「『戦争』を語り継ぐ」とは?
永井悦重
参議院での与野党逆転によって、改憲勢力の意気は下がり、その政治日程に変化はあったであろうが、この国の基本的な政治構造が変わったわけではない。憲法9条を変えて名実ともに戦争する国へと舵を取ろうとする勢力は依然として大きく立ちはだかっているし、危機は去っていない。このような時代を生きる者として、「戦争を語り継ぐ」とはいったい何か?折に触れて考えてきた。
さて、この物語の主人公、エマ・ラシュナルは食べては嘔吐の繰り返しで、食道がぼろぼろになってしまった拒食症の少女だ。彼女が拒食症になった本当の原因は、おばあちゃんにあった。ある夜、エマはおばあちゃんの「悪夢」にうなされる声を聞いてしまう。「ジャック」とは、「エヴァ・ヒルシュバウム」とは、そして「ソビブル」とは…。
おばあちゃん(マムーシュカ)の病状が悪化すると共に、エマの症状も悪化していく。少量の食べ物さえ飲み込めなくなる程に。そして、おばあちゃんの死後、日記を発見する。
1942年1月20日から始められた大学ノートに書かれた「日記」。書き手のジャック・デロシュはナチスに心酔したフランス人で、ペンを銃に持ち替えて義勇軍に志願する。
やがてジャックはポーランドのソビブルにやってくるが、そこでは急ピッチで収容所建設が始められていた。最初は人々を一時的に収容する施設だと聞かされ、「退屈な」仕事だと思いながら収容所づくりを進めていく。仕事の合間に読書をしたり散歩をしたりしながら。
日記には、数頁にわたって破り取られている箇所もあるのだが、ジャックは「処刑」の場にも立ち会うようになる。?シャワー室だと偽ってユダヤ人を裸にして毒ガス室に送り込み、600人もの人を一度に殺す。死体を引きずり出して、金歯などの貴金属を抜いて穴に死体を積み重ねる… ?ここで描かれているのは、ナチス構成員の恐るべき人間像である。ユダヤ人「処刑」の場で、うれしそうな表情を浮かべるジャックの仲間たち。給仕中ささいなミスをした女性をさんざんいたぶり、銃殺した上級小隊指揮官グスタフ・ヴァグナー。ジャック自身「残忍な暴力場面を見て楽しむ趣味」はないと言いながら、ユダヤ人を大量虐殺することへの疑問や苦しみなどについての描写はない。しかし、ソビブルの強制収容所で行われたことは歴史的な事実である。
人間の尊厳や人権や民主主義とはまったく相容れない偏狭で排他的な民族主義に心酔した狂気の人間たちがなぜ大量に生み出され、いかにしてこのような時代が準備されたのか?ここではあえて追及しないでおこう。この本のテーマは、隠されていたホロコーストを白日の下にさらし、告発し、次世代に伝えることに焦点をあてたものなのだから。今、日本で、沖縄戦での歴史的事実(集団自決が軍から強要されたこと)が歪曲され、教科書から消去させられようとしたことから考えても、真実を伝えることがどれだけ大事なことか。
ホロコーストに手を染めながら、過去を偽って名士として生き延びた祖父と過去に苦しむ祖母。信頼し、尊敬していた祖父母の過去を知った繊細な少女が拒食症というのも、納得できる設定である。拒食症でやせ細ったエマの体と、強制収容所の飢餓状態の少女像がオーバーラップして読み手に迫ってくる。
少女の告発は、祖父を自殺に追い込むが、さらに彼女は事実を両親に告げ、裁判官に告げに行かせようと決意する。拒食症を克服しようとする意志も見える最終章は、あまりにも重く、衝撃的である。しかしながら、「自虐史観」などと叫び過去を捻じ曲げ、隠蔽しようとすることとは対極にある真実のもつ感動がある。平和運動に疲れ、気分が萎えた時には、ホロコーストの現場を訪ねて、自分を奮い立たせてきたという小田実氏の言葉が忘れられない。