有機物における酸化還元反応
(酸化はoxidation,還元はreduction ですので、酸化還元反応を「redox反応」ということがあります。「レドックス・フロー電池」など日本語でも出てくることがあるので知っておくと良いでしょう。red ox(赤い牛)ではありませんのでヨロシク。)
既に中学校でも酸化還元反応の初歩は学んでいますが、それは多分、銅やマグネシウムなどの金属が酸素と結びついて酸化銅や酸化マグネシウムになるという、「酸素と結びつく反応」を酸化反応といい、いったん酸素と結びついて酸化物となったものが、炭素や水素と反応して「酸素を失う反応」が還元反応である、というものだったろうと思います。これが、酸化還元反応の第一歩の定義です。酸素と結びつくのだから「酸化」、金属酸化物から酸素がとれて「もとの金属に戻る」のだから「還元」で、ナイーブで直感的です。「元に還る」ので還元ですね。
金属から離れて、有機物が燃えることも激しい酸化反応ですし、人間が糖を酸化して二酸化炭素と水ができる反応からエネルギーを得ている、ゆるやかな燃焼を行っている、という話も聞いたことがあるでしょう。まとめると
第一の定義は
酸化とは:酸素原子と結びつくこと
還元とは:酸素原子を失うこと
と、なります。下の図1の@がこれに相当します。Aが酸素原子を得てA’になるのは酸化、Bはそのとき酸素原子を失ってB’になっているので還元、です。
図1

ここで注意したいのは、酸化反応と還元反応が独立に存在するものとはせずに、「酸素原子の授受」という形になっていることです。酸素原子と結びつくものがあるなら、その酸素原子を渡したものがあるはずです。出来事は「酸素原子の移動」という一つです。そのとき渡した側は還元、受け取った側は酸化となるわけです。例え話:右手に持ったボールペンを左手に渡してください。出来事はボールペンの移動という一つのことです。ですが、右手はボールペンを失い、左手はボールペンを得ているでしょう。一つの出来事の両面を見るというのはこういうことです。
第二の定義は、図1のAに表現されています。
酸化とは:水素原子を失うこと
還元とは:水素原子と結びつくこと
です。
これは、有機化学でよく出てくる酸化還元の概念です。ここでも「水素原子の授受」という一つの出来事の両面として酸化還元をとらえます。生物の体内で行われるエネルギー獲得反応も「水素を奪うという酸化」(脱水素)で行われます。
第三の定義は図1のBです。(e−は電子です(electron))
酸化とは:電子を失うこと
還元とは:電子を得ること
です。
第一の定義での酸素原子の授受をもう一回考えてみましょう。酸素は電子を引きつける力がとても強い原子です。ですから酸素原子を得るということは、自分がその酸素原子に電子を奪われてしまうこととほぼ同じです。つまり酸素と結びつくことは電子を失うこととほぼ同じです。このとき酸素原子の方は電子を得て酸化物イオンになっています。
2Cu + O2 → 2CuO
銅の酸化の化学反応式は普通こう書くわけですが、酸化銅は実はイオン性の化合物、Cu2+O2− です。ですから、電子のやりとりを表現すると

銅原子が電子を失って酸化されています。これはそう不思議ではないと思いますが、酸素分子は電子を得ているので還元されています。酸化の反対側は還元なのですから当たり前なのですが、酸素分子が還元される、ということは、初めは妙に感じられるかもしれません。
逆に、水素原子を得るということは、自分がその水素原子から電子を与えられるということとほぼ同じです。水素原子は電子を失って水素イオンになりやすいのです。
この、電子の授受による酸化還元の定義が、現在の化学の最先端の定義です。繰り返しますが、電子を失うことが酸化、電子を得ることが還元です。
★電池というものは、酸化還元反応による電子の授受を内部で完結しないようにして、外に取り出したものです。
→ 酸化還元と電池
★電気分解は逆にエネルギーを消費しながら電子の注入と引き抜きを行って、酸化還元反応を引き起こすことです。
→ 冶金・電気分解
★酸化剤・還元剤
→ 酸化剤・還元剤
これからは、酸化還元反応にであったときは、上の3つの定義のどれかを、そのシーンに応じて柔軟に使って理解していくようにしましょう。
★官能基の話のところで、アルコール、アルデヒド、カルボン酸が出てきました。この3つのグループは酸化還元で結びついています。

構造式で書くと

アルコールから脱水素という形の酸化でアルデヒドが生じます。さらにアルデヒドの、部分的に正電荷を帯びた炭素のところに負電荷を持った水酸基が入ってきて水素が抜けていく、という酸化でカルボン酸が生じます。
具体例で話しましょう。お酒を飲んだときにおきる変化を考えてみます。お酒の成分のエタノールに注目するとこんな変化が起きています。

エタノール
アセトアルデヒド 酢酸 二酸化炭素+水
酸化 酸化 酸化
脱水素 脱水素
飲酒するとまず、アルコール脱水素酵素というものがエタノールに作用してアセトアルデヒドを生じます。
C2H5OH → CH3CHO + 2H
このとき、顔が赤くなったり、ドキドキしたりします。これはアセトアルデヒドのせいです。この反応のアルコール脱水素酵素は細胞質にあって、反応が早いので、お酒を飲んだ直後に顔がすぐ赤くなります。
次に、アルデヒド脱水素酵素が働いて酢酸が生じます。
CH3CHO + H2O → CH3COOH + 2H
酢酸はさらにクエン酸回路で酸化され、最終的には二酸化炭素と水になります。この反応のアルデヒド脱水素酵素は細胞内のミトコンドリアにあるので反応が遅く、酔いは持続し、なかなかさめません。
エタノールは少量なら健康にもよいのでしょうが、多量に飲めば急性中毒を起こしますし、長年飲みつづければ肝臓に負担がかかって体にいろいろ不具合が生じます。毒性のあるエタノールを優先的に分解するべく肝臓は働き、その際エネルギーが得られるので、他の炭水化物や脂肪などは貯えにまわされがちになります。カロリー過剰になりますね。
(酸化の話ではないのですが、酒にまつわる話を二つ。いびきをかく傾向のある人がお酒を飲むと、のどや舌を支える筋肉がゆるんでしまって、舌の根がのどに落ち込んで激しいいびきをかいたり、睡眠時無呼吸症候群をおこしやすくなるようです。またアルコールは睡眠中の脳を興奮させてしまうのですね、脈拍が上がり、眠りを浅くする作用があるのです。寝る前に一杯きゅっとあおってぐっすり寝よう、というのはよろしくありません、入眠は速くなっても、かえって睡眠の質が劣化します。気分的には心理的なストレスが和らぐかもしれないので、まったくダメとも言い切れませんが、不眠症対策にナイトキャップを、というのはやめておいたほうがいいようです。)
もし、「アルコール」だからといってメタノール(メチルアルコールともいう)を飲むと、体内で同じように酸化の経路にのることになります。そうするとどうなるでしょう?

メタノール
→(酸化)→ ホルムアルデヒド →(酸化)→ ギ酸
という変化をたどることになります。その結果、ホルムアルデヒドやギ酸の毒性で、失明したり、死亡することになります。
→ メタノールの毒性
★最後に、レモンやローズの香り分子の間に、酸化と還元で結ばれた面白い相互関係がありますのでご紹介します。
下の図で
○ネラールとゲラニアールは二重結合のところでのシス−トランス異性体の関係にあります。語尾が「アール」であることがアルデヒドであることを示しています。異性体混合物を「シトラール」といい、強いレモン様香気があります。多くの食品香料に使用されています。石けん香料、コロン用香料にも使用。
ゲラニオールあるいはネロール蒸気を約300℃の空気とともに、銅、銀触媒上を通過させると酸化されてシトラールが得られます。
○ネロールとゲラニオールもシス−トランス異性体の関係にあり、語尾「オール」がアルコールであることを示しています。
ネロールは新鮮で甘いローズ様香気で、フローラルタイプの香粧品香料に用いられます。また、ストロベリー等の食品フレーバーにも使用されます。
ゲラニオールは穏やかで甘いローズ様香気だそうです。ローズ系調合香料として花精油の調合に用いられます。化粧品、石けん、室内芳香剤など幅広く用いられています。食品香料としては、アップル、アプリコット、ストロベリー、プラム、チェリー、レモン、シナモン、ナッツメグ等のフレーバーに用いられています。
製造法はいくつかあるようですが、シトラールの還元も製造法の一つになっています。
○シトロネロールは、ゲラニオールの二重結合への水素の付加、という形の還元で得られます。ネロールとゲラニオールが異性体関係になりえた二重結合が単結合になってしまいましたので回転可能となり異性体はできません。シトロネロールの香りは、純度によって香気が変化しますが、一般的にはゲラニオールより甘く新鮮なローズ様香気だそうです。ローズ系調合香料のベースとなります。また石けん、室内芳香剤、安価な化粧品等に用いられます。
○シトロネロールを酸化するとアルデヒドになり、シトロネラールとなります。レモン、メリッサに似た新鮮なグリーンシトラス様でわずかに木香調の香気があるといいます。安価な石けん香料、シトラス、チェリー、ジンジャー、などとして少量使用されます。またメントールの合成原料にもなります。
分子の形のほんのわずかな違いが私たちに微妙に異なる匂いとして感じられることが分かります。形のほかに、あるいは分子の末端がアルデヒドかアルコールかで嗅覚の受容体分子との相互作用に違いがあるのかもしれません。不思議なことです。

2004年のノーベル医学・生理学賞はにおいに関する研究に対して贈られることになりました。まだ、詳しい解説はネット上にないので(2004.10.12現在)新聞記事を3本載せておきます。
★朝日新聞(10/04 21:07)
ノーベル医学生理学賞、米の2氏に。:嗅覚に関する研究
スウェーデンのカロリンスカ医科大学は4日、今年のノーベル医学生理学賞を、米コロンビア大のリチャード・アクセル教授(58)と、米フレッド・ハッチンソンがん研究センターのリンダ・バック博士(57)に贈ると発表した。においのセンサーである受容体の遺伝子を突き止め、動物の嗅覚(きゅうかく)システムを解明したことが評価された。賞金は1000万クローナ(約1億5000万円)で、両氏で折半する。授賞式は12月10日、ストックホルムで開かれる。
花や料理のにおいは、においの分子が鼻の細胞の表面にある受容体に結びつき、神経を通して信号が脳に伝えられる。両氏は様々なにおいの分子に応じた受容体をつくるために、多数の受容体遺伝子が存在していることを突き止め、91年に共同で論文を発表。嗅覚研究が大きく進展する基礎を築いた。
両氏はまた、受容体から嗅覚の刺激が伝わる仕組みも、分子レベルから細胞間の関係まで詳しく解明した。
これらの研究は、動物の行動に影響する化学物質フェロモンや、味覚の研究などにも結びついている。
〈リチャード・アクセル氏〉 ニューヨーク生まれ、58歳。70年ジョンズ・ホプキンス大で医学博士号を取得、78年コロンビア大教授に就任。84年からハワード・ヒューズ医学研究所研究員。83年から全米科学アカデミー会員。
〈リンダ・バック氏〉 米シアトル生まれ、57歳。80年テキサス大で博士号取得。84〜91年ハワード・ヒューズ医学研究所研究員。ハーバード大医学部教授を経て、02年からフレッド・ハッチンソンがん研究センター研究員。03年から全米科学アカデミー会員。
★日本経済新聞(10/5)
ノーベル賞:生理学・医学賞に米2氏:におい感じる仕組み解明
受賞理由は「においの受容体ときゅう覚システム」に関する発見。きゅう覚を担う遺伝子が人間の全遺伝子の約3%にあたる約千種類あることを突き止め、1991年に共著で論文を発表。鼻の細胞表面にあり、におい物質を受け止める「受容体細胞」ごとに異なる遺伝子が働いていることも解明した。
においの信号はこれら遺伝子の働きを通して、パターンを作りながら脳に伝わる。このパターンの違いにより人間は約1万種類のにおいをかぎ分けたり、記憶したりできるという。きゅう覚が伝わる仕組みはフェロモンや味覚の場合とも似ており、今回の成果はこうした他の重要な機能の解明にも役立つと見られる。
★毎日新聞(2004年10月5日 東京朝刊)
ノーベル賞:米の2氏に医学生理学賞−−嗅覚のメカニズム解明
スウェーデンのカロリンスカ研究所は4日、04年のノーベル医学生理学賞を、米コロンビア大のリチャード・アクセル教授(58)・ハワードヒューズ医学研究所のホームページから=と米フレッド・ハッチンソンがん研究センターのリンダ・バック博士(57)・ロイター=に授与すると発表した。人間がにおいをかぎ分け、記憶する仕組みを分子レベルで解明した。授賞式は12月10日、ストックホルムで開かれ、賞金計1000万クローナ(約1億5000万円)が贈られる。
授賞理由は「におい受容体と嗅覚(きゅうかく)系の機構の発見」。両氏は91年、におい物質を鼻の奥で受け止め脳に伝える受容体が約1000種類あり、個別の遺伝子からつくられていることを突き止めた。人間の全遺伝子(約3万種類)の3%もの遺伝子が、においの感知にかかわっている。においは複数のにおい物質によって生じる。ひとつひとつの受容体は特定のにおい物質にしか反応せず、においごとに反応する受容体の組み合わせが異なる。人間は違いを脳で認識、受容体を上回る種類のにおいをかぎ分けていた。
両氏は、この仕組みが味覚やフェロモンによる性行動と共通していることも解明した。女性が自然科学分野でノーベル賞を受賞するのは95年以来となる。