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2004/03/17更新 |

古流4世家元理恩先生像 |
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江戸時代に書かれた多くの伝書には当時のいけばなのようすをよくあらわしているものや考え方として現在にも通用する大事な部分がたくさんあるような気が致します。そこでここにそのいくつかを書き出しその大事な部分について考えてみたいと思います。
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※原文には読みやすいように句読点などを加えています。送り仮名も原文とは違う場合があります。
※概約は私の主観も入っています。 |
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古流の伝書より
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| 原文 |
『夫、萬樹千草は供に天地の気を受けて化生し、雨露の乳汁に育せられ花咲く、されば其の精、清浄なる故に神に手向け仏に供す。人亦貴きとなく賎と無く色に染み香に愛でり。春秋誰か弄ざらんや。然ればとて容易に花挿すべき業にあらず。(中略)
弁理なくして花挿すときは、只小児の戯れにひとしかるべし。古法令制空しからざるを以って何れも口伝ある事、執心懇望にあらずんば是を許さんや』 |
古流生花初伝序より |
| 概約 |
世の中のたくさんの植物達は天地の気を受けて生まれ、雨露に育てられて花が咲く。そんな花の精は清浄でありから神に手向けたり、仏に供花される。人も富めるものも貧しいものも花の色やにおいを愛でるものである。そんな美しい花をどうしてもてあそぶようなことが出来るか。安直に花をいけるものではない。
何の理屈もなしに花を生けるというのは子供達が遊んでいるのと変わりない。昔からの約束事など、すべてに伝承されることがある。熱望しなくては是を教えることは出来ない。 |
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| 解説 |
これは古流に入門した人を戒めるくだりです。昔のほうが自然は身の周りにあったであろうけれども、先人たちは命を決しておろそかにはしなかったであろうことが伺えます。いけばなへ対しての厳しい姿勢が見え隠れします。
現代の我々はあまりにも簡単に花や命を考えてはいないかとドキリとさせられます。 |
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江戸時代の伝書より
當世垣のぞき その1 |
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| 原文 |
『(前略)
當世、生花の宗匠多く京都より下り或いは大阪よりまかりたるなど何流、彼流と宿札を打てば江都繁華に遊人多くそれぞれの門人と成りて、先生、先生と呼ぶ。正統の師を撰み奢を戒しめて寂に入らば風雅にして是に勝りたるたのしみやあらん。予も若き時より花をこのむ事久し。あなたこなたと窺い聞くに當世そこの生花会かしこの出会などよりよりまかり見るにさまざまの風流花器に美を尽くし目を驚かしたる事とも成しけり。しかし何れの宗匠達も投入生花の本意をわすれたるにや種々法外なることも見えたり(中略)
古法を正し新法を加えず規矩を立て、其の門を教えたらんには不易のたのしみ成るべきを各々の利のため今日の世渡りにすれば富豪の門人にはへつらい媚びて自ずから道を破る事賤しくも口惜しき事にこそ覚ゆれ。
』 |
當世垣のぞき
「生花の濫觴大略」より |
| 概約 |
最近、生花の宗匠たちがたくさん京都や大阪から来たといって何々流と看板を立てれば、江戸は賑やかで遊び人が多く、それぞれの門人(弟子)になり「先生、先生」と呼ぶ。正統の師を撰び贅を戒めて涅槃の境地に入れば風雅でありこれにまさる楽しみはない。私も若いときから花を楽しむことが久しくない。あちらこちらから聞こえてくる事にあちこちで催される花会を見てみるといろいろと趣向を凝らした花器に贅を尽くし、人目を引くことも多い。しかしどの宗匠達も投入れ花の本当の意味を忘れている。あちこちにいんちきが見られる。(中略)
古くからの教えを正しくして新しい物を加えず花形を作りその流派を教えれば変わらぬ楽しみになるのに自分の利益のために生活の糧のために裕福な弟子にはへつらい、媚びを売って自分で道を破る事を賤しい事と思い知れ。 |
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| 解説 |
江戸時代中期に書かれた「當世垣のぞき」という本の冒頭にかかれている文章です。今でいうジャーナルでしょうか?かなり保守的ですが、小気味のいい調子で当時のいけばなのあり方について手厳しく批評、追及、糾弾していきます。
当時はいけばなは全盛を極め、精神面での腐敗が進んでいたようにもみられます。辛辣な批評が出来るのは健全なような気もしますが現代のいけばなにも当てはまりそうで耳が痛いかぎりです。 |
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| 當世垣のぞき その2 |
| 原文 |
『花を好む人、師を需めんと欲は先、第一に流義を正し古人の法度を守りて新作をなさぬ。其の師の行跡を吟味し門人になるべし。繁華の地に遊ぶ人は朋友に犯され師の高ぶりに驚かされて弁もなく、弟子入りするは口惜しき事也。(中略)
金一枚の伝授事に油断すべからず。利をむさぼる師は實なしと心得、利にかかわらぬ師は信切なりと思うべし。』 |
當世垣のぞき 「師を求むる心得」より |
| 概約 |
花の好きな人や先生を探そうとする人は先ずは流派の考えの正しくて伝統の約束を守り新しいことをしない。そういう先生の行為をよく見極めて入門したほうがよい。賑やかな場所(都会)で遊んでいる人は友人にだまされたり、先生に無理にすすめられて理由も無いのに弟子入りするのは残念なことである。(中略)
お金を払って教え(許状)を受けることばかりを気にしてはいけない。利益ばかりを考える先生は実質が無いと思いなさい。利益にこだわらない先生は親切だと思う。 |
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| 解説 |
この文章もなかなか手厳しいけれども的を得ているようです。何事も人を見極めるのは難しいことだと思います。現代はもっと複雑でわかりにくく、何を信用していいかは本当に難しくなってしまったようです。本当によい先生とめぐり合うのはたいへんなことかもしれませんね。 |
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