お好み焼を食べに、広島に行こう!
鈴木正代
「広島のお好み焼が、なぜ全国的な食べ物になったのか、その謎を解き明かす」ことが、この本の目的であり、「お好み焼の発展の歴史を探ることを通して、『折鶴の子どもたち』『絵で読む広島の原爆』とは違った角度から戦後の広島を見つめてみたい」というのが著者の思いである。「広島のあらゆることが、どこかで原爆に結びついていく」と指摘する著者にとって、広島名物お好み焼も、また、原爆と結びついているのだ。
広島のお好み焼が広く知られるようになるには、多くの人の思いや、時代的影響のあることが分かる。しかし、その前に、広島のお好み焼が広島でどのように生まれ、広島の人々の生活の中でどのように存在してきたか、その謎解きに著者の力が注がれている。
戦後の復興の中で、お好み焼の店は屋台であったり、住宅地の中の小さな店であったりしているが、住宅地の中の店は、戦争や原爆で夫を亡くした女性が開店するには、絶好のものだったのではないかという。一方、屋台で店を出していた人たちは、時代とともに廃業したり、店舗を構えたりしていくが、「お好み村」ができ、相互協力的な営業を始める。この「お好み村」が、広島のお好み焼を全国に広める役割の一端を担っている。
また、著者が取材を通して知り合ったお好み焼の店の主人や、その親の世代の人々は、戦後の復興の時代を生き抜いてきている。原爆のために孤児となって生きてきた人もいる。その人々の話は、広島で生まれ育ち、三才で被爆した経験を持つ著者自身の記憶とも重なるところがあるのだろうか。お好み焼と関わってきた人々の記憶や今の思いを、どこまでも丁寧に描くことによって、戦後の広島とそこに生きてきた人々の様子を浮かび上がらせている。戦争や原爆が、広島の人々から奪ったものは計り知れない。しかし、焼け跡から立ち上がっていった人々のたくましさが、多くの人に親しまれるお好み焼を作っていったのだという。『広島お好み焼物語』には、こうした伝えられるべきドラマの存在があったのだということに気づかされる。
広島のお好み焼が全国的になったといえるのは1980年代である。それ以前からの経済成長により、交通・通信、流通が発達し、地方文化の全国への伝播が容易になっていた。広島のお好み焼も、広島を訪れた人々によって各地に広められた面もあると考えられる。平和学習で被爆地を訪れた多くの修学旅行生が、「お好み村」でお好み焼を食べている。
また、お好み焼を広島の名物として全国に広めようと、お好み焼のPRを提案したり、ソースの開発に挑んだりした人々もいる。著者は、そういった人々の話からも、広島のお好み焼が全国に広まったわけを探ろうとしている。
勿論、お好み焼のことについても詳しく教えてくれている。全国で一番お好み焼の店が多いのは大阪だが、人口比では、十万人あたり69軒の広島が断然トップなのだそうだ。広島のお好み焼は、「重ね焼き」といって、クレープのような薄い生地の上に材料を順番に乗せていく。この焼き方は太平洋戦争の前後を通して変わらないが、広島のお好み焼の特徴である中華麺やうどん玉を、いつ入れ始めたのかは正確にはわからないという。
しかし、文献に当たり、取材し、事実に著者の考えを添えて分かりやすく読ませてくれる手法は最高だ。多くの図も、内容の理解を助けるだけでなく楽しい。
読み終えて閉じた裏表紙には、ボリュームたっぷりの広島のお好み焼が待っていてくれた。とろりとしたソースをまとい、熱々の湯気をたてて実においしそうだ。廃墟の中から、広島の人々が育ててきたお好み焼だ。
著者は、広島に来て、このお好み焼を味わって欲しいという。平和を願う持ちが伝わるはずだと信じている。