自分らしく
手柴恵美子
「生き物は地球上にいっぱいいるから、見ていても一生あきないぞ」という父親の言葉が、後々まで生き物に付き合っていく支えとなったと言う、ゲッチョ先生こと著者盛口満の自伝である。
僕は千葉県の館山市で生まれる。小学校2年生の時に父親につれて行ってもらった沖ノ島の海で、貝殻を拾ったのがきっかけで貝集めに夢中になる。10歳のときには拾った貝殻をポケット図鑑で調べ、メモと一緒に取って置き始める。毎年夏休みの自由研究には、貝の標本を提出するが、5年生の時に宿題を友達に冷やかされたのがきっかけで、貝殻拾いは人には言ってはいけないものと思い込む。
中学では運動音痴にもかかわらずバレー部に入部するが、「日本貝類学会」に入会している友達と知り合う。部活の合間をぬって貝を拾って歩く。沖ノ島で拾えるタカラガイは、ほとんど拾ったつもりになる。この時拾ったアジロダカラは、図鑑によると生息場所が「奄美大島以南」と書かれていた。このことは図鑑に書かれていることが、すべてではないことを教えてくれる。同じように小学校3年生の時拾ったショッコラと思われる貝も、「紀伊半島以南」と書かれてあり、なぜそれが館山で拾えたのか疑問に思う。
高校時代は、「普通の人」にこだわり、授業も部活もほどほど、貝拾いからも徐々に遠ざかっていく。高3になり進路を決める段になると、やはり生き物を勉強したいと思い理学部生物学科をめざし、千葉大学理学部生物学科に入学する。そこで同じように生き物を勉強しようとしている人間でも、誰一人似たようなところがない個性的な20名の仲間に出会う。いかにそれぞれであるかが大事だということに気付く。大学3年の時、先輩の手伝いで屋久島に植物生態の研究に行く。丸2ヶ月屋久島の深い森でテント生活をしながら調査にあけくれた。後、僕は沖ノ島の森を研究テーマに選ぶ。生き物の研究は根気良くデーターを取り、それを表やグラフにし、そこでわかったことを論文に書く作業だが、そのことが生き物と自分の間に距離を作ってしまうように思えた。大学の中でずっと研究しているのは自分に似合わないと、先生をしながら生き物を見て行く道を選ぶ。埼玉県の新設校「自由の森学園」の教員採用試験に応募し採用される。
学校では、学生時代の友人がつけてくれた館山の方言「カマゲッチョ」(トカゲやカマキリ)からとった「ゲッチョ」のあだ名で呼ばれる。授業づくりや先生というものに悩みを抱く僕に、生徒の「何一人ではりきってんだ」と言う言葉にショックを受ける。先生になる前に「自分らしく」なることが大事だということを忘れていた。生徒と向き合うにはもっと生き物について勉強しなければと、教材作りを兼ね骨や虫や種を探し回る。海にも出かけ又貝とめぐり会う。幼い頃疑問に思ったこともわかってくる。
新しいことに挑戦する為に、15年勤めた学校をやめ沖縄の新しい学校に向かう。貝は幼生時代に浮遊する。人もまた一人一人種をまきながら旅をしていると感じる。
思春期の「普通」という不確かな言葉に惑わされたりしながらも、生き物を愛する仲間に出会い「自分」の大切さを痛感していく様子は共感を覚える。教師としてどう生徒に接するか悩みながらも好きな生き物をとおして生徒と関わることが出来ることに気が付くゲッチョ先生。著者の『タヌキまるごと図鑑』には高等学校の生徒たちと調査したタヌキのことが描かれている。小学生の時から集めた貝の名前が、時には詳しい説明とイラストで数多く書かれている。その他にもイラストを多く用い、親しみやすい。
海辺で育ち、森の研究をし、雑木林に囲まれた学校に勤め、今は南の島へ。いつも身近な自然に目を向ける著者の次の発信が楽しみである。