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『ラモーナ、明日へ

ベバリィ・クリアリー作
松岡享子訳
アラン・ティーグリーン絵
学習研究社
2006年1月出版
292P 19cm
本体1200円

魅力的な少女にとりこまれる心地よさ
曽我貞子


 これは、物語り性よりも、キャラクターの魅力で読ませる作品のようです。
 作者クリアリーは「ヘンリーくんシリーズ」「ラモーナシリーズ」をはじめ、たくさんの作品を五十年以上も世に送り出してきました。また、賞もいくつかもらっています。彼女の作品にラモーナが登場したのは一九七五年、ラモーナ四歳でした。以来、その成長を追い続け、本書でラモーナが十歳の誕生日を迎えたところで、巻をとじています。
 クリアリーは現在九十歳。超人的な持続力と集中力の持ち主であると同時に、時代をこえて、永いあいだ世界中の子ども達から愛され続けた作家であるともいえます。
 さて、筋ですが、それを書くのはとても難しいし、本書は筋を書いてもあまり意味があるとは思えません。
 書き出しでは、ラモーナは九歳。四年生新学期の第一日目の朝の描写から、筆をおこしています。久しぶりに会うクラスの仲間たちのこと、気になる担任の先生のこと、そして転校生の女の子のことなどが、次つぎと紹介されます。
 読者は、この第一章で多少はぐらかされたような、いらついた気持ちになるのではないでしょうか。できごとも事件らしいものも、さっぱり始まらないのです。二章へいっても始まりません。ほんのさざ波程度の起伏が、ラモーナとその身辺におこるだけです。
 妹のロバータが生まれて、お母さんはラモーナよりも赤ちゃんの世話に手をとられるようになったこと、お姉ちゃんのビーザスが高校生になって、ちょっといばりん坊になったこと、新任のミーチャム先生がつづり(スペリング)にうるさいこと、転校生のデイジーと気があい、親友になれそうなこと等が、脈絡も関連性もなく、実にこまごまとすくいとられ、ラモーナの心の動きと共に綴られています。
 どこにでもありそうな、誰もが経験し、遭遇するような日常のできごとが、次つぎと書かれながら、しかし三章へ進む頃には、読み手はいつのまにか主人公の少女と自分をぴったり重ねて、いっしょに笑ったり怒ったり。ぴちぴちとイキがよく、感受性ゆたかで魅力的な少女にとりこまれ、虚構の世界であることを忘れさせる臨場感と、その心地よさの不思議。
 四章では、お姉ちゃんに焦点をしぼり、いろいろ気むずかしくなったビーザスに腹を立てたり、大人っぽさを羨んだり。でも、ビーザスが窮地においこまれると、やっぱり味方にならずにいられないラモーナです。
 五章では、デイジーの家で大失敗をやらかし、おまけに怪我までしてすっかりへこんでしまうラモーナ……というように、章毎に小さい事件や困ったことがまきおこります。その度に読み手は、はらはらどきどき。等身大のラモーナから目がはなせなくなります。
 さらにこの作品に奥行を与えているのが、随所に登場する大人たちのすばらしさです。ラモーナの両親はもちろんのこと、きびしそうにみえたミーチャム先生も、デイジーのお母さんも、お説教や大人の理くつで子ども達を支配するのではなく、ゆったりとむきあって接してくれます。特にラモーナのお母さんの寛容さと、包みこむような温かさは読み手をほっとさせます。
 そういう大人がいるから、ラモーナは失敗しても立ち直れるし、自信をとり戻せるのだと思います。徹底したリアリズムで、平均的な家庭の日常が描かれた地味ともいえる作品が、永く子ども達に支持されたのは、大人へのこの信頼感と、ほっとさせる癒やしにあるのでは、と思うのは穿ちすぎでしょうか。
 現代っ子は、「ハリー・ポッター」で魔法の世界に遊ぶのも好きだけど、ラモーナに自分を重ねて、賢く元気に、前向きに生きたいとねがうにちがいありません。子ども達のバランス感覚のよさと、健全さを信じたいと思いました。

(『子どもの本棚』2006年7月号掲載)

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