引き受けた歴史との旅は…
箕浦敏子
イギリスの少年ジェイコブの祖母は、亡夫ジェイコブ(少年と同名)の戦没者記念式典への参列に招待されていた。式典が行なわれるのはオランダのライン川沿いの町、招待したのはオランダの女性ヘールトラウ。第二次世界大戦末期、ナチス・ドイツに占領されていたオランダに解放軍として降り立った若きイギリス兵ジェイコブの最期を看取ったのがヘールトラウであった。たまたま骨折してしまった祖母の代理で十七歳のジェイコブが式典に参加することになる。『アンネの日記』を愛読しているジェイコブは喜んでこの旅を引き受ける。
作品はジェイコブのアムステルダムの数日と、ヘールトラウの回想が交互に展開されていく。各章に掲げられているエピグラフは、時に聖書の詩篇であったり、アンネ・フランクの言葉であったり、また、ルイス・キャロルの作品からの一節であったりする。これは登場人物一人ひとりの思索であるとともに読者に深慮をうながす。
アムステルダムでスリの被害に遭い無一文になった少年ジェイコブはヘールトラウの孫にあたるダーン(大学生)の住まいに厄介になる。そこでヘールトラウがガンに冒されもう末期であること、自ら安楽死を選んだその日が数日後であることを聞かされ、また、同性愛者であるダーンの既成概念にとらわれない生き方などを目の当たりにし、ジェイコブは新しい世界を広げていく。式典で出会った少女との恋もジェイコブを大人に近づけた。
一方、ヘールトラウの手記は、ヨーロッパ戦線でドイツが敗退し始め、パリが解放されたあとの一九四四年九月十七日、ジェイコブと会った日から記される。ドイツとの国境に近いライン川北岸の町に住んでいたヘールトラウは、この日、空いっぱいに広がる落下傘部隊に心躍らせる。村人たちは解放軍のイギリス兵士たちを熱狂的に迎え入れたが、この作戦はオランダの市民やイギリス軍をはじめとする連合軍にも多大な犠牲を強いて失敗に終わる。わずか数キロ先のアルネム橋まで進むことができず、「遠すぎた橋」(映画)になってしまったのである。そして、翌春開放されるまでの「飢餓の冬」とよばれた時期、瀕死の重傷を負ったジェイコブは隠れ家に運び込まれ、献身的なヘールトラウの看病のおかげで快方に向かっていた。
五十年も経ってヘールトラウはこの手記をジェイコブの孫であるジェイコブ少年に宛てて書いたのはなぜか。キリスト教の修道士として活動したこともある作者らしい思索が繰り広げられる。「罪を告白する者は、その罪によって傷つけられた者の怒りや寂しさ、悲しみや憎しみ、涙やあざけりに耐えるべきなのです。そしてまた、告白された者が理解や赦しを示したなら、それを甘んじて受ける屈辱に耐えるべきなのです」(本書P.417)。と、しぼり出すように記し、「屈辱に耐えるべく」ヘールトラウはこの六か月間の手記を終える。過去の歴史を引き寄せ、手渡すことによって自分の生を全うしようとする。自由で率直、大胆な、それでいて繊細でナイーブなこの手記の部分だけでも作品として完結し得る。しかし、物語は現代のオランダを舞台に、祖父の歴史をたどることで浮かび上がってくる二つの家族(ジェイコブとダーン)の秘密、戦争と平和、生と死、愛と性、そして、きわめて先端的な安楽死や同性愛の問題も含めて展開される。
五十年の歳月を経て、二人のジェイコブはオランダで向き合い「二つの旅の終わりに」みえるが、若いジェイコブにとってはそうはいかない。託された重い歴史をジェイコブとともに読者も引き受けることになる。
イギリスの作家チェンバーズがオランダを作品の舞台に選んだのはそれなりの理由がある。安楽死を正式に認める法律を世界で最初に発効させたのはオランダであり、『アンネの日記』もこの作品で大きな役割をもつ。作者は、アンネの恋人だったペーターのセカンドネームをひそかにダーンに与えているくらいだから。
カーネギー賞とプリンツ賞を受賞。