ホームタウン       新潟県柿崎町
チームカラー        
黄色  
所属サッカー協会    上越サッカー協会
            柿崎サッカー協会

1991年 KOWA SOCCER CLUB誕生!!
Jリーグが開幕するほんの1年前、KOWA,SCが産声をあげる。当時あり余る情熱を何処にぶつけて良いか分からない5人が集まり、かつて高校時代に汗を流した部活活動(本当はサボってばかりいたらしいが)『サッカー』の社会人チーム設立を決める。

1992年   柏崎地域リーグ参戦決定
毎週水曜日の夜に練習を重ね、メンバーも次第に集まり、自分たちの実力を試してみたくなり、柏崎地域リーグ参戦を決意。

1994年   第1回柿崎サッカーフェスティバル優勝!!
Jリーグ効果は田舎町の柿崎町も例外ではなく、新チームが続々(それほどでもないけど・・)と誕生し、町として初の試みとなる柿崎サッカーフェスティバル開催が決定する。我がKOWAも柿崎町をホームタウンとしているため参加を表明。そこで1回戦に「柿崎FC」という強豪と対戦しPK戦にまでもつれ込む激戦を制し、チームはそのまま勢いに乗り、第1回大会優勝という栄冠を手にする。KOWAにとっても初のタイトルとなる。

1995年   KOWA存続の危機!
サッカー熱が冷めてしまったのか、はたまた飽きてしまったのか、試合当日なのに人数が集まらない状態が何回もあり、なかなか勝てない。勝てないから面白くないので又、人が集まらない。という悪循環に陥ってしまい、柏崎地域リーグ撤退をよぎなくされた。 いったいどうなってしまうのか〜!!(ちょっと古い?)

1997年  上越リーグ参戦決定
柏崎地域リーグ撤退から2年、members listでも少し触れたが「高橋 興司」の献身的な努力と勧誘。 「林 剛」の加入による新メンバー加入効果により、存続の危機どころか、上越リーグ参戦を決意するまでになる。メンバー的にもかなり様変わりし、『新生KOWA』の新たなる出発となる。

同年11月 上越リーグ開幕
ここでは簡単にリーグ形式に触れておきたい。上越リーグは2部制から成り、新規参加チームは2部からのスタートとなる。(当然KOWAはここからのスタートになる。)当時、各8チームによる総当り戦を行い、2部の1位チームは1部昇格決定。(1部の最下位チームは2部降格決定)2部の2位チームは1部の最下位から2番目チームと入れ替え戦を行いその勝者が1部決定。(よくあるリーグ形式ですよね)期間は11月から翌年の7月迄。(その間に雪や田植え?があり、5か月は中断してるけどね・・・)

1998年  上越リーグ2部優勝!! 1部昇格決定!!
当初は約7か月(中断期間もあるけど)という長期戦で、はたしてコンスタントにメンバーが集まるのか?という事が危惧されたが、そこはやはり『サッカー好き』が集まった集団。そんな心配をよそにチームは着々と勝ちを重ねていき、終わってみれば7戦全勝。総得点32点 失点4点。 高橋 直勝に至っては1人で20得点を叩き出し、最短の1年間で見事2部優勝 1部昇格の切符を手にした。
ここで21世紀のKOWAのおとぎ話の第1話が完結した。これからは第2話の始まりである(by反町)

1999年  上越リーグ1部開幕
2部で圧倒的な強さを見せつけ意気揚々と1部へ乗り込んだが、さすがそこは1部。やはり甘くは無く、中々勝ち点を挙げられず初年度は3位という成績に終わる。

2000年  上越フットサル選手権3位入賞!
この選手権は高校・大学・社会人(社会人チームの中には上越リーグには登録せず、もっとレベルの高い県リーグに登録しているチームもいる)というとても沢山のチーム数で行われる大会である。そこに入賞するのはよほど強いチームか、よほど運のあるチームでなければまず無理であろう。(KOWAは確実に後者であるが・・) 現地に行くと集まったメンバーはわずか7人(そのうち1人は見学とかぬかしやがるし・・)実質メンバーはたったの6人。これでは奇跡でも起こらない限り勝ち上がるのは無理だろうと、そこにいるメンバーは誰しもが思ったはずである。
しかし奇跡はおきた!神は存在したのだ!!よくチームが勝ち進んで行くと“ラッキーボーイ”的な存在の人を聞いたりするだろう。KOWAのメンバーはまさに日替わりならぬ試合替わりで次々とラッキーボーイが誕生したのである!攻めでも守りでも大活躍した「竹前 浩吉」! 竹前の高速のコーナーキックに体を投げ出しヘディングを決めた「高橋 興司」! 誰もが負けを覚悟したとき起死回生のゴールを叩き込んだ「阿部 公一」!  P・K戦で体を張ってゴールを死守した「広川 茂紀」! タイムアップの笛が鳴るまで諦めることなく走り続けた「福井 厚」! そして大した活躍も無かった「高橋 直勝」!(いや、謙遜じゃなくて本当に大して活躍しなかったんだよ・・・) それと見学の「梅沢 道明」!(彼はついでに書いてみた)
この6人+1人はKOWAに新たな歴史を刻んでくれたが、それよりも自分自身の“記憶”に“記録”を刻んだ7人であろう。

  そして2003年・・・

いまだ優勝という2文字を手にすることは出来ず現在に至っている。(惜しい所まではいってるんだけどね・・・)


最後に・・・
僕らは決して『強いチーム』とは言えない。周りを見れば僕たちよりもっともっと強いチームは沢山いるし、もっともっと練習しているチームも沢山ある。それでも僕たちはKOWAを選んだ。会社の同僚、友達の紹介、高校時代の先輩後輩。入ったきっかけはさまざまだが、今では一緒にボールを蹴っている。選手たちだけでなく、KOWAに携わってきた人達の1人でも欠けていれば、いまのKOWAは存在しなかっただろう。
僕たちにとっては『勝つ』ことも大切だが、それよりも『サッカーというスポーツをみんなと出来る楽しさ』の方がもっともっと大切な事なのである。たしかに僕たちは勝つ事を目指して頑張っている。しかしそれは、みんなで目指している“目標”であって、決して“ゴール”ではない。
僕たちの気持ちに終わりはないのだ。なぜなら僕たちは『サッカーが好き』という名目のもとに集まったいわゆる1つの『集合体』なのだからである。
僕たちもいつか歳老いて引退しなければならない時がくるだろう。やがておじいちゃんになり、孫やひ孫がTVでサッカーを観ていたら、迷わず 「おじいちゃんも昔はサッカーをやっていたんだよ」と胸を張って言うだろう。
願わくばその時までKOWA SOCCER CLUB』が存在していてほしいものである・・・




このH・Pに訪れていただいたすべての皆様へ・・・
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