( Koji Kuwajima Original Art Gallery )

桑 島 康 司オリジナル・アート・ギャラリー
Photo Plaza<桑島康司写真館>









きっと、あと何年かすると、

歌志内が炭鉱の街だったなんて

判らなくなっているはず・・・。

 時は、移り変わるけれど、

 人々の心の中には、

まだ思い出が

鮮やかに生きている。

(写真は、閉山直前の空知炭鉱)

 












 カナシイ記憶

 我が家に来客があって、弟はおつかいいを頼まれた。
母親に「お客さんにだすお茶菓子を買ってきて」って数百円持たされた。
 錦ヶ丘と呼ばれた僕の住宅は、急な坂道を昇った山の上にある
小一、子どもの足で、坂を下ったところにある店まで往復20分。
弟は、なかなか帰ってこなかった。
 やがて戻ってきた弟が買ってきたものは、
ほっかほっかのあんまん2個半。
半分は帰り道、食べてしまっていた…。

 来客が帰っていった後で、弟はヒドク叱られた
坂道を温かいあんまんを食べながら、
けなげに登ってくる弟が浮かんで守ってあげたい気持ちあふれた
 モウ、イイジャナイカ!
ぶつけどころのない怒りに似た苦痛
無性に哀しくなって、耳をふさいだー

 父親の転職で、わが家が一番貧乏だった時代
子どもの頃の哀しい記憶


錦ヶ丘への坂道と
神威駅前郵便局だった建物

(2000年夏撮影)





















青空子供会

 僕は、青空子供会野球チームの
センター、背番号7
ダボダボのユニフォームを着て
確か打順は、うしろの方。

 好きだった女の子の声援に応えられなくって
くやしい思いで、涙目になった(笑)

 ずーっと忘れていた記憶。


神威中学校グラウンド〜現西小学校グラウンド。
(2000年夏撮影)





















若葉町跡地に残る住友炭鉱変電所
かって炭鉱と共に栄えた若葉町。チロルの湯から山道を登ったところに今も、その姿を残している。(2001年春撮影)

いつか、ここに・・・


 今は、廃墟だけど、
ここで生きて、
ここで、笑って、
ここで涙を流して、
そして、死んでいった人々がいる。

 いつか、ここに、
そんな魂が集まって、
酒を酌み交わし、
にぎやかに集うことが出来たなら・・・
過去と未来、魂が交差する街、
WA・KA・BA。
その名前のとおりキラキラしてたよね。



















 「いつか、じっくり話したいって思ってた」
受話器から、なつかしい友の声が響いてきたー。

 彼は、炭鉱で父親を2度亡くしてる。
小学5年生のとき、自分の親父を。
中学2年生のとき、義理の親を。
祖父母に引き取られて、名古屋行った。

 彼は、その心の傷を話していなかったって言った。
慣れない土地で、大変だった。
ひそかにここで生きていこうって思うまで、
そうとう時間がかかったという。

 歌志内に来て、同窓会に出席して、
小さくなった街を見た今だから、話せたって言った。
親を失ったふるさとを見て、
強く生きていこう・・・って思いを新たにしたって言った。

こころの傷


住友炭鉱殉職者の碑
(2001年春撮影)















あの夏、    
時はとまった



中村中央団地の炭坑住宅
(2000年夏撮影)

 夏休みが終わって中学校に行くと、
クラス替えがあった。
5クラスあったクラスが、3クラスになっていた
 炭鉱の閉山と共に、
ぼくらは、別れ別れになっていた
 親友、
ともだち、
喧嘩してた奴、
そして好きだった同級生

 二度と会えない
あんな別れがあることを知った
 語り尽くせないまま、
一生の友達になれないまま、
仲直りもできないまま、
好きだって言えないまま、
ただ、時が流れて大人になった。

 なつかしいあの笑顔たちは、
あの夏のままなのに・・・。






















 小学六年生のとき、
『お誕生会』に呼ばれたこと
その栄光(笑)とともに憶えてる
 色白のほっぺ、レモンの瞳、
とがったくちびる、メロディの声・・

 小学校を三回も、転校した僕には、
幼なじみって呼べる子がいない
まだ、恋未満だったけど、
 美奈子、
君がそうだったのかも?

 あのまま、
いっしょに大人になりたかった

美 奈 子



文珠大曲に今も残る
住友炭鉱の職員住宅
(2000年夏撮影)
















レ イ ル ロ ー ド

住友炭鉱の選炭機(1997年春撮影)
この選炭機の姿は、今は整備され、もう見ることはできない。

 幼い頃、この路が、
自分の未来に続いていると思った
 どこまでも、
自分の夢を、乗せて運んでくれるみたいだった

 卒業した頃も、
路は、<あこがれの都会>に、夢に、
着実につながっていた

 歌志内線が廃止になったとき、
そのあこがれと訣別したみたいだった





















 ふるさとに帰ってきても、
今は、友も好きだった人もいない。
 あんなに大く感じた街並みも、
今、小さく感じてしまう自分に気づく・・・

 ふるさとの思いでは、
年齢とともに美化されていくけれど、
ずっと、ここにいる僕は、
風化する一方だったのかも知れない
 でも、あなたのふるさとに対する思いが伝わった

 奇跡のように、
あの水源地で、ともだちと遊んで、
 奇跡のように、
職員住宅から好きだった子が
奏でるピアノの音がきこえてきたら・・・!

 そんな奇跡をここから届けたい。

奇  跡
(古里、歌志内を愛するKさんに)




住友炭鉱の映画館(悲別ロマン座)
(1997年春撮影)















思い出してごらん
          
上歌に今も残る炭鉱住宅
(平成2000年夏撮影)

 すれ違う思い、渇く心・・・
そんなもどかしい砂漠の日々が続いて
疲れたら、ここへおいで

 いつまでも忘れられない特別な季節、
初夏の風を感じたら、
いつでもここへもどっておいで

 街並みが変わっても、
変わらないただ一つのもの
心の奥底の風景=
本音だけだった頃の自分にきっと会えるはず!

















冬のある日


雪につつまれた文珠第一
(2000年冬撮影)

 その頃、僕のお袋は、化粧品の外交販売員をしていた。
独りで歩くのが辛かったのかな?
小学三年生の僕は、お袋につき合わされて、
新元町の炭住に、連れられて行った。
 初めて見た炭住は、
木造でまったく同じ作りの住宅がところせましと建ち並んでいて、
その壮観な景色を、まるで迷路みたいに感じてた。

 「このウチは、前にも買ってくれたから、行ってみるわ。
  ここで待っていて」そう言って、お袋は、その家に入っていった。
僕は、その家の前で、借りてきた猫見たいに、ずーっと待っていた。
 10分、20分、30分。お袋は、その家から出てこない。
”この家だったのかな?”
時間と共にあまりにも同じ家が建ち並んでいて、慣れないその風景に、
幼い僕は、しだいに疑心暗鬼になっていった。
 ”きっと、ここじゃない!”
そう思って、僕はその場を離れ、お袋を捜し回った。
歩いても、歩いても同じ家ばかり、1時間以上過ぎて、
外の寒さに身体がこごえた。
お袋が、この迷路に奪われていったように感じて、
僕は、泣いた。

 ーやがて、お袋が泣いてる僕を見つけてくれた。
「ごめんね。でも憶えておいて、お金を稼ぐことって大変なことなんだよ」
そう言った気丈夫なお袋も、こころなしか泣きそうだった。





















中村地区に残る元住友炭鉱職員住宅
(2002年冬撮影)

廃 墟


 赤裸々な思い、
素直に伝えられたなら、
誰も悩んだりしない

 人は誰も知りすぎた。
生きることのはかなさ、苦しさ

 人は誰も、知りすぎた、
欲望という名前の誘惑

 廃墟の果てに、見えたもの
そこに生きた人々の残留思念、
えぐられるような傷み残ってた。

 廃墟の果てに見たもの
生き残った亡骸を前に
僕は立ちつくす














空知炭鉱の縦坑

 今は、コンクリートで密閉され、
もう坑内に入ることは出来ない。


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