― 檀信徒から僧侶まで ―



 念珠(数珠・珠数)を手にしている人を見て、誰でもその人が仏教徒であることを疑いません。
念珠は仏教徒の標識(ひょうしき)標幟(ひょうじ)・象徴であるとさえ言えます。念珠と仏教とは切っても
切れない関係にあるようです。わたしたちは、仏の加護を祈り、仏の名号(みょうごう)や
真言をお唱えするとき、念珠で数をとります。そこで、数を取る珠(しゅ)すなわち数珠という訳です。
その意味で、念珠は道具としての役割を持っています。しかし、心に仏の智恵のお姿を憶い
一心に名号や真言を念誦(ねんじゅ)するとき、手にする念珠は、もはや道具ではありません。
念珠は念誦(ねんじゅ)に通じます。念は心のはたらき、誦(じゅ)は口のはたらきを言います。
念珠を繰(く)る行為は身・口と意(こころ)の三密(さんみつ)行(ぎょう)であり、手にする念珠は
仏の永遠の智恵を映す珠(たま)であり、念誦者の心を表わす標幟(ひょうじ)と言えます。
ところで、『四分律(しぶんりつ)』や『梵網経(ぼんもうきょう)』は小乗や大乗の比丘(びく)
のために律(りつ)を説き、比丘の持ち物を定めています。しかし、その中に念珠は入っておりません。
現在のように念珠が僧侶を象徴する持ち物となったのは、おそらく、真言を誦持(じゅじ)する密教の
行者たちが念珠を必須の持ち物としたことに由来していると思われます。
やがて、それが僧侶一般に及んだと考えられます。



念珠を持っている仏たち

― 胎蔵界曼荼羅(まんだら)の中にいる ―
胎蔵界曼荼羅(まんだら)

<蓮花部観音院>
 毘倶胝菩薩(びぐちぼさつ)
 如意輪観音(にょいりんかんのん)
 不空羂索観音(ふくうけんじゃくかんのん)

<遍知院>
 七倶胝仏母(しちぐていぶつも)
 毘哩倶胝菩薩(びりぐていぼさつ)
 大安楽不空金剛三昧真実菩薩
 (だいあんらくふくうこんごうさんまいしんじつぼさつ)

<金剛院>
 時金剛利菩薩(じこんごうりぼさつ)

<虚空蔵院>
 千手観音(せんじゅかんのん)

<最外院>
 火天(かてん)
 縛斯仙(ばっしせん)

その他 
 烏枢渋摩明王(うすさまみょうおう)
 准胝 (じゅんてい)、 白衣(びゃくい)の各観音菩薩。



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