理科おじさんの部屋:第99回


●第99回は2007年8月9日()でした。

 

★恒例の、多摩川河川敷での虫捕り、カマキリへのエサやりはいつもどおり。

 


★続いて、二階に上がって、虹の話の続き。

U君は虹についての実験を「夏休みの自由研究」にまとめるつもりのようです。

 どんなストーリーにするのか一応話してもらいました。その上で、必ず押さえなければならないポイントを確認しました。

 ・白色光は屈折するときに色に分かれること。

 ・太陽光線が空中の水滴に入ると、屈折・反射・屈折をおこなって、太陽光線に対して約40度の角度で「戻ってくる」経路があること。

 ・このとき、2回の屈折で、光が大きく色に分かれること。その順序は下から上へ「赤から紫へ」であること。

 ・虹の色は、内側から外側へ「紫から赤へ」であること。

 ・この逆転はなぜ起こるのか。上の水滴から赤い光が、下の水滴から紫の光が来ること。

 ここまで、きちんと説明できれば、小学6年生のレポートとしては十分ではないでしょうか。コピーした資料のどれが使えるか、使わないでおくか、検討しました。

 ・写真には「副虹」も写っていますので、これもほぼ同じ論理で説明できるので、可能なら書いたらいい、それはスゴイことだ、と話しました。

 8月17日にもう一回、夏休み中の最後になりますが、U君がやってくることになっていますので、最終的な構想を聞いてあげましょう。

 

ところで、補充の実験を一つやりました。

↓下の写真を見てください。(個人情報の視点から顔をぼかしました。ゴメン。)

 アクリル球を台に乗せ、右手に持った白色LEDペンライトの光を、球の下の方から入射します。

 眼は球の上の方を覗きます。

 そうしておいて、目と手の加減を調節して、ペンライトの光がものすごく明るく真正面から見えるポイントを探します。

 そのポイントが見つかった時の写真です。

前回レーザー光線の経路をせっけん水で見ました。今回は光の経路は見えませんが、レーザー光のような危険性がないので、光を正面から見ることができます。

写真に、白い線で、ペンライトの向き、アクリル球から目への向き、を描き込みました。

いかでしょうか?40度までは開いていないようですね。30度程度でしょうか。

でも、これが、屈折・反射・屈折でペンライトから目に至る光線群の一つの経路ではあるのです。

慣れてきて、ギリギリのところを狙えるようになると、もうちょっと開いた角度になります。

 


◆Uおじさんの独り遊び。{上の実験で充分なのですが、いろいろ試してみたくなるのがUおじさんの習性でして。}

 

U君にやってもらったアクリル球とペンライトの実験を、「眼」の立場をカメラにして、写真に撮れないものだろうか、と試みてみました。

↑この写真では、ペンライトを左手に持って上から光を入射しています。右手でカメラを持ちシャッターボタンに指をのせて、球の下のあたりを探り、ペンライトの光が明るく真正面から見える位置を探しました。

 いかがでしょうか?これが、屈折―反射―屈折を経て出てきた光の写真です。白色光のままの明るいスポットのちょっと外側に分光された色が見えています。

 

下の写真は、光源をペンライトではなく、カメラのフラッシュにしたらどうなるのかを試みた写真です。

↑いちばん左は、ただ単純に普通に、アクリル球にフラッシュを浴びせて球の写真を撮ったものです。上に、球の表面での反射が写り、下に内部を通過してきた光が写っています。

 真中は、クローズアップ。ずいぶん近づいていますので、フラッシュの光は球のかなり上から入射します。それが屈折―反射―屈折を経て出てきたのが下の部分。

 右はそのさらにクローズアップです。フラッシュの明るい光の上のふちに分光された虹様の帯があります。

 また、アクリル球は真球にとても近いというわけではありませんで、内部に密度むらがありますし、表面も凸凹です。そのため、球の奥で反射して球の下部へ進んできた光が、球を内部から照らして、傷などが照らし出されています。内部からの照明だという点にご注意ください。

 

さて、もう一回、光源を太陽に戻してみたくなりました。第98回でやった実験をもう一度、午後の光を使って、一人で繰り返してみました。

↓これです。球の中央右のあたりの光点は太陽の直接反射光です。アクリル球に入射する光はもっと右上から入っていきます。そして、屈折―反射―屈折を経て出てきたのが左下の明るい光点です。やはり光点の周囲が分光されています。

↓で、白い紙をすぐそばに立ててみたら、ナント!二重の光の輪が現れていました!

これ、主虹をつくる「光の傘」と、副虹をつくる「光の傘」が、紙の平面に当たって、放物線型に見えているのでしょう、多分。

やってみると、次々にふしぎなことが起こるので、楽しくて仕方ありません。

 でもまぁ、このくらいにしておきましょうか、虹の実験は。

 


8月9日、この日は「長崎原爆の日」。虹の実験などしているうちに、11時になりました。

 長崎への原爆投下は1945年8月9日午前11時2分でした。プルトニウムを用いた原爆でした。TNT火薬20000トン分以上の爆発力といわれます。この原爆による死者は、放射能障害による死者も併せて15万人ともいいます。

 話は前後しますが、広島に原爆が投下されたのは、1945年8月6日午前8時15分でした。この原爆はウランを用いた原爆でした。30万人の命が失われました。

 

「原爆」って何なのか。簡単にU君にお話ししました。

 

ウランやプルトニウムという物質をつくっている原子の中心にある原子核は、時々、壊れて半分に割れます。これを核分裂といいます。このとき原子核をつくる粒子のうち中性子という粒子が平均的に2個くらい飛び出してきます。

この中性子が、そばにあるウランの原子核に吸収されると、その原子核もまた分裂して、また2個くらいの中性子を放出します。

 このようにして、たとえば最初の1個の原子核が分裂して、2個の中性子が出て、その2個の中性子で2個の原子核が分裂して、またその原子核それぞれが2個の中性子を出して・・・・・・と続くと、2×2×2×・・・と分裂する原子核が増えていくことになり、もうとめどがありません。これを連鎖反応といいます。

さて、原子核が分裂して、たとえば2個のかけらと、2個の中性子が出たとしましょう。

 分裂する前の原子核の質量(Mとしましょうか)と、分裂後のかけらと中性子の質量の総和(Mとしましょう)とを比べて見ると、

 M>M となっているのです。

 変ですね。質量が消えてしまいました。どうなったのでしょう?ここに登場するのが有名なアインシュタインの E=mc という式です。

 この式は質量とエネルギーが等価なものだということを表しています。核分裂に際して消えた質量は、エネルギーになるのです。

 エネルギーといって、具体的には何なのでしょう?分裂後の原子核のかけらが猛スピードで飛ぶことです。原子や分子のレベルで、猛スピードで飛ぶということの意味は「温度が高い」ということです。その結果、原爆による火球の温度は数千度にもなると言われます。また、電気を持った原子核が猛スピードで運動するので強力な電磁波も放出されます。ガンマ線ですね。核分裂で放出される中性子も飛びまわります。これは中性子線。原子核のかけらの中にはヘリウムの原子核もあります。これがアルファ線。

 もちろん他の原子核のかけらも、不安定で壊れやすいものが多く、放射性物質といいます。熱・放射性物質・放射線そのようなものをいっぺんに大量に放出するのです。

 これが、原爆の仕組みです。

原爆の爆発点の近くの地表では3000度にもなったといいます。広島の原爆資料館には、人体が一瞬に蒸発してしまって、「影」だけが残った石があります。すさまじい熱でした。

 

Uおじさんが現役の教師だった1982年1月、広島で先生方の教育研究集会がありました。それにUおじさんも出席したのですが、会期中に地元の高校生たちが、河原に降りて石の中から「原爆瓦」を拾い集め、全国から集まった先生方に配布しました。「先生方がそれぞれこの原爆瓦を使って、全国で原爆の悲惨さを訴え、核廃絶への道が開けますように」という願いのこもった瓦でした。

 Uおじさんも2個頂いて帰りました。それをお目にかけます。↓

 遠くから見るとそう変哲もないものに見えますが、拡大してよく見ますと↓

 瓦の表面が熱で融けて玉のようになっているのがわかると思います。瓦というものはそもそもが焼き物ですから熱には強いものなのです。その瓦がこのようにプツプツとなっているということは、原爆投下の瞬間、3000度もの高温にさらされて、瓦の表面が「煮え立った」のです。それを記録した瓦なのです。

 東京へ帰ってから、箱をつくりガーゼを敷いてガタガタしないようにして、アクリル板のふたを付けて、生徒が見やすいようにして保存してきました。授業の中で随時チャンスを見てはこれを教室に回覧し、原爆の話をしてきました。

 ↑これがその回覧用のボックスです。

 あの当時の高校生も今は40代でしょう。社会の中堅として、派手はでしくなくていい、堅実に戦争や核兵器をなくす道を、生活の重みを伴いながら実践されていることでしょう。感動は冷めやすいものです。意志は持続するものです。感動を退け、意志を強く生きたいものです。

 

↓下のサイトをぜひお読みください。冒頭を引用します。

http://yutaka901.web.infoseek.co.jp/page2bx08.html

 

原爆犠牲ヒロシマの碑

原爆ドーム傍の元安川河床には、原爆の熱線で表面 が溶けた瓦がたくさん埋まっていました。

1981(昭和56)年、広島市が元安川の美化工事にとりかかった時、当時の高校生が、瓦の発掘と平和への決意を固める碑の建設を呼びかけ、戦争も原爆も知らない世代が中心となってつくりあげました。

彼らの努力の結晶である「原爆瓦」がこの碑に嵌め込まれています。

「天が まっかに 燃えたとき 

わたしの からだは とかされた 

ヒロシマの叫びを ともに 

世界の人よ」

碑文は公募され、当時、安田女子高・蔵田順子さん原案

 

 

U君には、さらに「原子炉」の話も少し付け加えました。

 原爆は核分裂のエネルギーを全くコントロールせずに解放したものです。

 原子核が分裂した時に出る中性子を、平均的に1個程度に抑えることができれば、次々と核分裂が持続しますが、爆発には至らないという状況が作れます。これが「原子炉」です。

 ここで「制御棒」というものが登場します。中性子を吸収しやすい物質でできた棒です。核燃料棒の間に入れて、中性子を吸収させ、核分裂を暴走させずに持続させる働きをします。

 持続する核分裂でも、やはり熱が出ますので、これで水蒸気をつくって発電機のタービンを回し、発電するのが「原子力発電」です。

 言ってしまえば「原子力湯沸かし器」なんですが、どうでしょう?人類はこの核分裂を完全にコントロール下におさめたと言えるのでしょうか?私は疑問を感じています。

使用済み核燃料のこともまだ解決したとは言えませんね。「トイレなきマンション」といわれた状況が解消したとはとても思えません。先送り、先送りで進んでいるように思えます。

 

話のついでに、「核融合」についても少し触れておきました。

 太陽などの輝く星の中心部では、水素の原子核が4つ、ものすごいスピードで衝突してくっつき(融合し)、ヘリウムの原子核が1個できます。

 このとき 水素原子核4個の質量>ヘリウム原子核1個の質量 ということがおきます。また質量が消えてしまいました。

 消えた質量がエネルギーになるのです。これは星のエネルギーです。

核融合を起こしやすいタイプの水素を中心にして、それを原爆で取り囲みます。そうして、原爆を爆発させると、中心で水素が高温で高圧に圧縮されて核融合を起こします。

 これが「水素爆弾(水爆)」です。

 星のエネルギーを、全くコントロールできないままに地表で解放してしまったのが水爆なのです。

第五福竜丸事件のことをU君は知っていました。人間の愚かさを象徴するような事件です。

水素の核融合をコントロール下におけないものか?というのが「核融合炉」の研究です。

 「温度1億度以上、密度100兆個/cmを1秒間以上保つ」というのが核融合を実現するために必要な条件です。この条件に近いところへは到達していますが、持続的に核融合を行わせるような技術レベルにはまだまだ達していません。そもそも、そんな状態の「もの」を入れる容器がないでしょ?だから磁場で閉じ込めるとかの工夫が今なされているわけです。

 私自身は(根拠もなく)、人類が核融合を安定した技術として実現するのは無理なのではないか?と思っています。

 「火(燃焼)」という化学反応は、人類が誕生した時からつきあってきた技術なので、現在「火・燃焼・爆発」はかなりコントロール下におさめて、安定的に利用しています。(自動車エンジンもコントロールされた爆発です)。それでも、時々暴走しますよね。

 核分裂・核融合を人類がコントローできるようになる日はくるでしょうか?

 


いろいろとまあ、お話ししました。でもって、予定が変わり、ここまでで今日は時間切れになってしまいました。

 最後は、ひとしきり庭で虫捕り。シオカラトンボ、アブラゼミ、ミンミンゼミいろいろわが家の虫たちはのんびり屋。

 U君を楽しませてあげたのでした。

 

★今日はここまで。