ことのは工房子どものいる生活第1章>(4)


(4)阪神淡路大震災と子育て

他で少し書いたが(線路脇の家第1章(3))、私たち夫婦は新築分譲マンションに入居後2週間にして震災に遭った。被害はもちろんあったが、建物が倒壊したり窓ガラスが割れたりして住めなくなった訳でない。電気は当日夕方に復旧、ガスは1月末には何とか復旧と、ライフラインの復旧も早く、そのままマンションに住み続けていた。

が、それは気楽な大人2人暮らしだったからできたこと。同じマンションでも、小さな子どもを持つひとたちは、どこかへ避難していたようで、マンションは、一時期半数くらいしか住んでいなかったようである。

あとからK市やA市、N市などに住む友人知人に聞くと、それはそれはたいへんだったようである(亡くなられた方やその遺族のことは言うまでもないが、それ以外でも、ということで)。

たとえば友人T。1人目を出産、育休に入っていた彼女は、自身の住まいも実家も神戸だったため、夫実家のある四国に3ヶ月の間、避難。夫氏は仕事があるのでもちろん来ない。ストレスもたいへんだったようである‥。そして、残った夫氏は、友人(妻)が職場に復帰するための保育所入所が4月からできるかどうか、まだ避難所になっている市役所に幾度か足を運んだのだという。

K市在住、別の友人A。彼女も育休で休んでいたのだが、やはり実家も被害に遭い、親戚のある名古屋へ親子で避難。帰る場所のメドがつかないまま半年が過ぎ、とうとう会社も辞めざるを得なくなってしまった。

そして、知人の知り合いSさん。ここはK市北部で被害はさほどではなかったものの、震災のショックでおっぱいが出なくなったとか。交通は寸断されていて買い物にもなかなか行けず、粉ミルクがない!そこで大阪在住の知人が、買い出しに行ってあげたのだという。

子どもを育てるのは、日常でも大変なこともあるが、やはり非常時にはさらに大変、そして、親だけでなく、多くの人に守られてこそできるものだなと思った次第である(私の場合子どもを持って初めて、そういうことも考えるようになったのだが)。


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