眩しい朝に…










2月24日 <HINAGATA>

 午後1時、入院。
入院受付で待っていると、な・な・なんと雛形あきこ似のかわいい看護師がお迎えに来る!

  ちょーラッキぃ!(^o^) by しんのすけ
(注;ちなみに雛形あきこは僕のタイプではない)オイオイ...

 二人肩を並べて歩きながら、「入院は初めてなんですか?」などと笑顔を尋ねられながら病棟へ案内してくれる。詰所で、ほかの看護師スタッフにご挨拶し、いよいよ病室入り。

 そこは、4人部屋であった。
そして、雛ちゃんの(勝手に”雛ちゃん”にした)(笑)持ってきてくれた病衣に着替えると、たちまち<病人>の出来上がりっ!

 その病院は、病床数400床、X線×5、パノラマ撮影室×1、 X線テレビ×4、MRI×1、CT×2の高設備。
 さらには、放射線治療室、シネアンギオ室、ライナック室、RI室など高度医療機器も充実。
 その上、電動車いす完備や心理言語室、温熱治療室、電気治療室、言語療法室、言語集団訓練室、水治療法室、高圧酸素治療室、機能訓練室とあらゆる整形外科の機能を持つ大病院だった。

 ・・・僕の首はボロボロだった。
辛かったけど、歯医者と同じで、痛みが限界に達するまで無理をして、限界を感じ「こりゃー病院しかない」と受診。
 痛み止めをいただいて誤魔化していたけど、痛みも極限、比較的仕事に問題のない時期、2月に入院が決まった…。


 その日は検査の説明を聞いただけで、何もなくただベッドで横になっていただけ。
「なんのために来たんじゃい!」って感じ。
 やっと、午後7時になって担当医の回診が行われ、明日の検査の説明を受け、Dr.の多忙さを知る。












 2月25日 <異星人襲撃!>

 熟睡している僕を、突然、ビーム状の<光>が襲った!
眩しさに眼を開けると、「◎◇△○■!」
    ん?
     こ・これは、いったい何だ!?
      げっ!異星人の襲来か!?

 ・・・眩しい光の強襲に眼が覚めて、辺りを見渡すとそこは病院。
(あっ!オレ入院してたんだ)ってことに気づく。

 多忙なのは分かるけど、まだ暗い早朝5時、いきなり叩き起こして採血かいっ!
せめて、昨日のウチに教えておいてくだいさいよーって感じ。

 午前中、胸部レントゲン、心電図検査。
午後から、X線TVとCTの造影検査。
 頸椎、それもピンポイントに造影剤を入れるため、
X線を照射したまま膝をつき、両手を後ろに廻されて、
『お役人様ぁ〜御慈悲ですだぁー』の姿勢をとらされた。
 つらい体勢のまま、注射針が、首に刺さる。
針が間違って、神経に触れ、切断されると最悪半身不随の危機!

 やがて、頸椎に冷たい造影剤が入って来る感触を感じた。
そうやって撮影が行われた。 被爆をも恐れないDr.の姿勢に感銘。


 頸椎に造影剤を使ったため、行きは徒歩で、帰りはストレッチャー。
初めてストレッチャーに乗ることが出来て、うれしかったなぁー(byオバカ)

 そんなふうに入院二日目は終わる。














 2月26日 <下半身不随!?>

 造影検査の結果で神経を圧迫してるものが判明。
軟骨だと良かったのですが、4番、5番の間だが狭いことで、それを支えようして勝手に骨が形成されているとのこと。
人体のメカニズム、恐るべしっ!
 治すためには、あいだを広げること、そして、それを物理的に除去=オペ(手術)するしかないということが素人の僕でも分かった。

 仮にオペするとしてと念を押し、ドクターに聞く。
入院期間は、5〜6週間、自宅から通院リハビリ4〜5週間!!!
 んーーー(>_<)
こんなに長期間仕事、休んでいられないゾ!

 ましてや、オペも、4番とかひとつの骨だけなら、喉側から切開で良かったのだけど、ふたつとなると、後頭部側を切除するらしい。
 首の筋肉が切断されるので、ある程度筋力復活するまでカラーで支えて、その後、リハビリしないとならないらしい。
 僕の今の状況はまだ腕に、日常生活に必要な力もはいるので、Dr.も今回は、積極的にはオペを勧めないとのことで決着。

 しかし、神経の通ってるホールも狭いので、転倒など首に衝撃を与えると下半身不随になる恐れもある、以前に患者さんで同じような説明をして、外泊時に転倒!
 それで、下半身不随になった患者がいたと、五寸釘をグサッと刺され、少々ビビる。


 やっと午後から牽引始まる。
午後からだったので、この日の牽引時間合計5時間。

















 Dr.からの下半身不随の話に、ビビル患者K氏。



















 高気圧酸素治療器。



 2月27日 <ベッカム!>


 やっと4日目にして、『高気圧酸素治療』となる。
例のベッカム以来有名になった治療法で、神経の改善に効果があるらしく、この治療に僕は、多大な期待をしていた。

 治療自体は、ドーム状の釜の中に入って1時間半、座っているだけ。
高気圧にする間、気圧の変化で、耳がキーンとするが、結局、そこにいるだけの楽な治療ではある。
雑誌でも持ち込まないとヒマでしょうがない。


 この日の牽引時間合計7時間。















 2月28日 <下半身強化開始!>

 この日は、真面目に1時間牽引、30分休憩のペースを保つ。
この30分休憩の間、煙草を吸いに行く。
 実は、この入院を機会に<禁煙>を考えていたのだが、
僕のいる西病棟3階331号室から、1階の喫煙コーナーまでは、
階段を44段下りてすぐのところにあり思ってたよりもに近い場所にある。

 そんな訳で、禁煙の希望は無理となったのだが(笑)、治療自体は、ベッドに寝ての牽引がメインだったので、これじゃあ、カロリー過多!運動不足になると下半身だけでも出来る運動を始めることにする。

 僕のいる西病棟3階から5階まで階段を44段上り、連絡通路を使って、東病棟5階へ。
 そこから奥にある階段を80段下り、1階にある喫煙コーナーへ。
これだとけっこう歩く距離が稼げていくらか運動になる。

 帰りも同様、東病棟6階まで階段を100段上り、5階まで行って、
そこから20段下り、連絡通路を使って、
西病棟5階から、3階まで44段下り、
やっと病室に帰ってくるルートを開発(笑)。
 額に軽く汗をかくくらいの運動でちょうどいいようだ。
併せて、食事量も徐々に減らすことにする。

 高気圧酸素治療、2日目。牽引時間合計8時間。








 日に何回も昇降した東病棟の階段。
ほとんどの入院患者は、エレベーターを使う。通りがかったスタッフが僕を怪訝そうに見てた。

















 3月1日 <交通事故>

 毎晩、深夜の喫煙室で出会う20代後半のに見える車椅子の彼。険しい人相…。
 煙草も吸わないのに、よく来て片隅で、携帯電話をしていた。聞かないようにしていても、自然に耳に入る。

 彼も、交通事故の被害者だった。

 夕食後、喫煙室に行ったとき、彼がいて、そこで加害者らしき人が、彼に土下座していた。
 彼の氷のように冷たく光る眼に、僕は(多分、他のみんなと同じように)、見てはいけないものを見たように、そこをあとにした。
 もうひとつの外来用の喫煙コーナーに行くと、やっぱり常連組が、そこにいたけど、誰もそのことを話題にする人はいなかった。


 その夜、就寝時間もはるかに過ぎて寝静まった午後11時、喫煙室に行くと独り車椅子にぽつんと座った彼がいた。

 その姿は、<絶望>。
それ以外にあてはまる言葉は見つからない。
声を掛けることも、出来ない。


 入院6日目、この日は土曜日で高圧酸素療室がお休み。
牽引時間合計、最高記録9時間。
















 ヘリポートに緊急患者が移送された。
交通事故で、脊椎損傷の患者だったが、二日後に亡くなったと聞いた。













 3月2日 <ストレッチャーで自走する人>

 喫煙コーナーの前には、広い廊下スペースがある。
このスペースを利用して、二十歳前後の女の子が、自走式電動車椅子の手ほどきを受けていた。
 見ていると両腕も上がらず、座ったまま指先でジョイステックを操作していた。
 下半身どころか、上半身も自由にならないんだ…。そんな現実を直視して僕は軽いショックを受けた。


 次の喫煙タイムでは、ストレッチャーにうつぶせになり、その体勢のまま、公衆電話で話している人を発見する。スゴイ体勢で電話してると感嘆!
 見ていると、電話を終え、ストレッチャーに乗ったまま、手すりを使って自走。こちらに来るではないか!思わず、喫煙室のドアを開ける。

 自然と、煙草を吸いながら話をする。
40代後半だけど50代後半に見えるトラック野郎のMさん。

 交通事故で、脊椎損傷。
W病院で1ヶ月近く昏睡。半年後、この病院に転院して、また半年。
 寝たきりで褥瘡が出来て、今は車椅子も使えないと嘆いていた。
 誰にでも、やって来るかも知れない悲劇に、「もう慣れた…」つぶやくように、Mさんが言った。


 入院してちょうど一週間、気合いを入れた日曜日。
この日の牽引時間10時間、最高記録更新!










 入院当初は、禁煙を誓ったはずなのに、結局、毎日通った喫煙コーナー(汗)
 ここで、様々な人間像をみることになる。
かいま見るその人、その人の人生模様に、
手を差し伸べたいって思ったけど、
 それだけじゃ、単に<自分好き人間>
イキルコトは、いつでも”自己との戦い”


























 深夜、眼が覚めて喫煙コーナーへ行き、鏡に映った自分にシャッターを切る。
 ポーズをとろうにも、いい顔しようにも、いかんせん<心、弱い自分>がそこに映っていた。

3月3日 <治療の限界>

 当初から入院は二週間の約束であった。
二週間入院して牽引すれば、<痛みは治まり、かなり劇的な効果がある>というDr.の当初の説明で、その言葉に多大な期待を賭けていた。

 ・・・あと残り1週間しかないのに、首が痛い、頭が重い、
ぜんぜん、回復してないじゃないか!(こんな状態で、復帰できるのか!?)

 不安になり、回診時にDr.に相談するも、「(検査の結果では)オペ以外、劇的な回復は望めない」と宣言され、ショックを受ける。

 自分の人生にこんな落ち込みの筋書きはなかったはず!と、悲観するも、自分には、選択肢がないことに気づく。

 どうやら、この痛みと付き合っていくしかない。
それが、現実。
 現実を頭では理解しつつも、つきまとう不安に心揺れる。

 廊下や、階段を何度も歩く姿を見られて、夜の喫煙コーナーでは、「顔色もいいし、元気に歩き回ってる。病人らしくないっ!」と入院仲間にからかわれた僕も、すっかり肩を落とす…。
 これでやっと<らしい病人>になったのか。

 自分の<ヨワサヲシル>
そこから、はじめるしかないと思った。
弱さを知った上で、何が出来るか考るしかない。

 入院8日目、牽引時間合計7時間。















 3月4日 <A DAY>

 毎日、早朝3時に肩胛骨辺りの痛みで目が覚める。
ガサゴソしたら同室者に迷惑がかかる。ベッドの上で5時までガマン、ガマン。

 耐えられなくなり、5時にそっと起床。
1F売店前の自動販売機で、早朝コーヒータイム。

 ・・・自分の<ヨワサヲシル>
出来ることにベストを尽くすしかないと思った。
 今、僕は治療のために、ここの来ている。
なすことは、<牽引>。 それしかない。

 午前6時、やっと起床時刻が来る。
洗面、歯磨きをささっと済ませ、6時10分から7時10分頃までベッドに横になり1時間牽引。 <1時間>

 7時10分、朝食、1/2摂取。
歯磨き後、西病棟3階から5階経路で、階段を44段上り、連絡通路を使って、東病棟5階から、階段を80段下り、1階にある喫煙コーナーで喫煙タイム。
 帰りも同様、東病棟6階まで階段を100段上り、5階へ20段下り、連絡通路を使って、西病棟5階から、3階まで44段下り病室に帰ってくる。

 7時45分から8時45分まで、1時間牽引。<2時間>
歩行運動、喫煙で15分ほど休憩。

 9時から10時まで1時間牽引。<3時間>
歩行運動、喫煙。

 入院一週間が過ぎて、メンバーの入れ替わりも顕著、<新人さん>がチラホラ姿をみせはじめ、僕は、先輩の域に(笑)。

 10時半から11時半まで1時間牽引。<4時間>
歩行運動、喫煙、売店で、高気圧酸素療養室用の雑誌を買って、30分休憩。


 西病棟5階の階段。

 12時昼食。1/2摂取。
歯磨き後、歩行運動、喫煙で20分休憩。

 午後12時45分から1時45まで1時間牽引。<5時間>
歯磨き、歩行運動、喫煙で15分休憩。

 午後1時から2時まで1時間牽引。<6時間>
歯磨き、歩行運動、喫煙、トイレ等々で30分休憩。

 午後2時半から3時まで30分牽引。<6.5時間>

 午後3時、歩行運動、喫煙を経て、高気圧酸素療養室〜午後4時半終了。
歩行運動、喫煙、トイレ、売店。

 午後5時から6時まで1時間牽引。<7.5時間>
その後、夕食。1/2摂取。

 食事を自ら減らした当初は、寝静まった夜になると、せつないくらいの空腹を感じ、惨めで、情けなかった。
 おそらく、ホームレスになったら、こんな思いをするのかっていうシュミレーションだと自分に言い聞かせた。

 同室だったTさんは、腰痛と糖尿病で入院。
同室者が寝静まった頃、Tさんは人に売店から買ってもらったパンを隠れるように食べていた。
 人は、ひもじさに勝てないのかなとも思った。
だから僕はあえて、それに挑戦したくなったのかもしれない。

 自分の惨めさを超えたこと、身体も減量に、慣れたこと、
少しだけど、誇らしくさえ感じた。


 午後7時から8時まで1時間牽引。<8.5時間>
歩行運動、喫煙、トイレなどで30分休憩すると、もう午後9時の就寝時刻。

 そんな風に機械的に自分の出来ることを淡々とこなした一日。
牽引時間合計8時間半。
















3月5日 <人命救助!>

 高気圧酸素療法も、5回目。
気圧の変化にも、少しずつ慣れ、加圧するときの耳鳴りも減少したようだ。

 この日のの中には、脊椎損傷のストレッチャーに寝たきりの、70歳ほどのおじいちゃん、そして何回か一緒に高気圧ドックに入った40代後半の頸椎手術の先輩Nさんが一緒。
 Nさんは一見、やくざっぽい外観、ヤクザ映画専科の俳優、志賀勝によく似ている。
 その上、僕に対する物腰が、子分気質なのかどうか分からないけど低姿勢で好感の持てる人だった。

 ドックに入り加圧が始まった。
ドックの中には、3人。
 ストレッチャーに寝たきりのおじいちゃんは、意味不明の言葉を発するだけ。
 寝たきりが苦しいのか、気圧変化の耳鳴りに耐えられないのか、大声を上げ、身体を小刻みに動す。
 加圧がピークに達しようとする頃、おじいちゃんの動作が、だんだん大きくなって、ついに顔を左右に振って酸素マスクを外したようだ。
 意味不明な言葉を発し、身体をゆり動かす動作は次第に勢いを増す、まるで、ここから逃げようとするようにストレッチャーから落ちそうなほどの勢いで心配。
 操作室から監視しているはずの技師もその異常さに、やっと気づき、ドック内のスピーカーからアナウンスが響く。
 「○○さん、大丈夫ですか!」、次第に声が大きくなり震える。
「動かないでください!落ちますよ!」

 僕らは、高気圧の酸素の中で、さらに鼻と口をで覆われる酸素マスクで座席に固定されながら、それを聞いている。

 やがて、おじいちゃんの身体に稲妻が走ったように動きがピークに達しようと感じた瞬間、僕とNさんは、同時に酸素マスクを外し、一緒におじいちゃんを支えていた。

 ドック内のスピーカーから技師のアナウンスが響いた。
「ありがとう!助かった!すぐそっちに行きたいけど、これから減圧に30分かかります。すいませんけど押さえていてください、頼みます」


 ストレッチャーから落下していたら、これまでの治療が台無しになるどころか、命の危険もあったと、回診に来たDr.からお礼を言われる。


 この日は見舞客も多く来てくれて、感謝。
けど、やはり気を遣って、横になっているわけにいかず、起きて応対、そして、お見送り。集中して牽引できなかった。

 入院10日目。高圧酸素治療器に2回入ったことも会って、牽引時間合計、結局たったの5時間30分の最低記録(>_<)。































 入院ベッドを大公開! ベッドに角度を与え、日々、こんなふうに牽引していた。
 牽引中は、横を向いて、TVを観られないので、天井を眺めているしかないけど、それじゃあまりにも退屈。
 オーバーテーブルにあるMacで、牽引しながらのDVD鑑賞。
これが、ダルイ入院生活を救ってくれた。















 3月6日 <待ち伏せ>

 喫煙室の帰り道、僕は2階の階段で、知らないおばあちゃんにいきなり呼び止められ、びっくりした。
 いったい、どこで聞いたのか、僕が老人ホームに勤めていることを知っていた。通りかかるのを僕をずっと待っていたという。

 おばあちゃんは、「退院してって言われてるけど、行くとこない。旦那さん(僕のこと)の老人ホームに入れてくれないかい?」って言った。

 事情を聞くと、独居、子どもはいるけど、先妻の子どもで、見舞いに一度も来ていないと言う。
 自宅も、老朽。秋に腰痛で入院。入院して、ひと冬、家もきっと雪に覆われている、家には戻れないと言っていた…。

 僕は、どこの老人ホームも、退院と同時にすぐ入れる空きのあるところは、多分、ないと思えることを説明。
 「じゃあ、どうしたらいいんですか・・・」と悲観に暮れるおばあちゃんに施設入所の手続きと入院の延長をお願いしようと、病院の医療相談室に連れて行き、ソーシャルワーカーと話をした。

 「すいません。助かりました。ありがとうございました。」と何度も何度も僕に頭を下げ、「旦那さんも、早く治ったらいいですね」と言ってくれた。切迫した状況なのにまだ、自分を気遣ってくれる配慮が哀しかった。


 消灯後の病棟は、一気に静まりかえり、僕はそのおばあちゃんのこころの痛みに眠るまで、何度も寝返りをうった。

 この日の牽引時間合計7時間30分。
















 3月7日 <誰も分からない傷み>

 この日は、同じ日に入院したYさんの退院。
Yさんには、奥さんと、まだ3歳くらいの娘さんが毎日見舞いに来てくれていて、うらやましく思うところがあった。
 僕は、<美しいファミリーの映像>がが眩しくて、いつもそこから逃げるように、半分くらい食べて、さっさと喫煙コーナーへ行っていた。

 お見舞いは、昼食の時と夕食のとき二回来てた。

 ある日、ふと見ると、Yさんの入院食を家族3人で食べていることに気づいた…。

 プライベートなことを根ほり葉ほり聞くのは好きではない。
 でも、やっと退院の前日になって、Yさんと親密になって話をすること出来た。

 Yさんは、交通事故の後遺症で二度目の入院。
昨年の8月に交通事故を起こして、入院。
その1ヶ月後、会社を首になったこと話してくれた
失業保険も切れてしまい、退院後の仕事も、
まだ決まっていないと言う…。

 Yさん、お元気で!
人と人の関わりは、軽いようで、ズシリと重い。
万感を胸に秘めて、Yさんを見送った。

 この日も見舞客、多く牽引時間合計6時間。















Yさんを見送った病棟の廊下。
無機質な白と蛍光灯の光の反射をうつろに感じていた。











 3月8日 <最後の夜>

 ついに予定どおり、明日退院。
退院が明日になっても、まだ内心、もう一週間入院を延長した方がいいのではないかと自問してたが、毎日の習慣どおり機械的に過ごす。

 喫煙室でタバコしていると、自走式電動車椅子の娘がやって来たので、ドアを広く開け迎え入れる。
 「スイマセーン。煙草もいいですか?」
僕は、笑顔で了解し、煙草をくわえさせて、火をつけて、灰を落としてあげる。
 「こんな身体になっちゃったけど、もう一度、車に乗りたーいっ。ドライヴに行きたいなぁ〜」彼女は、屈託なく笑ってそう言った。


 深夜、明日からのことが不安なのか、眠られず、喫煙コーナーへ行くと電灯が灯っていた。
 見ると半身不随になった彼が、独り身体をふるわせて現実を噛みしめている。
声を掛けようにも、彼の激烈な運命に立ち入ること、不謹慎に感じ、言葉無く、そこを立ち去った。


 この日の牽引時間合計9時間。












 3月9日 <Again!>

 早朝、午前4時目覚める。
…っていうか、寝たのは一瞬だったように感じた。
まるで初めて感じた不安!
 100%完治しない状態で、明日からバリバリ飛ばせる自分に戻れるのか、みんなの期待に応えられるくらいの<現役復帰>できるか不安でいっぱいだったのかもしれない。

 深夜のロビーで絶望を抱えたまま、ずっと動かないでいた名も知らぬままになった彼。
 同じ日に入院した家庭的なYさん。
一緒に人命救助した志賀勝似のNさん。
 ホームに入れて欲しいって僕を階段で、ずっと待っていたおばあちゃん。
 
 看病疲れなのか、面会コーナーで昼間寝る家族の方々。
いたみを抱えて、ここを訪れる外来患者さん・・・。

 僕は、なすすべのない、多くの心の痛みを知ったけど、何も出来なかった。
 自分自身、落ち込んでいるから<沈黙>せざるを得なかった。
何か出来れば良かったのだけど、それが、正直な現実だった。


 ・・・やがて夜が明けた。
まだ雪残る3月。
それは、僕にとって眩しい朝だった。


 最後の半日も、いつもどおり午前中に、しっかりと4時間牽引して、僕は病院をあとにした。



 もうひとつのSilent War、自分の<弱い心>との戦いは、これからなんだと自分に言い聞かせた。




 退院の日、窓から見える外の景色が気になって、シャッターを切った。間もなく夜が明ける。



























 P.S.

 Yさん、お元気ですか?
あれから、一年の月日が流れたけど、
相変わらず、ずっと自宅で首の牽引続いています。

 昼休み帰宅して30分牽引、帰宅して、午後9時から10時まで1時間牽引と時間的制約がにキツイけど、どうやら僕はこのペースで、過ごせそうです。

 このあいだ、定期受診のため病院に行った時、あの懐かしき喫煙室に行ったら、ストレッチャーで自走するトラック野郎のMさんに会いました。
 「−まだ入院しているんだ。もう牢名主状態」って自嘲気味に言ったけど、ストレッチャーから車椅子に変わっていて、退院も遠くないように感じました。

 知り合いのお見舞いも兼ねていて、病棟に行ったら、さすがに知った顔はなく、看護士さんだけが僕を憶えていてくれました。

 今も病棟は、満床で混雑しています。
モシカシタラ、こんな<人生の悲劇>は、誰にでも対等に訪れるものなのかとも思いました。

 僕自身、やっと<女々しかった自分>を文章にまとめ整理する余裕が出来たようで、自分の入院体験をホームページにアップしましたので、良かったら眺めてください。

 また、いつか会えることを

 いや、僕たちは会わない方がいいのかも知れませんね。

 お互いが会うとしたら、また<病院>で会うこと高確率だから。










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