屠畜の現場
―どうぞこの現実から目をそむけないで―
私たちの目に触れにくくなっている屠畜場の状況について、動物新聞のホームページ(アドレスは下記)から引用させていただきました。もともとは、2001年初め、毎日新聞に連載された(福岡賢正氏)「『死』の現場を歩く」という特集記事であり、非常に考えさせられる内容です。記事を書かれた福岡氏は、基本的には肉食には肯定の立場と思われますが・・・
(前略)日本人の食卓に無くてはならない肉。肉のない食事など、今の子どもたちは3日と辛抱できはすまい。だが、肉に依存した食生活を営む一方で、その肉がどうやって生み出されているのか知っている子どもは、今の日本にはほとんどいない。子どもだけではない。多くの大人も漠然と理解してはいても、故意にそこから目をそらそうとしている。あたかも肉は最初から肉として、そこにあったとでも言わんばかりに。そうやって「いのち」がどんどん見えなくなっていく。(後略)
・・・と述べられており、立場の違いをこえて、共感させられる部分もありました(記事全体を眺めてみると、その中には共感の難しい部分もあるのですが)。
なお、このページは屠畜場の現場を知ってもらいたいという趣旨で、私の方で引用箇所を選択しているため、福岡氏(記者)の意図を必ずしも反映しておりません。関心のある方は、是非、記事全体をご一読していただくことをおすすめいたします。
(引用記事原文:http://www1.ocn.ne.jp/~tekitoni/nikuotukuru.html)
鶏の屠畜
福岡都市圏にある工業団地の一角。自動化されたオランダ製のラインが鈍い機械音をたてて動き出す午前5時、彼(屠畜者)の仕事は始まった。彼の背後には大型トラックの荷台から下ろされたオレンジ色のコンテナかごが幾重にも積み上げられ、巨大な壁を作っている。それぞれのかごには、養鶏場から出荷された体重3kgほどの生きた鶏が8羽ずつ入つている。
解体場に通じるラインの末端には別の2人の男性が陣取り、積み上げられたコンテナかごをひと山ずつ引いてきては、手元の台の上に載せ、中の鶏をつかみ出していく。狭いかごの中から外に引き出された鶏たちは、「クワックワックワックフッと大声を挙げ、自由を求めて激しく羽をぱたつかせる。2人はその鶏を逆さまにしてコンベアで流れてくる掛け金に脚を掛けていく。
両脚を固定されて逆さ吊りになった鶏は、掛け金から足を外そうともがき続ける。しかし、水を張った水槽の上に来て水中に頭が没すると、一瞬にして動きは止まり、全身の力が抜けたようになる。水には電流が流れており、ショックで失神したのだ。
気を失った鶏が水から上がってくる場所、そこが雨合羽で身を固めたその人の持ち場である。彼はぐったりと脱力した鶏の首をつかむと、次々に自動カッターにかけていく。首に刃が入った瞬間、失神から目覚めた鶏たちは再び激しく体をのたうたせ、鮮血が周囲に飛び散る。雨合羽やフェースカバーはこの返り血を服や体に浴びぬためのものだったのだ。
頸動脈を切られた鶏はつり下げられたまま放血用のトンネルの中を2分ほどかけて通る。もう体内に血は残っていないはずなのに、トンネルから出た後もなお、思い出したように羽をばたつかせる鶏が少なくない。
この日肉にされる2200羽の鶏のうち、約半分の屠鳥が済んだ午前6時前、コンテナかごの中で順番を待つ1羽の雄鶏が突然、コケコッコ−と大きな声で時を告げた。するとそれを合図に、あちこちのコンテナかごから次々に雄鶏が声を張り上げ始めた。思わぬコケコッコーの輪唱を聞きながら、コンテナかごの隙間から中をのぞくと、種鶏場からお役御免で送られてきた雌鶏だろうか、かごの中で卵を産んでいるものもいた。間もなく死ぬというのに、鶏たちはその瞬間も日常の「生」の営みを続けているのだった。
牛の屠畜
幅1mほどの細い通路に一列に並び、牛たちは順番を待っていた。黒毛の和牛、ホルスタイン、赤牛もいる。鼻輸のロープは頭上のフックに結わえられ、レールに沿って動くそのフックに導かれて奥に進んでいく。事情を察したのか、この通路に引かれてくる途中で1頭のホルスタインが逃げ出した。人の肩の高さに張り渡された鎖を跳び越えて別の区画に逃げ込んだのだ。が、すぐに連れ戻され、所定のフックにつながれた。
通路のどん詰まりは「銃撃場」と呼ばれ、ここで牛は額にピストルでビスを撃ち込まれる。その瞬間、牛の体は引きつったように硬直する。と同時に側面の鉄板が開き、牛は一段低くなった隣の部屋に滑り落ちる。
銃撃場から滑り落ちた牛はただちに首にナイフが入れられ、頸動脈が切断される。その間に銃撃場から下りた人が額の穴に長いワイヤを突っ込んでしごき、中枢神経を麻痺させる。脊髄反射で脚が突然動くこともあって危険なためだ。並行して他の一人が首をナイフで縦に割き、頚動脈と食道を露出させる。洗濯機の排水ホースから水がほとばしるような感じで、頸動脈の断端から血液が脈を打って勢いよく流れ出している。
首を割かれた牛は片方の後脚に鎖を巻かれ、ウインチで吊り上げられる。700kgから800kgもあるホルスタインを至近距離で見上げるとすごい迫力だ。その牛の食道の末端を一人が特殊な器具を使って素早くゴムリングで縛る。病原性大腸菌O157騒ぎ以来導入された処置で、消化器内の内容物が外に漏れて肉を汚染するのを防ぐのが目的だ。ナイフや結紮のための器具は1頭処理するたびにセ氏83度のお湯で7秒間消毒され、血で汚れた牛の体や床も1頭ごとに水できれいに洗い流される。
屠畜された牛は解体場に運ばれ、肛門を縛り、足先を切断した後、皮がむかれ、頭が切り落とされる。続いて胸が割られ、腹にナイフが入れられると、内臓がドッとステンレスの検査台に雪崩落ちる。最後に背骨が縦に真っ二つに断ち割られると枝肉ができ上がる。外された頭と内臓は、屠畜検査員によって病変がないかチェックされ、異常が見つかったものは台の横に置かれたコンテナ箱に捨てられる。
豚の屠畜
平均体重110kgと、牛より小さい豚の作業は、すべてがスピーディ−に進む。
係留場から数頭ずつ屠室に追いこまれた豚たちは、電気ショックを加える電撃器を頭に当てられ、コロン、コロンと昏倒していく。そのそばからナイフで頚動脈が切られ、見る間に逆さ吊りにされる。初め足をはたつかせていた豚たちも、1分もすれば動かなくなる。
解体場に運ばれた豚たちは、体表面の汚れを洗い落とした後、あおむきに寝かされる。腹に並んだ小さな乳首に「雌ですか」と尋ねると、「雄雌は関係ないよ」との声。肉を柔らかくするため雄は生まれて1週間で去勢される上、雌も去勢豚も大人に成りきる前の生後半年ほどで出荷されてくるからだ。それ以降は食べる餌の量に比べて太り方が鈍るのである。
屠畜の頭数
この屠畜場では、1日平均60頭の牛と250頭の豚を処理している。年間の屠畜頭数は牛が1万6000頭、豚は6万頭。だがこれも日本全体から見ると微々たる数である。国内で屠畜される牛は年間140万頭、豚は1700万頭。加えて豚肉は国産の6割の輸入があり、牛肉の輸入量は国産の2倍に上る。つまり日本人に食べられるために「いのち」を提供する牛は年間400万頭、豚は2700万頭にもなるのだ。これに輸入分を含む10億羽の鶏や膨大な数の魚介類などを加えると、我々の「生」が無数の「死」によって支えられていることがはっきりと見えてくる。そして、銃撃場に引かれていく時の牛の目や、屠室で逃げ回る豚や、掛け金に吊るされる時の鶏の低抗は、我々が犠牲にしたいのちがその動物にとってかけがえのないたった一つのいのちだったことを物語る。
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