のだみどり作 きいきいママの笑って子育て

第42回

【番外編:私の妊娠生活4(出産編)】

さて、いよいよ出産の出来事を語ろうと思う。 あくまでも私の場合であって百人いれば百通りあるだろうから参考にはならないかもしれない・・・。 秋も深まったとある週末の深夜、私の子宮に何やら異変が起こったようだ。 その時の私は湯上がりでのぼせていたのだが、そんな私でも自覚することができた。 ちくちくする痛みが一定感覚でおなかにあるのである。 カレンダーを見ると予定日1週間前。そろそろきてもいいかなという感じであろう。 ちなみにその時の私はひとりだった。ダーリンは深夜までのお仕事でそろそろ帰宅するはずである。 当時のダーリンは深夜時間帯の仕事は電話連絡がつきにくくなるから、といってポケベルを持っていた。 「もう帰ってくるし連絡しなくてもいいかなぁ」と思ったが、ダーリンは連絡を心待ちにしていたのでベルを打った。「ジンツウラシキモノアリ」。折り返しスグに電話がきた。

焦って帰宅したダーリンだったがのんきな私の姿を見て拍子抜けしたようだ。 私も私でほとんど痛みなんてないし、そろそろ眠くなってたしだったので「まだ連絡しなくていっか」とふたりでゴハンを食べて眠った。もし陣痛なら体力を温存しておきたかったのだ。 目覚めてから測定してみるとちくちく痛が十数分間隔に、でもハッキリとしてきたのでいよいよ病院に電話をすることにした。 お風呂も入ったし良く寝たし、さ、写真でも撮るか、と最後かも知れない妊婦腹を撮影してクルマに乗り込んだ。

朝6時半。まんまるな大きい月が出ていてとっても明るかった。満月だったのだろうか?でもなんとなく「いよいよ産まれるんだなぁ」と確信のようなものがあった。満月の日は出産率も高いというし。 病院にて早速看護婦(助産婦)さんの問診・内診がある。 私は何度やっても内診というものがキライでいよいよ出産本番かもしれないこの時ですら抵抗を感じていた。 診察台に乗ったと同時に何の前触れもなくいきなり彼女の指にて内診開始。子宮口の大きさを測るらしい。 ぎょっとしたが機具は使わずの診察だったせいか一瞬で終わり、こんなコト聞いたこともなかったよ、などと考えていた私であった。 診察の結果測定値は2B。何やら機械が腹部にも着けられた。

まだまだという感じであるが陣痛も規則正しくきているいうことなのでそのまま入院となった。 ダーリンには「入院するから。まだまだらしいからウチで寝てた方がいいよ」と伝え、実家に連絡を頼んで私は陣痛室に向かった。 陣痛室には先客が2名いて、ひとりは前駆陣痛だったらしく帰っていき、私ともうひとりのふたりになった。 ふたりとも初めての出産である。しかも彼女は破水していて私より展開の早いお産となるであろうと会話した。 が、まだこの時点ではふたりとも序の口の痛みである。会話しながら朝ご飯を食べる余裕があった。 数時間後のすさまじさを想像できずにかの有名な剃毛・浣腸を行い、改めて医師の診察を待ちワクワクしていた私なのであった。 数時間後。

子宮口は昼下がりには6Bとなり痛みも結構なモノになっていた。 それまでの間雑誌をめくり昼ご飯を食べジュースなども飲み、看護婦さんの指内診を繰り返していたのだが。 この痛みは痛→無痛の繰り返しなのだが、不思議なことに痛くない時は全くけろっとしてしまう。 だが内診時に自分のベッドと診察台を往復するときに痛み時にぶつかってしまうともうその場から動けない。 へたりこむしかなかった。

しかし無痛の時は無痛の時で「数分後にはまたあの痛み・・・」とリラックスできていなかった。 痛い時には「はうっ!きたきた〜っ!」といった感じで、なんか下痢してるみたいだと思った次第である。 お腹が弱い人はソレを想像じていただくとかなり陣痛と近い物があるだろう。あの時の状態が何時間も続いている、と。 私の場合はとにかく腰が痛かった。ものすごく痛いし重いのだ。お腹も痛かったかもしれないが腰の痛みの記憶しかない。 何かがあるのだ。腰からお尻にかけて。我が子であること間違いないのであるが。 私は生理痛がほとんどないがごくごくたまに腰痛がすることがあって、その痛みの何倍かの痛みがまさにコレだった。 生理痛のタイプと陣痛のタイプは似ているという。想像したい方がいるのなら参考にしてみるのもよろしいかと思う。 とにかく痛みを逃すのに痛み毎に訳のわからない体勢をとり、壁に寄り掛かりながら壁と腰の間に握りこぶしを置きぐりぐりするという行為を繰り返した。 たまに様子を見に来てくれる看護婦さんのマッサージ(?)だけが地獄の中の一筋の光だった。

そういえば記憶にないのであるがこの痛い時に点滴のチューブが邪魔だった。いつ着けていたんだろう? 何分記憶があいまい故そのへんは許していただきたい。 ところで私が出産した病院は、衛生の面からということで立ち会い出産はもちろんだが陣痛室にすら入れないところだった。陣痛室と分娩室が隣だったという構造上であろうが。 私は立ち会い出産はともかく陣痛のときくらい付き添ってほしいもんだと思っていたが、今にして思えば私にはそれがとても正解だった。 陣痛とは苦しみの戦いである。痛みもあるが何より苦しい。何が苦しいのか上手く説明できないのであるが痛いより苦しいという表現の方がピッタリきてしまう。 こんな状態の時に果たして夫の存在は役に立つのだろうか?もちろん立つ人もいるであろう。 だが仮に陣痛時を共にできたとして、私にはきっとダーリンを気にかけてる余裕なぞなかったと思う。 痛みに効くあのマッサージだって助産婦としての看護婦さんだからできることであって、とてもダーリンには無理であったろう。

それに私は依頼心が強い(爆)。痛みと苦しみで泣き言を言ってがんばれなかったこと充分に想像できる。 ダーリンだって「そんなこと言われても・・・」状態だったであろうし、こんなときに「がんばれ」と言ってもらっても「それどころじゃないよ!」などと怒鳴ってしまっていたかもしれない。 いくら心優しきダーリンだってそんなコト言われてまで笑顔で付き添ってくれたか疑問である。 きっと私はひとりだったから(厳密には違うが)がんばれた。 夫が付き添う、立ち会うのも人それぞれであろう。 と続きを残したままいよいよ佳境に入る。 これを打ちながら記憶が鮮明になってくるのが今の私には恐いのであった・・・。

と、いうことで今回はおしまい。
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