こころのコラム
2004年
10月13日(水)『否定的なメッセージ』
人は誰も自分を理解して欲しい否定的な発言ばかりしているあの人だって
攻撃の言葉ばかり発しているあの人だってさんざん言って人の心を傷つけるあの子だって
本当はわかって欲しいんだ
それを正直に伝えられないから
否定的な表現ばかり使うんだそう思うことがある
8月18日(水)『限界を決めずに』
そう思うもちろん人間だもの
正直できないことはあるだからって
「絶対できない」って思う必要はどこにもない
あきらめないことと「粘着すること」は違うと思う
そう
傷つくのはこわいけどそれを見つめながら足を踏み出してみよう
7月4日(日)『気がついたら』
気がついたら下をばかり向いて歩いていた自分がいた
いつからだろう
そんなふうに歩いているのは
ふとそう思った時空を見上げようとおもった
透き通るような空を見ていると
風に乗って飛んでいるひばりがみえた
そうだよなそう思えたら
ちょっと軽くなれた
4月10日(土)『自分をほめる』
完全じゃなくたっていい
あなたのそのままの姿がみたいから
「これじゃいけない」と自分を責めるより
成長しようと思う自分をたくさんほめればいい
3月3日(水)『発見への旅』
あなたのいいところはどんなところですか?
自分で自分のいい部分を見つけてみよう見つからないって?
それならこれから見つけてゆこう
自分で知らない自分の良さを
2003年
10月17日(金)『挑戦と失敗』
新しいことに挑戦してみた
小さな挑戦だけれど
大きな挑戦でもあった
結果?
気にならないって言ったらウソになるけれど
それでも挑んでみたことで「自分は良くやった」と本気でそう思う
結果を気にばかりしていたら
失敗をおそれすぎてできなくなることって
世の中にはたくさんある
新しいことに挑戦してみてしんどかったけど良かった
そう思えることが幸せなのかもしれない
2002年
12月17日(火)『傍ら』
失敗した。成功した。悲しんだ。喜んだ。傷付いた。成長した。ぼくには見守ることしかできないけれど、傍らで見つめ続けよう。
2001年
11月1日(木)『誰のために生きている?』
誰のために生きていますか?人のため?自分のため?「人のために生きることはいいことだ」そう教えられ、生きてきただが、人のためだけに生きるとだんだんと息苦しくなってくる尽くせばつくすほど、つらくなってくるじゃ、人のために生きるのはいいのか悪いのかいい悪いじゃなくきっと程度の問題なんだ「人のためだけに生きる」のでもなく「自分のためだけに生きる」だけでもない自分も他人も大切にできるって微妙なバランスのうえに成り立っているんだろうな
2000年
11月21日(火)『あゆみ』
歩くこと。その歩みは小さなものかもしれない。進んでいる実感がないかもしれない。でも、いいじゃない。前に進むことだけが良いことではない。だって、進んだ先がいい場所だって、誰が言える?
1999年12月20日(月)『責めたい時』
自分や他人を責めたい時。自分や他人を責めてしまった時。そんな時、ふと考える。責めてしまったのは、なぜだろう。必要以上に責めてしまってはいなかったか?何のために、それほど責めてしまっただろうか?そして、ふと感じる。「本当のことに気づきたくない」から自分や他人を責めることって、案外少なくないのかもしれない。
12月9日(木)『自分』
「自分」ってなんだろう。「自分」って、何者なんだろうか。学校へ行ったり、会社に行ったり、あるいは友達といたり家族といたり、勉強したり遊んだり、食べたり飲んだり、しゃべったり。書いたり読んだり、何かを見たり。「自分」ってなんなんだろう。「我思う、ゆえに我あり」なんて言った哲学者がいるけど、やっぱり、こうやってああだこうだと考えてるのが、自分なのかな。
11月9日(火)『自分のままでいられること』
「自分が自分のままでいられること」これって、ものすごく難しいなあ、って思う。なれたらいいのに、そしてなりたいと思うのに、いつのまにか、ありのままの自分でいない自分に気づく。ありのままの自分になれないための「敵」はいくつもあるけど、一番の敵は自分自身なのかもしれない。それも、自分なんだけどね。
10月23日(土)『感じ』
もう、すっかり秋も深まった感じ。なんか「空気」みたいなものが、秋っぽく感じられる。においとか、肌触りとか、質感だとか。目に見える光景も秋っぽいけど、それ以外で感じる秋らしさの感覚が強烈な気がする。そういや、春先にも「春の感じ」がするもんなあ。春のあの感じは、しばらくごぶさただね。
10月5日(火)『過ぎてしまうと・・』
今日は寒いぐらいの天気。今年の9月は、今までで一番暑かった9月だったそうな。もちろん、ぼくにとっても今までで暑かった8月、9月だった。あれだけ暑い暑い騒いでいたのに、過ぎ去って涼しくなってくると、ちょっとさびしげ。もちろん、秋は秋の喜びがあるのだけれどね。
9月21日(火)『まだ夏?』
先日は秋のことを書いたのだけれど・・・・。やぱり暑い。何度も書いているけど、今年は暑い。あっつい!もう9月も後半なのに、昨年の真夏より暑いんじゃない?って思うほど(決してオーバーじゃなく)。今年の夏は張りきりすぎて、来年は夏が夏バテしてめちゃくちゃ暑くなるんじゃない?・・・・なんて言いたくなるほど(これはオーバーかもしれないけど)。おお、夏よ!
9月14日(火)『感じる』
日本の秋って、感じる季節だと思う。運動の秋、食欲の秋、読書の秋・・・などなど、秋にまつわることはいろいろ形容されるけど、ぼくは秋はなんとなく「秋って感じる季節なんだよな」って感じるのです。そう考えると、運動だって身体で感じることだし、食欲は−言うまでもないけど−舌や味覚で感じるし、読書は脳や感性で感じる。秋になって、景色が物悲しくなりつつ深味が出てくるのは、きっと秋は感じる季節なのだからだろう。そんなふうに、感じる。
8月26日(木)『ふと』
ふと、思い出す。ふと、感じる。ふと、考える。ふと、悩み出す。ふと、落ち込む。そして・・・・・・。さんざん悩み抜くと、ふと、生きているのが楽しく感じられる。
『今年の夏』(8月16日(月)のお知らせ板、挨拶文からの転載です)
今年の夏は暑かった。「暑いですねえ」というのが、行き交う人々の間で挨拶がわりに使われたこの夏。ぼくもとても暑くて、同じように、そしてくちぐせのごとく「あっつい!」って言っていた。でも、なんだか良かった。暑かったのが、夏の実感をぼくに感じさせてくれたからかもしれない。暑かったけれど、なんかいい。そんなことを感じたのは、もしかしたらはじめてかもしれない。でも、ほんと暑いよ(笑)
『夏を感じる時』(7月27日(火)のお知らせ板、挨拶文からの転載です)
窓の外から、音が聞こえた。耳を澄ませると、小さな音や大きな音がまざりあっている。花火だ。窓を開けて、海岸の方を見ると、花火が見える。大きな玉、小さな玉が連続して打ち上がっている。「そうか梅雨が明けたんだな」ぼくは毎年の海岸の花火大会の音で、今年も本当に夏がきたことを実感する。8月のはじめには、ぼくは毎年花火大会に行くことにしている。そう。もう夏なんだ。
『自分のこと』(7月1日(木)のお知らせ板、挨拶文からの転載です)
自分のことを考えることほど、むずかしいことはないかもしれない。
自分のことを考えることほど、あいまいになってしまいそうなことはないかもしれない。
自分のことを考えることほど、楽しいことはないかもしれない。
自分のことを考えることほど、悩んで苦しむことはないかもしれない。
自分のことを考えることほど、自分に優しくなれることはないかもしれない。
自分に優しくなれるからこそ、他人にやさしくなれるのだろう。
『やっと梅雨』(6月24日(木)のお知らせ板、挨拶文からの転載です)
<今年の梅雨はどこへ行ったのだろう?>と先週書いたら、今度は雨が降ってきた。やっと梅雨らしくなってきましたね。こんな時、気をつけたいのが食中毒。ほんと、あれって危ないんだよね。・・・・と、『おもいっきりテレビ』っぽくなってしまった(笑)季節の変わり目、ぼくものどがちょっと痛いので気をつけようっと。
『まるで夏』(6月17日(木)のお知らせ板、挨拶文からの転載です)
今年の梅雨はどこへ行ったのだろう?梅雨入り宣言してからちょっとだけ降り、それからはずっと晴れ。まるで真夏の天気と気温。壁紙ぐらいはちょっと涼しく・・・・。前のじゃ、ちょっと暑すぎるもんねえ。
『コーヒーを飲みながら』(6月1日(火)のお知らせ板、挨拶文からの転載です)
コーヒーを飲みながら。飲みながら、ぼんやりする。飲みながら、のんびりする。飲みながら、リラックスする。飲みながら、アイデアを出す。飲みながら、ぼんやりと海を眺める。
『適当』(5月23日(日)のお知らせ板、挨拶文からの転載です)
適当って、むずかしい。どれくらいが、適当な量なのでしょう。やりすぎてもだめ、やらなすぎてもだめ。ちょうどいいぐらい。それが適当。適当が適当って感じられるのって、けっこうむずかしい。ふむ。
『みどり』(5月9日(日)のお知らせ板、挨拶文からの転載です)
みどりがとてもきれいな季節。るんるん。こんな時は、外へお散歩。あったかくて気持ちいい。なんだか、身体の中がきれいになったよう。いい気分。
『いいこと』(4月24日(土)のお知らせ板、挨拶文からの転載です)
いいことがあった。うれしいことがあった。ほっとしたことがあった。なんだか、うれしかった。ほっとした。いい気分。すごくしあわせな気分。
『寒くない』(4月21日(水)のお知らせ板、挨拶文からの転載です)
ごみを捨てるために、外に出る。寒くない。今まで寒くて寒くてしょうがなかったはずのごみ捨てが、寒くない。ああ、春。この「なまあたたかい」感じがけっこう好き。こんな季節の感じ方もあるのだなあ、と感じる。あなたはどんなことで、季節を感じます?
『ふと見たら』(4月6日(火)のお知らせ板、挨拶文からの転載です)
数日前、車で移動中のこと。何気なく道を通っていて、ちょっと視線を上にあげると・・・。そこにはさくらが。おおっ、もうそんな季節だったんだ!と驚くしまつ。何度も感じているけど、今年は自分自身ほんとに季節感を味わう機会が少なかった。今回こそ、思いっきり楽しもうっと。
『星を見た』(3月1日(月)のお知らせ板、挨拶文からの転載です)
ふと、空を見上げてみた。星が輝いていた。きらきら、きらきらと。彼は、いつもより輝いて見えた。いつもよりずっとずっと、星は輝いていた。いつも、星はかわらずそこに輝いているのに、なぜ、今日はこんなにきれいに感じるのだろう。星を見上げる余裕もなかった自分だけど、もしかしたら、それが「輝いていることを感じる」ために、その余裕のなかった時期が大切だったのかもしれない。星が輝いている素晴らしさを感じられるようになるために。
『大切なこと』(2月4日(木)のお知らせ板、挨拶文からの転載です)
しばらく忙しい生活をすごしていた。その日その日でやらなくてはいけないことがたくさんある。目の前に積まれたその山に挑みながら、格闘する。「やらなきゃいけないこと」だ。でも、ふと考えた。それって、『本当にやらなければいけないことなのだろうか』って。そこから逃げたいわけじゃなく、ふとそう感じたのだ。『お前はそれにばかり目を向けていて大切なことを忘れてはいないか』そんな声が聞こえてきた。忙しさに「かまけて」いて、大切なものに対する目を向けていなかったような気もした。忙しさに追われている自分も自分自身なんだけど、やっぱりそれに疑問を感じるているのも自分自身なんだなあ。どんなに忙しくても、大切なことを忘れない自分でいたい。ちょっとむずかしい課題だけど。やっぱり、そのためには忙しくしすぎない自分になることが一番かな。
『生きていることを感じる瞬間』(1月25日(月)のお知らせ板、挨拶文からの転載です)
たんだんと日が長くなってきた。夕方4時半には、外に出ると真っ暗だったのが、ここ最近は、5時になってもうっすらと空が明るかったりする。それが日を追うごとに、ちょっとずつ長くなってくる。ちょっとうれしい。なんだか、うれしい。一日のうちではちょっとしたこと、些細なことなんだけれど、こんなちょっとした変化がうれしい。生きている気がする。そんな瞬間。
『新年の雪』(1月12日(火)のお知らせ板、挨拶文からの転載です)
新年があけて、早いものでもうすぐ2週間。あちこちで初雪も降ったことでしょう。(みなさんのところでは降りました?)こちらではちょこっとだけ降ったものの、すぐにやんでしまったために、積ることはありませんでした。今回の寒波でかなり大雪が降った場所の人たちには申し訳ないかもしれないけれど、すぐにやんでしまったので、残念でした。今度は、この壁紙のようなあとが残せるほど降るといいなあ・・・・・。「いつもと違う世界」って、好き。
『年の瀬』(12月29日(火)のお知らせ板、挨拶文からの転載です)
なんだかんだとやっているうちに、年末が近づいていたことに気がつく。(前に読んだことのあるような書き出しだ 笑)なんと、大晦日まであと2日!・・・・・何の準備もしてないっ・・・・・。(ここも 笑)毎年、年末の準備は遅れつつも、今年は本当に遅れている。実際、何の準備もしていないことに気づく。大掃除なんて、もってのほか(笑)ここまで何もしていないと、逆に開き直るしかない。うん。
『クリスマス・イヴ』(12月22日(火)のお知らせ板、挨拶文からの転載です)
なんだかんだとやっているうちに、クリスマスが近づいていたことに気がつく。なんと、イヴまで2日、クリスマスまで3日!・・・・・何の準備もしてないっ・・・・・。クリスマスのイベント大好き人間なのに、(昔はテレビの「ドリフターズの人形げき西遊記のクリスマス版」を楽しみに見ていたのだ 笑)今年はなぜか、実感がまるでなかった。というわけで、これから準備・・・・・間に合うか!まず最初は、壁紙の張り替えだ!・・・・というわけで、真っ赤なお鼻のトナカイさんです。そうそう。「真っ赤なお鼻のトナカイさんはー」ではじまるあの歌、「暗い夜道は、ピカピカの、お前の鼻が役にたつのさー」の部分を「暗いよ、道はピカピカの、お前の鼻が役にたつのさー」とずっと思い込んできた(笑)ちなみに、「赤い靴はいてた女の子ー」の歌では、「異人さんに連れられて行っちゃったー」の部分を「いい爺さんに連れられて行っちゃったー」と勘違い(笑)
『平和を感じる日』(12月17日(木)のお知らせ板、挨拶文からの転載です)
今日はいい天気。太陽がぽかぽかしていて、久しぶりに気温も高くなったようです。うーん、いいねえ。こんな日だと、ついつい散歩に行きたくなってしまう!あそこの芝生でねころがるのもいいなあ・・・。眠い・・・。そう感じる日って、平和でいいですね。
『近くて遠い海』(11月26日(木)のお知らせ板、挨拶文からの転載です)
ひさびさの晴天。真っ青な空と、真っ青な海。ちょっとした合間に窓の外を見ると、そこには海が見える。行きたい!という思いを感じながら、ひとときの息抜き。時間の余裕さえあればすぐ行けるのに。それがまた、もどかしい。よしっ、時間ができたぞ!!そう思った時は、もう夜。うわーっ!(笑)夜の海もいいけれど、やはり真っ青な海に近づきたい!
『海の話その3』(11月5日(木)のお知らせ板、挨拶文からの転載です)
窓を開けると海が見える。開け放たれた窓から、新鮮な空気が入ってくる。今日の海は、うすい水色がかった青。すがすがしさと寂しさをブレンドして、すこし水を足した・・・・・・・そんな感じのする海。海に向かって深呼吸をする。ブレンドされ水を足された海の『感じ』が肺に浸透する。ふーっ。少し脳が目覚める。そんな感じの海だ。深呼吸するとばっちり目覚める灼熱の夏の海とは違った、今日の海。そんな海って、なかなかいい。
『そこにある海』(11月5日 「ぐり」さんからの投稿です!)
何だか気が晴れない時、海を見たくなる。行きたいなって思った時、そこに海はある。
電車の窓から見える海。駅を出たらすぐ砂浜がある。...泣きたい気分で歩いていた。
ある日の朝、とても寒かったけれど、窓の外の雪を見ていた。空はグレーで、海も一面同じ色をしていた。あとからあとから降ってくる雪が、すこしかなしくて不思議な温かさをくれた。
夏にでかけた海は、波が足元をさらってく。からだごとすくわれそうな波は、ごめんねのかわりにプレゼントをおいてゆく。きらきら光るちいさなガラス玉をたくさん。
海はいろんな顔をして、わたしと話をする。光のない眼をして追い返すこともあるけれど、いつもそこにいて待っててくれる。いちばん大切なひとのような存在、それが海かも知れない。
[投稿者 ぐり]
『異常気象?』(10月19日(月)のお知らせ板、挨拶文からの転載です)
台風がやってきた日曜日の午後。こっちへくる前に温帯低気圧にかわったみたいけど、湿気が多くて暑かった!少し動くと、汗をかくほど。もう少し動くと、もっと汗をかく。ほんと、ムシ暑かった。ここ何日か、寒い日と暑い日が交互にやってくる。暑い日の次は突然寒く、寒い日の次の日には突然暑く。この暑さのおかげで、海沿いの道路にはなんと! 水着のお姉さんが歩いていた・・・・・・・・ってことはまさかないけれど、そんな幻覚(?!)が見えそうなほど暑かったのです。ほんとにもうすぐ11月?
『やきもち焼き2 〜彼女の死〜』(10月15日(木)のお知らせ板、挨拶文からの転載です)
「あなた、もうどうせ私のことなんて興味ないんでしょ」「そんなことはないよ、忙しいだけなんだ」「忙しい、忙しいってあなたいつもそう」「・・・・・・」「はじめの頃は、もっとかまってくれたじゃないの!」「そんなこと言われたって、忙しいものは忙しいんだ・・・」「仕事と私、どっちをとるの?」・・・・・・・・・・。なんて会話が、またもやかわされている(?!)マックちゃんの前。(知らない方は、こころのコラム『やきもち焼き』を読んでね)そんな平和(?!)が、ある事件によって脅かされた。「あっ・・・・・痛いの・・・死にそう」「どうした!!」「もうだめみたい・・・・苦しいの・・・・」(ぷつっ)その後、彼女は動かなくなった。相棒は必死で彼女の病気を探し当て、手当てを試みる。必死に、必死に試みたのだが・・・・・。『死の宣告』を下さなくてはならない状況になったのだ。その宣告とは・・・・・.「彼女の脳(ハードディスク)を再初期化しなくてはならない」というものだった。「どうするべきか・・・・・」彼女との思い出が、走馬灯のようにかけめぐる。ああ。「初期化する以外に、彼女を救う手立てはない」そう判断し、初期化をする。ボタンを押す。一瞬のうちに、初期化が終わる。そして、OSからインストールしなおす。手術開始から、格闘すること数時間。最低限の手術は終わった。もちろん、彼女の記憶は失ったままだ。・・・・・・・。でも、彼女は元気を取り戻したようだ。「早く動かしてよ、もう」そんな元気な音が、部屋中に響きわたるような気がした。
『余裕』(10月8日(木)のお知らせ板、挨拶文からの転載です)
さて、海の話やら夜空の話をしてきた今日このごろ。今日もその話題を・・・と考えた。さて。でも、待てよ。なぜ、海や夜空を見たくなるのか。語りたくなるのか。それについて、少し立ち止まって考えてみた。しばし、考える。もしかして・・・・・・そうしたい気分だったのだろう・・・という感じがした。つまり、海や夜空を見たい、そして感じたい気分だったのだ。その行動の背景には・・・・・。きっと余裕がなくなっていた自分を、感情の部分が気付かせてくれたような気がするのだ。つまり、こうだ。「おい、お前。目先のことばかりに目を向けずに、海でも見たらどうだ」「えっ、なんだって?そんなことないよ・・・」「いいから。頭で考えずに、とにかく触れて感じてみなよ」という感じで。そして、結局。直接感じてみて、わかったこと・気づいたことがなんと多かったことか。そして、自分にまだまだ余裕がなかったことも。毒物疑惑でマスコミが騒いでいる現在、自分のことも含めて『余裕のたいせつさ』を考える今日このごろです。
『星の話』(10月4日(日)のお知らせ板、挨拶文からの転載です)
ふと、空を見上げる。そこには、満天の星空がある。星々はずっとそのまま、永久にそこにいつづけるかのように、輝きつづける。(もちろん、人間の生涯にくらべたら永久と感じられるけれど)ううむ、なんだろう。「すごくきれいだよ!!」と言葉もないぐらいに(あるじゃないか!って? 笑)感動する反面、そこには同時に悲しさを感じる。なぜだろう。何かを感じるのだろう。自分の存在の小ささか、それとも人生のはかなさか。うまく言葉にできないけれど、そんな気がする。みなさんも、そう感じることってありませんか。
『海の話番外編』
先日は海の話をしたので、今日も海の話を・・・・といきたいところですが、長くなったので詳しくはコラムコーナーに投稿しました。そちらを読んでくださいね。(コラムコーナー『海の話その2』です)あの文章を書いた時、思ったことがひとつ。遠くで見た海と、直接触ってみた海。これって人間にもあてはまるんじゃないか、ってこと。もちろん、遠くで見ているだけじゃ物足りないから、我慢できずに身体に触ってしまう、ってことじゃないよ(笑)実際の人間関係や対人関係にも、もしかしたらあてはまるんじゃないか、ってこと。遠くで見ていてわかることと、実際に接してみてわかることの両方があるんじゃないかなあ、と。ふむ。(結局こちらも長くなってしまった)
『海の話その2』
先日は海の話をしましたが、今日はその続き。窓から見ている海もいいけれど、久しぶりに直接触れてみたくなりました。(ここだけ読むと、変質者かストーカーのようだ 笑)というわけで、愛車に乗り込む。海まで数分。そして、海沿いの空き地に到着。夕方の砂浜に降り立つ。薄暗い海岸線。海のかおり。夏のギラギラしたにおいじゃなく、秋の少しさびし気な海のにおい。砂を触る。半分湿った砂に、無数の貝や海藻のかけらが混じり合う。うーん。立ち上がり、深呼吸する。古い肺の空気を吐き出し、潮のかおりで肺を満たす。(ここだけ読むと、薬物吸飲者のよう 笑)そうやって、しばしの時間を過ごす。眺めてみることもいいけれど、実際に触れてみるとやはりいい!と感じた秋の海の日の話でした。
『洗脳疑惑騒動』
ここ数日、マスコミでにぎわっている『TOSHIの洗脳疑惑騒動』。あれはかなり異常な現象ではないだろうか。と言っても、私が感じるのはTOSHIが異常だというより、なぜ周りのマスコミやテレビ出演者があんなにも異常に騒ぎたてるのか、ということ。人の生き方・思想に、あんなに口を出してもいいのだろうか。犯罪を犯してから、騒ぐならわかる気もするのだが。 [投稿者 てつ]
『やきもち焼き』
ある日のこと・・・・・。「ドカーン!!!!!」という音を立てて爆弾が大爆発.........。・・・・と言っても、実はパソコンの爆弾マークのこと。(実際には聞こえなかったけれど、そんな実感がしたほどドキドキ)ぼくはアップルのマッキントッシュを使っているのですが、(ぼくと同じ人、います?)これがたまにご機嫌がナナめになる。かまってあげているとけっこう御機嫌がいいのだけれど、忙しい時なんてもうだめ。「どうせ私のことなんて興味がないんでしょ、私知ってるのよ」っていう顔をして、起動をさぼったりする(とほほ)。「そんなことないよ、本当だって。キミのこと忘れるわけがないじゃないか」ってな気分で、チェックをしてあげる。「ほんとに?・・・・まあ、今回だけは許してあげるわ」って調子で、また動きだす。ほんと、パソコンも大変ですねえ・・・。ふふっ。
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