなにもなりません。子ども自身が自分で工夫し、自分の頭を使って失敗したり学習したりしていく過程を持たなければ子どもの本当の好奇心や思考力を育てる事に役立ちません。その為にも子どもに与えるものは出来るだけ単純なものが良く、又、色も出来るだけ少ない方が良いのです。最近のハイテクのもの、知育玩具、又、テレビゲームなどは子どもの脳の発達にあまり役立つものえはないと思うのです。
物の豊かさが人間的な豊かさにつながらないだけでなく、豊かに見える生活を続けていけばいくほど人間的な豊かさから遠のくように思えるのです。「物の豊かさ」から「心の豊かさ」へと世間でよくいわれています。まさにその通りだと思うのです。十数万人もの高校中退者や小学校でも不登校児が出ている現在、生活の豊かさをもう一度考えてみなければならないと思っています。現在、日本の生活の豊かさは見せかけの物の様に思えてならないのです。
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人間の生き方や物のみかたにはいろいろあります。百人 よれば百人の見かた、考え方があるのは当然です。最近、日本でも価値の多様性ということがよく言われる様になり、生き方が多様になっただけで価値観も多様になってきたのは当たり前のように思えるのですが、しかし子育てや教育の面では、はたしてその様にいえるでしょうか。学校の成績の良い子ほど評価が高く、一般社会にあれば金持ちほど「えらい人」という評価はなかなか抜けきれません。序列化された上の学校のどのランクに入るかでその子の評価が決まってしまうなど、親も世間一般と同様の価値観にとらわれてしまい、固定観念からなかなか抜けだせません。子供の一生は子供のためにあるので、親のためには無いということは頭の中では分かっていても、事、教育の面では一元的な価値観にとらわれてしまい勝ちです。
子どもの病気のなかでも最も多い風邪や小児感染症でも同様のことが言えるのではないでしょうか。子どもが病気になれば一刻でも早く治してやりたい、熱があれば直ぐにでも下げてやりたいと思うのは当然のことですが、世の中で生きていく上で色々の病気は避けて通ることは出来ません。熱が出るというのも考え方をかえれば、体内に入った細菌なりウイルスをやっつけようとする生体の防衛反応の一つと考えればむやみに熱を下げるだけが良いことでもありません。働いているお母さんにとっては子どもが病気になれば仕事を休まねばなりませんから困ると思うのですがお父さんにもがんばってもらいなさい。病気は天から与えられた休み、子どもとより深く接触できる良い機会と考えて、充分に甘えさせてはいかがでしょうか。子どもは病気をすることによってより深い意味のある体験ができる、病気によって内面的体験が生まれる事も考えるべきでしょう。そして一つ、一つ病気をすることによってそれぞれの免疫が体に出来てくるプラスの面も考えると良いと思います。ものの見方や価値観にはいろいろな側面があることを認識してほしいと思います。
最近のお母さんたちは本当に子育てに熱心です。それは決して悪い事とは思いませんが、なにか一本、なにか大切な事が抜けている様に思えてなりません。なにかといわれても困るのですが、子育てに熱心なあまり自分自身 の事を忘れておられるお母さんがあまりに多い事にびっくりします。子育てを放棄して自分の快楽にはしっている母親の事が時々新聞紙上で見掛けますが、反対になりふり構わず全生活を子どもの為と思っている事も必ずしも正 しい事とは思えません。子どものため、子どものためといっている事自体、子どもには心の負担が大きいし、やがて成長してくると親から離れて行くものです。
子育ては確かに大変楽しいことに違いありません。自分のお腹を痛め た子が日に日に大きく成長するのをみるのは、世の中でこんなに素晴らしく、また楽しいことはありません。私なども毎日の診療のなかでどんどん大きくなられる子どもさんを診ている事は楽しみの一つです。しかし、子どもを必 死に育てる事よりも、子育てのみに終わるよりも、子育てを通して自分も同じ様に育っていく、成長していく方がもっと楽しい事ではないでしょうか。子どもだけが成長し自分はあまり変らないでは、子どもが大きくなった時、子どもが 巣立ったときどうなるのでしょうか。子育てを通じて友達の輪をひろげ、子育てによって自分自身大きく成長してこそ子育ての楽しみももっと深まるのではないでしょうか。昔から子は親の背を見て育つと言われています。子は親 の毎日している事や考えている事、大袈裟にいえば親の持っている人生観や価値観に大きく影響を受けて大きくなるものです。
最近、自立という言葉がはやっています。自立性を持った子どもに育てたいとか、大人になった時自 立性をもつた人間に成ってほしい、と思っているお母さんが多いと思いますが、お母さんが自立していなくてどうしてそんな子ども、そんな人間に育てる事ができるのでしょうか。子育てにめくじらを立てるより、自分育てをなさって はいかがでしょうか。その方が子どもも喜びますし、また子どものためにきっと良い結果を生む事と思います。
最近は世の中全体がせっかちになって来て、「待つ」という事を知らない大人や子どもが増えて来ています。「待つ」という事を知らない大人達は、きっと子どもの時から何不自由なく育ち、欲望をおさえる力があまり身についてい なかったのでしょうか。子どもが熱を少し出すと、すぐに解熱剤をつかって下げようとしたり、咳が出てもすぐに止めてほしいと思う。たしかにその気持ちも心配も分かりますが、熱や咳などはそれぞれ、それの出る原因があり、そ の元がよくならないとそれらの症状が出て当然なのです。少し様子を見ましょうといっても、不満そうな態度がありありです。一刻をあらそう病気の時は別として、もう少し待ってみても良いと思える時までも、それが待てないお母さ ん方も多いようです。
世の中でも、学校でも、家庭でもその秩序を守るために色々の約束があります。その様な約束や決まりをお互いに守ることによって秩序が保たれるのです。子どもはその年令が低ければ低いほど自分中心 です。他人の事に気を配ったり、他人を思いやる力はとても弱いものです。自分の思い通りにならないと泣いたり、癇癪をおこしたりします。しかし、子どもの時から自分の欲望をおさえ、待つ事を徐々に教えていく事が、家庭以外 の集団の中で生活する様になるとそれがとても大切な事になると思います。「ほしがりません、勝つまでは」といわれて大きくなった私の子どもの時代と違って、今はなんでもほしいものが手に入ります。しかし、オモチャや絵本な ど子どもがほしがるたびに与えていると、子どもに欲望をおさえる力、ガマンする力が育ってきません。お腹がすいたからといって食事以外に食べものを与えていると、食事まで待つという力も育ってきません。なにでも親のいう通 りの「おとなしい子」親にとって「よい子」になる必要はないのですが、少しだけ自分の欲望を押さえる、時間まで少し待つという力は小さい時から教えておかないと、ガマンする必要のある時もガマンが出来ない大人に育っていくも のと思います。皆様どの様にお考えでしょうか。
今の子どもたちは自分の意思で決定する力が弱い、「指示待ち」が多いといわれています。診察室のなかで、子どもにいろいろと質問したり、話かけたりしても、その都度付き添っている母親の顔をいちいち見上げてどのように答えるかを伺っています。幼児ならいざしらず、すくなくとも学校にいっている子どもであれば自分で答えてほしいものです。中学生になっている子でもその様な子どもを見かけます。なぜ病院にきたのか、いつからどの様な具合であるのか、頭がいたいのか、お腹がいたいのか、吐いているのか、などなど自分の事は母親の指示がなくても言えそうに思うのですが、そのような訓練をしていないのか、何ごとも母親の指示どおりにしか行動できないような習慣になっているのか不思議に思えてなりません。学校ではどのような態度で先生や学友にせっしているのか、どんな生活をしているのか不思議です。
大学の入学式や会社の入社式に母親がついていく世の中ですから仕方がないと言えばそれまでですが、どうしてそんな世の中になってきてしまったのでしょうか。理由は色々と考えられますが、その一つは昔に比べてどこの家庭でも子どもの数が減ったことが上げられます。親の目が行き届きすぎるのです。また昔に比べて危険なことが、例えば交通事故などが増えてきているからともいえます。しかし親の姿勢はつかず離れずが一番良いのです。管理が過ぎると子どもは親の指示を待って行動するようになっていくのは当然です。その上に学校では教える内容が多すぎます。そして子どもたちは早くて正確に、間違いないことを要求されます。「早く・正確に」と詰め込まれ、テストでよい結果が要求される体制では失敗は認められません。失敗の積み重ねで子どもは成長するものなのに、その失敗が許されない状況下ではどうしても「指示待ち」にならざるをえないのです。これは学習面だけにとどまらず「自分で考え、判断し、行動する」能力が育ちにくいのは当然でしょう。 幼児の時から子どもに干渉せず、よほど危険な事以外は目をつぶり、口に出したいのをぐっと飲み込んで我慢し、つかず離れずの親子関係を持ってほしいと考えるのは甘い考えなのでしょうか。結果をせっかちに求めずに暖かく見守り育ててほしいものと思っています。
人間は年令をかさねるにつれて感動する事が次第に少なくなってきます。むしろ喜怒哀楽を顔に出さない事が一人前の大人としての資格の様にいわれています。しかし私は幾歳になっても、老年期に入っていても人間らしい感 情をいつまでも持ち続けたいと考えております。美しい花を見て美しいと感じ、世界のあちこちでおこっている紛争や戦争には激しい怒りを感じ、政治の堕落や不正に対して抗議の声をあげ、人の不幸を哀しみ、他人の幸せを自 分の幸せ同様に喜びを感ずる心を、感情をいつまでも持ち続けたいと思っています。その様な青くさい事をいっていると現代の学生達から馬鹿よばわりをされるかもしれ ません。しかし現代の若者たちに多い三無主義、つまり無 感動、無関心、無表情を良い事とはどうしても思えません。子どもたちに、どうしたのと聞いても「別に」何をしてほしいのかを聞いても「別に」疲れたのかと聞いても「別に」お腹が痛いの、頭が痛いのと聞いても「別に」という答えだ けがかえってきます。
なにが子どもたちをそうさせたのでしょうか。大人でもそうですが、子どもは感動する体験がなければいきいきする事が出来ません。人間はつらい事がいっぱいある日々のなかでも、ちょっとした快さ、喜び、希望、安堵、満足など のプラスの感情、つまり感動体験があることで、生きている実感を自覚することが出来るのです。
子どもがいきいきと生活するためには子どもなりの不自由な環境の中でも精一杯行動し、かつ感動を体験することがとても大切なことなのです。子どもが感動するのは大人によって与えられたものを再確認することでなく、自ら の好奇心でやってみて、その結果が出たときです。それが成功であろうと失敗であろうと自らが見つけて、やってみてためしてみてこうなったと確認出来るとき、子どもはとても感動するものです。
感動は生きるためのエネルギーなのです。
「ヤッター」とか「シマッタ」とかの感情の体験が子どもの大脳を刺激し大脳が発達するのです。たんなる情報や知識のみでは子どもの大脳の働きは発達するものではないのです。子どもの身辺にモノが多すぎると子どもの好奇 心は決して育ってきません。次から次へと新しいものを与えると一つのものに集中する事はできません。だから子どもの身辺はモノが豊富でない方がよいのです。子ども自身が自分の頭をつかって失敗したり、成功したりして学 習していくプロセスを省略して子どもの本当の好奇心や思考力を育てることは出来ません。
最近はやりのハイテク・知育玩具では決して好奇心は出来てきません。豊富な感動をもつ心の子に育てる事は出来ません。感動出来る子どもに、感動出来る人間に育てたいと思われるなら、子どもの遊びにお金をかけないで、 モノを買い与えないでほしいのです。子どもの身辺にあふれるほどのモノを与えておいて決して子どもの好奇心を育てる事は出来ませんし、自然な心で物事に感動をおぼえる本当の人間らしい人間に育てる事は出来ないのでな いかと考えています。
物の豊かさが人間的な豊かさにつながらないだけでなく、豊かに見える生活を続けていけばいくほど人間的な豊かさから遠のくように思います。自分の子どもが幾歳になっても物事に感動出来る人間になってほしいお母さん、お 父さんは自分自身の新鮮な心を失わない様にすると同時に子どもの身辺に豊富にモノをあたえないでほしと思っています。
近頃は学校で失敗をしない子供が増えているそうです。学校ばかりではありません。社会にでても、会社に入っても失敗をしないために自らすすんで仕事をしないで、上から言われた事だけはソツのない様にする人が増えている そうです。昔は公務員がその様に言われていましたが、最近は子供の世界にまでその風潮が広まって来ています。こんな事で良いのでしょうか。
子供は素晴らしい好奇心と素晴らしい行動力でなににでも挑戦し、試行錯誤を繰り 返しながら成長していくのが本来の姿と考えています。失敗を恐れるあまりになにもしない子供の姿はどこかおかしいと思いませんか。失敗を恐れるばかりでなく、他人の失敗も許せない子供も増えているそうです。どうしてこの 様になってきたのでしょうか。色々の原因はありますが、一番大きなことはやはり家庭内とくにお母さんの態度、子供に接する姿勢に問題が在るのでないでしょうか。失敗するとすぐお母さんにしかられていれば失敗しないために なにもしないほうがよいわけです。可愛いわが子がしくじらないための「転ばぬ先の杖」が返って子供を萎縮させていませんか。おとなにとって良いと思っている事が子供にとってはたして良いことなのか改めて考えてみる必要が あると思います。
どうしてそんなことをするの、とはげしい勢いで責め立てている若いお母さんの声や引きつったように泣いている子供の姿を見るたびに、この子が大人になたとき困るのでないかという気がしてなりません。子ども たちが、お互いの失敗を許さないということは、いいかえれば家庭の中で失敗を許さないという姿勢の反映なのでしょう。子どもは失敗を重ねながら人間として育っていくということを、おとなは今、もう一度考えてみる必要があると 思います。大人にとって良い子、つまり管理しやすい子は大人になっても管理されやすい人になるのではないでしょうか。完全を求め、その途中でつまずきや試行錯誤のゆとりを認めない、これでは親は勿論、子供たちは心身と もに疲れてしまうでしょう。