二つのドラマ
幅 房子
房総半島の南の海中には、暗礁が連なり、黒潮の流れとせめぎ合う、鬼が瀬という船の難所がある。そこは古くから魔の海と恐れられる一方、海中植物の生長にも魚介類の生息する条件にも適し、豊かな海の産物の宝庫でもある。
この鬼が瀬の豊かな海を前にした富崎という小さな漁村がこの物語の舞台である。
この村を襲った大火が村の殆どを焼き尽くしたのは、日本が江戸時代から明治になって九年目の冬のことであった。
その大火と、その後の村の記録を、郷土史料コーナーの赤茶けたガリ版刷りの文書の中に見つけた作者が、その消えかかった文字の線を辿って読み進む程に、この村にあった壮大なドラマが脳裏に立ち上がってきたのだと「あとがき」に書かれていた。
この「あとがき」を読んだとき、私はこの作品が持つ重厚な味わいの理由を納得したのだった。
−小さな村でありながら漁師は勇敢に船をこぎ出して漁獲を船に満載し、海女は岩場でよい稼ぎをして、活気に満ちた村でした。それが大火で殆ど全村焼失し、十年もの辛酸に耐えなければなりませんでした−
−荒っぽい気風のよさがある漁師の群像、海を恐れぬ仕事振り、時には大漁旗を翻し、万祝いに酔いしれる漁村の華やかさ。一変して海難事故、犠牲者とその数に見合う家族たちの悲哀。後家船といわれたはえなわ漁船。それにたちむかうように、遭難しない漁船を造ろうと、改良に一生をかける船大工がいた−
−しかし当時の漁民の生活や船大工の仕事などが細密に分かる参考文献はほとんどなく物語として書くことは極めて困難でした。
それでも鬼が瀬の物語を考え始めると、私がそのころに書いていた創作なぞ、すべてつまらないものに思えてきました−
−その必要な資料を探しながらいつしか十五年ほどたってしまいました−
作者のこの長い間の地道な努力によって、房総半島の南端の小さな漁村の物語が、百二十年後の今に生き返ってきたのである。
海によって生かされ、また海によって命を落とす海辺の村人たちの中に育った少年満吉が、船大工として村を復興させたいという執念と、「あとがき」にみられる作者の執念と、私はこの本に二つのドラマを見た思いだった。
***
十才の満吉が爺と共に釣りに行った鬼が瀬で、以前、七人の漁師を乗せたまま遭難し、無人で漂流していた北斗丸に出会う。船大工亀万の親方だった爺の作った船であった。
「鬼が瀬の船大工の仕事はな、摩修羅那との戦いよ。悔しいが北斗丸は魔修羅那にやられた。満吉、おめえ魔修羅那と戦う船大工になれ」と爺に言われた。それがこの物語の発端であり、それから二年の後、村は大火によって焼きつくされた。
復興の手立てを計る村人たちの中にいて「豊の村おこしだ。おれは船を作るぞ」と、十二歳の少年満吉の決意はいよいよ本格的に、どんな障害をも跳ね返しながら船大工への道に突き進んでいく話である。
しかし、この本は、単に満吉の艱難辛苦の物語だけではなく、ようやく鎖国から抜け出した明治初期の人々の心意気や、生活が克明に描かれ、少年少女たちに是非手渡したい貴重な一冊であると思う。
ただ挿絵の中に人物像が皆無であるのは意図的であるのかどうか。
「みじか」を着た満吉。ちょんまげをつけた人、つけない人の入り混じった村など、また南房総や満吉が辿った場所の略図なども子ども達の理解と興味には必要ではないかと思った。続編の出版を期待したい。