中村(なかむら)


 文珠地区に隣接する中村地区。この地区は、炭坑関係者が多い地域で、たくさんの人々でにぎわっていた地域。「中村南区」、「北区」「東区」「日ノ出町」「若葉町」・・・今はないこんな地名がなつかしい。
 
※なお、文中の「当時」は、勝手ながら、昭和40年代を指しています。









今も残る幻の湖

 2001年5月
4〜5日と、釧路のKさんが歌志内を訪ねてくれた。
 彼もまた、小学生の頃、炭鉱の閉山で、歌志内を離れざるを得なかった。

 一緒に、彼の思い出の場所へロケに行った。
子どもの頃、野球した山の上にあるグラウンドは、荒れほうだいで、入り口は侵入できないように、『熊注意』の立て札と共にフェンスで覆われていたけど、僕たち二人は、お互いビビッタ素振りを少しも見せず(笑)、フェンスを乗り越えて入って行ったんだ。
 倒木を超え、奇妙なほどに静寂のなか、熊笹を踏む音だけが辺りに響く。
 やがて、そこに神秘の湖が現れた・・・。

 そこは、中村の山の上にあった<新グラウンド>の奥地にある水源地と呼ばれてた場所。
(2001年春撮影)







今も変わらぬ中村中央団地
 
かっての住友炭坑の住宅。ここも昔ながらの変わらぬ住宅が残っている。
 当時僕は、新聞少年で、この辺を配達していた。かわいかった広野喜代美ちゃんの住宅には、頼まれもしないのに、勝手にサービスで、新聞を配達した(笑)
 家の郵便受けに新聞を入れると、すぐ彼女が出てきてくれて、「ありがとう」って笑顔を見せてくれるのが、うれしくて…。
 この坂を下っていったところに、彼女の住んでいた家が今もある!って、このロケで、ハジメテ思い出したんだ。
(2000年夏撮影)









中村中央団地から見たチロルの里

 中央団地のゲートボール場からの景色。中央の高い山が神威岳。
 向かって右から「チロルの湯」、真ん中の高い建物が、「アリーナチロル」、左の建物は、「生きがいセンターリンリン館」。
 この3施設を、パノラマのように眺めることが出来るポイント。
(2000年夏撮影)








中村公会堂
 
何故か今も、残っている「中村公会堂」。
中学校のソフト部の人気者、村雲多恵子ちゃんの住宅は、この公会堂の隣。
(2000年夏撮影)









中村体育館と中村公園跡地
 
写真、奥の建物が中村体育館。そしてその手前の敷地が、通称「中村公園」。
 中学生の頃、この近くの公衆電話から好きな子を呼び出して、ここで落ち合うというパターンの思い出を持つ方が多いはず!えっ?僕だけっすかぁー
(;^_^A アセアセ
(2000年夏撮影)










中村市街メインストリート

 文珠から神威に至る間が「中村地域」。
この辺も、当時と変わらぬ景色で、右端の建物が、「相馬呉服店」、その隣が、平田光男くんの店「金鳥(寿司)」(神威中学校同窓会では2次会会場になった)さらに、詩人・貴田風太郎氏の経営していた「万八(まんぱち)食堂」。
 坂の上には、歌志内中学校(旧神威小学校跡地)が見える。
(2000年夏撮影)













中村地区にある住友炭鉱殉職者の碑

 中村宮下町にある住友炭鉱殉職者の碑。
昭和46年、住友歌志内砿登川坑でガス突出事故で、
殉職された方々の名前が刻まれていて、
そこに暮らしていた人生をかいま見た。
断ち切られた人生のはかなさを知った。

 見渡せば、はるか前方に神威岳が見えた。
碑は、春の陽射しの中、ひそやかに、たたずんでいた。
(2001年春撮影)










住友炭鉱変電所
 かって炭鉱と共に栄えた若葉町に残る住友炭鉱変電所。
チロルの湯から山道を登ったところに今も、その姿を残し、ここに若葉町があったことを主張しているようだ。
(2001年春撮影)






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