
1.日本人が呪縛されているもの−穢れと言霊− 2.現代的課題と真宗の「すくい」 3.「平和」について考える 4.自らの「存在意義」を考える 5.「信心の社会性」について考える 6.「真俗二諦」を考える |
日本人が呪縛されているもの-穢れと言霊-(T.S)日本人は、自らが意識するとしないとに関わらず、次の二つの神道的要素に縛られている。その一つは「穢れ」であり、もう一つは「言霊(ことだま)」である。日本人の行動や考え方には、この「穢れ」と「言霊」を信じているという以外にはどうにも解釈のしようがないものが多々みられるのである。 1.穢れ 「穢れ」は『古事記』・『日本書紀』にも記されている古い概念であるが、それは具体的にはどのようなものか。 たとえば、日々の生活において、私たちはまず他人の使った箸は使おうとはしない。また、人が朝夕、愛用していた茶碗や湯飲みも譲り受けたいとは思わない。それがどれほど熱湯消毒されていようとも…、である。これが、洋食器であれば平気だが、和食器は他人のものを使うのも、他人に使われるのも嫌だと感じるのである。 その理由を尋ねてみると、しばしば「何となく汚い感じがする」という答えが返ってくる。このとき感じる「汚さ」がいわゆる「穢れ」でなのある。これは、日本人だけが持つ、一種の原始的感情とでもいうべき感覚であるといいうる。 ちなみに、『国史大辞典』には「穢れ」は次のように説明されている。 「一般に罪とともに罪穢という。宗教的な観念で、タブーというが、その神聖という内にもまた清浄なものと不浄なものとがある。その不浄がすなわち穢であり、これに接触したりすることが触穢である。 その上、その種類にもいろいろあり、病気に関するもの、お産に関するもの、これらは血の穢れであるが、その他、火の穢れや五辛(仏教で食することを禁じられた辛味のある五種の蔬菜)のようなものも穢れ、さらに風雨、地震の災いや、家中の災い、妖怪などの災いに関するもの、犯罪や刑罰に関するもの、あるいは外国に行っても穢れになるように、外来人や仏法に関するもの、これら普通でなく特別なものが穢れで、悪霊の仕業だと考える。古くはこれをまとめて、天つ罪と国つ罪としている。天つ罪は、農耕機織りを妨害する罪穢であり、国つ罪は当時の社会生活に対する罪や災い、過ちなどを挙げている。すなわち死人と血の穢れ、汚い病気や腫れ物など、不義の関係、淫らな行為、鳥や虫の災い、不慮の災害などを挙げている。すべての生活を脅かすもので、その意味で罪であり、災いを及ぼすということで、これらを悪業の仕業とする。その社会の秩序を正しくし、災いを転じて福とすることが、宗教的ないろいろな行為、行事ともなる。」 では、日本人はこの「穢れ」にどのように対処してきたか。 まずは「捨てる」である。ここに「割り箸」を使い捨てる在り方の根拠がみられる。しかしながら、「死」「病」「罪」、あるいは「怒り」「憎しみ」「恨み」など、身や心にかかわる捨てられない「穢れ」についてはどのように対処してきたのかというと、「禊ぎ」「祓う」ことによって、清めようとしてきたのである。『日本書紀』によれば、「綺麗な水の中に入れば、穢れはとれる」と書いてある。ここからでたのが、日本人がしばしば口にする「水に流す」という考え方である。これはいつしか日本人の在り方の価値観の基準となり、それを行う人は尊敬される対象とさえなった。たとえば「恨み」を抱いても、相手に対して復讐せずに水に流す場合、その行為は、「穢れ」を「禊ぎ」する行為に他ならないからである。 ただし、これは日本人独自の考え方で、他の国にはみられない極めて特殊な考え方なのである。たとえば、一般市民が甚大なる被害を受けた広島・長崎のアメリカによる原爆投下について、多くの日本人はその恨みを「水に流して」しまっている感がある。したがって、原爆そのものには反対をしても、原爆を投下したアメリカに対しては、国同士はもとより国民同士も友好的な関係のもとに今日に至っている。なぜなら、アメリカ人に対していつまでも恨みを抱くのは「穢れ」を内に保有することになるからである。 ここで、日本人が無意識の内に穢れ・禊ぎの影響を受けているとみられる具体的事例として「日の丸」の問題を考えてみたい。 日の丸というのは、国家・国旗法案が成立する以前は、慣習的に使われていたもので、国旗として用いることに対しては現在でも異議を唱える人が見られる。端的には、学校の卒業式に日の丸を掲揚することに対してしばしばトラブルがみられるのは周知の通りである。 日の丸に反対する人たちの主張を一言でいうと、「日の丸というのは、第二次大戦(太平洋・日中戦争)の折りに、侵略軍の先頭にたって用いられた侵略の象徴である。したがって、廃止して二度と用いるべきではなく、国旗は新しく定めるべきだ」ということになる。 けれども、実は他の国々にはそのような考え方はみられない。イギリスにしても、フランスにしても、過去の歴史を繙けば侵略や植民地支配をしていないのかというと、決してそのようなことはない。現に、イギリスから中国に香港が返還されたのはまだ記憶に新しい、つい数年前の出来事である。少なくとも、欧米列強といわれた国々で、植民地支配や侵略をしていない国などないとさえいいうる。中東地域における戦乱等はその後遺症であるとさえいわれている。しかし、それらの国で、では国旗を変更しようという議論がなされたかというと、なされてはいないのである。 では、なぜ日本だけが日の丸を否定しようとするのか。それは、日の丸が「穢れた旗」だからである。つまり、日本の日の丸は、侵略戦争の象徴となって穢れた旗であるから、それを捨てて新しいものに変えなくてはならないと無意識のうちに思考してしまうのである。けれども、このような発想は、結局、過去のことはすべて水に流して、また新しくゼロからやり直せばいいという考え方に他ならない。まさに、日本人特有の「水に流す」思考で物事を処理しようとする在り方に無意識の内に陥ってしまっているのである。 これに対して、「日本と同盟関係にあったナチスドイツは旗を変えたではないか」と主張する人がいる。しかしながら、ナチスドイツのハーケンクロイツ(かぎ十字)は、もともとがナチスの党旗であり、それを国旗に格上げしたものであって、ドイツ国家本来の国旗ではない。したがって、ナチスが滅びて、その考え方が否定された後は、廃止されるのは当然のことである。 けれども日の丸は、軍国主義が台頭する以前から存在しており、もともと伝統的に使われていたことは明白である。たとえば、戦国時代に武田信玄で有名を馳せた武田家は、先祖伝来の日の丸の旗を有しこれを「御旗(みはた)」と呼んでいた。それ以前には、南北朝時代の北畠顕家も使用していたと伝えられている。また、幕末期の薩摩藩主島津斉彬の建白により「白地に赤の日の丸」が日本国総船印(国旗)として定められたことは周知の通りである。 このように、日の丸は「日の本」という国号から、日本を表すマークとして古くから伝統的に使われてきたもので、仮に一時期日本帝国主義の侵略に利用されたとしても、それをもって直ちに汚れた旗だから変えなくてはならないとするのは、部落差別にもつながる、「穢れ」の発想と重なるものとの疑念を拭いされない。 確かに、学校の卒業式などで「強制」することについては論議を深めるべきかとも思うが、「日の丸に反対」というのであれば、その人たちはありとあらゆる場面で、具体的にはオリンピックの日の丸掲揚や、サッカーのワールドカップなどでも、それに際して明確に日の丸を用いることに対して反対の意を主張するべきではなかろうか。 このような意味で、日の丸について論議する場合、一度穢れ思想を離れた視点から、その是非について広範な視野のもとに再度検証する必要があると思われる。 ところで、ここで問題なのは、日本人は自身がそうであるが故に、つい無意識に他の国の人々もそうあるべきだと錯覚しているような面があるということである。けれども、「水に流す」というのは日本人だけにみられる有り方なのである。それは、未だに第二次対戦に関わる諸問題(教科書、他)は、国内からではなく、きまって隣国による過剰とも思える反応によってやがて国内問題化するという状況をみれば容易に窺い知ることができると思われる。 ここで改めて「穢れ」の概念について述べると、「穢れ」とは科学的、理性的な概念ではなく、宗教的な概念であり、日本人の心の中に厳然として存在するものであるといいうる。また、その穢れをさらに追求していくと、「死イコール穢れ」という概念にたどり着く。実はこれは、神道の基本概念にほかならない。神道の基本理念とは、自分や周囲の人間が死ぬことは汚れであるというものである。こうした考え方の出自については不明であるが、おそらく生というものに対する讃歌、つまり生というものは非常に美しいものであるが故に、それと対極にある死を穢れと考えたのではなかろうかと推察される。 どのような宗教にも、生きることを賛美するという面がある。同時に、それに対する最も強烈な死というものをどのようにとらえるかというのが、宗教の基本となる。基本的には、宗教は死は怖いものではないというとらえ方をする。ところが、日本人の宗教観では、生を非常に賛美する反面、その生を打ち砕いてしまう死を克服するのではなく、なるべく避けて通ろうとする傾向がみられる。 この死が穢れであるという概念は、日本の最も古い古典の一つである「古事記」に出てくる。人間は死ぬと腐ってしまう。これは生を賛美する立場からみれば、極めて衝撃的なことである。死というものが汚いという概念は、おそらくこの死体が腐るというところからきたのではなかろうかと思われる。 このように死を穢れとする考え方が概念が、やがて社会において絶対に必要な仕事であるにもかかわらず、死というものを扱う職業に携わる人々を差別の対象とする過ちを引き起こしてしまうことになったのだと思われる。したがって、このように愚かな差別をなくすためには、まず第一に、穢れという概念が私たちの心の中にあるということ、そしてそれは迷信なのだということをはっきりと認識することが大切だといいうる。 2.言霊 (続く) |
現代的課題と真宗の「すくい」(T.S)1.現代的課題 率直にいうと、残念ながら今日の社会においては浄土真宗の教えが栄えているとは言い難い。確かに、お盆や年回法要の折りには未だに多くの方々がお寺に足を運ばれるということはあるものの、彼岸会・報恩講などの法要に参詣し、聴聞をするというご門徒の数は年々減少傾向にあり、各々の寺院で様々な努力が試みられてはいるものの、依然としてその退潮現象には歯止めがかかっていないのが現状である。また、現代の人々の多くは、浄土の教えに殆ど興味を示していないように見受けられる。なぜなら、念仏とか浄土の概念をどれほど縷々説明したとしても、それらの教義は現代社会がかかえている諸問題とはあまりにもかけ離れているように思わているからである。 そこで、本願寺教団においても真宗者が現代社会に積極的にかかわるためには、現代の社会が抱えているさまざまな課題に対して、そのすべてに浄土真宗の教義がどのように応えるべきかを模索しなくてはならないという考え方が提唱されることとなる。そして「もし親鸞聖人がこの現代に生きておられたならば…」というような立場から、懸命にそれらの問題に対して解答を導き出そうとする試みが営まれるのである。 例えば、「浄土」を現代という立場から問題にする場合には、経典に説かれるところの、死後に生まれるという西方に輝く阿弥陀仏の浄土は、今日では現代人の知性にはとうてい受け入れられない。現実の社会を離れて説いたのでは、浄土教そのものが意味をなさなくなってしまうとして、今こそ浄土教者は法蔵菩薩の本願を自らの願いとして、この矛盾する現実社会のただ中で、まさに「浄土」を建立しようとする努力にいそしまなくてはならないという主張がなされる。 あるいは、現代において、先進国と呼ばれる社会は科学の進歩と経済の発展により豊かで便利で快適な世の中になったが、その一方で今こそ人類の全体が滅亡の危機に瀕していると警鐘を鳴らす人がいる。一見、明るく豊かに見える社会の裏面には、核兵器やテロの恐怖・地球温暖化・爆発的な人口増加及びそれにともなう食糧危機など、地球的な規模で考えなくてはならない問題が深刻化しているという歪みが見られるからである。このような状況下にあって、現実における世界の国家主義・保守主義は、どこまでも自国の国益を何よりもまず絶対的に優先させてしまう。けれども、そのあり方が最終的には、人類全体が滅亡に到るかもしれないというような危機を生み出す要因となっているとすれば、その危機を「すくう」ために真宗者はそこで何を成しうるかということを課題とするのである。 では、世界平和のために念仏者は何をなすべきなのか。また自由で平等な社会を築くためにはどうすれば良いか。現実の問題として、このような問いが投げかけられた場合、今日念仏者は具体的にどのような実践をなしているのであろうか。現代の問題に積極的にかかわっている人々の運動のすがたに目を向けると、平和を問う場合、当然のこととして「戦争反対」が叫ばれる。そして「兵戈無用」という経典中の語句を掲げて、平和への願いが表明されるのであるが、そこでは必ず第二次世界対戦に協力・加担していった本願寺教団の真宗信仰のあり方が根底から問い直されている。その歴史の中で、本願寺教団そのものが、国家権力によって国家神道を憚り、親鸞教義そのものを大きく歪めてしまった過去の過ちがあるからである。それ故、戦争と国家権力の象徴ともいうべき「靖国」の問題は、真宗者である限り絶対に反対しなければならないとする。具体的には、内閣総理大臣の靖国神社への「公式参拝」について、この行為は憲法違反であるとして法の審判を仰ぐ訴訟がその代表的なものである。 また、わが国の自由と平等を問題にする場合、同和問題を抜きにしては成り立たないのであるが、ここでともすれば差別の側に立ってきた、本願寺教団を厳しく批判し、同朋教団になぜ差別が起こるのかとして、信心の確かさや社会性が大きく問題にされるのである。 積極的な実践活動において、仏教教団はキリスト教教団に比べて、大きく後れをとっているように見受けられる。そこで真宗者は、そのキリスト教の実践活動の後を追いかける。その一つがホスピスに対するビハーラ活動である。どれほど医学が進歩しても、死への恐怖が人々の心から消え去った訳ではない。それどころか、日々の生活が豊かで明るく楽しみに満ちていれば、日常、死を迎える準備は疎かになりがちで、突然死が現実のものとして意識されると、その対処方法がわからず、それまでに味わったことのない無限の恐怖に恐れおののくことになる。殊に周知のように日本人は、「末期のガン」の場合その事実を伏せて、本人には知らせないことが多い。死の恐怖に耐えられない人が多いからであるといわれている。そこで、この病人をいかに安らぎの心で死を迎えさせるかということが問題となる。病人に対する献身的な奉仕がホスピスであり、そのあり方に触発されて提唱されたのがビハーラ活動であるが、このような尊い活動が、なぜもっと早く活発に真宗者の間でなしえなかったか、あるいはなぜ全ての真宗者が積極的に取り組もうとしないのかが厳しく問われることになる。 医学の発達は、どこまでも限りないかのような様相を呈している。その一つに臓器移植の問題がある。脳死の状態にある病人から心臓を切り取って、他の心臓を患っている患者にその心臓を移植し健康に導くという方法である。あるいは、生命の科学という観点から、遺伝子の組み替え、男と女の産み分け、体外受精などさまざまな技術が明らかにされ、クローン人間については技術的には可能な段階にあり、これらの問題に対して宗教者はどう考えるかが問われている。人間が生命を操作することになると、倫理・道徳・宗教上大問題になるからである。そこで、真宗者の立場からも、これらの事柄に種々の意見が出されることになる。一方では、ジャータカ物語などにも寓話として説かれるように、大乗菩薩道の立場から、自らの命を捨ててまでも悩める他者を救うことに仏教の精神があるとすれば、当然、臓器移植は認められるべきである、と。他方では、人間性の問題、あるいは「命」の本質を問うことにより、反対の意見が出されたれしている。 近年は、「男女共同参画社会の実現」ということが提唱されている。これを受けて、「本願寺教団は過去に性差別を容認・助長する布教活動をしてきたことを反省し、専門の部署を設置、男女共同参画を進めている」と公言し、「男は男らしく、女は女らしくということを強要してはならない」というような極端な考え方を「ジェンダーフリー教育」の名のもとに幼稚園や小中高校で行わないよう求める陳情を県議会が採択したところ、 「ジェンダーフリー教育」の継続と推進を求める陳情書を県議会議長あてに提出。その中で「男女共同参画社会への妨げとなる固定観念的な性別役割分担意識を解消し、子どもの個性や能力を生かす教育の推進を要求」するなどの活動が見られる。 では、浄土真宗の「すくい」は、これらの問題にどう応えるべきなのであろうか。 2.浄土真宗の「すくい」 さて、真宗教義が現代の諸問題に「すくい」という面でどうかかわるかと問われた場合、どのように考えていけば良いのであろうか。このような問題は、一般的には現実の本願寺教団が、現代社会にどう働きかけるべきかが問われているのであるから、そのほとんどが社会的実践という点で受け止めるられることになる。 ところが、ここで不思議な現象が起こっていることに私たちは着目する必要がある。それは、真宗者がより積極的に、現実の社会にこのようにかかわるべきだと、具体的な主張がなされると、親鸞の根本思想である真宗教義の特色が消え去り、その主張がなぜ親鸞思想なのかという疑問が生じてしまうからである。例えば、現実社会に見られる様々な矛盾を指摘し、完全に平等で平和な、真実の世界を実現させるような論が展開されたとする。まさに法蔵菩薩の本願を自身の願いとして、「兵戈無用」なる世界、あたかもこの世に浄土を建立しようとするかのような主張である。それはまことにすばらしく人々を感激させることになるが、それ故にこそこの論は『歎異抄』に見られる「よろこぶべきこころをおさへて、よろこばざるは、煩悩の所為なり。しかるに、仏かねてよりしろしめして煩悩具足の凡夫とおほせられたることなれば」「さるべき業縁のもよほさばいかなるふるまひもすべし」「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもて、そらごと、たわごと、まことあることなきに」といった、真宗の根本思想を完全に無視することになってしまう。 親鸞が「すくい」ということを問題にする場合は、必ず阿弥陀仏の本願を指すのであって、そこでは常に宗教的真実、永遠の問題が問われている。そして、真宗における「真実信心」は、この一点にのみかかわっている。私たち凡夫の行為の一切は、不実なのであって、いかに一心に、たとえ頭燃をはらうがごとく努力をしたとしても、雑毒の善、虚仮の行でしかない。だからこそ、阿弥陀仏の本願は、この凡愚性を見通し、獲信の衆生をその瞬間に摂取するのである。けれども、凡愚が獲信したからといっても、その凡愚性は何一つ消える訳ではない。臨終の一念まで凡愚なるが故に、阿弥陀仏の大悲は平生に正定聚の機に至らしめるのである。したがって、もし私たちに「信心の確かさ」が問われるとするならば、それはあくまでも阿弥陀仏と私の関係においてでなければならない。たとえ獲信の念仏者であっても、日常生活の一切は不確かであって、まさに「さるべき業縁」によって、何をなすかわからないのである。 ところが「現代的課題」といえば、これはどうしても現代という限られた時代の問題になってしまう。愚かな人間が英知を絞って、この現代社会にいかに自由と平等と平和をもたらすかの問題である。真宗者も現代に生きる人間である限りは、当然のことながらこれらの諸問題に真摯に取り組まなくてはならない。そこで、本願寺教団あるいは念仏者個々の真宗倫理の問題、真宗の社会的実践や社会性が具体的に問われることになるが、残念ながら真宗教学ではこれまでこの点に関心が寄せられていなかった。そのために、現代の真宗教学においては、極めて重要な課題の一つとなっているにもかかわらず、最大の弱点となってしまっているのである。では、なぜ今日まで真宗倫理の問題や社会的実践についての教学が確立されていないのであろうか。それは、親鸞思想が、人間の不実性に立脚しているからで、日常生活の面で一つのスローガンを掲げ、それに邁進すれば、いつしか独善に陥ってしまう可能性が多分にあるからである。 では、真宗者はこれまでに全く社会的実践を怠っていたのであろうか。実は、今日的なあり方とは全く違う次元から積極的に行っていたのである。例えば、妙好人の臨終にホスピスの活動を重ねて考えてみたい。なぜ今日ホスピスの活動が求められているのであろうか。今まさに死に至ろうとするその人が、どうすることも出来ない死の恐怖におののいているからである。そこで、少しでも死の恐怖を和らげ、安らかに死を迎えさせるために、周囲からのはたらきかけが必要となるのである。ところが妙好人の臨終は、妙好人が死を悲しんでいるのではなくて、いま臨終を迎えようとしている妙好人に対して、仲間たちが悲しみ歎いている。その周囲の人々に妙好人は念仏の喜び、阿弥陀仏の大悲に生かされよと、最後の言葉を遺している。妙好人になぜそのようなことが出来るのか。妙好人自身、日常生活のなかで、すでに無限のすくいの法に摂め取られているからにほかならない。これまでの浄土真宗の実践活動は、このような念仏者を育てることに向けられていた。したがって、浄土真宗の「すくい」は、たとえ死を迎えても、ホスピスを必要としない、どのような迷信にも惑わされない念仏者を生み出すことであったのである。 今日、本願寺教団では、真宗の教えが現代人の心に響かないといわれると、大いに動転して、親鸞の教えの本質を伏せてまでも、浄土真宗のすくいを現代人の関心に重ね、そこにこそ現代真宗の「すくい」があるとする錯誤が見られる。だが、親鸞が求めた浄土真宗の「すくい」は、世俗的な欲望を満たしたり、念仏を通しての上手な生き方や、その時々の社会に生じた問題についての対処の仕方を明かそうとしたものではない。たとえこの私がいかなる私であろうとも、この私を、この瞬間に、この場において、このままで、無条件で救うことを説いたのである。したがって、自分自身の世俗的な関心事や欲望を満たそうとしたり、世の中の不条理や不正を正そうとしたり、生活の糧を求めようとすると、親鸞の教えはその心に響かないのは至極当然のことである。間違った求めに迎合するのではなく、教えに対する求め方が根本的に間違っていることに気付いてもらうことが大切なのである。 親鸞は「御消息」第五通で「念仏の同朋は外からの誹謗によって破られるのではない。真の仏法はいかなる人によっても破られはしない。ただ獅子身中の虫が獅子を食らうがごとく、念仏の法門も、その教えを信奉するものが教えそのものを誤って捉えることによって、法門の崩壊が起こる。念仏者の誤った行動が、念仏の同朋を根底より崩してしまうのだ」と述べている。 繰り返して述べると、親鸞が求めた浄土真宗の「すくい」は、『世俗的な問題』にあったのではない。したがって社会問題に応えようとするあまり、教えの本質を歪めてまで迎合し、その結果自身が獅子身中の虫に陥ることがあってはならない。いま私たちは、浄土真宗の「すくい」とはいかなる方向性にあるのか、この点を明確に抑える必要があるのではなかろうか。 |
「平和」について考える(T.S)作家の司馬遼太郎氏は『風塵抄』というエッセーの中で、「平和」について次のように述べている。 「平和とは、まことにはかない概念である。単に戦争の対語にすぎず、戦争のない状態を指すだけのことで、天国や浄土のような高度の次元ではない。あくまでも人間に属する。平和を維持するためには、人脂(ひとあぶら)のべとつくような手練手管(てれんてくだ)がいる。平和維持には、しばしば犯罪まがいのおどしや、商人が利を追うような懸命の奔走もいる。さらには複雑な方法や計算を積み重ねるために、奸悪の評判までとりかねないものである。例として、徳川家康の豊臣家処分を思えばいい。家康は300年の太平を開いたが、家康は信長や秀吉に比べて人気が薄い。平和とはそういうものである。」 また堺屋太一氏は『日本とは何か』という著述の中で『「軍隊」とは、自己完結性を持つ武装集団である』と定義付け、「他に超越して強力な武器を組織的に扱う集団であること」「その組織内部ですべてが行える諸機能を備えていること」の二つの要件を満たしていることが必要であるとした上で、「徳川時代の武士は軍人ではない」と述べる。なぜなら、幕府成立後のしばらくの期間を除いて、1630年以降は二つの要件を満たしていなかったからである。この事実を踏まえて、次のような論を展開する。 「要するに、徳川時代の日本には、軍隊が存在しなかった。この時代の武士は、軍人の子孫またはその階級的後継者ではあったが、寛永以後は完全に軍事能力を失い、警察機能と行政機能だけしか持っていなかったのである。徳川時代260年間−少なくとも、寛永から嘉永に至る200年間余−の日本は、厳密な意味での非武装国家であった。徳川幕府は、大阪城を陥して全国に覇権を打ち立てると、まず各大名家に軍事力の縮小を強要する。そして各大名家が軍事力を失うと、幕府自らも極度の軍縮を行った。幕府はつねに相対的優位を保ちつつ完全非武装国家を実現したのである。世界史上、これほど完全な軍縮に成功した例は珍しい。いま、冷戦の終焉とともに世界的な軍縮が叫ばれているが、その実現にも徳川初期の日本の経験は多いに参考になるだろう。軍縮が、対立する複数の勢力の話し合いで成功した例は少ない。圧倒的優位に立つ勢力の強制と自制によって実現するのである。」 これらのことから、「平和」を実現していく上で、徳川家康及び徳川幕府の方針は評価・参考にされているかというと、どうもそうではない。端的には司馬氏が述べているように、「家康は300年の太平を開いたが、家康は信長や秀吉に比べて人気が薄い。」それは、日本人に軍隊に対しての「穢れ」感覚があるからに他ならない。このことを作家の井沢元彦氏は『穢れと茶碗』の中で次のように述べている。 『日本人は、要するに平和という崇高な、同時にきれいなものが、そういう「人脂のべとつくような手練手管」で達成されたとは思いたくないのです。しかし思いたくないといっても、実際はそういうもので達成されるのが平和なのです。けれども、日本では、そういう人脂のべとつくような手練手管で平和を実現したり、実現しようとする人間に対して、しばしばまったくの否定的評価を下します。」 更に「戦後教育の落とし穴」という節では次のような点を指摘している。 『今までの日本の戦後教育は、これは戦前教育も実は同じだったんですが、要するに軍隊というのは人殺しであり、戦争というのは絶対悪であるというふうにしか教えない。そして戦争をやることは、きわめて愚かなことであるとしか教えない。そうすると、ヒトラーに対する反抗も、韓国の日本に対する独立闘争も愚かなことになってしまいますが、それには触れない。戦争というのは、たしかに一面では愚かに違いありません。しかし、こういう教育を受けた人間は、二つの大きな欠点を持ちます。一つは、あまりに愚かだ、愚かだとばかり教えられると、教えられた側は、そういう愚かなことをしたやつは馬鹿だったんだ、おれはそんなことしない。それで終わってしまうのです。ですから歴史の中で、戦争というものがどうして起こったかということに対する理解が不足するわけです。つまり、戦争とは愚かだということは、それを仕出かす人間が馬鹿だと言っているのと同じことですから、当然、教えられた人間は、戦争をやった人間も100%馬鹿だと思うようになります。結果として、そういう馬鹿な人間のやったことは学ぶ必要がない、ということになります。ですから、そういう教育を受けた人間は、たとえばこういうことをいうわけです。「戦前、お父さんはどうして軍部に反抗しなかったのか」とか、「戦前、どうして徴兵拒否して逃げなかったのかな」と。そのようなことが可能であったかどうかというのは、当時生きていた人にとっては常識です。当然不可能でした。しかし、いまの子どもたちにはそのことがわからない。これが正しい歴史教育といえるでしょうか。 さらに、もう一つ非常に重要なことは、日本人というのは、平和というものをいちばん大切な価値だと思っているわけですが、これは日本人にとってだけであって、世界の人は必ずしもそうは考えていないということです。日本人にとって学ぶべきは、平和というのはすべての民族、人間とっての絶対的価値ではないということです。中には、神の命令の方が平和より大事だと考える人もいるわけです。世の中には平和という価値を絶対とは思わない、それよりもたとえば民族の独立であるとか、神への信仰であるとか、自由であるとか、そういうことのほうを重要視する人間もいるということは、やはり常識としてきちんと教えなければいけない。そうでない限り、日本の国際感覚というものは、かなり歪んだものになってしまうでしょう。 こういう人たちを治めるためには、ある程度の手練手管、まあ人脂のべとつくような手練手管がいるような局面もあるかもしれません。最もいけないのは、こうした現実に対して、きちんとした教育をせずに、ただ世界は平和を望んでいるというような一面的な価値観だけを全面に押し出して物事を解決できると思い込ませることです。』 また、平和について次のようにも述べている。 『もし、「それまでの戦乱状態に終止符を打って恒久的な平和を創出した」というのがノーベル平和賞の受賞要件ならば、日本の歴史上「平和賞」の有資格者は二人います。一人はすでに名を挙げた徳川家康です。彼は徳川300年の太平を実現しました。そして、もう一人は実は足利義満なんです。 なぜなら室町三代将軍であった彼は、当時、南と北に分かれて争っていた天皇家を一つにし(南北朝合一)、半世紀にわたる戦乱に終止符を打ったからです。この南北朝の争いというのは、当時和解は不可能と誰もが考えていたものでした。それを義満はどうやって和解させたか。ペテンにかけたのです。つまり南朝側をだまして三種の神器を提出させた後、南朝の皇族も天皇にするという約束を反古にしたのです。 これは家康が秀吉との約束を反古にして秀頼を殺し豊臣家を滅ぼしたのと同じで、やはり「汚ない手段」です。司馬遼太郎氏の表現を借りれば「人脂のべとつくような手練手管」です。しかし、それによって徳川300年、そして室町後期のおよそ100年の平和が実現したのも、まぎれもない歴史的な事実なのです。 日本の「平和賞」有資格者は、二人とも「汚ない手」を使った「汚ない奴」なのです。』 さて、教団が平和運動を進めて行く過程において用いる言葉に「兵戈無用」という語句がある。現実社会に重ねると、それは「非武装中立」という言葉が該当することになると思われる。 たしかに、「兵戈無用」とは仏教が目指すところの「理想」である。けれども、それを「現実」の社会に重ねて語ろうとすることはいかがなものであろうか? 両氏の著述から窺うに、それは「幻想」としか思えない。また、そうでないとするならば、では具体的にはそれをいかにしてこの現実社会において実現しようとしているのであろうか。 少なくとも、井沢氏がその大半の著述で述べているように、『「平和、平和」と叫んでいるだけでは平和は実現しない。』 もしこのことを本気で具現化していこうとするならば、現代日本の民主主義社会においては、国会議員となり有志を募り政党を組織し、法案を提出し非武装国家を樹立するという以外に方法はないと思われるが、はたしていまそのような動きはあるのであろうか。 また、日本人はよく問題を解決するに際して「話し合いによる解決」をその方法として挙げるが、実は「日本人は話し合い至上主義」であって、日本以外の国では決してそうではないのである。また、「話し合い」を行う場合、日本人は全員一致を是とするが、そこには原則というべきものが存在していない。他方、外国には「宗教」を背景とする原則がある。この点にも留意しないと、諸外国の紛争等の実情を理解し得ない場合も多々あると思われる。 「平和」について語る場合、安易に経典の語句切り取って語っても、そこに具体性を伴うということがなければ、一般の社会においては「戯論」として片づけられてしまうのではなかうか? この運動を進めていくにあたっては、いったい「平和」とは何か。 まずは、その言葉の具体的な定義付けから検討していく必要があるように思われる。 |
「自らの存在意義」を考える(T.S)ギリシアの哲学者の言葉に『問われない時には、わたしは知っていた。問われた時には、わたしは知らない。』という言葉がある。これは「知っている」と思っていることは、自明のことであるが故に自ら問うということはないが、それが他から問われたた時に実は知らなかったことに気づいたというような意味のことである。いまこのことに重ねると本願寺教団、あるいはそれを構成する真宗僧侶の『存在理由』はどのような点において語り得るのであろうか? 果たして教団の運動方針として示される『部落差別をはじめとする社会の差別構造を糺し、戦争・ヤスクニ・人権・環境などの平和や社会の問題に積極的に取り組む』ということが第一義なのであろうか? もちろん、これらの事項を否定するつもりはないが試みに親鸞聖人(以下、宗祖)の末法時代における仏教者についての記述を繙きながら浄土真宗の生活と併せてしばらく考えてみたい。 宗祖は末法時代の仏教を 五濁増のしるしには この世の道俗ことごとく 外儀は仏教のすがたにて 内心外道を帰敬せり と捉えている。ここで注意すべきは、「この世の道俗ことごとく」の箇所で、当然ながらここには宗祖自身も含まれている。決して宗祖は自分をこの状態の外に置いて、末法の仏教教団を批判しているのではない。この和讃は、現実の仏教者の「善・悪」を言っているのではなく、これ以外に末法の仏教者の現状はないことを述べているのである。では、末法時代の仏教者はどのような姿をしているのであろうか。 宗祖は『教行信証』の「化身土巻」において、『末法灯明記』を引用し、末法時代の仏教者の姿を、次のように語る。そこではまず、『大術経』によって像法時代の、100年ごとの仏教教団の乱れゆく状態が描かれている。仏滅後1000年を過ぎると、世の中が大いに乱れ、仏教者は教団の規定を平気で破り始める。そして、 1200年では、諸の僧や尼に子供ができる 1300年では、袈裟が変じて白くなると記される。「白くなる」とはきらびやかになることで、袈裟や衣が、華美で金や銀で飾られ、色もとりどりに鮮やかになるのである。 1400年では、僧も尼も、男女の信者も、皆猟師のように獲物をあさるようになり、世俗の遊びに興じて、三宝(寺の宝物)を売るようになる。 1500年では、二人の僧が争って、殺し合いをはじめる。 と説かれている。かくて末法の時代にはいる。したがって、末法時代には「仏法」は教えとしては残るが、「戒・定・慧」はありえない。それ故にこの世は、「無戒名字の比丘」のみとなる。姿は、仏教の教えによって、頭をまるめ袈裟を着ているが、内心は外道であって、心の中は欲望に満ちており、ただ財や名誉を求めて懸命になり、子供の手をたずさえて酒場を飲み歩き、世俗の遊びに興じる。それが末法時代の仏教者の姿に他ならないのである。 とするとこの世は、二種類の人しかいなくなる。末法の時代は、ただ世俗的欲望のみが盛んになる。そのため、何人の心も欲望に満ち満ちている。その点において人の心には、全く相違がなくなるが、一はその中にあって仏教の法衣を着ている名ばかりの僧(無戒名字の比丘)、二は心も姿も欲望に満ちている俗人という二種である。 さてここで、この無常の世の、私たちの日常生活における「悪」の状態が、重要な問題となる。いかなる世においても、人は結局、老・病・死の苦悩や恐怖を免れることはできない。幸福の最中にあって、突如、どうしようもない破綻がおこる。科学的な生活に破れ、他の宗教でも救われない。このような人生における最悪の苦悩に陥った場合、どうすればよいのか。やはり無常を越える法を説く仏教に、救いを求めざるを得なくなるのではなかろうか。だがこの仏教教団にも、残念ながら、ただ欲望に満ちた無戒名字の比丘しかいない。この場合、救いを求める俗人の心も世俗的欲望のみであり、救うべき立場にある僧侶の心もまた、欲望で満ちている。ここに果たして、真の意味での、仏教的救いが成り立つのであろうか。 ここで、袈裟を着た名ばかりの僧に、何が求められているかが問われる。この時、特に注意しなければならないは、だからこそ汝たちは、自分が名ばかりの僧であることを深く反省し、懺悔して、「真の比丘になれ」と、いわれているのではないということである。末法の世において、無戒名字の比丘が、ほんの少し、外道のまねごとのような行をして、もし「自分は聖者になった」などと錯覚すればどのような結果を招くであろうか。オウム真理教をはじめとする怪しげな教祖達が人々に不幸をもたらしたことからも容易に窺い知ることができよう。したがって、『袈裟を着る者は、真の仏道を何一つなしえない自分を、心の底から深く恥じらい、まさに無戒名字の比丘でしかないことを、明確に自覚し慚愧するのみ』だといわなくてはならない。ところで、大衆は、この名ばかりの僧に帰依し、仏法の功徳を得ようと集まり来る。だが大衆のこの心は、世俗的欲望を満たすための、さらなる救いを求めているのであるから、より一層の不幸に堕する方向でしかない。『末法灯明記』には、ほぼこのようなことが説かれているが、では宗祖はこの書を通して一体、何を言いたかったのであろうか。 末法時代における「無戒名字の比丘」の、真の在り方がここで問われているのではないかと思われる。そのためには、次の点を明確に抑えておかなくてはならない。 1.末法時代であっても、仏法のみが衆生を救うのであって、それ以外の宗教には、真の衆生を救う道はありえない。 2.いまの仏教者は、ただ仏教の衣を着ている無戒名字の比丘でしかないが、この者以外に、真に衆生を救う者がいないとすれば、この仏教の衣を着ている無戒名字の比丘こそが、この世で最も尊い存在になる。 3.なぜなら大衆は、この仏法者に出遇う「縁」に恵まれて、初めて真実の救いを得る道が開かれることになるからである。 とすれば、無戒名字の比丘の責任は、極めて重くなるといわねばならない。ではこの無戒名字の比丘に、何が求められることになるのだろうか。 一は、大衆に対して、出来る限り、仏縁に出会うことの出来る場をつくる。 二は、この人々に対して、この末法時代においても輝いている、真の仏法を語る。 このうち、一は主として宗教儀礼の問題になる。末法の世において、欲望に満ちた人々を引き付けるためにはどうすればよいか。まず、威容をほこり宗教的雰囲気をかもしだす寺院建築が求められる。法要儀式においては、堂内が飾りつけで見事に荘厳される。法衣は色衣になり、袈裟は金銀で飾られる。大衆を陶酔させる宗教音楽、厳かな読経、世俗的な人々に喜びを与える説法、そして大衆を引き付ける催し物、等々が考えられる。ただしこれらは、外から見ればあたかも仏法のようであるが、その内心はやはり外道だといわねばならない。けれども末法においては、大衆を仏縁に出会わせるために、このような方法しかないのであれば、自分は無戒名字の比丘でしかあり得ないことを自覚した上で、しかも外道の道しか歩めない自分に、大きな悲しみと恥じらいを抱かざるを得なくなる。 では、二はどうであろうか。この末法の時代に、人々に真実の仏法を語ることができる可能性は、果たしてあるのであろうか。そしてもしあるとして、それは一体、誰がなしうるのであろうか。 この実践の可能性は、浄土真宗においては、すでにこの教えに心が開かれている者においてのみ、といえようか。それは真実の信心を獲得している念仏者ということである。ここで法然上人や宗祖の日常生活の姿が求められる。彼らは日常生活の中で念仏を称え、念仏の法門を大衆に伝えたが、ではなぜそれが可能だったのだろうか。いうまでもなく彼らの人徳が人々をひきつけたのであり、その説法に、大きな魅力が感じられたからに違いない。ただし法然上人や宗祖の人を引き付けた力は、決して聖者としての超能力的な魅力ではない。客観的に見れば見れば、むしろ全く逆で「愚」の覚者としての、深い人格的な魅力がそうせしめたといわねばならない。 仏学道という面から見れば、宗祖も法然上人も、非常に高い仏教の学問を身につけ、深く智慧を磨いている。そして人間道という面から見ても、日常生活の中では、何ら倫理的過ちを犯していない。生活が淫らであって、しかも大衆から尊敬を受けることはありえない。だが法然上人も宗祖も、仏道者としての自分を「無戒名字の比丘」でしかないと、非常に深い恥じらいの心で捉える。だがこの慚愧の心こそが人々をひきつけ、その人徳にひかれ、彼らのもとに教えを聞くべく、人が集まったのである。 では法然上人や宗祖はいかなる法を人々に語ったのか。『歎異抄』に、 親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまひらすべしと、よきひとのおほせをかふりて信ずるほかに別の子細なきなり。 と述べられているが、日々の日常生活で「ただ念仏を称えて阿弥陀仏に救われよ」と、たんたんと念仏の法門を語っているにすぎない。しかもその時の彼らの姿は、「大悲が弘く普く教化する」という立場である。これは善導大師の『往生礼讃』に見られる「大悲伝普化」 という文の「伝」の字を、知昇の『懺儀文』によって「弘」と捉え、そこに宗祖独自の読みを施したものである。 善導大師は仏法の伝道について、「自ら信じて人を教えて信ぜしめることは、難中の難である。だからこそ、仏の大悲を伝えて、普く人を教化するのが、真に仏恩に報じることだ」と説くのである。だが宗祖は、末法の世においては、仏法を、自ら信じ人に教えて信ぜしめることが、難中の難であるとすれば、われら凡夫には到底不可能だとし、それにもかかわらず、仏法がこの世に広まっているのは、まさに大悲が自然にはたらいて、弘く普く衆生を教化している。その真理に気づくことこそ、「真に仏恩を報ずるに成る」と見るのである。ではこの「仏恩を報ずるに成る」とは、どのような意味なのであろうか。 ところで、この「報恩」を宗祖は、曇鸞大師の教えを通して「恩を知りて徳を報ずる。理よろしく先づ啓すべし。」と理解する。その教えの真理が、教えを求める者の心に、先ず啓発されて、はじめて人はその恩を知り、自ら教えを受けた恩に報いようと努力する、と捉えるのである。では獲信の念仏者に、いかなる真理が啓発されるのだろうか。私たちの五濁悪世の末法においては、ただ迷いの因と縁のみが逆巻いている。この現実において、凡愚は本来、仏法と出遇う縁などありえない。にもかかわらずその凡夫がいま、直ちに仏果に至るべき、念仏の法門を聞かされているのである。しかもその聞法によって、無限に輝く南無阿弥陀仏に、無条件で摂取されている自分を見るに至っている。だからこそ、ここに無限の歓喜が湧きいずるのであって、これに勝る喜びはない。自分は今、無限の輝きに生かされ、真実喜びの生活の中にある。それは阿弥陀仏の法が、自然のはたらきとして、この者の心に念仏の真理を啓発したことにほかならないが、まさにこの喜びこそが、仏恩を知ったものの姿になるのである。 「報ずるに成る」とは、まさにこの念仏の真理を知った「喜びの姿」だといわなくてはならない。そしてこの念仏を喜ぶ人は、日々の生活において、ただ念仏を称え、その法の真理を人々と共に讃嘆する。それは末法の世の人々に、念仏を伝える働きの姿となるが、そこには自分が念仏を伝えるという、意識も力みも見られない。にもかかわらず、この人の周囲には人々が集まり、念仏の法が喜ばれ、自然に念仏の法が伝わっている。大悲の法が必然的に輝き、この世で躍動しているのである。けれどもこの法が法として伝わるのは、現実においてやはり、獲信の念仏者によっている。よっている。ではこの獲信の念仏者は、どのような日常生活を送っているのだろうか。 ここで再び「無戒名字の比丘」の姿が問題になる。宗祖はこの自分の姿を「非僧非俗」と捉える。自分は国家権力の猥りがわしい裁きによって、僧籍を剥奪され、還俗させられて姓名を賜った。それ故に自分は已に「僧に非ず、俗に非ず」だと宣告し、「禿」の字をもって姓として、愚禿釈親鸞と名乗ったのである。国が定める「戒律」を守る僧ではないが、自分はどこまでも、仏法の衣を着ている僧だとの立場を取る。したがって、無戒名字の比丘の尊さは、この末法の世における唯一の仏教者であるからだとする。 今日の我が国の仏教教団は、国が定める国家の法の支配を受けている。宗教法人法という俗法のもとで、各々の教団が存続せしめられている。しかも世俗の役人の命によって、仏法者の行動が義務付けられているのであって、決して純粋に、仏法の戒律に基づいた行動を仏教者が取っているのではない。いわば世俗の法に保護されて、各々の仏教教団が、各自の掟・作法を作って、仏法の衣を着ているにすぎない。ただしこれ以外に、現実の仏教教団の姿がないのだとすれば、この現状の中で、いかにして真の仏法がこの世に伝わるかを、仏教者は真剣に求めなくてはならない。 『歎異抄』はこの現実における唯一の仏教を 煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもて、そらごとたわごとまことあることなきに、ただ、念仏のみぞまことにておはします。 と語る。この世はなぜ、念仏のみが「まこと」なのか。私たちの心が、世俗的欲望のみで満ち溢れているかぎり、その者の行為の一切に真実はみられない。私たちの人間社会は、この不実な者の集まりによって成り立っている。だからこそ、この世は迷いなのである。ではこの火宅無常の世界にあっても、もし迷いを越える道があるとすれば、それは何か。この迷いを破る、仏の法に出遇う以外はない。「念仏のみがまこと」とは、この末法の世において、私たち凡夫の前に顕現する真の仏は、ただ「南無阿弥陀仏」のみだと、宗祖は見るのである。真実の仏と凡夫の接点は、ただ音声によるしかない。相好に触れることは不可能だからである。だからこそ、阿弥陀仏の大悲の光明が、衆生を摂取するために、南無阿弥陀仏となって、称名する衆生に来たっているのである。 自らの愚悪性に慚愧する「無戒名字の比丘」のみが、この念仏の真理に出遇う。心が弥陀の本願を聞くべく開かれてるいからである。そしてこの比丘の人徳に触れた大衆がまた、その念仏の法門を聞き、自分たちもまた、真実慚愧する人になっていく。とすればここに、 獲信の念仏者が未信の念仏者に、ただ念仏の真実を語り、 未信の念仏者が獲信の念仏者から、ただ念仏の真実を聞く、 という関係が成り立つ。この者たちの日常には、仏法者として、自分の愚かさに気づかされながら、人間のどうすることもできない、不実性、愚悪性を信知することにおいて、それ故にこそ、弥陀の大悲、念仏の功徳を喜ぶ日々が開かれている。したがって、この念仏者にとっての日常は、せめて人間として、倫理的によく生きようと、努力しているといわねばならない。真実よく生きようと努力する者のみが、まさしく慚愧するのだからである。 こに念仏を喜ぶ、浄土真宗の日常生活がある。 縷々見てきたことから言い得るのは、今日における真宗教団並びに僧侶の存在意義は、『日々の日常生活で「ただ念仏を称えて阿弥陀仏に救われよ」と、たんたんと念仏の法門を語る』ということに尽きるのではなかろうか。教団のスローガンに「念仏の声を世界に子や孫に」とあるが、法要の場で、あるいは葬儀・法事の場で年々念仏の声は聞かれなくなっている。それは、獲信の念仏者はいうに及ばず、未信の「念仏者」さえも減少し、未信あるいは無信の人々によって教団が支えられているということではなかろうか。 にも関わらず、そのことは主要課題とはならず、『部落差別をはじめとする社会の差別構造を糺し、戦争・ヤスクニ・人権・環境などの平和や社会の問題に積極的に取り組む』ことが重点項目となっている。だがこれらの諸問題は、真宗教団だけの問題ではなく、現代を生きるすべての人々が等しく興味関心を抱き、まさに「人間として」取り組むべき課題である。そこには、念仏者であるかどうかということは必ずしも重要なことではない。 自らの存在意義はどこにあるのか。私は、ただ「念仏の徳を讃嘆する」という一点にのみあると思う。そのことを第一義としたい。 |
教団において、しばしば「信心の社会性」という言葉が問題となる。すなわち、このことを重視する人々にとって、それはすでに自明の言葉であるのに対して、「信心」とは宗義上もっとも重要な語句であるにもかかわらず、教学的に理解しようとする人々にとってはそれが本来教学的な根拠を持たない造語であるために、受け入れがたい言葉として峻拒されているからである。 では、「信心の社会性」という言葉を教学的に位置付けようとする場合、どのように理解すればよいのであろうか。 宗祖は「信巻」末において、アジャセの獲信に自らの信心のありようを重ねておられるが、それを「無根の信」という言葉でもって表されている。 世尊、世間では、伊蘭の種からは悪臭を放つ伊蘭の樹が生えます。伊蘭の手ねから芳香を放つ栴檀の樹が生えるのを見たことはありません。わたしは今はじめて伊蘭の種から栴檀の樹が生えるのをみました。伊蘭の種とは私のことであり、栴檀の樹とは私の心におこった無根の信であります。無根とは、私は今まで如来をあつく敬うこともなく、法宝や僧宝を信じたこともなかったので、それを無根というのであります。世尊、私は、もし世尊にお遇いしなかったなら、はかり知れない長い間、地獄に堕ちて、限りない苦しみを受けなければならなかったでしょう。私は今、仏を見たてまつりました。そこで仏が得られた功徳を見たてまつって、衆生の煩悩を断ち、悪い心を破りたいと思います。(略)世尊、もしも私が、間違いなく衆生のさまざまな悪い心を破ることができるなら、私はつねに無間地獄にあって、はかりしれない長い間、あらゆる人々のために苦悩を受けることになっても、それを苦しみとはいたしません。 これを「信心」の内景として受け止めると、自らが念仏のみ教えに出遇い得たよろこびを周囲の有縁の人々に語り伝え、それを聞いた人々がまた自分と同じように念仏のみ教えを喜ぶことがあれば、たとえ我が身はいかなる苦境の中にあっても苦とはしない、と。 したがって、「信心の社会性」とは具体的には、自分が念仏のみ教えに出遇いえたよろこびを他の人々に伝えるという方向性において語られるべき言葉であると言いうる。 なおこれは、従来「自信教人信」という言葉で語られてきたのであるが、ただし善導大師が意図した自信教人信と、宗祖が語ろうとしているしている自信教人信とは、思想的な差異があることを理解しておく必要があると思われる。 まず善導大師は『往生礼讃』において、次のように述べる。 仏世には甚だ値ひ難く、人信慧有ることも難し。希有の法を聞くに遇へること、これまた最も難と為す。自ら信じて人を教えて信ぜんこと、難きが中に転たまた難し。大悲を伝えて普く化すれば、まことに仏恩を報ずるなり。 この善導大師の語るところは「仏の在世にまさしく出会うことは、はなはだ難しいことである。たとえ仏と出会ったとしても、仏法を聞き、信じるだけの智慧がその人にあることはより難しい。だから、この両因縁が重なって、希有の法を聞くことに遇えるということは、最も困難なことだといわるばならない。ましてや、その法を自ら信じ、人に教えて信ぜしめることは、難中の難であって、これにすぎる難はない。だからこそ、みずからが得たその仏の大悲を、人々に伝え大衆を教化することは、私を仏果に導かれる仏に対しての、真の仏恩に報いる道になるのである。」と理解することができる。 だが、宗祖は「自信教人信」以下を 自ら信じ人を教えて信ぜん。難きがなかに転たまた難し。大悲弘く普く化する。真に仏恩を報ずるに成る。 と読み替えている。宗祖の意に即して読むと「みずから信じ、そのことを人に教えて信ぜしめる。そのようなことは難中の難でこれ以上の難はない。大悲が弘くあまねく衆生を教化するのである。まことに仏恩を報ずることになる」と理解することができる。 善導大師の立場との根本的な違いは、「大悲」以下である。周知の通り、善導の立場は自分自身が身命をかえりみず、一心に仏の大悲を他に伝えることが、念仏ものとしての真の報恩の道だとするのであるが、では、それと根本的に異なる立場とは何か。自身における「大悲伝普化」の否定、ということになるのではなかろうか。 このことは、宗祖の「信」の構造より見て明らかなことだといわねばならない。宗祖は『信巻』において、衆生には清浄の心なく、真実の信楽なしという。末法の世の凡夫は、いかに努力しようとも、その心はしょせん虚仮諂偽でしかありえないからである。ここを指して『和讃』には「小慈小悲もなき身にて、有情利益はおもふまじ」といい、また「小慈小悲もなけれども、名利に人師をこのむなり」と述べている。そのことは『歎異抄』にも「今生に、いかにいとをし不便とおもふとも、存知のごとくたすけがたければ、この慈悲始終なし』と、衆生的次元の上に見られる慈悲的行為を、むしろきびしく否定している。とすれば、そのような我々が、難中の難である、大悲を伝えて衆生をあまねく教化することは、当然不可能だとして、否定されなくてはならない。 では、宗祖はいかにして大悲の伝達は可能となると考えていたのであろうか。「大悲が弘くあまねく衆生を教化する」 とする宗祖の大悲のとらえ方に、それがよくあらわれている。大悲心とは、一切衆生の苦を抜き、済度しようとする心を意味するが、このような心は仏心以外のなにものでもない。仏のみがよく大悲心を行じうるのである。とするならば、大悲の伝達の可能性は、ただ仏の大悲心がよくその大悲を伝達するということにおいてのみ成り立つ。ここに、衆生が大悲を伝えるという行為性は否定されることになり、同時に大悲自らの伝達の義がうち立てられることになったのである。では「真成報仏恩」の一句をどう理解すればよいのであろうか。衆生にとって何が、真に仏恩を報ずることなるのであろうか。 『歎異抄』に「念仏まふすのみぞ、すゑとをりたる大慈悲心にてさふらうべき」と述べている。念仏行の中にのみ大慈悲心が見出されるというのである。とするならば、「報仏恩」もまた、念仏行と深くかかわっていると解される。親鸞は、大慈悲の行相としての念仏を「大行」と呼んで、その義を『行巻』において明らかにしている。説くところによれば、「南無阿弥陀仏」の称名念仏は、阿弥陀仏自身の行であるが故に大行と呼ばれるという。それ故にこの念仏は、衆生の行為性の中にあるのではなくて、衆生によって称えられている念仏そのものが、仏の一切衆生を済度する行態であることを、衆生がいかにして信知しうるかに意義が見出されることになる。衆生にとっては、その念仏を真の意味で頂戴すべきことが重要なのである。では頂戴するとは何か。「仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし」といわれている、念仏行のみが唯一の往生の行業である、という仏の教えに対しての疑心のなくなった心が「頂戴」したすがたであり、またその事柄が「獲信」と呼ばれる心だといえる。このように見れば、獲信とは、私自身の全人格的な立場において、仏の大悲性、私を救おうとする大行の功徳性が、如実に明らかになることであり、それを「信知」というのだと思われる。 「恩を知り徳を報ず、理よろしく先づ啓すべし」「如来大悲の恩をしり、称名念仏はげむべし」等の言葉によって明らかなように、私たち衆生を済度する仏大悲の恩を、私たちひとりひとりがいかにして信知しうるかがまず問われ、信知することがそのまま、自然に報恩に通じるこしであると知られる。ここにおいて「真成報仏恩」の意が明らかになる。阿弥陀仏の大行性を聞信すること、すなわち南無阿弥陀仏の大悲を大悲のごとく頂戴することにおいて成り立つ心だと解することができるからである。いうなれば、大悲自身が衆生を教化するのだという道理をどこまでも信じていくことが、真に仏恩を報ずる道であったのである。 法の伝達はこのように、まさに大悲みずからのはたらきによってなされるのであり、衆生はただその教勅を聞信するにとどまる。これが宗祖の捉えた真宗伝道の原理である。とはいえ、実際においては、やはり法は人から人へと伝えられていく。もし具体的に宗祖が弥陀大悲の法を語らなかったならば、浄土の真宗はこの世に伝えられなかったであろうし、本願寺教団もまた出現することはなかったと思われる。このように見れば、真宗伝道の根本姿勢は、みずからが聞法に撤する態度以外にはないといえるかもしれない。自分が法を伝え説くのではなくて、他の同行と同一の場にあって、大悲の法をただひたすら聴聞する。この御同朋御同行の立場こそが、真宗伝道のすべてなのである。 以上のことから窺い知られるように、「信心の社会性」とは、自身が念仏の教えに出遇い得たよろこびを有縁の人々に伝え、共に聞くということをおいて他にはないと言い得る。 |
「真俗二諦」を考える(T.S)1 親鸞思想と真俗二諦 宗祖は「真俗二諦」という仏教思想をどのように見ていたのであろうか。 宗祖がこのことに言及しているのは、『教行信証』のみで、その他の著述には見られない。『教行信証』では、二箇所にこの言葉が見られるが、それはいずれも引文においてである。したがって宗祖自身は、直接的には、真俗二諦という言葉は使っていないともいえる。ただし、『教行信証』の全体が、宗祖の言葉だとすれば、「真俗二諦」の思想を、次のように理解していたと見られる。 第一は、「行巻」大行釈・七祖引文中の、曇鸞引文「真実功徳相」釈の文。 真実功徳相とは、二種の功徳あり。一つには有漏の心より生じて法性に順ぜず。いはゆる凡夫、人・天の諸全、人・天の果報、も しは因もしは果、みなこれ顛倒す、みなこれ虚偽なり。このゆゑに不実の功徳と名づく。二つには菩薩の智慧清浄の業より起こり 仏事を荘厳す。法性によりて清浄の相に入れり。この法顛倒せず、虚偽ならず、真実の功徳と名づく。いかんが顛倒せざる、法性 により二諦に順ずるがゆゑに。いかんが虚偽ならざる、衆生を摂して畢竟浄に入るるがゆゑなり。 「真実功徳相」とは何か。この中、功徳に二種の相があるという。第一の功徳は、有漏の心より生じる功徳であって、この功徳は法性、すなわち仏教が意味する真実に順じていない。そこでこの功徳を不実功徳と名づける。いわゆる凡夫が行う行為の一切、すなわち人間界や天上界でなされる諸の善行のすべて、そしてその行為によって受ける果報のすべて、換言すれば、因であろうが果であろうが、その一切はすべて皆、顛倒しており、虚偽なのである。そこでここに受ける功徳の一切が、不実功徳と名づけられているのである。では真実功徳とは何か。 第二の功徳がそれで、菩薩の智慧は清浄の業より起こっている。そしてその業によって一切の仏事、自利・利他の行のすべてがなされる。したがってその行業は必ず、法性によっているから、この行為によって起こるすべての相は清浄なのである。清浄なるが故にここに生じる事柄の一切は、顛倒せず虚偽ではない。そこでこのような功徳の相を、真実功徳相と名づける。ではなぜ真実功徳の相は顛倒しないのか。この相は法性によっており、二諦に順じているからである。では二諦に順じるとはどういうことか。二諦とは、真諦と俗諦であることはいうまでもない。この場合、真諦とは、法性法身である真如法性そのものを指しており、俗諦とは、真如より生じる清浄の相を意味していると言える。したがってこの場合の俗諦は、方便法身としての、南無阿弥陀仏の名号であり、三厳二十九種に見られる、浄土の荘厳の意だと受け取れる。菩薩の業は、この法性法身と方便法身の二諦に順じてなされるが故に、その智慧は顛倒せず、慈悲の実践もまた虚偽ではないのである。そこで菩薩は必ず、衆生を摂して清浄なる悟りに至ることができるのである。 ではこの引文を通して、宗祖は何を明らかにしているのか。凡夫の行為の一切は不実功徳相であり、それ故に凡夫には二諦に順じる行為は存在しない。それに対して菩薩の行為は、真実の智慧によって起こされるが故に、真実功徳相であり二諦に順じている。 これによっても知られるように、凡夫には、仏教が本来意味する、真諦俗諦に順じるものは何も存在しない。凡夫は本姓的に「二諦」なしという事実をここで示しているのだと受けとれる。 今ひとつの真諦・俗諦の語は、「化巻」の三時思想を示す、今は末法であるということを明かす箇所に見出すことができる。そこで宗祖は、最澄の『末法燈明記』を引用して、真諦と俗諦について次のように述べている。 『末法燈明記』 最澄の製作 を披閲するにいはく、それ一如に範衛してもつて化を流すものは法王、死海に光沢してもつて風を垂るるものは仁王なり。しかればすなはち仁王・法王、たがひに顕れて物を開し、真諦・俗諦たがひによりて教を弘む。このゆゑに玄籍宇内に盈ち、嘉猷天下に溢てり。ここに愚僧等率して天網に容り、俯して厳科を仰ぐ。いまだ寧処に遑あらず。しかるに法に三時あり、人また三品なり。化制の旨、時によりて興替す。毀讃の文、人に逐って取捨す。それ三古の運、減衰同じからず。後五の機、慧悟また異なり。あに一途によつて済はんや、一理について整さんや。ゆゑに正・像・末の旨際を詳らかにして、試みに破持僧の事を彰さん。なかにおいて三あり、初めには正・像・末を決す。次に破持僧の事を定む。後に教を挙げて比例す。 最初に「一如に範衛して」とある。範衛とは、法を守るの意であるから、まず仏教が意味する唯一絶対の真実が明かされるのである。真如法性の真理をよくまもり、その法に順じて、そのごとく一切衆生を教化し、仏果に導くのは、法王(仏)の行為である。「光沢」とは、天下を治めるの意であるから、この現実の世界において、東西南北その一切の天下を治め、そこに仏教の教えにのっとった社会・国家を築いていくのは仁王(仏法の徳によって育てられた、理想的な王)によってだとする。仏の教法と、仏の教えを受けた国王によってこそ、人々はよき方向に導かれるのである。真諦と俗諦がたがいによく関係しあって、仏法を世界に弘めるのである。 このようにして玄籍は宇内に満ち、嘉猷は天下をおおう。深い道理をもった仏教の教えが、その国中にみちひろまって、その教化によるよき政治が、天下にゆきわたるのである。ここに仏法の道理があると教えられているので、私たち愚僧は、朝廷によって宣布された僧尼令をつつしんでお受けし、その法を遵守したてまつっている。何ひとつ反対の立場をとらず、ただひたすら、その酷しい法律をいただいている。ところがどうしたことか、自分は一心に仏の教えを実践し、国が定める法を守っているのに、我が心は昼も夜も、全く安らかさを見出せない。それは何故であるか。思うに、如来の法には、正像末の三時があり、我ら人間の資質にも、また上中下の三種の区別がある。したがって教化や制度のその趣旨は、その時々によって変化する。まさに「盛衰は時の流れによって異なる」のである。そしてその時々によってなされる、誹謗と称賛の声も、人それぞれによって種々の取捨選択があるのである。中国における古代の移り変わりも一様でなかったし、仏滅後に見る、五百年ごとの機類の悟りの開き方も異なっているのではないか。これが世の真相であれば、どうしてひとつの定まった形のみを押しつけて、人を救うことが出来るのであろうか。またその一つの道理のみで、国家の全体を治めることが出来るのであろうか。それ故に、自分は今、正像末の様子を詳細に示して、末法時における破持僧の様子を明らかにしたいと思う。 以上が宗祖が引用している『末法燈明記』冒頭の大意である。この引文中に見られる「真諦・俗諦」の意味は、曇鸞の引文に見られた意味とは異なり、真諦とは仏法のことを、俗諦とは仏法に即した世俗の法の意を指している。 では宗祖はこの『末法燈明記』をとおして何をいおうとしているのか。このような真諦・俗諦の関係は、この末法の時代には全く成立しないことを示して、念仏者になされた弾圧の非なることを糺そうとしているのである。すなわち末法の時代には、真の仏道(真諦)を行じうるものは一人としていない。そのような世で、国家が仏教の教えに従って国を治める(俗諦)ことなどありえないとするのである。そのような意味からすれば、宗祖の思想はまさに、仏教一般が意味している、真諦と俗諦の関係の否定の上に成り立っていると見なさなければならない。 そこで宗祖は、『教行信証』の後序に ひそかにおもんみれば、聖道の諸教は行証久しく廃れ、浄土の真宗は証道いま盛りなり。 と述べ、今は釈尊が定める仏道も、その仏道による国家の法律も、成り立たない時代であるからこそ、阿弥陀仏の仏法のみが仏果への道を開いているのだと示すのである。 まさしくこの世には、真の意味での真諦と俗諦の関係はもはや存在しえない。しかも国家が支配する法は、ただ世俗の法のみである。この末法の、世俗の法のみが支配する世の中にあって、凡愚の仏果に至りうる道は、ただ阿弥陀仏の他力による、回向法のみである。これが宗祖によって樹立された、まったく新しい仏道であった。 2 世俗の法と親鸞思想 宗祖は、末法の世、世俗の法のただなかにおける真の仏道とは何かをただ問い続ける。したがって、阿弥陀仏の本願他力の法と宗祖との関わりが、親鸞思想のすべてとなる。では宗祖は、この世俗のみの世を仏教者としてどのように生きたのであろうか。 既に述べたように、宗祖の究極的な関心事は、末法を生きる凡愚が仏になる道を求めることにある。念仏の法門は、その意味においてのみ語られている。したがって、宗祖は世俗における人間の生き方、あるいは念仏者の生活論については、自発的にはほとんどふれていない。つまり、その中心思想からは、「念仏者はこのように生きるべきだ」とする世俗における生き方は、積極的には見出せないのである。わずかではあるが、弟子たちからの質問に答えるという形で書簡集に念仏者の生き方についての親鸞の考え方が散見される。 これらの手紙は、善鸞事件を中心に、宗祖と弟子たちとの間で往復されたものである。手紙の内容を通して、当時「念仏者」が、どのように世間と関わり、そこでどのような問題に直面したいたか、またそれに対して、宗祖はどのような答えをしていたかが知られる。すなわち、宗祖の世俗とのかかわりを窺えるのである。 世間的な常識から見て、法然上人や宗祖の思想の最大の特徴は、わが国の宗教と倫理を、その根底から否定したかのように見られる点にある。当時−それは今日でも基本的には、ほとんど変わっていないと言うべきであるが−日本人一般が求めている信仰とは、この世にまします諸々の仏や神々に、一心に祈願して、現世と来世の幸福を願うことである。倫理とは、その幸福を得るために、世間が定める慣習的道徳を守ることであった。ところがその信仰と倫理の見方を、法然上人や宗祖の念仏思想は、ある意味では根底から破壊してしまったのである。念仏の教えは、阿弥陀仏一仏を信じることによって、どのような悪人でも往生するという教えだからである。 そこで、宗祖の教えを受けた人々は、当然のこととして、わが国の伝統的な習慣を破ることになる。そしてこれもまた必然の結果として、それらの念仏者は、当時の世間一般から、厳しい弾圧を受けることになるのである。ではこの摩擦を越えるために、弥陀一仏を信じる念仏者は、世間の慣習と、どのようにかかわっていけばよいのか。この点が『御消息集』の第四通で次のように示される。 念仏を信じたる身にて、天地のかみをすてまふさんとおもふこと、ゆめゆめなきことなり、神祇等だにもすてられたまはず、いかにいはんや、よろづの仏菩薩をあだにもまふし、をろかにおもひてまいらせさふらふべしや、よろづの仏ををろそかにまふさば、念仏信ぜず弥陀の御名をとなへぬ身にてこそさふらはんずれ、詮ずるところは、そらごとをまふし、ひがごとをことにふれて、念仏のひとびとにおほせられつけて、念仏をとどめんとするところの領家・地頭・名主の御はからひどものさふらんこと、よくよくやうあるべきことなり。そのゆへは、釈迦如来のみことには、念仏するひとをそしるものをば名無眼人ととき、名無耳人とおほせをかれたることにさふらふ。 ここでまず宗祖は、念仏をとどめようとしている人々、すなわち領家・名主の「念仏弾圧」という行為に対して、それは「よくよくようあること」だとして、一応肯定的に受け止めていることに注意する必要がある。「ようある」とは、そうすべき必然的理由があるという意味であろう。なぜか。彼ら−領家・地頭・名主は、真実の仏法に対して、無眼人であり無耳人であるからである。仏法の真実を、見る眼を持っていないし、聞く耳も持っていない。その彼らが今、世俗の法によって仏法者を裁き、慣習的に社会の秩序を守ろうと試みている。いわば念仏者に対して「そらごとをもうし、ひがごとをことにふれて」念仏の教えを弾圧し、社会の秩序を保つべく懸命になっているのであるる「そらごと申す」とは、念仏の真実に耳を傾けないで、まったく間違った判決を下すことであり、「僻事をことにふれて」とは、世間的に見て、念仏者が犯している「明らかな過ちを、弾圧のためのよい口実」として、との意に解することができる。彼らは何も無秩序に弾圧を加えているのではなくて、念仏を停止させる、それなりの理由があったのである。 では、念仏者の「僻事」とは何か。信仰面でみれば、諸仏・諸菩薩・諸神を疎かにすることであり、倫理面で見れば、世間的秩序を無視して、悪事をはたらくことだといえる。そこで宗祖は、このような念仏者の行為をまことに厳しく否定するのである。まず前者に関しては「よろずの仏・菩薩をかろしめ」さらに「よろずの神祇・冥道を侮り捨てる」ことは、決してあってはならないことだとする。言うまでもなく、諸仏・諸菩薩とは念仏者を導いて下さる方であり、天地にまします神々もまた、常に念仏者を護られているのである。尊敬こそすれ、絶対にあだ疎かにしてはならないというのである。 そして後者に関しては、この『御消息』の後半で、次のように述べられることになる。 弥陀の御ちかひは煩悩具足のひちのためなりと信じられさふらふは、めでたきやうなり、ただし、わるきもののためなりとても、ことさらにひがごとをこころにもおもひ身にも口にもまふすべしとは浄土宗にのふすことならねば、ひとびとにもかたることさふらはず。おほかたは、煩悩具足の身にてこころをもとどめがたくさふらひながら、往生をうたがはずせんとおぼしめすべしとこそ師も善知識もまふすことにてさふらふに、かかるわるき身なれば、ひがごとをことさらにこのみて、念仏のひとびとのさはりとなり師のためにも善知識善のためにも、とがとなさせたまふべしとまふすことはゆめゆめなきことなり。 阿弥陀仏の誓願は、煩悩具足の凡愚こそ摂取されるからといって、ことさらに悪事をはたらいてはならない。わざと好んで悪事を心にいだき、身になし、口にすることはは、決してあってらはならないのである。私たち人間社会は、人間倫理のもとに構成されている。この世の中にあって、人間として真実なさねばならないことを、今日この私に懇切に教えてくれたのは、まさしく念仏の真実を語られた師であり善知識である。我々は煩悩具足の身であり、なすべき倫理的な生き方さえ、おぼつかない凡夫でしかない。だからこそ善知識は、この愚悪なる、どうしようもない我が身を見つめさせて、しかもこの悪人が往生する真の仏法に、いま出遇わせてくださったのである。したがって、この念仏の法門は、煩悩具足の我らが、煩悩具足のままで、真の仏法者として、いかにこの世を倫理的に生きるかが問われているのである。この故にこそ、もし念仏者が世間の倫理を無視して悪事を行うのであれば、それは真の念仏者を貶める行為であり、さらには師や善知識を咎人にさせてしまう行為となるのである。 このことは『末灯鈔』のなかでも、第十六・十九・二十通等において、 煩悩具足の身となればとてこころにまかせて、身にもすまじきことをもゆるし、くちにもいふまじきことをもゆるし、ここにもおもふまじ きことをもゆるして、いかにもこころのままにてあるべしとまふしあふてさふらんこそ、かへすがへす不便におぼえさふらへ。 と示されるように、獲信の念仏者は当然のこととして、世間的な善、倫理道徳に違わない生活をしなければならないとするのである。では宗祖は、このような社会秩序を統制する、いわゆる国家権力をどのように見ていたのであろうか。今日、国家権力対反国家権力という図式より、ともすれば宗祖を反国家権力の側に位置づける見方がなされているのであるが、宗祖の念仏思想は、そのような時の権力と常に対峙し、社会の秩序をその根底より批判していくといった思想ではない。例えば「行巻」の結びに、 それ菩薩は仏に帰す。孝子の父母に帰し、忠臣の君后に帰して、動静おのれにあらず、出没かならず由あるがごとし。恩を知りて徳を報ず、理よろしくまず啓すべし。 といった文が見られるし、また『御消息集』の第二通には、 詮じさふらふところは、御身にかぎらず念仏まふさんひとびとは、わが御身の料はおぼしめさずとも、朝家の御ため国民のために、念仏をまふしあはせたまひさふらはば、めでたふさふらふべし。往生の不定におぼしめさんひとは、まづわが身の往生をおぼしめして、御念仏さふらふべし。わが身の往生一定とおぼしめさんひとは仏の御恩のために御念仏こころにいれてまふして、世のなか安穏なれ、仏法ひろまれとおぼしめすべしとぞおぼえさふらふ。 と述べている。この中に見られる「忠君の君后に帰す」や「朝家の御ため国民のため」といった言葉は、決して反国家権力的な思想からは導き出せない。と言えば直ちに、では宗祖の思想は国家権力の側にあるのか、といった反論がなされそうだが、もちろんそうでないことは、『教行信証』の「後序」に見られる、 主上臣下、法に背き義に違し、忿を成し怨を結ぶ といった、時の権力に対する厳しい批判によっても明らかである。けれども、だからといって、親鸞を反国家権力の立場にあったと位置づけてはならない。なぜなら、宗祖が捉えた念仏の法門は、国家権力対反国家権力といった、世俗の法と同一の次元で、相対立するような教法ではないからである。 例えば、宗祖は『教行信証』「信巻」の終わり「逆謗摂取釈」で、曇鸞大師の「八番問答」を引用しているが、そこで五逆罪と正法を誹謗する罪とどちらが思いかが問われている。 五逆罪とは、実際に自分の父や母を殺害する罪で、この世では最も重い罪だとされるものである。これに対して、正法を誹謗するとは、ただ口先で「仏教の教えなど嘘ばかりで信じるに値しない」というのみである。だがそれにもかかわらず曇鸞大師は、五逆罪よりも正法を誹謗する罪の方方が、はるかに重罪だとする。なぜか。これに対して曇鸞大師は、もしも諸仏・菩薩がましまさず、世間・出世間の善道を説いて、衆生を教化する人の存在がなければ、人々はどうして「仁・義・礼・智・信」を真に知りえようかと答えるのである。この意味からすれば、仏法はまさしく世間的な倫理の道徳の、より根源の法というべく、世間一切の善法は、この仏法の教えによって、はじめて真に導きだされるのだと、宗祖もまた考えていたと窺えるのである。 では、宗祖はなぜ仏法という教法の中で、世俗の法にほとんどほとんど関心を示さないのか。それは世間的善悪の問題、世俗の法は、あくまでも我々人間知のレベルで解決が可能だからだといえる。というよりも、世間的倫理道徳的事柄は、どこまでも人間知の次元で解決すべきことだというべきかもしれない。人間社会で繰り広げられる善悪の問題は、そのほとんどがその時代、その社会における人間の常識で、判断可能な事柄のはずである。まさに、人間の歴史はそのような中で流れているのであり、お互いの常識で、善が悪を廃して、人間社会を成立せしめているのである。人間の行為は、人間倫理で十分なのであって、普通はそのいちいちに仏法の根本理念を照らしたりなどはしない。ただし、だからこそ、世間の一切は顛倒しているのであって、仏法の目から見るならば、「よろずのことみなもて、そらごとたわごと、まことあるなし」といわなければならないのである。とすれば、ここで仏の眼を持つ者の出現が求められることになるが、残念ながらこの末法の世は、ただ凡愚のみで仏の眼を持つ衆生など、誰一人としていない。 それはこの世において、この現実の世界を、仏陀のごとく真実歩みうるものは、誰一人いないことを意味している。仮に仏法を一心に学び、自分は悟りの智慧を得たと嘯くものがいたとしても、−真宗的にいえば、真実信心の智慧を獲得したと歓喜するものがいたとしても−この世における人間の歩みは、その一切が不実でしかないのである。 親鸞思想の特徴は、すでに述べたように、凡夫が仏になるという仏道に関しては、極めて深い思索を尽くしながら、世俗の世間的生活に関しては、何ら深い関心を示していない点にある。すなわち世俗における教説は常識の域をでないのであって、「ことさらに悪をなしてはならない」「この身を厭い、悪い心をひるがえし」て、人間としての善意に務める、といった思想ぐらいしか見出せない。このことは仏教の理念を、世間的生活の次元に持ち込むことを、宗祖はむしろ厳しく否定していることを示している。この世における最も悲惨な悲劇は、愚かな人間が仏や神の名においてなす教条的行為である。もし人が錯覚して、誤った仏教の原理を押しつけ、それを人々に実践させるべく強いたとすれば、それこそとんでもない過ちを犯すことになるといわねばならない。 私達は今日、どのような立場から真宗者の「真俗二諦」を捉えようとしているのか。その多くは、宗祖の真俗二諦の立場に立てという。その真俗二諦論は、真実信心の智慧の立場から、この世における悪の構造を正しく見極めて、徹底的にその悪を排除しようとする実践的行為を、信心の念仏者の姿だとするのである。だがそれはむしろ危険な思想だというべきで、宗祖にそのような真俗二諦の立場があるのではない。そこで親鸞思想に見る、世俗とのかかわりは、次のようにまとめることができるように思う。 すでに真実信心を獲得している念仏者は、もはや自分自身の往生を願う必要はなくなっている。だからこそ念仏の功徳は他に向けられるべきで、自分自身の幸福を求めるのではなくて、ただひたすら朝家のため御ため国民のためめ、念仏の真実を讃嘆すべきであり、さらに御報恩のために、世のなか安穏なれ、仏法ひろまれかしと、願うべきだとするのである。そのためには、念仏の真実が他者に誤解されるようなことがあってはならない。世間一般の人々が、念仏者の生き方にふれて、その輝きに、自ずから引き寄せられるような、そのような生き方がもとめられるのである。ことに地方の中心者、領家・地頭・名主等は、仏法の真実を聞き学ぼうとする心を持っていない。だからこそこの者に誤解を与えるような振る舞いは絶対に慎むべきで、諸仏・諸神を疎かにしたり、わざと好んで悪をなすといった行為は、決して行ってはならないのである。 なぜなら、領家や地頭や名主が、もし誤って念仏を弾圧すれば、彼らこそがまさしく地獄に落ちなければならないからである。ただし念仏者がどのように努力しても、念仏への弾圧がひどくなるような場合は、この地域では念仏の縁が尽きているのだと思って、立ち去ればよい。間違っても、念仏の法を広めるために、教えの真実を曲げたり、権力者に媚び諂ってはならない。「余のひとびとを縁として、念仏を広めんとはからいあわせたもうこと、ゆめゆめあるべからず」なのである。 いかに領家・地頭・名主が念仏者に「ひがごと」を行ったからといって、百姓を惑わすようなことはしない。そして念仏の法門は、そのような外からの弾圧に破られるようなことはない。仏法者が破られるのは、あたかも獅子身中の虫が獅子を食らうがごとく、仏法者の堕落によってのみ、その仏法が破られていくのだからである。 3 覚如・存覚と真俗二諦論 宗祖は、念仏者の倫理を体系化していない。それは、末法の国家はすでに世俗の法のみによって定められており、いかなる組織も世俗の組織でしかないからである。その意味からして、宗祖には教団を作るという意識はまったくなかったと推察される。なぜなら、当時の仏教教団そのものがまさしく世俗的組織であって不実なる団体でしかないことを露呈していたからである。したがって、念仏者がその世俗の国家と関わるといったことについて、倫理的な体系化を試みることなど、宗祖には興味を覚えないばかりか、無意味なことでしかなかったのである。ただし、念仏の法門は永遠に迷いを断ち切る悟りの法門であり、一方世俗の法はあくまても迷いの法である。両者は本来、同一の次元にあるのではなく、また対立の関係に置かれているのでもない。とすれば、真実信心の念仏者は、すでに悟りへの道を歩んでいる者であるから、世俗の社会がいかに乱れていたとしても、その社会を一人で十分歩むことができるといわねばならない。念仏の法そのものが歪められる場合は、その行為を厳しく排除しなければならないが、そうでない限りは、他との摩擦を極力避けていればよいのである。宗祖の立場は、むしろ無抵抗な姿に近く、それ故にこそ、世俗の社会に念仏の真実を輝かせたといえるのである。 けれども覚如上人や蓮如上人はそうではない。彼らは、宗祖の思想をこの世に純粋な形で遺そうと、その生涯をかけ一心に努力したのである。そこで、ひとつの教えを間違わずに、この世に伝承していくために、ひとつの組織を作らなければならない。まさしく法灯の伝承こそ、教団の存在意義であって教団を作らなければ、やはり正しい教法の伝承は不可能なのである。ただし、ここにひとつの教団が組織されれば、その教団が現実社会にどのように関わるかが大きな問題となる。この場合、教団の組織は世俗の次元に置かれる以上、念仏の法門である真宗教団も、必然のなりゆきとして世俗の社会と直接的に関わることを余儀なくされる。この点が、宗祖の立場と、覚如・蓮如上人の立場の大きな相違点であり、覚如・蓮如上人おいては、宗祖においてさほど問題とはならなかった人間倫理の問題が極めて重要な関心事となってくるのである。この立場の違いはまずはっきりと抑えておく必要があると言い得る。 いまひとつ、私達は今日、近世以降、真宗教団が主張してきた「真俗二諦」の思想に対して、それは宗祖の信心と根本的に異なっていると、非常に批判的にとらえることが多い。この場合、例外なくその原点は覚如上人にあるとしている。だが果たしてそうか。ここで宗祖が、この末法の世における「真俗二諦」の成立を否定している点に注意しておきたい。なぜなら、覚如・存覚・蓮如思想は、宗祖がこのように否定した点から展開しているからである。端的にいうならば、覚如・存覚・蓮如上人の著述において、基本的には「真俗二諦」の言葉は見出せない。したがって、彼らには今日いわれているような真俗二諦の思想はなかったと見なければならないのである。 ただし、例外として、存覚上人には『教行信証』の註釈書である『六要抄』があり、その『末法灯明記』の註釈の部分で、「真俗二諦」に対する存覚上人の見解が見られなくはないが、ただしその場合でも「此の書は是仏法・王法治化の理を演べ、乃ち真諦・俗諦相依の義を明かす。」と述べるにとどまっている。結局、私たちの世には、正・像・末という異なった三時があり、また機においても利と鈍の差があるから、真諦と俗諦の関係も「一法」のみによって定めることは出来ないとするのであり、『教行信証』の意と大きく違うものだとはいえないのである。 このように見れば、今日批判されているような真俗二諦の構造は、覚如・存覚・蓮如上人の上には明確には見出しがたいといわねばならない。では真俗二諦論で、覚如上人のどのような思想が問題にされているのであろうか。『改邪抄』の次の文が指摘されている。 それ出世の法においては五戒と称し、世法にありては五常となづくる仁・義・礼・智・信をまもりて、内心には佗力の不思議をたもつべきよし師資相承したてまつるところなり。しかるにいま風聞するところの異様の儀においては、世間法をばわすれて仏法の義ばかりをさきとすべしと云々。これによりて世法を放阿するすがたとおぼしくて裳無衣を著し黒袈裟をもちゐる軟、はなはだしかるべからず。『末法灯明記』… 出世の法では五戒(不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不飲酒)を、世法では五常(仁・義・礼・智・信)を守ることが、日常における人間の道である。だからこそ、この道理をわきまえて、内心には他力の信心、阿弥陀仏の不可思議さに生かされることが、法然上人から宗祖へと教えられてきた、我々の生活規範である。だが今日耳にするところによれば、「世間法」を忘れて「仏法」の義ばかりを重視せよ、というような風習が我々の教団にあるようである。だがそのようなことは絶対にあってはならない。『末法灯明記』にも、末法では仏法の道理はすたれ、意味をなさなくなっていると示されている。宗祖は、仏法者ぶることは全くなされていない。教信沙弥のごとく生きたいと願われたのが宗祖の心だからである。このことからしても、我こそは仏法者であるという、「仏法者ぶる」態度を表面に出すべきではない。 『改邪抄』の大意は、このように受け止めることができる。この内「真俗二諦論」では、前半が問題にされているのであるが、覚如上人の言いたいことはむしろ後半部分にあるのであって、前半はただ単に世間の一般常識を述べているにすぎない。しかも出世の法が真諦であり、世間の法が俗諦であるといった意味は、この文からは読み取れない。そのような範疇で、出世の法・世間の法といった言葉が使われているのではないからである。仏法者は、最低五戒を守るべきであるし、俗世間では五常を守ることが人間の道である。真宗者はもちろん、五戒を守る心は持っていない。そこで、五常を守ることが重要となる。とすれば、この者の生き方は、当然、五常を守りつつ、内心に深く他力の不可思議さに生かされるべきだということになる。だからこそ覚如は、真宗者に対して、ことさらに仏法者ぶる必要はないといっているにすぎないのである。 では、存覚上人はどうであろうか。存覚上人においては、『破邪顕正抄』の第十項「仏法を破壊し、王法を忽諸するよしの事」が問題になっている。 この条仏法・王法は一隻の法なり。とりのふたつのつばさのごとし、くるまのふたつの輪のごとし、ひとつもかけては不可なり。かるがゆへに仏法をもて王法をまもり、王法をもて仏法をあがむ。これによりて上代といひ当時といひ、国土をおさめまします明主、みな仏法紹隆の御願をもはらにせられ、聖道といひ浄土といひ、仏教を学する諸僧、かたじけなく天下安穏の祈請をいたしたてまつる、一向専念のともがらなんぞこのことはりをわすれんや。 ここで「仏法と王法は一隻の法なり」という。鳥の二つの翼のごとくあり、車の二つの輪のごとくであって、これらは一つが欠けると用をなさなくなるのである。仏法と王法の関係はまさしくそうであって、仏法をもって王法をまもり、王法をもって仏法をあがめるのである。ここに理想の国家があるのであって、上代から今日まで、我国の天皇も仏法者も、そうすべく努力してきたのである。そこには例外はないのであって、聖道の行者も浄土の念仏者もそのようにして、天下の安穏を願ってきたのである。とすれば私たち一向専念の真宗教徒のみが、どうして世俗の生活の、根本理念を忘れ去ってよいことがあろうか。そのようなことは決してあってはならない。 引文は一応、このように解釈することが出来る。真俗二諦論では、この部分が指摘されているのであるが、存覚上人がこの書の中で述べようとしている意図は、この引文の箇所にあるのではない。次の部分に存覚の主張の要点があるのである。その大意を示せば、次の通りである。 我々一向専念のともがらは、火宅無常の世にあって、曠劫より無限の苦悩を受けてきたのであるが、今この日本国に生まれ、幸いにも阿弥陀仏の仏法に出遇うことができたのである。このものがどうして皇恩を忘れ、あだにすることがありえようか。ところで我々念仏者は、この易行によってしか、仏果に至りえないので、念仏一行を修し西方の往生を願っているのである。この行がなぜ、王法に背き、仏法を破ることになるのか。ところが国家は理不尽にも、念仏者の真の姿、その求道の心をまったく見ないで、頭から一向専念の輩は、仏法を破滅し、王法を軽んずる者だとして、眼に余る迫害を加えている。これはもってのほかだといわねばならない。 以上が後半に見る存覚上人の主張である。前半の部分においても、仏教が意味する「真俗二諦」の思想に重なるものではないが、全体的に見て、仏教の真俗二諦がなぜここで問題になるのか、それは存覚上人の知らざるところだというべきではなかろうか。 さて今日、真宗者が問題にしている真俗二諦論は、明治以後に現れた思想である。この場合、その人々が自分の論を権威付けるために、覚如・存覚・蓮如上人の思想を取り入れ、そこに「真俗二諦」という言葉を重ねて、近代感覚にかなう、全く新しい真宗の思想を打ち立てたのである。ところが、その思想が戦後、宗祖の思想に、まったく違うものだという厳しい批判を受けるに至った。その時、批判者は、明治から昭和の、殊に戦時中説かれた真俗二諦の論を批判する際に、その思想の根拠を覚如・存覚・蓮如上人に見出し、彼らにあたかも真俗二諦の思想があるかのように批判しているのである。だがこれは明らかな誤りだと言わねばならない。 明治以後に出された真俗二諦の思想は、宗祖の真俗二諦の思想とは、全く異質の思想である。宗祖は末法の世では、仏教が意味する真俗二諦は成り立たないと言っているのであり、宗祖の念仏思想は、世俗の法と同一の次元で対立するものではない。したがって、宗祖は個として、この世間を自由自在に歩むことができたのである。 だが、覚如上人以後はそうではない。真宗教団という、ひとつの世俗の場での念仏者の組織を形成して、その中でこの世を歩もうとしているからである。この場合、念仏者の生活は、世俗の法と同一の次元で真っ向から対立することになる。覚如・存覚・蓮如上人が念仏者の生活に、大きな関心を払わなければならなかったのはそのためで、以後の真宗教団人は、念仏思想と共に、国家の法とどうかかわるかが、最大の関心事になるのである。 今日その念仏思想と国家の法の関係を、我々は「真俗二諦」という言葉を通して論じようとしている。末法の世を、我々が歴史的現実の中で生きるためには、念仏者が世俗の法とどう関わるかを問わなければ、生きることは出来ない。その生き方はあらゆる面で、多くの過ちを含んでいることはいうまでもない。念仏の法門を聞き、精一杯生きながら、どのような時代にどのような過ちを犯すものであるのか、それを知ることが浄土真宗の教団史なのである。 「真俗二諦」という言葉に惑わされて、間違った角度から覚如・蓮如上人の生き方を批判するのではなく、その時代その社会において、真宗者がどう歴史とかかわったかを、我々はあきらかにしなければならないのである。 4 真俗二諦を考える 「基幹運動推進僧侶研修会 僧研ノート」の『信心の社会性について』と題する文章の中に「私たちの教団は、歴史の中で仏法と王法をそれぞれ真諦・俗諦として、信心を社会的存在としての私の在り方から切り離し、社会問題に無関心な念仏者をつくり出してきました。そして、結果的にまた意図的に、現実のさまざまな矛盾をあきらめとして受け止め、体制に随順することを説いてきたのです。」という一節がある。 果たして、このように簡単に断定して良いのであろうか。いったい社会に生きる者が、自らの社会に起きる事柄に無関心でいるといえるのであろうか。例えば、明治初期に神道が国教化されていく過程にあって、私たちの先達方は傍観していたというのであろうか? あるいは、国会に先駆けて「集会制度」を取り入れたことは評価するに値しないというのであろうか。あるいは、あの封建的な社会の中で、人々は具体的にどうすれば良かったというのであろうか。 周知の通り、人間の判断力というものは、事件が発生し、ある結果が生じてしまった事柄に対しては、それは正しいことであるか否かを、ある程度誤りなく判断することは可能である。けれども事件の渦中にある時、自分がその出来事の真ん中に置かれているような場合は、自分が果たして正しいか否かを知ることは非常に難しいことであるといわざるを得ない。顕著な差別事象においてもそうである。例えば、差別することは悪いことである、というのは自明の理であって、いつの時代いかなる社会においても通用し、誰もが知っていることである。もちろん封建社会においてもこの理は通じる。ところで、江戸時代は、社会の秩序を乱すということは、最も思い罪の一つに数えられていた。それは鹿児島の地において、島津氏により明治期に至るまで『念仏禁制』が布令された理由の一つとして、一向一揆という形で活躍した真宗門徒が社会秩序を乱すことを恐れたことがその一因であったと推察されるていることからも容易に窺い知ることができる。このように社会の秩序を乱すということは、悪であると考えられていた封建社会において、もし「差別の構造」が意識的に作られていたらどうであろうか。これは端的には身分制度を指すが、このような中に置かれていた場合、人はどのような意識構造を持つかということである。 このような場合、「差別が悪である」という道理は、同一の階級内においてしか通用しなくなるのではなかろうか。そうであるとすれば上下の間では、この時代、差別は当然だということになる。したがって異なった階級間で差別することが悪であるとは、当時の人々はあるいは思いもよらなかったかもしれない。したがって、運動を起こして、社会の階級的な差別をなくそうと行動するものがもしいたとすれば、それはむしろ社会の秩序を乱す者として、直ちに捕らえられることになる。このように見れば、異なった階級間での「差別」が実は人間の尊厳にかかわるような悪であるとは、人々はあまり意識していなかったし、おそらく本当のところは知らなかったと考えられる。 またノートでは「体制に随順することを説いてきた」と批判的にいうが、では「体制に随順することなく」生きるべきであったのか。まさに「社会秩序を乱す」具体的には、戦国の世に逆戻りすべく、全国各地で再び一向一揆を起こすべきであったのだろうか。 また、「浄土真宗の教章」の中、「宗風」には「信者はつねに言行をつつしみ、人道世法を守り」とあるが、「人道世法を守る」ということはすなわち「体制に随順すること」ではないのか。もしそれがいけないのなら、人道はともかく「世法を守ら」ないことを奨励するというのであろうか。 現実問題として、今日のわが国の仏教教団は、「体制」であるところの国が定める国家の法(俗諦)の支配を受けて「随順」している。端的には宗教法人法という俗法のもとで、世俗の役人の命によって、仏法者の行動は義務付けられている。換言するならば、世俗の法に保護されて、各々の教団が、各自の掟・作法を作って、仏法の衣を着ているにすぎないのである。まさしく「体制に随順して、存続せしめられている」のである。けれども、これこそが明治期以来の「真俗二諦」という言葉で批判されてきたあり方そのものではないのか。 にも関わらず、『歴史の中で仏法と王法をそれぞれ真諦・俗諦として、信心を社会的存在としての私の在り方から切り離し、社会問題に無関心な念仏者をつくり出してきました。』という反省がなされているが、では批判者はいったいどの場に立っているというのか。 「基幹運動計画」に挙げられた『部落差別・戦争・ヤスクニ・人権・環境』等は、いずれも念仏(信心)の有無を問わない、現代を生きるすべての人々が共に「人間として」関わるべき、俗世間における社会問題に他ならない。 つまりそこには『真諦』は見られない。このような意味において、基幹運動が具体的に掲げている問題は『俗諦』に関することのみの運動といわざるを得ないのではないか。したがってその立場からは、『真俗二諦』のあり方が批判されるのも当然のことなのかもしれない。 また同ノートに『「真俗二諦の問題」は、真が俗に切り込む大乗仏教利他行の実践の一環として、仏法の原理を世俗の中にいかに貫徹せしめるべきかという、仏教の本来性においてとらえるべきである』とあるが、宗祖はそのようなことは不可能だということを「教行信証」で顕かにしている。この場合そのような事実は、全く無視してしまってもよいのか。 宗祖は、結局人間はどこまでいっても愚かであって、臨終の一念までその愚かさをぬぐい去ることができない。けれども、その迷い苦しむ愚かな人間を救うのが、まさに唯一阿弥陀仏の本願力だけだ、という。これは、自分の根源的な愚悪性が明かになる。その愚かさに慙愧の心、無限の恥じらいをいただくところに、初めてそのものこそを救うという、本願の尊い呼び声が真に聞こえてくるのだということ明かにしているのである。したがって、獲信の念仏者の仏道とは、凡夫の真の姿を知り、念仏とは何かを人々に説く。そこに大悲を実践する念仏者の道があるのであって、社会問題の実践がそのまま「利他行」と重なるのではないことを知らなくてはならない。 ここに、改めて真宗僧侶としての「現代における自身の存在意義」が問題となるように思われる。 5 真俗二諦を考える(2)−他の宗教− この真俗二諦を考えていく上で、作家の井沢元彦氏の『世界の「宗教と戦争」講座』という本の中の『イスラム教は「内なる人」と「外なる人」との区別を認めない』と題する文章は極めて興味深い。すなわち 『キリスト教は母体をユダヤ教にとっていますが、ユダヤ教も実はイスラム教とよく似た宗教なのです。 イスラム教とユダヤ教で共通していることもありますし、全然共通していないところもあります。共通しているのは、割礼(かつれい)です。割礼をしなくてはいけない。ユダヤ教もまた神の命令を絶対守らなくてはいけない、いわゆる律法主義だったのですが、そこにイエスという存在が出てきて、律法ではなく内面の信仰の方が大事なのだ、と言い出したわけです。 それをさらに発展させたのが、キリスト教の初代教会の伝道者であったパウロという人です。この人が非常に重要なことをやったのです。「新約聖書」は、イエス・キリストが、どうしたこうしたというのを弟子の立場から見て書いたもので、マタイ福音書とか、ヨハネの黙示録とかいうもののほかに、パウロが信仰を説くためにローマ人に出した手紙などといったものも含まれています。 その中にある言葉なのですが、内なる人、外なる人、ということがパウロの手紙にはよく出てきます。これはどういうことかというと、要するに信仰の問題で、戒律よりも信仰の方が大事なので、神の命令を一分の隙もなく実践すること、つまりイスラム的な生きかたは本当の生きかたではない、人間は心の中で何を信じているかが問題なのだ、ということをパウロは強調したのです。実はパウロが強調した、内なる人というのは、あくまでもキリスト教だけのことでした。 パウロはユダヤ人であるとともに、ローマの市民権を持っていたローマ市民でもありました。当時ユダヤはローマに征服されて一種の植民地になっていましたから、そこでのパウロの生きざまは、ローマの法律はすべて守るけれども心の中の信仰だけは侵されないというものだったのです。 ローマの法律がキリスト教は許さないということになった場合に、実際にそうなったわけですが、かれは自分は「外なる人」としては模範的なローマ市民として生きるけれども、「内なる人」としては、キリスト教徒として生きるということをしたのです。 ところがそれまで、こういう考え方をした人はいませんでした。つまり外なる人も、内なる人も一緒でなければなりませんでした。キリスト教はまだローマの国教にはなっていませんでしたから、この当時のローマ市民は、ギリシャ以来のジュピター(ギリシャ神話ではゼウス)とか、アポロとかの多神教の世界にありました。ですからそれまではローマに限らずどこでもそうですが、ローマの法律は守りますが内側ではキリスト教徒ですというのは、絶対許されませんでした。ローマの市民なら、ローマの宗教を信じなさいというのがそれまでの考えかたで、そういうふうに内と外を分けるということを初めて強調したのがパウロでした。この時点ではパウロが考えていたのは、キリスト教のことだけだったのですが、それが近代の考え考え方にまでつながっているのです。 市民としての義務を果たしていれば、心の中では何を信じていようと自由だ。何を信仰していても、日本国民としての義務さえ果たしていれば立派なことなのだ、という近代的な考えかたの原点が初めてここに出てきたのです。 イスラム教は、いまもそうですが、原則的にこういう考え方は認めていません。』 真俗二諦の問題も、キリスト教的かイスラム教的かという視点で分けることができるのであろうか? |

back |
home |
next |