| メイソンのピアノ アメリカ・ボルティモア クナーベ社製 |
| 1879年(明治12年)、明治政府により「音楽取調掛」が創設され、伊沢修二氏が その長に任命されました。 翌1880年(明治13年)、Luther Whiting Mason氏(1818〜1896)が米国より 招かれ、伊沢氏と共に日本の西洋音楽の基盤を築くにあたり、おおいに活躍し、 成果をあげます。 1882年(明治15年)に帰国するまでの間、唱歌や器楽の指導、和声学の講義、 ピアノの調律、オルガンの組み立て等々、寸暇を惜しんで活動しました。 「音楽取調掛」は、後に東京芸術大学音楽学部となり、次々に優れた音楽家、 教育家を輩出します。 この画像は、メイソン氏が来日の時持参したクナーベ社製アップライトピアノで、 音域は7オクターヴ85鍵。 C C 〜 c 5 メーソン氏の帰国にあたり、弟子で通訳、助教でもあった中村専氏に贈られたと されています。 社団法人日本ピアノ調律師協会関東支部技術者有志の手によって修復され、 2001年楽器フェア会場に展示された時に撮影しました。 壁に掛かっている額の左端がメイソン氏です。 日本ピアノ調律師協会「日本ピアノ事始め」には、 このピアノの修復の様子や、 メイソン氏によって初めて日本に持ち込まれた英語版「バイエルピアノ教則本」等 の興味深い画像と解説が紹介されています。 |