第5日目.2月 3日(月) ラスベガス〜サンフランシスコ(移動日)
|
午前 5時00分 起床。 |
|
|
午後1時30分 |
|
|
見ると、一見、白人のホームレス・・・。ジーンズの上下に白いダウンジャケット、リュックを背負い、ぐったりと疲れたように、地ベタに座り込んでいる。その声が、あまりにもリアルで、我々の胸を突き刺した。演技では、あんな声は出せないと直感させるには充分だった。 |
|
|
金門橋/GOLDEN
GATE BRIDGE〜 |
|
|
ツイン・ピークス/TWIN
PEAKS〜ロスと云い、サンフランシスコと云い、アメリカの街は、それぞれいい意味で特徴があると思う。 |
|
|
午後5時00分 サンフランシスコ・ヒルトンホテル着 L.A.ギアのスニーカーを買いにメーシーズ(MACY'S)へ向かう。このサンフランシスコ・ヒルトンには、JTBのカウンターがあり、そこで地図を貰い、危険地帯にしっかりと、×印を付けてもらう。 S.F.は、L.A.に比べ比較的、治安が良いようだ。(それとも我々が、雰囲気に慣れたのか?)信号の変わるのを待ってると、インギンな日本人がスリ寄ってくる。ちょうど、良いとメーシーズへの道を尋ねる。 「メーシーズですか?この国では、超一流のデパートですが、最近倒産したらしいですよ、倒産したらしいけど、メーシーズの名前(ブランド)を守るため、経営を続けてるらしいですけどね。私は、ほら、そこの2階で店を任されている者です。免税店ですし、日本へのお土産は、沢山揃ってます。店員は、みんな日本人の女子学生アルバイトで、決して、しつこくありません。私も店を任されてから、まだ何日もたってないもので、 こうやって外へ出て、お客さんを捜してるんです。メーシーズの帰りでもいいですから、是非寄って下さい。特別にお安くしますから・・・」 私は、怒りで頭の中で、B29が爆撃を開始したような、衝撃を受けた。 別に、甘える気はないが、同胞を食い物にするパターンには、吐き気がする。店の名前は、『三越』と『丸井』を混ぜ合わせた『丸越』だったか、『松越』だったか忘れたが、これから行く方には気を付けていただきたい。 ビール 〜 ママさんの御勧め、キリンの『一番搾り』(以外に感激!)、ご飯 〜 ウマイ!これは、絶対にカリフォルニア米でなかったようだ。サシミ 〜 ツナ、ハマチ、アワビ、漬物。この店は、ツアー・ガイド・ブックにも紹介されるだけあって、ロスのジャパニーズ・レストランより旨かったようだ。 午後19時30分 メーシーズが、女性用品専門店と男性用品専門店に別れているのを知り、再び"憧れのL.A.ギア"を買いにメーシーズへ向かう。しかし、そこには、おそるべき罠が待ち受けていたのだった。 「さっきは、こーだったから、こーいけば、こーなって、時間も無いし、こーすれば近道だから、こー行こう」と言うN氏の言葉に騙され、なにか雰囲気が、ちょっと、おかしい道を歩く。 「さっきは、こんな坂なんてなかったぞ」と私。「イヤ、これで、こう曲がれば同じ道にでるはずだ」と強引なN氏。ここらで、さっきの道に出る筈なのだが、コーナーを曲がるとリキュール・ショップ(酒屋)・・・・・。それも貧乏黒人たちが、酒を買いに来ている場所だった。 店の壁に寄り掛かった黒人が、コークの紙コップをチャラチャラさせ、" Help Me Sir."と金をねだってくるが、無視して通りすぎる。 一応、Sirをつけているが、フィッシャーマンズ・ウォーフ・ホームレス・Davidとは、雲泥の差の態度。足早に通りすぎる。 が、次のコーナーを曲がると、更にヒドイ状態。その先には、街灯が一本しかなく、闇の中で、道路に座り込む黒人の姿が、チラチラ見える。 オマケに治安のバロメータ、シッドーイ落書き! これは、ヤバイ! 我々は、来た道を戻っていった。あー行って、こー曲がって、おっと!先程の酒屋の前を避けたのが悪かったのか、そのコーナーを曲がると、また、街灯が一本しかなく、闇の中で、道路に座り込む黒人の姿が、チラチラ見える。オマケに治安のバロメータ、シッドーイ落書き!なんじゃい!・・・同じ場所ではないか!!! 米国の道路は、日本のそれと違い、一本、一本の道に名前が付いており、分かり易い。おもむろに、ホテルでもらった地図と照合すると、あろうことか、完全に×(危険地帯)のド真ん中にいるではないか!? ベガス出会ったあの老人が云ってた通り、「サンフランシスコ・イズ・ビューティフル」を実感する。まっ、ツアーに参加しなければ、このポイントにも来る事は出来なかったと思えば、こういった鳩バスツアーもまた、ヨシとするか!と思う。 |
|
|
ケーブルカー/CABLE
CAR〜 |
|
|
午後10時00分 サンフランシスコ・ヒルトンに戻る。 バーテンは、黒人で、あの映画『リーサルウェポン』のダニー・グローバーに似ていたが、忙しそうに、次から次へと客に対応。せっかくロスのように、英会話を楽しみたいのに、彼は、いっこうにかまってくれない。ビールを2杯ばかし飲んで、バーを出る。 アメリカ(本土)最後の夜だったからなのか、ホームレスの David ショックからなのか、アメリカに対して、訳の判らない、不満をぶつける。 いったい、この旅で、アメリカの何が、判ったのだろう・・・?アメリカって、何だったんだろう?まどろみの中で、眠りにつく。 『ほら、何にも判っちゃいないじゃないか!だからと云って、”ホームレス半日体験ツアー”とか、”AIDS患者お見舞いツアー”に行ったところで、お前はアメリカを、理解出来るのかい』どこからか、もう一人の自分のささやく声がする。こっち側から、見たって自分の国さえも、うまく説明出来ない。自信をもって私達の国は、こんなイイ国だなんて話せない。 小意気なビルトモアのバーテン、ベガスで逢った老夫婦、アメリカで強く働く日本人女性たち、"
I'm hungry ・・・"と、うめいた白人ホームレス David
・・・、英語で尋ねれば、英語で答え、日本語で話せば、日本語で返事をしてくれたナイス・ガイ、もう一人のディビット。 |
|