ことのは工房>子どものいる生活>第1章


第1章 子どものいない生活 

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(1) 子どもは苦手
(2) 子どもを生もうと考える
(3) 流産・子どもを授かるということ
(4) 阪神淡路大震災と子育て

(1)子どもは苦手

世の中には、子どもと無縁で暮らしている人がいっぱいいる。子どもなんて、うるさいし、汚ないし、とにかく苦手。できれば近づきたくない、というような。実際、子どもを産む前までの私がそうだった。

一方、子どもが好きな人、というのはもちろんいる。高校時代、そういう子ども好きな友人たちは、 幼稚園の先生や保母さん(今は保育士)になるために、幼児教育科のある大学・短大をめざしていた。そうか〜子どもが好きなのか〜と、全くの異星人を見るような思いだった。そして、その気持ちはずっと変わらず、結婚しても、子どもが欲しいか‥と言われると、うーん‥‥と考えてしまうのだった。

何より、私は仕事をずっと続けたい。でも、子どもを産んで育てるのは主に女の仕事で、それはイコールタイヘン、お金がかかる、自由がなくなる‥オバサンになる‥etc、思いつくのはもう、マイナス要因ばっかりだった。

そうはいっても、20代も後半になると、結婚して子どもを持つ友人が多くなってくる。そういう友人とつきあいを続けると、自然、コドモとの接点をもつことになる。が、実際に友人宅などへ行き、子どもと対面すると、私はどうしていいかわからない。赤ちゃんならまだかわいいと思えるが、それも「見るだけ」。抱くなんて、とんでもない。

そして赤ちゃん以降のコドモのいる家庭。これはもう、はっきり言って、お手上げだった。コドモがダダダ〜と走り回り、嬌声・泣き声が聞こえる家は、何というか身の置き所がない感じ。一応、友人に「何歳?」と聞いたりはする。すると「○歳○カ月」と返ってくる。私はトシを聞いただけなのに(それも社交辞令で)、なんで○カ月まで言うかなあ? などと考える(もちろん、今はその理由もわかるようになった。わからないあなたは、この続きを読みましょう!)。

どのみち、働いていると、コドモのいるハハとなった友人とは、生活時間が合わず、会う機会もめったになかった。実は住んでいるマンションにも、子どもはいっぱいいたはずだが、日中出かけ、日が暮れてから帰宅すると、わさわさいるはずの子どもたちとも全く出会うことがない。子どもは、まるで別世界の住人だったのである。


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