
種々雑多な古道具。
また稀少価値或いは美術的価値のある古道具・古美術品。骨董品のこと。
古いばかりで役に立たないもののことを骨董的存在なんてもいう。
骨董飯とは五目飯の別称。
かの文豪、幸田露伴は骨董は古銅の音転ではないかと論じていた。
されどここではこう定義したいものだ。
古くて楽しきもの。
古くて美しきもの。
骨董とは、三度の飯より好きなもの。
そして値段に関わらず精神性のあるものを求めたいのが骨董である。
欧米では100年前の物を骨董、つまりアンティックとして定義し
例えば海外から帰国して税関では非課税の対象になる。
我国では特に規定はなく、あいまい文化の面目を果している。
一般的には江戸時代の物は骨董と呼んでいいだろうし、平成の
世では明治時代の物でもその範疇に属していると思量される。
例えば古伊万里の収集家間では、江戸後期・文化・文政時代
の物は古伊万里、それ以降の物は伊万里としているようだ。
しかしこれもひとそれぞれであり、異論も多くあるようだ。
フランスでは時代もさることながら、美術的な物をアンティケ−ル
古道具的な物をブロカントと完全に別称している。
最近ではコレクタブルなんて言い方も世界的に普及しつつあるようだ。
残念ながら我国では骨董も古美術もアンティックもごちごちゃに
なって使われており、私見だが古くから楽しんでいる人たちは
骨董、ええかっこしいと一流志向の人は古美術、西洋かぶれ
でハイカラな人はアンティックと呼んでいるようだ。
しかしこれも年齢的なものや地域性、つまり若い人か年配か
都会の人か田舎の人かでかなり変わってくるようだ。
従来の経験と勘だけの商売で成り立っていた骨董屋も変わる時が
きたようだ。世間話ができる骨董屋、世の中の時事、経済や暮らし
政治から思想まで、お客様と楽しくお話できてこそ商売というもので
あろう。ちょっと前の話だがあるお客さんに、骨董屋なんてアウトロ−
というか世間づれした人が殆どやし、常識的なことは期待していない
と放言されたことがあった。時代と値段と保証、つまり返品・下取りだけ
しっかりしてくれたら、それでいいと言われたのだ。悲しい反面、これも
現実だと認識したが、このお客には店の出入りを断ったのは言うまでも
ない。買う側のお客もそうだが、まず何よりも売る側の骨董屋が
自助努力しなければならないことを今更ながらに考えている。
骨董とは単に売り買いだけでない、実に奥深いものなのである。
骨董とは多くの人にとって、人生そのものなのである。
そして骨董とは素晴らしき楽しきものなのである。
