2008年3月

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3/17(月) 束の間の休息
(5月4日に書いた回顧録です) そしていきなり日付がぶっ飛ぶ訳ですが、 年度の変わり目っていうのは本当に忙しいもので、 2月の日記になったページに書いてあるとおり、 仕事行って帰って終わるという死亡フラグルートをループしています。 いやホントに。何か毎日12時間以上の勤務が当たり前だった気がする。 規定時間過ぎても仕事場にいるのが慢性化するとやっぱり良くないですな。 あとはもう、4月の今更になって思い出せないというのもあります。 思い出せるって言えばバレンタインデーに奥さんからすっごく美味しい チョコをもらえたのですが、「これ美味しいねありがとう、どこのチョコ」 「コンビニ」 「深く思い出す」のはやめておこうと思います(;^ω^) さてさて、なぜこれほどまでに忙しいかというと、 冒頭で述べたように年度末の追い込み時期、ということだけではなく、 かなり大きなイベントが待っているからなのです。 それも3月末に。 新年度に向けた準備や年度末にする業務に混ざりながら、 むしろそっちのけでこのイベントの準備に追われている訳です。 幸いというべきか、私自身はこのイベントに関する業務担当分野が ほとんどなく、右往左往しているのは職場の別の先輩方になる訳ですが、 その代わり通常業務のほとんどが降りかかってきているため、 結局みんながみんな忙しいという凄惨な状況になっています。 と言う訳で、休み返上で仕事仕事仕事という中で、 同じ課の別の部署の皆さんが「飲み会をやろう」と気を遣ってくれたのですが、 「そんな暇はない」と水に流れてしまった経緯があります。 が、やっぱり飲み会をする運びになり、この日は飲み会になりました。 この週の前の金曜日に突然決定。 一度突っぱねてるのにやっぱり飲み会をするとか、 声かけてくれた部署にケンカ売ってるようなモンだと思うのですが こちらからその部署に声をかけ直すという不思議な図式を経て実現しました。 普段の業務に追われてそれどころではなかったものの、いいガス抜きに なったのではと思います。 しかし、1次会で帰るつもりが結局誘われるまま2次会へ。 =1次会終了後店前= 先輩A「私飲んでないから送るよ」 飲み会場が家から結構離れているところで、 歩きではちょっと帰れる距離ではありません。 サカキ「(これは渡りに舟)是非お願いします」 先輩A「駐車場まで車取りに行かないとだけどね」 先輩B「おい次行くぞー、そこの角曲がったすぐのところに     うまいラーメン屋があるからそれ喰って終わりにしよう」 先輩方(複数)と、誘われるまま行くことに。 サカキ「すみません、じゃあそういうことで・・・」 とやんわり飲んでいない先輩に断りを入れます。 で、6人くらいでラーメン屋求めて角を曲がったら 思いっきり閉まってた。 これはやばい、すぐA先輩の車に乗せてもらった方が得策! と振り返ったところを先輩の車、走り去る。 というコントみたいな状況でどうにもならなくなり、 結局深夜までやっているラーメン屋へシフト。味はお察し。 まぁ結局そちらでも色々と語り合って、結局日付が変わる頃まで 喋ってました。 喋りたいことを喋って、鋭気を養ったところで、 怒涛の月末に向かうことになるのでした。
3/19(水) 異動内示
(5月13日に書いた回顧録です) さてさて春は出会いと別れの季節などと言います。 卒業・入学などもきっとそれに当たるのでしょう。 退職・就職なども同義でしょう。 そしてそれ以外は何があるかというと・・・ 職場環境の変化・・・そう、異動の季節でもあるのです。 まぁ大体、春の退職就職に合わせて人事異動というのが ある訳で、この時期は誰しもが心なしか浮き足立っている 印象を受けます。 もっとも今我々は大イベントの準備や通常業務で 別の意味でも浮き足立ってる訳なんですが。 それでもやはり気になります。 誰がどこに、どこに誰が。 もしかしたら気になるアノ人が私の部署に来るかもしれない! せっかくいい感じに馴染んで来たのに異動なんてしたくない! みたいな感じで色々と気になる人は多いみたいです。 私はと言いますと、現在の職場はいわゆる『外局』で、 他の人ほど人の動きを気にしてなかったりしました。 そして19年度で色々と制度も変えて、20年度から やるべき業務も盛り沢山、この部署でまだ3年、まだまだ この部署に居るだろう、みたいな感がありました。 何か、何の根拠もないんですけど、異動とは無縁的な、そんな感覚が。 この度異動になりました。 異動内示一覧を見て驚きました。俺異動ってあるぇー? ま、まだまだ新年度持越しの仕事が山ほどあるんだけどな(;^ω^) この時期に入った大イベントのおかげで先送りになってるから 尚更なんだけどな(;^ω^) 異動内示一覧を見て色んな思惑が読み取れた気がしました。 でもまぁとにもかくにも総務人事のお偉方のご意向ですので、 異動という運びになりました/(^o^)\ 4月1日からはもうこの部署じゃないんだから、3月31日までは 適当に日々やり過ごそう などと思わずに、残りの日数を精一杯業務しきったつもりです。 まぁほぼ通常業務はできず大イベントに割かれた訳なんですが。
3/23(日) 事前準備
(6月2日に書いた回顧録です) 3月20日(木)、3月22日(土)は休日として鋭気を養いました。 3月20日は春分の日で祝日だった訳です。 22日とかは、出勤した人もいたみたいですがががが。 私はのんびりと、3月最後の休みを 過ごさせてもらったのでした。 そして3月23日(日)より、無休業務の幕開けとなったのでした。 この日からは全員出勤体制となり、その大イベントの準備。 大親分の指示により分担しながらそれぞれの業務をこなします。 お手伝いさんとテントを運んだり、設営したり、ほかにも、 看板が風で飛ばされないようにするために、重石代わりになる 土嚢袋の作成をしていました。かなり力の要る作業でしたが、 一緒にやっていた上司が年齢的には私の親でも失礼ではないくらい だったのですが、上司の方が効率よく更にパワーもあった件。 ( ゚Д゚)<・・・・・・ こんなんなりました。力仕事の疲れと、能力差で、 二重に言葉も出ない。 ちょっと情けなさすぎだったかも(´・ω・`) 土嚢作成の後は戻って他の指示を受けながら作業を継続。 やる仕事一つ一つが、この部署このメンバーでの 最後の業務になるんだなぁと思いながらこなしていたような 気がしないでもないです。 また、3/21に、妻の祖母が逝去されました。 本来であれば私も行くべきでしたが、 このときは切羽詰ってもいて、1人抜けられるような状況でもなく、 申し訳ないと思いながらも妻にのみ実家へ戻ってもらいました。 そして今思えば、これもまた、「始まり」でした。
3/25(火) 前日準備
(6月8日に書いた回顧録です) いよいよの大イベントを翌日に控え、準備のラストスパートです。 24日(月)も当然準備に当たっていました。 もうこの時期にまで来ると通常業務はひとまず置いといて、 イベント準備に始終することになります。 帰宅の時間が日付変更後なのは当たり前になっていました。 イベントは26日から4日間にも渡るため、その日その日で 行う準備も少しずつ違ってきます。 主としてイベントを担当している先輩方は本当に大変そうでした。 カロリーメイトがみんなのお友達でした。 大活躍。
3/26(水) イベント開始、そして訃報
(6月8日に書いた回顧録です) そしていよいよイベント当日になりました。 日付が変わってから帰宅するというのにもかかわらず、 出勤が6:30とか大変素敵すぎます。 この日はイベント初日。初日は開会セレモニーだけで 終わりますが、何といっても肝は全国から来る人々の 輸送です。 1会場に全国の人々がバスや車など様々な交通手段で 集うため、いかに人を降ろして、空いたバスをさばき、 駐車場所を確保するか。 元々田舎の小さな会場なので、当然全国大会規模の 駐車場がなく、別の駐車場を用意したりして対応。 大型のバスがずらっと並ぶ様は壮観だったものの、 そのバスの移動指示がとても大変でした。 無線機が大活躍。  「大型バス1台入ります!」  「現在の状況ではもう受け入れできません!」  「乗用車1台通せますか?」  「大型バス1台外に出しますよ、ルートは大丈夫ですか?」  「役員車通します、駐禁コーンどかしてください!」 ・・・・・・阿鼻叫喚といった感じ。 しかもこの日は生憎の悪天候で、雨の中駐車場係。 更にこの雨結構強く降っている上に、寒いんですよ、滅茶苦茶。 風邪引くんじゃないかという恐怖に襲われながらも、 何とか駐車場係をまっとうしました。 昼飯休憩時は控室で昼飯を食いながら、 ずぶ濡れになった靴下とか靴とかをヒータで乾かしていました。 昼飯がうまかった気がする。 そして午後からは、翌日から始まる本戦の準備です。 開会式を行った会場とは別の会場でも試合が進むため、 そちらの準備をすることになっていました。 しかしこの日、私にとって最大のイレギュラーが発生したのです。 25日はいくつかある大会会場のうち、1会場の前日準備の 主任役を仰せつかりました。 どう考えても俺では務まらない大役だった訳ですが、 人手も足りないためそうも言っていられません。 25日夜、大親分と準備段取りの打合わせ。 いざ会場では聞ける人がいないため、分からないところは 質問して潰し、備えました。 もっとも、打合わせの時間が既に日付変更線をまたがるところだったので、 お互いかなりボーっとしていましたが。 しかし大事なところはメモに残してあるし、さぁやるぞってな具合で 準備会場に到着した途端、驚きの電話が鳴るのでした。 「・・・親父が倒れただって?」
3/26(火)A 親父を襲った病気
(6月14日に書いた回顧録です) 〜前回までのあらすじ〜 19年度最後の大イベントの、スタッフとして業務に追われる日々。 会場の準備に取り掛かろうかというところで掛かってきた電話は、 「父倒れる」という予想外の内容だった。 「・・・親父が倒れただって?」 電話は私の奥さんからで、「今電話大丈夫?」なんて 気遣いをしている場合じゃない内容でした。 驚いた私は気が動転しながらも話の内容を噛み締めます。  「倒れたってほどでもないんやけど・・・」 実は親父は定期的に病院通いをしていまして、 この日がその定期検診日だったんです。 この検診は全く無関係の部位だった訳なんですが、 数日前から頭痛が取れない、というのを親父が主治医に訴え、 詳細にレントゲン検査をしてみたところ、 脳に影が映ったとのこと。 小脳梗塞と診断され、緊急入院という 運びになったということでした。  「じゃあ突然職場でドターンと倒れた訳じゃないのね?」  「でも今は起き上がれなくて、点滴とか受けてる」 私の奥さんに連絡をくれたのは私の母で、とりあえず入院に必要なものを 用意して病院に向かったとのこと。 現状はとりあえず親父の症状も安定しているとのこと。 我々も仕事が終わってから掛け付けるということにして、 この電話を切りました。 本来であればすぐにでも行くべきだと思いました。 親父が患っているのはあまり芳しい病気でもないため、 尚更でした。 しかし親父の方は安定したらしいので、 準備の方に回りました。 ところが気の方がすっかり動転していて、 打合わせしたことが真っ白に。 出すべき指示も出せていなかったと思います。 しかし、一緒に準備をしてくれていた先輩方のおかげで、 無事会場を整えることができました。 本部に戻ったのが18時頃で、本部では既に翌日の準備で ドタバタしていました。 しかし流石に引続き準備の手伝いを、というわけには 行かなかったので、課長などにお願いをして 早く帰らせてもらいました。 奥さんと合流して病院へ。病室は既に大部屋に移っていて、 起き上がることはできないまでも、意識もはっきりしていて、 会話もできる状態の親父と面会することができました。 親父は「迷惑掛けてすまない、俺自身の仕事も忙しい時期に なんて情けない」などとすっかり意気消沈気味でしたが、 偶然定期検診前に頭痛がして、診てもらえて、早期発見できて 良かった、定期検診後の頭痛だったら手遅れだったかもしれないことを 幸運に思えと伝えて、せっかくだからゆっくり休んだらと話しました。 お袋の話では、とりあえず小康状態で、更に詳細な検査は今後行っていく。 この数日ですぐに容態が変わるようなことはないはずだ、ということで、 ひとまずはホッと胸を撫で下ろすのでした。 21時か22時頃、帰りに職場に立ち寄ったら、やはりというか まだ本部は準備真っ只中。 親父の状況報告だけ上司に行って、この日は帰らせてもらいました。
3/27(水) イベント開始
(6月22日に書いた回顧録です) さて、いよいよイベントの本番です。  相変わらず7時には出勤していた気がする。先輩方はもっと早かったはず。 親父のことは心配でしたが、見舞いに行っていても家に居ても 余計何も手につかないような気がしたし、それよりは仕事をしていた方が 気が紛れるような気もして、ずっと出ずっぱりでした。 イベント時に配布される弁当にトラブルが起きたりもしたものの、 進行自体は比較的スムーズだったのではないでしょうか。 しかし、イベント来場者を迎える駐車場係などは常に狭い駐車場で 車をさばかなければならず、大変だった模様。 俺はこの日は本部に詰めて雑用やサポートにつとめていました。 無線にて、駐車場の状況でイレギュラーが起きた場合に、 本部を経由して対処したりしていたのですが、現場では トラブル対応中も現在進行形で車がどんどん来る訳です。 余裕なんてない訳です。そして本部へ無線連絡が飛んで来る訳です。 殺気立った声が本気で怖かったのを覚えています。 また、駐車場係をしてくれていた人の中に、異動先の上司を発見! 人見知りの僕は恐る恐る近付いて、 でもしっかりと挨拶しておきました!  「こちらこそ、どうぞよろしくお願いします」 驚くほど腰が低くてコチラが恐縮したくらいなんですが、 優しそうな人で良かったヽ(´ー`)ノ そして異動して2ヶ月、やはり優しくて大変いい人です。 「イベントなんて、段取り8割」と言っていた方が居ます。 始まる前に段取りを整えておけば、いざ始まってしまえば 問題なく進むということです。 しかしこのイベントに関しては、勝敗など当日の状況で 刻々と変わるため、毎日、前日に翌日の段取りを整えなければならず、 やはりこの日も、終わってから翌日の準備という形になり、遅く。 しかも、俺が担当する部門で、 前日にいきなり知らされたイレギュラーが 起こり、個人的に大パニック。何でそんな大事なことを言わないんだ。 今までだって作ったサンプルを何度も見せて、翌日に使うから 最終サンプルを持って行った時に知らされた真実。 マジで焦った('A`) すぐに方向修正をして、室長のフォローとサポートもあり、 何とか軌道修正完了。 そして、みんなで日付が変わる前に帰宅できた気がします。  「お、『今日』のうちに帰れるなんて、   今日は早く帰れるな〜」  「そうですね、HAHAHA」 なんて会話が飛び交う辺り、 大分危険信号が灯っていたと 思います。みんな無事に乗り切れてよかった!( ^ω^)
3/28(金) イベントトラブル
(6月28日に書いた回顧録です) イベントセミファイナル。 この日の私は早くから別会場に移動して準備。 コチラの会場は今日で終了となるため、後片付け要員としても。 イベント期間中は、今までの陽気が嘘のように寒く、 厳しい天候での開催でした。 この日も確か雨が降っていて、別会場でも交通整理が必要で、 駐車場係だった先輩方に  「俺たちが外で寒い思いしてるというのにお前はなに屋内で・・・」  「お、俺には俺の大切な仕事が(((( ;゚д゚)))」 などとというハートフルなやり取りを経ながら 何とか仕事をこなしました。 トラブルを乗り越えた上での前日のリハーサル作業が うまく行ったようで、比較的スムーズに担当業務をこなせました。 ただイベントの場合この辺はどうしようもないと思うのですが、 飯が喰えない。とにかく喰えない。 予定通りの休憩なんてほとんどないので、喰えるときに 喰うようにしないと昼飯の時間が15時16時、 悪いときは18時とか、 え、これ昼飯?みたいな状況が往々にしてあります。 出来る限り交代で摂るようにしていたので、俺はそんな状況には あまり陥らずに済んだのですが、もっと要所に居るような 先輩方は、ほとんどそんな感じだったようです。お疲れ様でした。 無事に別会場で催されることが全て終了した後は、後片付け。 雨の降りも弱まってくれていて、助かりました。 ボランティア協力の地元の人たち(中学生)がとてもよく 動いてくれて、かなりスムーズに事が運んだと思います。 テキパキと分担しながら後片付けをしてくれて、 荷物なんかも次々と運んでくれました。(フラグ1) ただ荷物の運搬用に使える大きな車が空いておらず、 何台かの車に分けて荷物を運搬しました。(フラグ2) しかもそれだけでは足らず、ピストン輸送。 大分多くの荷物があったものだなぁと思いましたが、 多くの人で片付けたお陰で、大分早く片付きました。 人海戦術はいつになっても強力です。 さて本会場に戻ってからは、別会場から持ってきた荷物を 乗り合わせた人で荷物降ろし→搬入。(フラグ3) 戻ってからは本会場の手伝いをしているうちに、 時間が過ぎて行くのでした。 本会場駐車場の方では、駐車場が狭く、分散して駐車場を 用意した対応策として、シャトルバスの運行をしていたのですが、 そのシャトルバスが日を連続してトラブってしまい、 本部も現場も乗る人にも影響を及ぼす事態になっていました。 それも本部や現場の機転により解決はしたものの、 余裕のない中でのトラブルにより、 後にセ○ナの悪夢として 語り継がれることになるのでした。 分かる人しか分からないネタに・・・ さて舞台を戻して本部。 この日も何とか1日終わり、翌日の準備に早速取り掛かります。 俺のメインの仕事も、今日の下準備さえしっかりとできれば、 ひとまずは御役御免。気合を入れてお勤めせねば。 とはいえ、今日の別会場でやった作業の繰り返しなので、 作業量はその5倍ほどとはいえ 準備の準備は万端なので大丈夫! とか思ってたら、あれ?道具がない。 パソコンとか周辺機器とか、その他諸々の、 別会場で使った道具を、明日の準備にも引き続き使うんです。 パソコンはあった、周辺機器もあった、 ・・・その他諸々の一部がない! その「一部」とは小さな道具でありながら、 必須のアイテムなんですよ。 どれくらい重要か分かりやすくいうと、 『ドラゴンボールは7つ揃わないと願いを叶えられないのに、  6つまでしか持っていない』 というそういう状況。つまり欠けてはいけない重要な 道具なんですね。しかも小さいので見つけにくい。 そしてこれがないことがどれほど大変かというと、 『最後の1つだけはフリーザ様が持っている。  その一つを手に入れるために、  ヤムチャだけで挑まなければならない。』 というほどの、危機的状況なんです。 凄く分かりやすかったと思うんですけど、どうですか? 何せ特注の品、夜遅く店も閉まっている、 必要なのは翌日、と、三拍子揃ったピンチ具合。 さらに何故か、必要なので別会場に持ち込んだ、 俺の内履きまでない。 道具なんてどうでもいい、俺の内履きが危ない。 あれは結構いい値段がしてて、普段ジャ○コシューズの 俺からしたらフンパツした倍くらいもする、 樋口一葉一人くらいじゃ足らないくらいの大事な・・・ いやいやいやそれよりあの道具がないとイベントに 支障を来たす、どっちもなくてはならないものだ。 このままじゃ明日を迎えられない、 これはやばい、これはピンチ、危険が危ないっていう状態に。 で、すぐに同じく遅くまで残っていて、荷物を運んでくれた スタッフに聞き込みを開始します。  「運んだだけだから、何がどこにあったかなんて   覚えてないなぁ。運んだ車は空っぽになったぞ」  「別会場と何往復かピストンしたけど、別会場に   あったものは全部運んだはずだよ?」  「とりあえず、私が運んだものは大ホールに   搬入しておいたけれど」  「シューズ?焼却炉とか見た?」 と、探し物の有効な手掛かりは中々見つかりません。 よくよくと考えれば、物品を紛失するフラグが立ちすぎなんですよ。 人に搬入を頼む場合は椅子や机など大きなものにして、 これだ、という重要なものは自分で運ぶようにするのが基本です。 これは完全に自分の落ち度です。 それを、色んな人が分けてそれぞれ好きに車に載せて、 何台かの車で運び、降ろすところは、その車に乗った人が バラバラに降ろす。 車載量の少ない車に多くの荷物を少ない輸送回数で入れようとしたのが 仇になったようです。 高位の責任者にも相談しつつ、「どこにおいた」「あそこに返した」 という話を頼りにしらみつぶしに何度も探して回りました。 その甲斐あってか、靴は見つかりました。 よしよしとりあえずこれが見つかれば良かっttいや良くない。 個人的感情は抜きに、道具の方が見つからねばならない。 靴なんかよりも! 靴が見つかってよかったにゃあ(´ω`) と言う訳で、別会場も疑ったのですが別会場には忘れ物はなく、 降ろしたと言われた場所もくまなく探したものの見つからず、 とりあえず今居る人の分だけでも、と荷物の搬入に使った車を 懐中電灯片手に順次チェック。 1台目・・・ナシ、2台目・・・ナシ、3台目・・・ナシ・・・・・・ 時間も押し迫り、これはいよいよやばいと焦り出した瞬間、 搬入に使った最後の車から発見! 小さいものな上、最後に降ろされたらしく、箱から転げ落ち、端っこに ポツンと転がっていました。 とにもかくにも見つかって何より。早速報告し、お咎めもなく、 準備を再開することができました。 実は確かこの日は、同じ種類で もっと大きなトラブルがあったと 記憶しています。スタッフが泣き出すほどのものでしたが、 こっちの方も無事に発見され、事なきを得ることができ、 一安心で業務に集中することができました。  イベント準備最後の夜はこんこんと更け込み、  大変時間のかかる作業になっていました。  最後の方は俺の作業は課長にまで手伝ってもらう始末。  俺ダメすぐる/(^o^)\  しかしお陰で、当日に慌てて準備することもなく  前日(厳密には日付が変わっていたので当日だったものの)  のうちに仕上げることができ、最後の一日に臨むのでした。
3/29(土) イベント終了
(7月5日に書いた回顧録です) ついにイベント最終日です! やっとここまでこぎつけた、という感じでした。 当時の我々も、回顧録を書いている俺も。 この日は駐車場係として任務を遂行。 イベントの中でもそれなりの重要度があった 自分の業務は、前日準備の段階で完全に終わっていたので、 最後の仕事に専念できr何度も本部に呼ばれました。 分担の後請け側の人が失敗した分の再作成程度だったので、 ほとんど問題はなかったんですけどね。 本部と駐車場の往復がとにかく疲れた(;´Д`)4-5往復した イベントの方はついに終盤に差し掛かり、閉会式。 スタッフとして周囲をうろうろしていましたが、イベント期間中は 結局本会場には一度も入っていないなぁと ふと思いました。準備段階では何度も足を運んだけど、スタッフなんてそんなもんか。 そして閉会式も終了し、いよいよお帰りの時間。 開会式のときと同様に、既に送迎の大型バスが 続々と会場にやって来ており、更に一般の来場者の 帰宅や迎えの車も見え始め、開会式のときのような、 阿鼻叫喚の地獄絵図、再来。 これに加え、物販の車なんかも撤退を始め、 えらいことになってました。 更に更に、運悪く天候は雨。最悪のコンディションの中、 期間中ずっと駐車場係だった人も居る訳で、そんな人の中 たまにの俺が根を上げる訳にはいきません。 我先にと帰ろうとする人たちを何とか制止しつつ バスを出させ、交通整理指示を無視して通る車から 人を守り、多くの駐車場係で最後の大仕事に対応。 事故もなく全てのバス、車、人を帰すことができました。 終わった後のイベント会場は嘘のように閑散として、 そしてここから後片付けが始まります。 外に出ている、道順の案内看板や物販用の机椅子、 使われた会場が通常営業できるようにまで 取り急ぎ後片付けをして、17時くらいには 「ひとまず今日は終わり」という段階まで 持って行くことができました。 最後に残ったスタッフで記念写真をパシャリ。 異動になるので、この面子での仕事は本当にラスト。 疲労と感慨深さでいっぱいでした。 そして打ち上げへ。 本当は俺も行きたかったのですが、 親父に万が一の時に酔っている訳にも行かず、 欠席させてもらいました。 結果的に何もなかったので行っても良かったんですけどね。
3/30(日) 嵐の後
(7月11日に書いた回顧録です) 新年度からの人事配置に伴って、 机や内線配置なんかも結構大きく変わるので、 本来ならばこの日は出勤して新年度からの準備に 当たることになっていました。 実際、他の部署は前日のうちにそれを 済ませていましたが、我々はイベントがあったので、 日曜日にやることにしていたのです。が、 前日の記念撮影の前後、疲労もピークで 「30日は休もう」という声があがり、 総務課の了承を得てこの日は晴れてのお休みに。 そうするとウチの課だけ新年度準備が 遅れてしまう訳ですが、長期間に及ぶイベントの 羽根休めということで、休養に充てられたのでした。 まぁボクは出てましたけどね!!11 異動前に、イベント優先でたまりにたまった事務や、 引継の資料作成してた(;´Д`) 基本的に異動するため、たまった仕事を4月に 回せないので・・・まぁ結局4月に回ってたんですけど!
3/31(月) 嵐が過ぎて
(7月17日に書いた回顧録です) 嵐が去った後の出勤です。 事務室がひどいことになっていますが、 異動通達が出ている私にとって、この職場へは最後の出勤となるでしょうか。 この日は当然の如くイベントの後片付けに追われ追われ、 やっぱり業務どころではありませんでした。 とはいえ時間を見つけて、異動先の職場へ出向き、 前任から業務の引継を受けました。 説明を受けたところで、当然何のことやらさっぱり分からない 訳なんですが、異動してすぐに取り掛かるべき業務があるということは 理解してしまいました(;´Д`) 業務引継を受けた後はすぐさま職場に戻り、後片付けとともに、 自分の業務引継書の作成です。 後任者への引継書を作らないとね! イベントのおかげで全くの白紙なんだけどね!('A`) イベントの後片付けがやっと終わって、 ボクたちの本当の戦い(業務)はこれからだ! みたいになってます('A`) この課最終日なのに('A`)

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