パパの謎を追う少女
中村伸子
「あれは明日から夏休みという日だった?死んだはずのパパがタクシーに乗っているのをみたのは。」この冒頭の文章を読めば、だれもが、この本を読みたくなるのではないでしょうか。主人公アナ=ラウラが見たタクシーに乗った人物は、切り株みたいな髪型や、親指と人差し指で鼻をつまんでごしごしこする癖まで、二年前事故で亡くなったパパそっくりだったのですから、アナが驚くのも無理はありません。この時から、副題のとおり「〜パパの謎を追って〜」アナは動き始めたのです。
ちょうどその頃、ママにはペーターという恋人ができていました。ペーターには、アナより一歳年上の息子オリバーがいました。アナは、この二人を認めたい気持ちはありましたが、タクシーの男も気にかかって、心から歓迎できないのでした。パパが生きているのではないかという思いは大きくなる一方だったのです。そんなアナに真実を探ろうと言ってくれたのはオリバーでした。最初は、二人だけでこっそり探り始めますが、やがてママとペーターもアナの話を信じて四人で一緒に謎を追い始めます。
ドイツ生まれの作者ヨアヒム・フリードリッヒが書いたこの物語の背景には第二次世界大戦が浮かび上がってきます。それが半世紀以上たって戦争など知らないアナにも関わっていたのです。この物語のキーワードの一つにナチスドイツがあります。SS(ナチス・ドイツの親衛隊)、人種政策のために設けられたナチスの産院レーベンスボルンなどが出てきます。ですから、この時代の歴史を知らないと話が少しわかりにくいかもしれませんが、初めて聞いた人は、この物語を読むことで歴史を知るきっかけになるのかもしれません。
もう一つ、この物語のキーワードは「タンゴ」です。作者は、日本のみなさんへという文章の中でこう語っている。
「この物語を考えついたのは、旅先のアルゼンチンでふと耳にしたタンゴがきっかけです。考えついたというより、感じたというほうがいいかもしれません。わたしはその物語の主人公にタンゴの表すさまざまな感情を味わわせたかったのです。それは憂鬱と希望、情熱が入り交じった、いうにいわれぬふしぎな気持ちです。」(作者のことばより)
アナがアルゼンチンタンゴのCDを買って部屋で聴く場面では、気持ちが揺れ動く様子が描かれていて、切ない気持ちになります。この気持ちが揺れ動く感じこそ、タンゴ・フィーリングなのでしょう。
パパに似たタクシーの男はアルゼンチンタンゴのバンドネオン奏者で、カルロス・アンヘルだということがわかります。二年間でパパは変わってしまったのか? それとも全く別人なのか? 四人はカルロス・アンヘルのコンサートに行き、実際に会ってみることを決めましたが……。
アルゼンチンタンゴといえば、思い浮かぶあの楽器の音色がバンドネオンなのだろうということは想像がつきましたが、あまりなじみのないこの楽器はどんなものなのかを調べてみました。アコーディオンに似ているけれど、鍵盤はなく両サイドにたくさんのスイッチボタンで操作するため、音階がとても難しい楽器なのだそうです。調べていて、驚いたことがありました。アルゼンチンタンゴにかかせない楽器だけに、アルゼンチンで生まれた楽器だと思っていたのですが、実はドイツで生まれた楽器なのだそうです。作者が旅先でふと耳にしたということでしたが、ドイツとアルゼンチンのつながりや、それに心を動かされた作者。何かいろいろなことが絡み合った内容に惹きつけられる本です。