劇団「シルバームーン」 

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  「シルバームーン」 看板役者の田原 晋さん、もといた会社の社内報に登場!

「高齢社会をよくする女性の会・大阪」には劇団もあります。(シニアシングル研究会所属)
シニアシングル研究会は、当会に4つある勉強会の1つです。高齢になっての一人暮らしを
豊かに過ごす住まい方や心構えを研究しているグループですが、その成果を
講演会やセミナーや本にして発表するのではなく、笑いながら見れる演劇にしようと
はじめたものです。名付けて「劇団・シルバームーン」。
研究の成果をワイワイ話し合いながら脚本にし、大道具はもとより、役者・舞台設営等、
すべてを劇団員がこなしています。呼んで下されば出張公演いたしま〜す。よろしくネ。
劇団「シルバームーン」 公演スケジュール
 2006. 8. 3(木)  大阪市浪速区老人福祉センター  Tel 06-6643-0792 済
写真
  2006.11.23(木).  松下電工エイジフリー・うずまさディセンター  1Tel 075-862-4111 済
 2007. 2.17(土)  メセナ枚方  枚方市啓発事業   Tel 072-843-5551 済
  2007. 3.24(土)  尼崎市立上ノ島総合センター  Tel 06-6427-2731 済
2007. 4.27(金)  松原市老人福祉センター 高見苑  Tel 072-332-9850 済
太田知事の前で演じる「シルバームーン」   太田房江 大阪府知事が
        当会の例会に参加!!

  シルバームーンの看板役者、「カルメン」と「奪衣婆」の
  軽妙なやり取りをご覧になる太田知事。
  大阪の「ノリ」に、思わず吹き出される場面も・・・。
  知事とはこのあと、しっかり話し合いました。

       
    2004年12月1日  ドーンセンターで 
  
徳島出張公演、大成功!!
    2004.10.31
   会場の皆さんの手拍子を頂いて、「生きるアホウに死ぬアホウ、
   同じアホなら生きなきゃソンソン!」と、阿波踊りを踊りながらの
 船出になりました。 徳島の皆さん、ありがとうございました。
 皆さんに笑って頂いての帰り道、足を伸ばした金毘羅さんの
  あの階段で、今度は「奪衣婆」の膝が笑ったとさ・・・。  
トホホ。
シルバームーン楽屋風景   
  劇団シルバームーンの楽屋風景。
  念入りにメイクをしている内に、気分は段々名優に・・・。

 シルバームーン十八番
  『三途の川の渡しにて・・・』 あらすじ
観たよ!!
感想いろいろ
   三途の川の渡しには、3,000ウン歳にもなる奪衣婆(だつえば) という
   老婆 がいて、「渡し」の船賃だとして、現世からの死者の衣服を
   剥ぎ取るのだとか・・・。その奪衣婆が、「渡し」に乗り込む乗船客(死者)に、

   何故、この渡しに乗る事になったのか (何故死んだのか)を尋ねる。
   奪衣婆と乗船客の軽妙なやり取りから、それぞれの生きざまが
   浮かび上がり、高齢社会に起こりうる問題が次々と現われる。
   それらの問題を会場丸ごと一緒に考えよう、という趣向。
   お芝居のあと扮装のまま行なう会場との意見交換が大好評!
   取材中の若い女性が、思わずウルウルなったとか・・・ (ならないとか・・・)
十八番「三途の川」を熱演中


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       私(田原)はどれ・・・?本番前の舞台裏
劇団員のひとこと・・・
(長いひとことやなぁ・・・)
バカ売り、ゲタ売り、コトを売る
田原  晋
   
あくまで一般論ですが、高齢になると女性の方が元気がいい。
またどこに行くにも一緒の夫婦よりお互いが勝手に行動しているお二人の方が
ハツラツとしてるように見えます。それは何故か、どうすればそうなるか、
というようなことを考えるグループに入っています。

 最初は研究会でした。今も続いていますがシニアシングル研究会、
つまり高齢になればどちらかが一人になる、その過ごし方を勉強しておこうというもの。

あなたは奥さんを亡くしたシングルだからいらっしゃいと、
仕事で知り合った女性に誘われたのだが、最初にその発想に驚いた。
男なら新しいつれあいを紹介しようと考えるところだ。
 
さらにまた、研究結果を劇にして公演しようと言う、これには真底タマゲた。
こちらはレポートにすることしか思い付かない、カルチャーが違う大ショックでした。
 そして生まれたのが劇団シルバームーン。団員は40〜70代のほとんどが女性の約20名。

1996年以来、大阪を中心に30回近くの公演を重ねている。というより公演の後に、会場の皆さんと
話し合う会。感想や意見や反論を聞いて、それをまた会場の皆さんと一緒に考えます。

 最近は男性が多くなったので、テーマも「定年後の生き方」のようなことに
なっています。と言うと格好いいのですが、実際は「アホなことをようやる。
下手で見ておれん」と笑われています。

確かにバカゲタコトですが、考えてみれば生きていくほとんどは馬鹿げたことです。
食べることきれいにすること周囲と親しくすることエッチすること
オモろいと感じること、みんなそっち側。

それらを馬鹿にしないというより、生きるとはバカゲタコトをやることだと
ボタンをはずすところから、元気が始まって来るみたいです〜。
 

講釈はともかく、お声がかかればどこへでも出掛けます、ぜひ声をかけてください。


                                  (松下電工 松寿会報より引用)  ページの先頭へ

内田 敏子さん(劇団員の友人)からのメッセージ

シルバームーン・・・・見ました。写真も拡大してじっくりと。
すんごいですね〜、メンバーのパワーで顔が画面からはみ出しそうです。
田原さんのコメントもよかったです。

実はとてもまじめなことを、楽しみながら面白がりながら
軽やかに考える集団なのですね。
しかもかなり歴史あり、で驚きました。

国際婦人年より前、もちろんドーンセンターなんてなかった時代から考えると
確実に社会が進みました。
何せ、二十数年前長男を保育園に預けて働いていたころ、
60軒ある団地の中で共働きは1軒だけでしたもの。
近所の親切なおばさんがこどもに向かって
「かわいそうにね〜」と必ず言ってました。

今は社会全体もずいぶん変わりました。
しかし、まだまだ抵抗勢力が強いこと、
一見保障されたように見えるけれど
女性が男性並みに働くことを強いられていること、
若い世代の女性たちが保守的に見えること
など、いつも気にしています。

そんな中で、地道に外へ風を吹かせようとしている皆様に
拍手を贈りたいと思います。パチパチパチパチ
内田さん、メッセージありがとうございました。
      メッセージ、お待ちしていま〜す!
ここをクリックしてね!
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「カルメンお晋」の独り言 そのA
女になった感想 (女になってみるということ)


 年賀状に素人お芝居公演時のおばば役でにっこり笑っている写真をはり付けたら、
びっくりしてわざわざ返事をよこした友が何人もいた。せっかく出すのだから見た後
に反応があるものにしたいと思った効果は、予想以上に絶大でした。

 そこに添えた文章は、「参加する学芸会劇団シルバームーンからの報告。
はめられたと言うかはまったと言うか、このところ派手なおばば役がもっぱらですが。
でもたったそれだけで、どんなに女知らずであったかに気付くから不思議なものです。」
このことをもうちょっと補足説明します。

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 いえ先ず単純に、身につける衣服の感覚がまるで違う。
ストッキングという薄ものに足全体を締め付けられる感触は、
確かに繊維質に包まれている感じはこれまでになく強くするけれど、
その外側は妙に薄っつぺらでひらひらして頼りない。

顔面にも白いクリームや赤や青の色彩を塗りたくって、
頭部には肩より長い淡いブルーのかつらをかぶる。視線がその毛にさえぎられることもあって、
ちょうど薄い御簾の間から世界をのぞく感覚になる。
その御簾のような身につけたものが、とても強く意識されてる。
しかもそれは全身くまなく覆っているので、自分が別のものに化けたという感じになる。

 結果として、先ず私自身が驚いたのだが気持ちがとても高揚してくる。
その派手な色つかいがそうさせるのか、自然に笑みがこぼれ「見て見てこっちを見て」という
感情が込み上げてくる。カメラを向けられると、自然に首をかしげ歯をみせて
にっこりとしてしまう。これまでの60数年になかった感情だ。

 自分はあくまで衣服の後ろに隠れていて、人から見える格好は自分を覆っている
モノに過ぎないのだからここはその感情の変化に素直に従おうという気になる。
見る方からは私がそのように変化したと思われているだろうとわかっていながら、
その変化を自分でも楽しんでいる。

 ともかく衣服や化粧にあるそのような効果が、強く意識される。
おそらくそれが毎日の女性にはあらためて意識するほどのことでないだろうが、
それでも新しい衣服やへアースタイルについてお互いがよく話題にしている。
その気持ちがよくわかる。

たぶん私ではない私のありようについて、意見を聞きその効果を確認しているのだろう。
その変わりようを、自身の内面の変化の現れとも言えるし、
その時だけの気まぐれなお遊びであるのとも言うことができる。
相手の反応を見てから、あらためてその変化の理由を解釈してみせることができる。
そのような私の二重構造を自由に浮遊して楽しんでいると言える。

 といって考えてみれば人間はすべて、衣服をまとうという二重構造をしている。
だからそれを意識する度合いの差であって、男と女の差であるとは言えない。
その効果を意識する人たちと、まるで想像することのできない人たちに2分されるだけで、
前者に女に多く、後者が男に多いに過ぎない。
 と、そこまで思い付くと話しはもっと飛躍できる。

1. 昨年(2003年)男のとくに学者先生(岩月、小谷野敦、内田樹)によって書かれた、
女性論やフェミニズム論はまるでこの構造に気付いていない。見えていないが故に
可能になった独断、つまり女性がすべてひとつの人格に見えてしまうのだ。

2. それに比べると、暮らしの手帳を創始した花森安治が女装したことの意味をあらためて
感じることができる。彼には暮らしをスタイルを整えることで、暮らしの本質を変化させる
ことができるとその二重構造を理解したのだろう。同じことは無印良品を提唱した
田中一光にも言える。彼は個人的に通常の男を超える存在であった。
3. 気付いてみると現在あらゆる場所が、このような二重構造になっている。昔からの
分類の外側にそれにあてはまらない層が存在している。
会社には正社員だけでなく出向や派遣やパートやアルバイトの社員がいる。
日本人ももう単一の日本人という解釈はできなくなっている。
グローバル化は世界のすべてをそのように彩っている。
むしろ単一に見えることの方が真実を見ていない。パレスチナやアラブのことだけでなく、
日本もそのらしさを強弁する意見の方が誤っている。
もちろんアメリカもブッシュの意見だけがアメリカのすべてではないだろう。
4. 説得力のある意見は、どこかその二重構造をまとった人のものになっている。
社会も文化もアートも国際問題も国内政治も、歯科衛生士のような専門分野も、
女性はもちろんそのような位置にいる人が元気がいい。
5. 年寄り爺もせいぜい自分の位置を裏切る存在になることが求められていると、
かってに我田引水したくなるという訳です。ハハハハ〜

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   「カルメンお晋」の独り言 そのB
女になった感想 (女になってみるということ) 〜男女共同姿勢〜

 一人で住むようになって、つまりトイレの掃除を自分でやるようになって、
その汚れ方が気になってきた。便座の裏側から蓋の裏まで、
よく見ると床から周囲の壁まで汚れがあるではないか。

これまで以上に気をつけて用を足すのだが一向に解決しない。犯人はわかっているのだが、
行動がいまひとつ解明できないと注意していたらどうやら犯行は真夜中。

いねむり運転でありながら回数は増加の傾向、また突然の電光のまぶしさに
目をつぶったまま行為に及んだり、天窓があるのをいいことに時には灯りをつけずに試み、
ついでにお月見という非常識な行動まで加わっている。

 これでは汚すなと言う方が無理である。
冷静に考えれば、設備のデザインが本来想定している姿勢、
つまり坐って用を足す以外にないという結論に達する。
これは聡明なる主婦が、家族に対して男女共同姿勢の参画を命令なさるのと一致する。

さて、その実行に及んでみて、頭脳は理解しているが半世紀に及ぶいや遺伝子まで
加えるとはるかに長い慣習はパブロフの犬となって一朝一夕に変更あたわず。

気が付くと立ったままスタートしかけていて、慌てて体位を変更しようとすることで
かえって汚してシマッタり、あるいはせっかく坐式で用を足し終えたのに
小の時に男は使わない筈のペーパーを引っ張り出していて、これを戻すべきか流すべきか、
とその長さを持て余したり、誰も見ていない空間で自分を叱ることが少なくない。

 いえさらに正直に打ち明けると、我ながら驚くことにもっと心の深い所で取り乱している。
トルコではこれが普通で、雲をつく大男までこの姿勢でつらぬいているでは
ないかとわが知性は納得をいざなうのだが、どうもその視線の低さが落ち着かない。

男性を失格したような負け犬になったような、女性の真似をしているような
淫ビな妄想に襲われたり、ロダンの考える人の格好のまま考えが硬直する。
 
世の中にある男女の差異、男はかくあるべしとか女らしくしなさいとか言う
ジェンダー発生の根元は、この姿勢の違いから生まれているのではないか。

犬畜生すらその姿勢は片足だけにしろともかく違っているではないか。
これを安易に変更していいのか、男の沽券とは立ってオシッコをすることだ、
などとぐずぐず愚直に思考を重ねているのであります。

もし当時この文章を書いていたら、結論は違っていたに違いない。
 とはいえ思考より行為は強しと言いますか、脳は身体の一部に過ぎないと言うか、
かって女は子宮つまり身体で思考するという言い方があったが本来人間はすべてそう
であったと言うべきか、慣れというものは怖しいもので、5年もたった現在ではそう
いうトラウマすら忘却の彼方にあって、外から慌てて帰った時などは玄関のドアを閉
めると同時にもうズボンを降ろしながら駆け込んでいる。

 ところで、昨年ベルリンの映画祭で賞をもらったとかで話題になった
「アバウト・シュミット」という映画を見ていたら、配偶者を亡くした直後の
主人公(J・ニコルソン)がトイレに入って坐りかけ、もう叱る人はいないのだと思い直して
立ったまま用を足すシーンがあった。

なんとも満足そうにボチョボチョと音をたて、ついでにわざと周囲の壁にまで
ぶちまけているではないか、つまり長年のその強制からやっと解放された喜びが描かれていた。

こちらがかって味わった感情と同じだと共感すると同時に、
わが経験と思考はグローバルなものであったと感動したのであります。
だが同時に結局のところ彼はまたそこを掃除することになるだろうと、
深い同情を禁じ得なかったのであります。

 かくのごとく男女共同姿勢の実現は、数年間の時間を要する困難なものであること、
とはいえそれを通過すれば納得できる行為であると報告する次第であります、イヤハヤ。

 とはいえ繁華街のトイレの女性側だけ生じる長蛇の列を見る度に、
こちらも解決すべき方策が試行錯誤されるべきだろうと、
他人事ながら案じている次第でございます。

小学校で立居の設備を設置したというニュースを見たように思いますが、
その後どうなったのでありましょうか。

外出時は立って用を足す運動に参画なさいませんか、つい半世紀前には
それを採用する女性をあちこちで見かけたのでございますが〜。


                                   「カルメンお晋」こと 田原晋さん寄稿


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   事務局  wabas-osaka@mbm.nifty.com
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