核廃絶への祈り
篠田勝夫
平和。そのありがたさを噛みしめる。「家」というのは、本来このありがたさに満ちている場所である。家族とともに平和な日常生活を営むことができる城である。原爆などに壊されてはたまらないのだ。
この絵本を読むのはつらい。
一九五四年一月に、二十三人を乗せたマグロ漁船第五福竜丸は焼津の港を出航した。マグロの群れをさがしてミッドウエーに向かう。マグロがいないので今度はマーシャル諸島へと向かった。ここでマグロの群れに出会う。三月一日夜明け前、操業中に、アメリカが行ったビキニ環礁での水爆実験に遭遇する。広島に投下され十四万人を殺した原爆の一千倍の威力を持つ水爆の実験だった。第五福竜丸の乗組員二十三人は放射能をふくんだ死の灰を浴びた。それでも救助を求める無線は打たなかった。自力で焼津に戻ってきた。発信が傍受され、水爆の秘密実験を目撃したことが知れれば、今度は自分たちが攻撃目標とされ、殺されてしまうかも知れないと判断したのだ。日本に帰る途中でも、帰ってきてからも、水爆の放射能にからだがむしばまれていく。九月二十三日に無線長の久保山愛吉さんが亡くなる。「原水爆の 被害者は わたしを 最後に してほしい」と願いながら。
文はアーサー・ビナード。叙情を捨て、感情を抑えて書いているように思える。第五福竜丸の被爆を語り、事実を淡々とつむいでいく。原水爆による恐ろしい被害と家族の悲しみを決して忘れてはいけないと、作者は誓う。忘れてしまえば、世界はまた放射能の雨に打たれることになるかもしれないのだ。文章は静かだけれど、作者の慟哭が胸に響いてくる。地球上から核兵器をなくしたいと願い、「悲劇を決して忘れない」と誓う作者。
忘れてはならないのは、この水爆実験によって放射能の被害を受けた船は第五福竜丸だけではないということである。周辺海域で操業中の漁船九〇〇艘以上が被爆している。第五福竜丸は唯一の被爆船ではない。ほかにも多くの被爆船があったのだ。それに、ビキニ環礁周辺の島の住民も被爆した。この実験での被爆者は二万人に及ぶと言われている。また第五福竜丸が被爆した水爆実験は、ビキニ、エニウェトクという二つの環礁で行われた六七回におよぶ核実験の一つであるということ。
五月十六日には日本に降る雨からもビキニ環礁での水爆実験による放射能が検出されている。放射能をふくんだ雨は日本にも降ったのだ。大量の放射能は実験区域周辺の島民を汚染し、太平洋を汚染し、北極を汚染し、日本も汚染している。水爆実験は、実験区域の周辺を汚染するだけではない。地球全体を汚すのだ。しかもそうした実験を人間は、一九四五年から一九九五年までに二千回以上行っている。地球は悲鳴を上げているだろう。
絵はベン・シャーン。力強い線と色の中に、人の祈り、悪魔の叫び、底のない悲しみが描き込められている。祈りが、叫びが、悲しみが、強烈に読者の胸をえぐる。
世界はまだ平和ではない。地球上に核兵器がある限り、人間も「家」も被爆という危険にさらされている。今でも核実験を行う国は後を絶たない。核保有国は増え、唯一の被爆国である日本の祈りは通じていない。おそらく原水爆による被害の恐ろしさは、私の想像を遙かに超えているはずだ。被爆した人間の体を壊す放射能の恐ろしさは想像を絶する。核実験も、核兵器も絶対悪である。人類は核兵器と共存できるはずがない。そのことをベン・シャーンとアーサー・ビナードは第五福竜丸の被爆を通して訴えている。