弱い者に寄り添う心
坂部 豪
絵本『ヨンイのビニールがさ』は1980年初めに発表された韓国の詩人ユン・ドンジェの詩にもとづいているが、画家キム・ジェホンは少女ヨンイの生活の細部をていねいに描くことによって、詩の世界に広がりをもたせることに成功した。
物語はタイトル・ページの中心に小さく描かれた窓から始まる。窓の脇には緑の傘の先端が見え、窓のへりには小さな黄色い花を付けた鉢が置かれている。窓の向こうに広がるのは雨に煙った家並のようだ。室内が薄暗いのはまだ朝早いためか、表は少し明るく感じられる。雨は止むのだろうか。
続いて、それでもまだ絵本の画面全体よりは小さく、まわりに白い空間を大きく残して、先ほどと同じ窓が描かれている。室内の壁は明るさを増しているが、外の雨は激しくなってきているのか、雨粒が窓を叩いている。その雨の中で黄色い服を着た女の子が緑の傘を広げようとしている。緑の傘を手にしていることからすれば、この窓の家はその子の家なのであろう。
そして、白い空間を残してはいるが、画面が大きくなって、本格的に物語が動き始める。
雨降りの月曜の朝、ヨンイは高台にある家から長い階段状の坂道を降りて、学校へ向かう。途中で物乞いのおじいさんが雨に濡れながら、塀にもたれかかって眠っているのを見かける。いたずらっ子や文房具屋のおばさんがおじいさんに冷たい視線を投げかけるのだが、ヨンイは気になってしかたがない。授業の合間に抜け出して、おじいさんに自分のビニール傘をさしかけてあげた。ヨンイが学校から帰るころには、雨がやみ青空が戻った。帰り道、文房具屋の横の塀にはおじいさんの姿はなく、ヨンイの緑のビニール傘だけが立てかけられていた。ヨンイは「おじいちゃんがもっていってくれてもよかったのに」とつぶやきながら、緑の傘を広げ、家に戻っていくのであった。
社会が貧しい時代には、物乞いの人の姿は日本でも、当たり前に見られた。韓国でもそれは同じであったろう。ところが、競争社会が当たり前になり、敗者がさらに強者に搾取される社会では邪魔者扱いされ、日陰へ日陰へと追いやられる。社会は豊かになったかもしれないが、物乞いの存在自体は豊かさゆえに否定される社会になったのではないだろうか。それだけに、ヨンイのさりげない心が身にしみる。ヨンイとて、けっして豊かな家庭ではないはずだ。画家は窓越しに他の家の家並を描くことによって、ヨンイの家がどこよりも高いところにあることを暗示する。ヨンイが坂道を下って、学校へと向かう子どもたちの流れに加わろうとする場面で、画面途中に白い縦の空白を入れ、はるか坂道の上にいるヨンイを点景のように描き、その道の長さを強調する。高台にある家は豊かな家ではないだろう。
ヨンイにとって、降りしきる雨に閉ざされたように、にぶいねずみ色に塗られた世界はどうしても入り込むことのできない世界のようだ。画面の外にたたずむヨンイがそれを表わしている。ヨンイの黄色い服と緑の傘と物乞いのおじいさんの空き缶だけが、雨に閉ざされたモノトーンの世界で色をきわだたせている。ただ、最後の場面で、ヨンイの高台の家に戻る足並みに、雨上がりの太陽に照らされた明るさに、悲しみとかすかな望みが描かれていると感じるのは、うがちすぎだろうか。
雨があがって、物の色が輝きを取り戻した世界で、ヨンイは何を見ているのだろうか。私たちもまた、格差社会が叫ばれる今、緑の傘をさしかける心の余裕が持てるだろうか。人に寄り添う心を持てるかどうか、それが問われているのかもしれない。
最後に、『こいぬのうんち』(平凡社)などの、弱い者に暖かい目を向ける韓国の絵本の翻訳を続けている訳者ピョン・キジャの労を多としたい。