自分らしさを表現するために
瀬間幸子
題名から、「お化粧を上手にやるための手ほどき」の本のような感じを受けるが、そうではない。著者は、大学・大学院で哲学を学んだ人で、資生堂に就職をしたのがきっかけで、お化粧を文化としてとらえた「化粧文化」という学問の研究者。
お化粧と言うのは、ただ単に顔のメーキャップだけではなく、お肌のお手入れや髪の手入れ、爪の手入れ、それに歯を磨いたり整えたりすること、当然衣服を整えることも入る。そして歴史をひもといてみるとお化粧が途絶えた時代もないそうで、戦争があっても飢饉があっても、生死を分かつときでも、お化粧は続けられてきた。
社会が変われば価値観も変わり衣服も化粧方法も変わってくる。この本は、時代とともにお化粧がどのように変化していったか、その裏にはどんな意味が隠されているかを探っている。
例えば、平安貴族達は男女を問わず眉を落とし、お歯黒をした顔をしていた。これは、実は表情を消すための化粧だった。眉がないと顔の表情がなくなり、歯が黒いと口の表情が分からなくなる。身分の高い人達は、喜怒哀楽の表情を出さないのを上品と考え、大口開けて笑ったり、悲しくても顔を崩して大泣きしない、してはならないものとされていたのだそうだ。また、お歯黒に染めてしまうと元の白い歯に戻すことができないため、主君への忠誠の意味合いもあった。それを武士が真似、やがては町人の間にも浸透し、明治になるまで続いた。
お化粧の流行は、お歯黒・眉なしのように大体身分の上から下へ、というのが世界共通の現象だが、日本では四百年近くも前に、下から上へと言う現象が起こっている。それは歌舞伎の流行で、当時、河原者と呼ばれ士農工商の身分制度からも外れ一番底辺にいた役者達、中でも人気の役者が舞台で身につけた衣装や持ち物を観客達が真似、それが人の目に付き流行する。いわゆる近年花盛りのストリートファッションである。
現在も若者達を中心に様々な化粧・ファッションが街を闊歩している。著者はお化粧が人をつくるとも言っているが、本当にそんな気がしてくる。近頃の若者達のだらしないお化粧、「ガングロ」や「やまんば」メーク、ピアスやらタトゥー(入れ墨)やら、その上、地べたでもどこでも座り込む傍若無人な振る舞い、これも化粧のなせる技と納得させられる。
近年、男性のお化粧もずいぶんと目に付くようになった。スポーツ界、特にサッカー選手の中に奇抜な髪型や眉毛を整えたりと…、次第に他のスポーツにも波及している。これも人目を引く化粧をすることで、自分が一流の選手であるという自覚を持ち、強くてかっこいい自分をイメージすることで成績を上げることに役立っているという。でもそうだろうか?一流と言われる選手達は、実は人知れず体力作りをし、人の数倍の練習量をこなし「これだけは誰にも負けない」という技術と自信を持って闘っているので、外見も様になっているのだと思う。
自分自身が「何をしたいか、どう生きたいか、そのためには何をするか」というものを持って生きている人は、そのエネルギーというか活力が自然と表面ににじみ出て、姿形だけではなく、活き活きと輝くような美しさが内面より現れるのではないだろうか。著者は「内面を磨くことも大事だが、外見から自分を変え、なりたい自分になってしまう方が、近道ということもある」と言う。そういう人もいるのだろうが、メッキはすぐに剥がれてしまうのではないか、と思うのは私だけだろうか。
ただある程度は気持ちを切り替えることができるだろうと思う。老人ホームなどで寝たきりになったお年寄りにお化粧をしたところ、キレイになったら笑顔が戻ったとの報告もある。お化粧は、見た目だけではなく心に働きかける効果もあるようだ。
多分有史以前からずーっと続けられてきていると思えるお化粧、どうしたら輝くような自分作りができるようになるか考えてみるのもいいかも知れない。