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『NO.6 ♯1』

あさのあつこ
講談社
2004年2月刊
205p 19×13cm
950円

絶望しない少年たち
加藤容子
(岡山市立岡北中学校司書)

 近未来に対する不安

 『NO.6』は近未来、それも2013年というごく近い未来が描かれる。中学3年生が「9年後? 自分たちが24歳になったころの話なわけ?」と言っていたが、この時代設定に子どもたちは、自分がおとなになったときの未来を重ねて読んでいる。
 私は『NO.6』を読み始めたとき、『ザ・ギバー 記憶を伝える者』(ロイス・ローリー・著 掛川恭子・訳 講談社1995年出版)で受けた衝撃を思い出した。喜怒哀楽の感情が抑制され、職業が与えられ、長老会で管理されている規律正しい理想社会を描きながら、本当にそれが人間らしい生き方かどうか、人間の尊厳を問うた作品である。『NO.6』にも『ザ・ギバー』にも、国やコミュニティによってすべてを管理され、与えられた環境に従順に生きることでのみ得られる穏やかな生活に対する疑問と抗いを感じる。
 現在私たちを取り巻く社会は、住民基本台帳ネットワークシステム、いわゆる国民総背番号制が人々の不安を置き去りにしたまま現実のものとなり、「表現・報道の自由」を脅かす個人情報保護法が国会を通過し、アフガニスタンやイラクへの自衛隊の派兵で既成事実をつくりながら有事法制関連法案も成立するなどの緊張した動きがある。作者のあさのあつこさんはNO.6という都市を、今変容しつつある日本の延長上に設定したのではないかと思えてならない。大きな力をもつ国(都市)が誤った方向に進むとき、個人は、10代の若者は何ができるか、あさのさんが登場人物と共に格闘しているのを感じるのである。児童文学作家としての姿勢について、あさのさんは度々「どこかでだれかが語った耳障りのよいことばや借り物ではなく、自分のからだを通り抜けて生み出す重みのあることばで子どもたちに伝えたい」と話されているが、今回の作品はまさにその執念を感じる。

絶望しない少年たち

 さて、『NO.6』には主人公が二人いる。「紫苑」と「ネズミ」という、共に魅力的な少年である。紫苑は、2歳の幼児検診で知能面で最高ランクに認定されてから、NO.6のなかでも最先端の生活設備を備えた住宅を与えられ、最高の教育環境と将来が保障されていた。2013年9月の台風の日にネズミと出会うまでは…。一方、ネズミは、凶悪犯罪者として市当局から追われ、銃弾を受けて瀕死の状態で紫苑の部屋に逃亡してきた。凶悪犯罪を犯した者は、体内にVCが埋め込まれ、これによって居場所、体調、感情の動きまでコンピューターで完全に把握される。ネズミがなぜ追われているのかは謎であるが、紫苑はこれまでに見たことがない、ネズミの生き生きと躍動する力を感じる不思議な目の色に魅せられて、侵入者を受け入れ助けるのだった。
 凶悪犯罪者を一晩かくまい逃がしたことが治安局にばれ、紫苑の特別待遇はすべて打ち切られる。さらに紫苑はその後、市当局によって殺人犯人にでっちあげられ命を狙われる。今度は紫苑がネズミに助けられ、生きのびるためにNO.6から逃走することになる。
 紫苑もネズミもNO.6の当局に命を消されそうになった経験を持つ。そして、二人とも死に抗うだけの旺盛な生命力の持ち主でもあった。また、二人は苦境の中で希望が生まれてくる体験を何度かする。絶望しない、あきらめてしまわない、そしてそこから希望が生まれてくる。絶望しないことと希望が生まれてくることは、『NO.6』の隠れたテーマでもあるように感じる。
 紫苑は無防備なままに真摯に、ネズミは憎しみをもって、それぞれにNO.6という巨大な怪物と対峙する。ネズミは紫苑に告げる。「あんたが、真実を知って、それでもまだNO.6を守りたいと思うなら……その時は、あんたも」「おれの敵だ」。紫苑とネズミとNO.6がこれからどう関わっていくのか、予想がつかないだけに期待は大きい。

(『子どもの本棚』2004年10月号掲載)

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