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古流理恩会は四代家元松盛斎関本理恩の遺志を受け継ぎ東京(東都)にて古流の技術と精神を守って参りました。

(初世松茂斎)
明治11年、四世理恩没後、その遺志を引き継ぎ多くの伝書を記しました。江戸から明治と時代が移り行く花道も文明開化の波を受けてしまいました。晩年隠居して「理翁」を名乗りました。明治32年(1899年)3月没

(二世松茂斎)
五世理登の長男。五世没後に家元に襲名。明治42年、45歳の若さで他界

(二世理翁)
六世理登の弟。六世が若干45歳にて他界したため、その後を受け継ぎました。時は大正時代へと移って花道も再興してきました。六世の娘(後の十世理登)を養女にしました。昭和7年没

(三世理翁)

戦前の集団稽古、八世理翁

十世理登の婿として七世亡き後に家元を襲名しました。時代は昭和となり花道人口も増え始めます。古流協会や財いけばな芸術協会の設立に協力をしました。また、浅草正覚寺境内に理恩先生の記念碑を建立しました。昭和22年会報「翁草」も八世の時代に創刊されました。

(四世理翁)
八世理翁の長男。昭和42年八世逝去に伴い家元に襲名しました。戦後の高度成長とともにいけばなの全盛期とともに歩んできました。時代は「前衛いけばな」の全盛期、多くの話題作を残しましたが昭和51年49歳で逝去。

戦前のデモンストレ-ション
晩年の十世理登、車椅子にて花展会場へ
六世理登の次女。後に七世の養女となりました。八世とともに理恩会の中興を支えてきましたが九世が逝去したため現家元(当時15歳)が家元になる間を家元として活躍。特に葉物の中の水仙、万年青には定評がありました。平成2年現家元襲名を見届けて逝去。

九世理翁の長男として東京で生まれました。平成2年に11世家元を襲名しました。十世仕込み古典はもとより現代いけばなのイベントからジャンルを超えた活動を展開しています。

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