| ■ 瀬地山 角 (東京大学大学院総合文化研究科・助教授)
ジェンダーという言葉を『社会的性差』と訳す。対になる『生物学的性差』をあらわすのが
『セックス』 という概念で、これに対して『社会的性差』をジェンダーと呼ぶのが普通、
学問上使われている区分です。
生物的には性差はある程度あります。例えば子どもを生むことは女性にしか出来ません。
では子どもを育てることは女性にしか出来ないことでしょうか。
家庭によっては、『私が生んだんだからあんたが育てなさい』という家があってもいいはずです。
つまり、子育てを誰がするかは社会的な性差、社会的にこうでなければならないと
人が考えているというレベルのものであって、生物学的に決まっていることではない。
ですから『男性が子育てをする』、『男性が家事をする』ということは当然おきていいこと
なわけです。
つまり、私たちが、『男はこうだ、女はこうだ』と考えていることの大半は、実は生物学的に
決まってることではなく、社会的な約束事に過ぎないわけです。
社会的な約束事というのは、時代や社会で大きく変化をしています。
ジェンダーという言葉を獲得した事で、性差に関する生物学的な宿命論から逃れる事ができた。
性差に関して、【男だから】【女だから】という言葉をある意味で封じる事が出来るようになった。
社会的に決められた約束事に過ぎないのであって、人の合意で変えていってかまわない事だと
いう事が言えるようになった。」
『お笑いジェンダー論』 (勁草書房2001年12月第1版) P4より
■伊田 広行 (大阪経済大学・助教授)
家族・ジェンダーにまつわるさまざまな研究が、この40年ほどで次々と明らかにしてきたのは、
いまの男らしさや女らしさ、性別役割、子育ての仕方、家族・結婚・恋愛・性のあり方といった
ものは、ある特定の文化的特性をもった近代社会が作り上げたものであり、永遠普遍の真理
などではないということだ。そういうものは時代や文化・民族によって異なるのである。
『シングル化する日本』 (洋泉社 2003年4月初) P36より
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