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モザイクの歴史概略
● 古代、グレコ・ローマンモザイク
モザイクは、建造物の床や壁、柱、又は街角の噴水等を装飾する表現技法として、地中海沿岸地域を中心に隆盛した。現存する最古のモザイクは、メソポタミア一帯を支配していたシュメール人の古代都市ウルクの神殿(紀元前3500年頃)から発掘された円柱や壁を装飾するモザイク。これは、コーンモザイクと呼ばれるもので、円柱の表面に埋め込まれたピースの集合体がとうもろこしを連想するところから名づけられた。一つ一つ着色されたピースは円錐形の形をしたテラコッタで、底面を表向きにモルタル上に差込み規則的なパターンに並べることで幾何学的な連続文様を作りあげている。同じくメソポタミアの古代都市ウルの王墓(紀元前2500年頃)から発掘され現在大英博物館に収蔵されているウルのスタンダードと呼ばれる衝立状のモザイクは、ラピスラズリを背景に真珠母貝の薄板で人物や動物を型取り、縁取りを石灰石で装飾した象嵌モザイク。表裏両面は三段に区切られ、王を中心に酒盃を上げる場面、家畜を引く場面、農耕する場面が描かれており、図像から戦勝記念碑、或いは祭事を表したものではないかと云われている。これらの遺物が物語るように、モザイクは古代都市文明の頃より存在する大変歴史の古い表現技法なのである。ヘレニズム文明に至りモザイクは、技術と表現力が飛躍的に洗練する。マケドニアのペラで発見されたライオン狩りと名づけられたモザイクは、紀元前4世紀頃作られた舗床モザイクで自然界に存在する玉石を巧みに利用し、素朴ながら抑制された色彩とエレガントな姿態が美しい作品である。紀元前2世紀頃には、様々な色の大理石をハンマー等の道具で割り、サイコロ状に加工したテッセラと呼ばれる材料を使ってモザイクを作る技術が確立した。一つ一つが色の粒子となるテッセラの発明は、色の選択肢を広げ緻密な描写を可能にした上、テッセラの大きさ、色、並べ方に一定のルールを設けることによって集団制作を容易にした。このようにギリシャ時代末期にはすでに現代につながるモザイクのスタイルは完成していた。その後、ローマ帝国が地中海沿岸地域からほぼ全ヨーロッパを征服するに至り、モザイクは北アフリカからイタリア半島を中心にヨーロッパ各地に広く普及するようになる。ローマ人にとって、ギリシャやオリエントは文化の先進国であった。これらの地域を征服したローマは偉大なる継承者として彼らの築き上げた文化を模倣し吸収していった。ローマ時代初期、それまでギリシャで活動していたモザイク作家集団は、ある程度の身分を保障された奴隷としてイタリア半島へ渡り、注文に応じて各地を移動しながらモザイクを制作した。やがて彼らはローマ人と同化し、これらの技術はローマに受け継がれることになる。ローマ最盛期を迎える4世紀頃までに、白黒の幾何学文様、狩猟、戦闘、戯曲、神話、だまし絵、看板等、公共の建造物や富裕層の住宅の床を飾るためにおびただしい数のモザイクが作られた。材料は、大理石、花崗岩等の石材が中心であるが、貝殻、鉛線、彩度の高い色の部分にはズマルト(モザイク用に製造した不透明の色ガラス)を補助的に使った作品もある。
● ビザンチンモザイク
4〜6世紀にかけてキリスト教の広がりと共に、教会堂、洗礼堂、廟が建てられ、その内壁にキリスト教をモチーフとするモザイクが作られるようになる。ローマ時代と異なる点は、ズマルト及び金(金箔をガラス板内に焼き付けたもの)を主に用いるようになったことである。自由に欲する色を製造できるズマルトは、豊かな経済力を背景に、写実的表現手段を用いて聖書の各節をドラマチックな情景として再現する最適の材料であった。金は、教会堂の中で永遠の輝きと美の象徴として荘厳なる神の国を演出すると同時に、時の流れの中で刻々と変化する光を壁面に反射させモザイクを映像化するという新しい表現効果をもたらした。作品の特徴としては、ローマ時代のスタイルの踏襲と新たな写実主義的なものの捉え方、それにコンスタンティノープルのスタイル(オリエントの影響)が混在している点である。この時期のモザイクを正確には初期キリスト教美術と称し、ビザンチン美術とは区別して扱うが、5〜6世紀から12〜13世紀までの教会堂の内外を飾ったモザイクを総称してビザンチンモザイクと呼ぶのが一般的である。しかしながら、このような長い歴史の中では必ずしもこの呼称が相応しくない作品も数多い。例えば、9世紀にローマ市内の教会堂に作られたいくつかのモザイクは、点描法の解釈による独自の表現スタイルを持っている。また、12世紀に作られたイタリア南部の港町オートラントのカテドラルの舗床モザイク、11〜12世紀に作られた北イタリアに点在するロンゴバルド族によるモザイクはむしろローマンモザイクの流れを汲むもので、技術的には稚拙であるがコミカルとも思える自由奔放な図像は素朴で力強い。ビザンチンモザイクは、その呼称の示すとおり東ローマ帝国(後のビザンチン帝国)で作られていたモザイクに強い影響を受けたスタイルである。5〜6世紀にかけてコンスタンティノープルやイタリア中部の都市ラヴェンナで作られたモザイクがお手本となり、これらのコピーが作られていく過程で変化し、バリエーションを生み、様式化していったものと思われる。12〜13世紀には、かなり図像や構図が形式化しイコノグラフィーとしての役割を強めていった。
● その後のモザイク
14〜16世紀にイタリアルネッサンス、北方ルネッサンスが起こりアフレスコの大壁画や油絵が絵画の中心を担うようになり、モザイクは衰退の一途をたどる。この時代以降、モザイクはその堅牢な特質から油絵の模写作品として利用されたり油絵を真似るようなスタイルが目立つようになる。職人的作業に傾倒しその精巧な技術に反比例するようにモザイクの持つ魅力は失われていった。再び人々に受け入れられるのは、19世紀末〜20世紀初頭のアール・ヌーボーの時代である。アーツ・アンド・クラフト運動に端を発するこの総合主義の芸術は、絵画、彫刻に限らず建築や家具、日常の小物、服飾等を対象に、非伝統的な新しい表現を求めた流れである。装飾的要素を重視し、当時は過去の遺物としか見られなかったモザイクを積極的に建築装飾として採り入れた。また、20世紀前半の民族主義的な政治動勢の中、伝統的な文化、芸術の復興を唱えたイタリアやメキシコでは、国家事業としてモザイクの奨励に取り組んだ時期もあった。その後、モダニズム建築の台頭で装飾することの意味自体が軽視されるが、20世紀後半に起こるポストモダニズムの流れの中で、高度に発達した機械文明による画一化と無機的なもの文化に対する反動から、材質感や手作りの持つ良さを見直す思考が高まり、モザイクもまた再認識される状況を生む。このようにめまぐるしく変化する価値観と多様な表現が混在する近・現代において、モザイクは芸術表現の一端を担うジャンルとして新たな可能性を模索する時代を迎えている。
モザイク表現の種類
モザイク表現には、石の大きさや並べ方の違いにより10数種類の呼称があるが、モザイク表現の特色をよく示すスタイルとして次の4つをあげることができる。
オプス テッセッラートゥム Opus Tessellatum テッセラを使ったモザイク
オプス セクティーレ Opus Sectile 象嵌モザイク
オプス ラピッリ Opus Lapilli 玉石モザイク
オプス シンニヌム Opus Signinum コッチョペーストとテッセラ
の組み合わせによるモザイク
コッチョペースト(Coccio pesto)
コッチョペーストとは、石灰又はポッツォラーナ1に対し3〜4(体積比)の、にぎりこぶし大から粉末まで大小様々のレンガ片を混ぜ合わせて打ち固めたモルタルのこと。ローマ時代のモザイクの土台は、大体この材料によって造られている。コッチョペーストを床の仕上げ面に使う場合、レンガ片は最大でも親指大まで細かく砕いたものを使用する。モルタルを土台から5〜6cmの厚さに均一に塗りハンマーでレンガ片を砕きながら全体を丹念に打ち固めた後、その中に白又は黒の大理石のテッセラを埋め込み単純な幾何学文様や線紋を施す。モルタル硬化後、表面を平らに研削、研磨し完成する。このモザイクのスタイルをオプス シンニヌム(Opus
Signinum)と呼ぶ。現在では、石灰やポッツォラーナの代わりに白セメントを使用することが多い。
ポッツォラーナ(Pozzolana)
水硬性石灰。ケイ酸塩を含む堆積火山灰、又は凝灰岩を700〜900℃で焼いた上、粉砕し、粉末状に加工したもの。これに石灰と骨材となる川砂、レンガ片、大理石末等を混ぜ合わせ、水を加えてモルタルとする。ローマ時代、土木工事やモザイクの制作に広く使用されていた。
ズマルト(Smalto)
ズマルトは、モザイク用に製造した不透明の色ガラスの総称。硅石、石英、砂等を原材料に炭酸カリウム、鉛丹、又は炭酸ソーダ、炭酸カルシウム等を主成分とするガラス中に、色素となる各種の酸化金属や金等を加え、750〜1400℃の温度で熔融することによって作られる。酸化金属の含有量や熔融温度により、濃淡の差や異なる色を得る事が出来る。 *写真参照 各種のズマルト (イタリア製、ロシア製)

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