チ ロ ル の 里 に
2005.5.29.更新

 春の陽気につつまれたチロルの里。写真左から老人ホーム、デイサービスセンター、リンリン館、アリーナチロル。 






 タトエ、『歌志内市』っていう自治体の<市名>がなくなったとしても、
いつまでも、そこにあってほしい地域でいてほしいって思う。

 いくつかのあわただしい季節が過ぎたとき、
ふと思い出す、想い出ひとつくらい残っていてほしい場所。

 いつまでも、いつになっても、
そこに生き続けていてほしいっていう気持ちが原動力になって
このページが生まれた…。









中村中央団地から見たチロルの里



 かって、ここには、住友歌志内砿があった。
僕が神威小学校に転校した頃、
まだ<炭鉱>は間近にあったんだ…。













チロルの湯から山道を登ったところ、
若葉町に今も残る
住友炭鉱の変電所

 小学2年生のとき、<マチ>の小学校から、
炭鉱地域の神威小学校に転校した。

 間もなく、久保君っていう友達ができて、
学校帰り、彼の家に遊びに行った。
 彼の家は、僕の住んでいた神威錦ヶ丘から逆方向。
年少の僕には、ズイブン、遠い距離に感じた。

 ー大きな住友炭鉱の建物を横切って
急な山道を登っていった矢先、
いきなりマチが出現し、僕は目を丸くした!
 神威岳に続く山並みに、
炭住(炭鉱住宅)がズラリ現れた。
 配給所と呼ばれていたお店や浴場もあって、
そこは、ひとつのマチを形成してた。

 ・・・炭鉱と共に栄え出現したマチ、若葉町。
それは、ひとつの象徴だったのかもしれない。













 昭和46年7月ー。
僕は、中学生になっていて新聞配達のアルバイトをしていた。


 その日、夕刊の配達のために向かった新聞専売所では、
住友炭鉱のガス突出事故の話で、あふれてた。


 僕ら新聞配達してた悪ガキたちは、
不謹慎なことに、この大事故を興味本位で話し、
新聞配達に行く前に、
事故現場を見に行こうと、住友炭鉱に向かったんだ…。















チロルの湯

 住友炭鉱跡地に鉱泉が確認され、民間によるサンレイ(山霊)温泉が出来たが倒産。
 その鉱泉を活用してほしいとの市民の要望に応え、平成4年12月、市営温泉「チロルの湯」が建設された。












 住友炭鉱抗口は、中学生の僕たちが勝手に入って行っても
誰にもとがめられないほど、混乱、
人でごったがえしていた。


 新聞記者のフラッシュの光の洪水。


 初めて見るTV局のTVカメラ群。


 目の前、TVカメラに向かって事故報道するアナウンサー。

     注水!?
     ミズヲイレル!?
     坑内火災を鎮火させるため?
      まだ坑内に人がいて、
     助けを待ってるかも知れないのに!!!


 オバカな中学生の僕らにも、
その緊張と絶望が伝わった…。










サイクリングロード
 JR歌志内線跡地を利用して、平成3年12月からこの事業は着工された。
自転車と歩行者のための道路、隣接する砂川市とも連携し、この道は、砂川市にある<こどもの国>まで続く。
 そして、ここに日本一の桜並木を目指して、市民や多くの歌志内出身者が桜を記念植樹されている…。











 ーその日から歌志内は、変わった。

 僕の友人は、炭鉱で父親を2度も亡くした。
一度目は、肉親。
小学生のとき、炭鉱事故で父親を亡くしてる。
二度目は、今回、義理の父親だった。

 今になっても、
僕は、あんなに悲惨な葬儀に立ち会った経験なかった。

 お通夜の間中、傍目も気にせず遺体にすがって、
言葉にならない声で、泣き通しだった家族。
その声に、読経もかき消されるほど。

 親類の人が、<もうあきらめて>って云うように、
遺体から家族を引き離そうとしたとき、
その娘が、

「ダメー!お父さん、
 死んじゃ嫌だーーー!」って叫んだんだ…。



















リンリン館

 高齢者の生きがいづくりと世代交流の場として平成8年4月開設。
 『凛として前向きに生きる』高齢者を象徴して命名された。














 翌日も、また葬儀だった。
当時、一番仲の良い親友の父親も、この事故で死んだ。


 葬儀に行った僕を見送ってくれた親友が語ってくれた。
「オヤジの死体を見たんだ…。
 ガスを吸って死んだのか、
 気持ち悪いくらい、真っ青な死体だった…。
 オレ、それがオヤジだってどうしても思えなかった!
 人間だって思えなかった!
 今でもオレ、信じられないよ・・・・」

 彼が語ってくれた言葉だけが、
何度も何度も脳裏で、こだましていた帰路。

 これが自分の親だったら、
自分は、どうだったんだろう?

 ・・・・・

 ー親友の残酷な告白に、僕は、そればかり考えてた。
多感だった中学生の頃、
<哀しみ>とか、
<絶望>という言葉では、言い表せない
まるで白昼夢に似た

 突然、ポカンとした理解不能な真空地帯に
投げ出されたみたいだった。



 肉親の<死>が間近にあったマチ。














デイサービスセンター(介護支援センター併設)

 デイサービスセンター(在宅介護支援センター併設)。
在宅福祉の充実を目指し、平成7年3月オープン。
平成12年3月には、ケアプラン相談センターも、設置された。


















 夏休みが終わって中学校に行くと、
いきなり、クラス替えがあった。

 住友炭鉱が閉山して、炭鉱に勤めてた人々が、
歌志内を去り、生徒数が激減したからだ。

 5クラスあったクラスが、
再編成し、3クラスになっていた…。


 炭鉱の閉山と共に、ぼくらは、別れ別れになっていた。
 親友、
ともだち、
喧嘩してた奴、
そして気になっていた同級生、
トツゼン、ミンナ、イナクナッタ



 そして、二度と会えない、
そんな別れが自分の人生に突然、訪れることを知らされた。

 語り尽くせないまま、
一生の親友になれないまま、
仲直りもできないまま、
「好き」とも言えないまま・・・

 忘れられない<顔>がいっぱいあるはずなのに、
僕は、そんなこと忘れたかのように

 ・・・無情に、ただ時が流れて


          大人になった。


















養護老人ホーム楽生園


 平成7年、歌志内に残る最後の炭鉱、空知炭鉱が閉山した。
 その年、この住友炭鉱跡地、最後のスペースに老人ホーム楽生園の移転新築工事が決まった。
 2年間の建設工事を終え、平成9年11月完成。
ここに『チロルの里』が完成した。

 今、ここを初めて訪れた人は、ここに炭鉱があったって言われても、あまりにも変わり果てていて、理解できないって思う。
「へー、そうだったんだー」ってのがふつーの感想。
 それで、いいのかも知れない。
<過去の感傷>だけでは前へ進めない。














 タトエ、僕がこのマチを離れたとしても、
おだやかな<とき>が流れるチロルの里であってほしい。

 姿、カタチは変わっても、いつだって、そこにある。


 朝のまどろみの中、
突然、それを思い出すように、
そこに、それはある。

 絶えず今を前向きに突き進もうって思っていても、

疲れて、ふと、ここに戻って来てほしい。




 忘れないで。

かって、そこで人々が生きてきたこと。


 君が、思う限り…、

きっと、そこに<それは>あるはず。



















道の駅・チロル

 平成12年4月完成。
札幌〜旭川間は、国道12号線を通るよりも、歌志内〜赤平〜芦別をショート・カットした方が実は近い。
 それを知ってる多くのドライバーが利用してる。















 P.S.

 それから月日が流れて、
このチロルの里で、
僕らの中学校の同窓会が行われた。

 200人以上も、いた同窓生の中で、
集まったのは、わずか30人ほど。
 一番逢いたかった人には、会えなかったけど、
時間が遡って、なつかしい友の顔にもどった。
会えた喜びに満ちあふれた。

   …時は無情に流れる。
  やはりあの頃と同じには、戻れない。

 日付を、またいだ三次会の泥酔の中、
そんな風にも思ったけど、
やっぱり、あの頃<時を同じにした>思いは変わらない。

 僕たちは、タブン、あのまま…
あの頃の<ウタシナイ>で、
きっと、そのままの自分がイキテル。

 変わったのは、姿、かたちばかりではなくて、
今の自分…。





コンクリートで塞がれた抗口

 文珠地区に今も残る抗口。
ここを開けば、過去に戻れそうな気がした…。








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