日本消費者連盟関西グループ発行「草の根だより」連載記事に加筆
関電の中間貯蔵計画はどうなるのか?
2003年2月21日のサンケイ新聞朝刊1面に「御坊沖に核燃料貯蔵施設 関電、近く地元に正式提示 第2火力予定地で計画」という大きな記事が載りました。驚いていろいろと問い合わせて見ると、地元の紀州新聞は前日に「原発関連施設誘致」と題した記事を載せて、一部議員の間に誘致の動きがあると報じていることが分かりました。
御坊第2火力予定地は、運転中の第1火力の横の海面で、2000年に埋め立て工事に着手されたものの、電力需要の低迷で運転開始時期が先送りされ続けました。(2005年に計画白紙撤回) このため代替案として、よりにもよって核燃料の貯蔵施設が浮上してきたのです。
原発を糞詰まりにしないため、関電も早い時期から「中間貯蔵」施設の立地を狙ってきました。1998年 7月の記者会見で当時の秋山社長は、福井県以外の関電供給エリアで10数ヶ所を候補地として選定済みで、2000年度末までに場所を確定するという方針を示していました。さらに、2001年4月には石川社長が、立地地点について「4 箇所に絞り、非公式に打診している。」と記者会見していました。
しかし、この地点名は現在に至るも明らかにされていません。非公式に水面下で進められる立地工作は、民主主義に基づく地域づくりに反するものと言わざるを得ません。
新聞報道を受けて、関電広報部は「現段階では具体的計画は白紙で、地元との協議は行っていない。」とコメントしました。藤洋作社長も否定しましたが、「地元で誘致ということになればありがたい」と述べて、今後に含みを持たせています。
地元御坊での誘致の動きの中心にいる上田季児市議会議長は、「個人的に5年前から勉強してきた」と新聞にコメントしています。3月3日には、市議会港湾火力特別委員会に対して、「中間」貯蔵施設を特別委員会で勉強するよう提案を行いました。8人の委員のうち共産党を除く6人の委員が「誘致を前提にするのではなく、勉強するのは大切」と賛成しましたが、特別委員会への付託を本会議で決議していないという手続きミスが指摘され、決定は見送られました。
そこであらためて市議会本会議に貯蔵施設の調査研究を港湾火力対策特別委員会に追加付託するための議員提案が行う必要が生じました。特別委員会では推進派が多数を占めましたが、本会議では事前の票読みでは賛成7人、反対8人で否決されるのではないかとも報じられました。このためか、当初予想された2003年3月議会での提案は見送られました。
3月26日の市議会終了後に記者会見した推進派市議は、有志で勉強会を行うことを明らかにしました。そのわずか5日後の3月31日、御坊商工会議所で、京都大学原子炉実験所の中込教授を招いて行われた勉強会には、300人が集まったそうです。この中込教授、関電作成の中間貯蔵PRビデオにも登場している人物で、推進派の切り札といえるかもしれません。手回しの良さと集まった人数からも、応援の存在がうかがわれます。
一方、柏木御坊市長は、「第二火電の代替は全く考えていない」としながらも、 「電力の約半分は原発に頼っており、地球温暖化現象もあり、原発は大きな役割を果たしている。中間貯蔵施設については、市民の不安にこたえるための知識を持っておきたい」と、市議会で答弁しています。
推進派議員の第2回目の勉強会(2003年4月24日)で関電担当者が財政面でのメリットを強調するなど策動が続けられています。しかし、一方で「ふるさと御坊をよくする会」が小出裕章さんを招いて5月18日に設立集会を行うなど地元での反対運動も組織されてきました。
また、隣接する日高町の中善夫町長、美浜町の入江勉町長、川辺町の阪本信夫町長がそろって反対を表明。さらに、美浜町議会は2003年3月議会で全会一致で反対決議をしています。
1年後の2004年3月11日、柏木御坊市長は「核燃料サイクルが確立されない限り、検討するまでもない。」と誘致を否定しました。しかし、市議会は直後の3月19日、財政問題を検討する行財政問題調査特別委員会の設置を決め、さらに6月30日、中間貯蔵施設調査特別委員会の設置案を可決しています。(行財政問題調査特別委員会は廃止)
2005年3月、関西電力は御坊第2火力の建設中止を決めました。これを受けて、核燃推進派は「市の財政を考えると、真剣に核燃施設誘致を考えないといけない」と述べており、今後の動きに警戒が必要です。
2009年年頭の共同通信配信記事では次のように報じられています。
| 森社長は、使用済み核燃料を一時的に保管する中間貯蔵施設の候補地について「まだ言える状況でない」としながらも「基本的には、福井県以外で探したい」と発言。誘致に向けた動きのある和歌山県御坊市に対し「要望があれば、理解をいただくための努力は惜しみなくやる」と語った。 |
一方、福井県小浜市では商工会議所が1999年に誘致検討の方針を出して以来、中間貯蔵推進派が活発な動きを見せてきました。
2002年2月に市議有志が立ち上げた政策研究会は、同年12月に「中間貯蔵施設誘致は市活性化の有効手段の一つ」とする報告書をまとめています。2003年6月には市建設業会が「誘致を表明して積極的な取り組みを」求める陳情書を、自民党小浜支部が「一歩進んだ議論を」とする意見書を議会に提出し、8月にはその市議会に原子力問題対策委員会が設けられて、中間貯蔵誘致問題の審議が始まりました。10月には「市民政策研究会」という団体が発行者になった「中間貯蔵施設を小浜に誘致しよう!」という新聞折込ビラも配られています。
もちろん心ある人々がこうした動きを放置しているわけではありません。若狭おばま物産協会や小浜市農業士会などが慎重な対応を求める要望書を議会に提出するなど反対してきました。小浜市は2001年に「食のまちづくり条例」を制定し、2003年は食をテーマにした若狭路博覧会を成功させています。この町づくりのコンセプトに使用済み核燃料の貯蔵が相容れないことは明らかで、村上利夫市長も慎重な姿勢を堅持しています。
原発設置反対小浜市民の会の中嶌哲演さんは、県議会副議長の松崎晃治議員がある研究会で配ったメモを会報で暴露して批判しています。
「中間貯蔵庫について」と題されたメモは8項目からなり、市の財政が厳しい、中間貯蔵を誘致しなければ細々とした観光産業と第1次産業のみに頼らなくてはならない、中間貯蔵が実現すれば経済は活性化し雇用も増えるなどと訴えています。なかでも「国も関西電力もかなり急いでいること(中間貯蔵をするなら今年中に結論を出さなければならない)」とか「他市町村の中間貯蔵誘致の動きは、松崎のところで何とか止めているが、今を逃すと他の市町村へ行ってしまう。今が小浜をどうするかの瀬戸際である。」とか、結論を急がせる表現が目に付きます。
この問題を報じた福井新聞記事でも「関電が遅くとも2010年までに施設を操業したいとしていること」「誘致表明から稼動までに調査や各種申請、建設に5年ほどかかるといわれる。仮に候補地として名乗りを上げるなら05年が一応のタイムリミット」と書いた上で、推進派の焦りを報じています。
小浜市議会は、2004年3月24日の本会議で、継続審議となっていた誘致請願を採択し、続いて中間貯蔵施設の誘致推進を求める決議を行いました。誘致請願は、元関電興業社員の市会議員杓子明氏らが設立した「市民政策研究会」が、「県内で誘致の姿勢を示す自治体が出現した。機を逃さず、議会で誘致決議を」と、2003年12月17日に提出していたもの。これに対抗して,、全市民の3分の1以上にあたる1万4千人の署名を集めて提出された誘致反対の陳情は、完全に無視されました。
村上利夫市長は「議会の判断に論評は差し控える」と慎重な発言を続けていましたが、2004年6月4日の記者会見では「誘致は考えていない」と踏みこみました。一方、杓子明市議は推進のために同年7月25日投票の市長選挙に立候補しました。結果は村上市長の再選となり、反対派の勝利となりました。
小浜市の推進派が恐れていた、福井県内の「他市町村の動き」が表面化しました。原発を持つ美浜町です。山口治太郎町長が2003年12月の町議会で誘致の意欲を示しました。
美浜原発は、1〜3号機が1970〜76年に運転開始した老朽原発で、町に落ちる金額も年々少なくなり、美浜町の財政は悪化しています。このため、原発頼みの町商工会や観光協会などが原発増設運動を展開。しかし、関電が増設などできるはずもなく、かわりに浮上してきたのが中間貯蔵というわけです。
もっとも、栗田前県知事との約束などから、関電は福井県内には中間貯蔵施設を作らないと説明してきています。今回の美浜町長の発言に対しても、関電若狭支社は「県外での立地に向けて取り組んでいる。」とコメントしたそうです。西川県知事も、2003年12月15日の県議会の質疑で、「前知事が「県外立地が望ましい」と言ったように現時点で状況の変化はなく、私としても同様の考え」と答弁しています。
2004年6月の町議会で、町長は「当町で建設するために関電など関係機関と話を始めたい。」「県の状況を踏まえ、関電の意見を聞いた後に県に話をしたい。調査はその後になる。」と述べ、誘致に向けた方針を明言しました。
さらに7月14日、臨時町議会で、中間貯蔵施設の誘致を推進する決議案が賛成多数で可決されました。町長は翌15日に関電本社を訪れ、美浜町での立地可能性調査入りを要請しました。関西電力の藤社長は「要請を頂いたことは誠にありがたい。検討を進める。」と応えたそうです。
しかし、その後の美浜原発事故で表面的な推進の動きは止まってしまいました。
鹿児島県川内市と新潟県柏崎市は使用済み燃料に課税する独自の税を創設し、核燃料税との二重課税を嫌っていた電力も受け入れました。原発頼みの自治体にとっては、増設が出来ない時代に目減りする原発から落ちる金を補う措置ですが、結果的に原発敷地内に長期間使用済み燃料を大量保管することを認めることになっています。
山口町長は「原発敷地内に設置すると交付金の対象にならない。造るならば敷地外」と述べ、敷地外での設置で町に入る国の電源3法交付金が必要との考えを示しています。
さらに、福井県高浜町の今井理一町長が、2004年4月26日になって、2003年の秋に、藤洋作関電社長に対し「引き受ける所がなければ、引き受ける」と誘致を打診していたことを明らかにしました。今井町長は、任期満了に伴う選挙で3期目の当選を前日に決め、記者会見に臨んでいました。選挙の争点に中間貯蔵誘致問題がなるのを避け、隠していたことになり、民主主義を冒涜するやり方に憤りを覚えます。
今井町長は、2005年初めにも秘密裏に、同町音海の製材工場用地約4万6千uが中間貯蔵施設立地に適すかどうか調査を関電に要請していたことが、5月になって明らかになりました。関電は高浜原発付近の地盤データや地図などから立地の適否を検討したが、中間貯蔵施設に必要な面積約10万平方メートルに満たず、地盤も適さないことなどを、高浜町に伝えたとされています。
関電の藤社長は、珠洲原発計画凍結正式表明後の記者会見(2003年12月5日)で、中間貯蔵施設などを珠洲市内で建設する可能性について、否定したと報じられています。
珠洲原発反対ネットワークは、買収済みの用地があることや「原発関連の補助金に頼る延長線上で、誘致計画が浮上しかねない」として中間貯蔵計画などの建設の可能性がなくなるまで運動を継続することを確認したそうですが、新聞に「反対派が建設断念後の結集軸とするため、貯蔵施設を持ち出しているとの見方もある」と書かれるなど、複雑だそうです。