第5日目.2月 3日(月) ラスベガス〜サンフランシスコ(移動日)

二 人 の デ ィ ビ ッ ト



午前 5時00分 起床。
 モーニング・コールで、目が醒める。睡眠時間、僅か1時間半・・・起きれたのが、不思議なくらい。熱いシャワーを浴び、なんとか身体を目覚めさせる。

午前6時45分 バゲージ・ダウン。
 ホテルを出る時になって、この部屋の中にいったい、何分間くらい居たのだろうと考える。寝ている以外の時間では、ほとんどここに居なかったと思う。これはやはり、ベガスのパワーか!?

午前6時45分
 現地係員待合せの場所、JTBカウンターへ向かう。数えて、9人目のツアコンが待っていた。相変わらず空港へ到着し、チェック・インを済ませると投げられる。空港内をウロウロし、この時間から開いているファースト・フードの店を見付け、二人で、朝食のチーズ・バーガーをシミジミ食べる。・・・・・・・ミジメ。

午前8時25分 ベガス発ユナイテッド・エアライン262便。
 疲れが、相当溜まっているせいか、テイク・オフの瞬間も判らぬほど、すぐ寝てしまう。



午前11時13分 
サンフランシスコ(サンフランシスコ空港
 数えて、十人目のツアコンが待っていた。ムサい中年男。名前は、吉田氏、シスコJTBの課長らしい。しかし課長自ら、我々二人のためにリムジンで、お迎えとはウイ奴であった。
 
チャイナタウン(China Town)をとおり抜け、フィッシャーマンズ・ウォーフ(Fisherman's Wharf)ホテル・ホリディ・イン(Holiday Inn)へ向かう。

午後12時30分 
ホテル・ホリディ・イン
 ホテルに入ると十一人目のツアコンが待っていた。
彼女の名前は、『マリコ』。
 彼女いわく、「米国人は、舌が鈍感。甘いか、しょっぱいか、辛いかしか判らない。皿いっぱいのフライド・ポテトにケチャップべっとりかけて食べるの。甘いといったら、ベタベタの甘さ、まるで、砂糖の塊だけのケーキみたい」

 彼女いわく、「米国人のお母さんは、赤ちゃんに補乳瓶で、コークをのましてるの。歯が生えてきても、もうガタガタ、ホントよ」

 彼女いわく、「米国人は、プライドがない」

 彼女いわく、「米国人は、うわべだけよ。普段は、マリコ!とかって寄ってきてスゴーク親しそうに話し掛けて来るのに、困った時は、見て見ぬ振り、もう傍にも近寄ってこない」

 彼女いわく、「この国で、米国人の良き結婚相手を捜すのなんて、砂の中から砂金を捜すような物よ」そして、「この国に憧れて、この国の男と結婚したけれど、今は、独り・・・日本に帰りたくってね、でも子供が二人もいてね、ほら、子供達、日本語、話せないでしょう・・・。子供とは、英語で会話しているの・・・そうしたら、子供は”ママの発音変よー”って、バカにするの、そうして、たまに日本語で話すところを聞いたら、”ママは、チャイニーズか?”って云うのよ。日本に帰って、子供たちをアメリカン・スクールに入れようと思ったら、すっごく高いのよね。ちょっと、無理ネ。それでも私は、日本に帰りたい。子供たちが、この国で、就職したら、私は、日本に帰るの。それまで、頑張るわ」。

午後1時30分
FISHERMAN'S WHARF〜フィッシャーマンズ・ウォーフ

 ここで、憧れの蟹(Crab)を食べることにする。で、有名な蟹売場で記念撮影する。
 海に面した桟橋で蟹を食べていると、突然、まるで地の底から響いたような声が聞こえてきた。" I'm Hungry・・・・"

 見ると、一見、白人のホームレス・・・。ジーンズの上下に白いダウンジャケット、リュックを背負い、ぐったりと疲れたように、地ベタに座り込んでいる。その声が、あまりにもリアルで、我々の胸を突き刺した。演技では、あんな声は出せないと直感させるには充分だった。

 N氏、ほとんど反射的に蟹を分け与える。私も、バリッと半分に割って、N氏に続く。彼は、弱々しい声で" Thank You."と言い、蟹を食べ始める。ゆっくりと、そして丹念に食べる。

 私が、" What's Your Name ? "と名前を尋ねると彼は、その問いに食べる手を止め、" David."と答えた。髭をのばし、彫りの深い一見、知的な風貌だが、淡いブルーの瞳は、弱々しく、女々しく強い意志など微塵も感じられない。続いて" Where You Come From ?"と尋ねると彼は、" Chicago."と力なく答える。Davidの瞳の奥底に、暗く哀しいモノが見えて、それ以上の話が、出来ない。

 我々の語学力では、" Do You Have Money ? "でもないだろうし、" Do You Have Home ? "イカン、イカンそれ以上の話が、出来ないと思う。ウゥッ、哀しい男。周りを見ると、日本人の観光客もたくさんいるが、皆、無関心を装って、相手にしない。同胞の白人達も、相変わらず無関心でちらりと視線を投げかけただけ。これも This Is アメリカ。

 しかし、どこからか、その様子を隣で見ていた、外人青年が、彼にケチャップを渡し、去っていったかと思ったら、わざわざペプシを買って来て、David に渡す。聞くと、彼はメキシカンで、スシ・バー(SUSHI Bar)で働いていると言う。我々は、『ティー』は『アガリ』だとか、『ジンジャー』は『ガリ』だとか教える。(それしか、喋れないって云う事情もあるのだが)彼は、最近やっと『ジャパニーズ・ツナ』を握らしてもらっていると、自慢気に話してた。

 贅沢ジャッピーの私は、蟹の脚の第一関節以下は、面倒で食べずにごみといっしょに投げようとすると、N氏は、それを見て、そのゴミを David に上げようとする。

 「彼は、乞食じゃないんだから、失礼だ。やめろよ」
私の言う言葉に、N氏は、「そうかな、腹をすかしてるんだ。投げるんなら分けてやれよ」と言う。一瞬、二人の間に嫌悪感が流れる。

 「それじゃ、自分の分を全部上げるといい」と私。そう言っている間にN氏は、その蟹の脚を、Davidにサッサッと上げてしまう。Davidは私の期待を裏切り、それを" Thank You, Thank You."と言って、何の抵抗も無しに、ありがたそうに蟹のあの細い関節から、器用に取り出して食べた。

 俺が間違っていたのだろうか David。

 更にN氏、何を思ったのか Davidに$12キャシュで渡す。彼への同情か!?それとも、金持ちジャップ優越感か!?「そんなに金が、余ってるなら、ホームレス全員に$1づつ渡せば?」と結構、マジになって皮肉る私・・・。

午後2時30分 ホテル・ホリディ・インに戻る。
 数えて、十二人目のツアコンがやって来た。彼の名前は、ディビット。 奇しくも、先程のホームレス David と同じ名前。 それは、運命の出会いであった。

 ディビットに連れられ、
サンフランシスコ市内観光に出掛ける。

チャイナタウン/CHINATOWNバスの中から見ただけではあるが、『味わいのある雑踏』という感じ。横浜チャイナタウンより雰囲気は、中国らしい。(モチロン、中国には行った事はないのだが・・・)

金門橋/GOLDEN GATE BRIDGE
 
ここは、記念撮影する場所か?頼みもしないのに、ツアーご一行写真を撮影される。
 JTBの仕組みで、そうなっているらしいのだが、国内観光旅行みたいで、なんだか嫌な気分。ディビットは、おすすめがヘタだし、我々は、モチロン買わない。勝手に、我々二人で気に入ったポイントで、記念撮影する。

ツイン・ピークス/TWIN PEAKS〜ロスと云い、サンフランシスコと云い、アメリカの街は、それぞれいい意味で特徴があると思う。
 このツイン・ピークスから見る眺めは最高だ。サンフランシスコ、美しい街だと思う。心の中に、何か美しい旋律が流れるようだ。その感動をディビットに伝える。最初は、英語で会話してたが、細かいニュアンスが、伝わらない。
それからの会話は、日本語と英語の混ざった、訳の判らない会話になるが、ディビットは、英語で尋ねれば、英語で答えてくれ、日本語で話せば、日本語で返事をしてくれる・・・イイ男だ。

カストロ通り/CASTRO St.〜サンフランシスコは、米国でもっともゲイの多い街。家の軒に公然と『ゲイの旗』を立てている。市条例で、市民権が保証され、ゲイ同士の結婚も認められており、配偶者の健康保険の加入などが出来るそうである。

 その私には、理解しがたい、お互いのケツをなぜあいながら歩く、ゲイ達を横目で見ながら、帰途につく。















午後5時00分 サンフランシスコ・ヒルトンホテル

 ディビットは、我々のモーニング・コールの時間(AM.5:00)を聞いて、JTB職員に猛然と(最初は、英語で)交渉する。
「オオゥ!ナンッテコッタイ!アサノ5ジカラオコスナンテベイビーソレハナイゼ」、
「ディビット、ココノキマリハソウナッテルノ、バゲージダウンノ1ジカンマエガMCナノ」

「ダケドソレハナイゼ!カレラハ、ツカレテルンダゼ」、
「ダケドキマリナノ!」


 結局、彼は日本語で、「明日5時に起きますか?」と尋ね、OK!(君には感謝する)と答えるとシブシブ納得し、ディビット、イイ男と別れる。

午後17時30分 部屋で休む間も無く、早速行動にうつる。(で、部屋の記憶は全く残ってない)

 L.A.ギアのスニーカーを買いにメーシーズ(MACY'S)へ向かう。このサンフランシスコ・ヒルトンには、JTBのカウンターがあり、そこで地図を貰い、危険地帯にしっかりと、×印を付けてもらう。

 S.F.は、L.A.に比べ比較的、治安が良いようだ。(それとも我々が、雰囲気に慣れたのか?)信号の変わるのを待ってると、インギンな日本人がスリ寄ってくる。ちょうど、良いとメーシーズへの道を尋ねる。

 「メーシーズですか?この国では、超一流のデパートですが、最近倒産したらしいですよ、倒産したらしいけど、メーシーズの名前(ブランド)を守るため、経営を続けてるらしいですけどね。私は、ほら、そこの2階で店を任されている者です。免税店ですし、日本へのお土産は、沢山揃ってます。店員は、みんな日本人の女子学生アルバイトで、決して、しつこくありません。私も店を任されてから、まだ何日もたってないもので、

こうやって外へ出て、お客さんを捜してるんです。メーシーズの帰りでもいいですから、是非寄って下さい。特別にお安くしますから・・・」



MACY'S(デパート)〜なんとか、メーシーズにたどり着く。しかし、日本の一流のデパートと比べると、どこか野暮ったい感じもする。

 靴売り場を捜して、歩いていると、外人ナマリの日本語で、「コンチニワ」と声がする。見ると、十八・九のブロンドの可愛い娘3人組!その若さに気圧され、おじさん2人組は、ボーとする。ブロンドの可愛い娘3人組は、「キャッ、キャ」と笑いながら、通りすぎてゆく。ポカーンとするだけの、おじさん2人組・・・(ああっ、あと5歳、若かったら・・・)もの欲しげに、振り向いてはみたけれど、後の祭り。

 さて、何故かそこは、女性用の商品ばかり扱っているビルだった。お目当ての
『L.A.ギアのスニーカー』を見付けるには、見付けたのだが、すべて女性用だった。そうだったのか!このメーシーズっていうのは女性専門店だったのか!

 例の信号で、先程の客引きに逢う。人のイイN氏が、客引きに付いて行ってみようと云う。まっ、これも何かの縁って事で、その彼の店へ行く事になる。

 その店にはいると、まず日本茶の接待を受けた。彼は、メーシーズで買わないで、わざわざ来てくれたんだから、安くしてあげてよと言い、再び外へ出る。店内を眺めると、なんと、商品に商札がついていない。それじゃと、最初にL.A.のリトル東京の店で$38で買った、クリスチャン・デ・オールのネックレスと同じ物があったので、値段を聞いてみる。「$55ですけど、タックスはフリーで$50にしますよ」

 私は、怒りで頭の中で、B29が爆撃を開始したような、衝撃を受けた。

別に、甘える気はないが、同胞を食い物にするパターンには、吐き気がする。店の名前は、『三越』と『丸井』を混ぜ合わせた『丸越』だったか、『松越』だったか忘れたが、これから行く方には気を付けていただきたい。

午後7時00分 夕食〜カツ定食を食いたいと泣き喚くN氏をなだめ、日本食レストラン
キク・オブ東京 (KIKU OF TOKYO)へ行く。ここのママさんらしき人が相手をしてくれる。しっとりと落ち着いた雰囲気の店だ。サシミ定食をオーダーする。

 ビール 〜 ママさんの御勧め、キリンの『一番搾り』(以外に感激!)、ご飯 〜 ウマイ!これは、絶対にカリフォルニア米でなかったようだ。サシミ 〜 ツナ、ハマチ、アワビ、漬物。この店は、ツアー・ガイド・ブックにも紹介されるだけあって、ロスのジャパニーズ・レストランより旨かったようだ。

午後19時30分 メーシーズが、女性用品専門店と男性用品専門店に別れているのを知り、再び"憧れのL.A.ギア"を買いにメーシーズへ向かう。しかし、そこには、おそるべき罠が待ち受けていたのだった。

 「さっきは、こーだったから、こーいけば、こーなって、時間も無いし、こーすれば近道だから、こー行こう」と言うN氏の言葉に騙され、なにか雰囲気が、ちょっと、おかしい道を歩く。

 「さっきは、こんな坂なんてなかったぞ」と私。「イヤ、これで、こう曲がれば同じ道にでるはずだ」と強引なN氏。ここらで、さっきの道に出る筈なのだが、コーナーを曲がるとリキュール・ショップ(酒屋)・・・・・。それも貧乏黒人たちが、酒を買いに来ている場所だった。

 店の壁に寄り掛かった黒人が、コークの紙コップをチャラチャラさせ、" Help Me Sir."と金をねだってくるが、無視して通りすぎる。

 一応、Sirをつけているが、フィッシャーマンズ・ウォーフ・ホームレス・Davidとは、雲泥の差の態度。足早に通りすぎる。

 が、次のコーナーを曲がると、更にヒドイ状態。その先には、街灯が一本しかなく、闇の中で、道路に座り込む黒人の姿が、チラチラ見える。

オマケに治安のバロメータ、シッドーイ落書き!

 これは、ヤバイ! 我々は、来た道を戻っていった。あー行って、こー曲がって、おっと!先程の酒屋の前を避けたのが悪かったのか、そのコーナーを曲がると、また、街灯が一本しかなく、闇の中で、道路に座り込む黒人の姿が、チラチラ見える。オマケに治安のバロメータ、シッドーイ落書き!なんじゃい!・・・同じ場所ではないか!!!

 米国の道路は、日本のそれと違い、一本、一本の道に名前が付いており、分かり易い。おもむろに、ホテルでもらった地図と照合すると、あろうことか、完全に×(危険地帯)のド真ん中にいるではないか!?



 意を決し、中央突破作戦に出る。危険地帯のド真ん中を通り、最短距離で、安全地帯へ脱出するのだ!我々は、現地のマフィアもビビるという、あのジャパニーズ・ヤクザ歩きである。

 「テメーら、『
ブラック・レイン』のユーサク・マツダ知ってるんだろーなー」と言っても、恐らく映画は、観てないと思うので、よけーな事は、言わないことにする。取敢えず、肩を怒らし、ポケットに手を突っ込み、目で威嚇しながら、歩く。

 歩く。走り出したい衝動を抑え、ゆっくりと余裕をつけながら歩く。さすがに出来損ないの『陣内』と『貴一』ではあるが、旅行者らしくないスーツ姿が良かったようだ。今度は立場逆転で、ホームレス黒人どもも、我々を無視する事に決めたようだ。それでも、すぐ目の前には、光が溢れる、安全地帯までの、ほんの二丁の通りが、長く感じた。ほうほうの体でホテルに戻る。


午後8時20分 
サンフランシスコ・ナイト・ツアーのため、サンフランシスコ・ヒルトンにある、JTBカウンターでお迎えを待つ。今度は、ベガスのような事が無く、ちゃんと日本人のツアコンが迎えに来た。真面目そうな好青年であった。

サンフランシスコ夜景/TREASURE ISLANDサンフランシスコ・オークランド・ベイ・ブリッジを渡り、トレジャーアイランドから、夜のサンフランシスコの光彩を眺める。一瞬、眼が星になった。海を渡ってくる風が心地好い、自然な感じで、海と摩天楼とが、一体になっているようだ。

 ベガス出会ったあの老人が云ってた通り、「サンフランシスコ・イズ・ビューティフル」を実感する。まっ、ツアーに参加しなければ、このポイントにも来る事は出来なかったと思えば、こういった鳩バスツアーもまた、ヨシとするか!と思う。

ハイアット・リージェンシー・ホテル/HYATT REGENCY-SAN FRANCISCO〜超近代的な建築に、ドヒャーと驚く。このホテルは、あの今は亡きマックイーンの映画『タワーリング・インフェルノ』の撮影に使われたと言う。

ケーブルカー/CABLE CAR
 これもやっぱり、『憧れ』。カリフォルニア通りを走るケーブルカーに乗る。この景色は、映画『ブリット』、『ダーティ・ハリー』、新しいところでは、『インナー・スペース』なんかでも、よく見たような景色が、目に映る。なんだか、単純に嬉しい。
 
マークホプキンス・ホテル/MARK HOPKINS INTER-CONTINENTAL HOTEL〜米国では、1926年創業の超高級ホテルといわれるホテル。ただし、この国の超高級とは、『歴史』の有無が、かなりのウェイトを占めているようで、あのロスのビルトモアと同じで多少、古びたところに味わいがあるらしい。
 ここに宿泊している訳でもなく、かつ入場料を払っている訳でもないのに、ツアコンに連れられ、ゾロゾロ入って行く。おまけに、あの映画『風と共に去りぬ』と同じデザインの階段!?と云うだけで、人迷惑も考えず、順番にバチバチ撮影会が行われる。いいかげん鳩バスツアーには、かなり食傷気味。ここの有名な『Top Of The Mark』という、スカイ・ラウンジで、飲む。なんだかんだ云いながらも、ここの景観は美しい。一面に宝石をちりばめたような、星座のきらめきが目に映る。

 ここで、例のラスベガスで一緒だった”コリアおばさん”二人組、他の現地の客もいるのにかかわらず、フラッシュをバチバチ焚き、記念撮影を始める始末。『旅の思い出は心に』の我々は、わざとカメラを持ってこなかったのに、「あらーっ、カメラを忘れたんですか?いいわーよ、私のカメラで撮って上げる。後から、送ってあげるわよー、住所教えてねー。」









午後10時00分 サンフランシスコ・ヒルトンに戻る。

 カラオケ・バー(KARAOKE BAR)に行きたいと泣き喚くN氏をなだめ、いつもの通り、
ホテルのバーへ行く。サンフランシスコ・ヒルトンの夜は、混んでいるようだ。いつものように、カウンターの隅に腰掛け我々は、軽くビールをオーダーした。

" Bud Please."(これ、ばっかり)

 バーテンは、黒人で、あの映画『リーサルウェポン』のダニー・グローバーに似ていたが、忙しそうに、次から次へと客に対応。せっかくロスのように、英会話を楽しみたいのに、彼は、いっこうにかまってくれない。ビールを2杯ばかし飲んで、バーを出る。

午前1時30分 部屋に帰る。酒の酔いもあって、N氏と暫し語る。

 アメリカ(本土)最後の夜だったからなのか、ホームレスの David ショックからなのか、アメリカに対して、訳の判らない、不満をぶつける。

 いったい、この旅で、アメリカの何が、判ったのだろう・・・?アメリカって、何だったんだろう?まどろみの中で、眠りにつく。

 『ほら、何にも判っちゃいないじゃないか!だからと云って、”ホームレス半日体験ツアー”とか、”AIDS患者お見舞いツアー”に行ったところで、お前はアメリカを、理解出来るのかい』どこからか、もう一人の自分のささやく声がする。こっち側から、見たって自分の国さえも、うまく説明出来ない。自信をもって私達の国は、こんなイイ国だなんて話せない。

 小意気なビルトモアのバーテン、ベガスで逢った老夫婦、アメリカで強く働く日本人女性たち、" I'm hungry ・・・"と、うめいた白人ホームレス David ・・・、英語で尋ねれば、英語で答え、日本語で話せば、日本語で返事をしてくれたナイス・ガイ、もう一人のディビット。

 この旅で、この国で出逢った人々が、まどろみの中で浮かんでは消えて行く。夢はまた夢・・・。