ジェンダー  gender
生物的な男女の差異(セックス)ではなく
社会的・文化的に形成された性別のことをいいます。

1995年、北京で開かれた世界女性会議以降、
この言葉が日本でもかなり使われるようになりました。

1999年(平成11年)に制定された「男女共同参画社会基本法」の英訳は
The Basic Law for a Gender-equal Society で
ジェンダーという言葉が使われています。

ジェンダーバイアス(社会的・文化的性差別、あるいは性的偏見)
という言葉も最近よく使われています。
           "ジェンダー" について、お2人の男性の著書から
  ■ 瀬地山 角 (東京大学大学院総合文化研究科・助教授)

    ジェンダーという言葉を『社会的性差』と訳す。対になる『生物学的性差』をあらわすのが
    『セックス』 という概念で、これに対して『社会的性差』をジェンダーと呼ぶのが普通、
    学問上使われている区分です。

  
    生物的には性差はある程度あります。例えば子どもを生むことは女性にしか出来ません。
    では子どもを育てることは女性にしか出来ないことでしょうか。
    
    家庭によっては、『私が生んだんだからあんたが育てなさい』という家があってもいいはずです。
    つまり、子育てを誰がするかは社会的な性差、社会的にこうでなければならないと
    人が考えているというレベルのものであって、生物学的に決まっていることではない。
    ですから『男性が子育てをする』、『男性が家事をする』ということは当然おきていいこと
    なわけです。 

    つまり、私たちが、『男はこうだ、女はこうだ』と考えていることの大半は、実は生物学的に
    決まってることではなく、社会的な約束事に過ぎないわけです。
    社会的な約束事というのは、時代や社会で大きく変化をしています。

    ジェンダーという言葉を獲得した事で、性差に関する生物学的な宿命論から逃れる事ができた。
    性差に関して、【男だから】【女だから】という言葉をある意味で封じる事が出来るようになった。
    社会的に決められた約束事に過ぎないのであって、人の合意で変えていってかまわない事だと
    いう事が言えるようになった。」
                        
『お笑いジェンダー論』 (勁草書房2001年12月第1版) P4より



              ■伊田 広行 (大阪経済大学・助教授) 

    家族・ジェンダーにまつわるさまざまな研究が、この40年ほどで次々と明らかにしてきたのは、
    いまの男らしさや女らしさ、性別役割、子育ての仕方、家族・
結婚・恋愛・性のあり方といった
    ものは、ある特定の文化的特性をもった近代
社会が作り上げたものであり、永遠普遍の真理
    などではないということだ。そ
ういうものは時代や文化・民族によって異なるのである。
                      
                         『シングル化する日本』 (洋泉社 2003年4月初) P36より

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