ガリレオの最初の論文「小天秤(La Bilancetta ラ・ビランチェッタ)」
前回、「ガリレオ温度計」の話を書きました。そこでは、どうも「ガリレオ温度計」はガリレオさんの発明になるものではなさそうだ、ということを書きました。そこではまた「この『小天秤』とそこに述べられている方法は、ページを改めて解説したいと思います。」と書きましたのでこのページで議論しましょう。
ネット上の「ガリレオ温度計」の広告では、下のように「小天秤」に言及しているものもあります。ですから、実際にガリレオが展開した議論がどのようなものだったのかを、お目にかけて、市販されている「ガリレオ温度計」とは関係がないことをお知らせしたいと思います。
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温度計としては異彩を放つ造形美をもつ、「ガリレオ・ガリレイ温度計」。
その発案者は、その名が示すようにイタリアの天才科学者“ガリレオ・ガリレイ"。 彼の論文「小天秤」に記された比重測定原理を現代に蘇らせたものです。温度変化で液体の容積が変わり、その結果ガラス球が上下し、温度を測定できるというもの。機能一辺倒の現代に、こんな温度計と暮らしてみるのも、一興に値するかもしれない。
ガリレオ・ガリレイという名の温度計。名付け親は、ガリレオ・ガリレイ(1564〜1642)イタリアの物理学者、天文学者、近代科学の創始者の一人。彼は『小天秤』のなかで貨幣中に含まれる金、銀を定量的に決定するという比重を利用して高精度で解決する方法を論述しました。近代の吹きガラスの技術の粋と、良心的な検定がほとんど忘れられていた中世の比重測定原理を、今日再びよみがえらせることを可能にしました。
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世界の名著 第21巻「ガリレオ」責任編集・豊田利幸、中央公論社、1973年6月25日初版発行、¥650−
上記の本の「ガリレオの生涯と科学的業績」という項を豊田氏が書いておられて、その中で、37ページから41ページにかけて「小天秤」の豊田氏による全訳が載っています。訳は、国家版「ガリレオ・ガリレイ全集」をもとにした全訳であり、( )内に原語を記入したのは豊田氏です。原文はラテン語ではなくイタリア語だそうです。「小天秤」は1586年22歳の時の、ガリレオ最初の論文ですが、公刊されたのは、1638年に最後の著作になる「新科学対話」の付録として、でした。
そこから訳文を引用しながら、私の議論を進めていきましょう。
まずガリレオは、アルキメデスについてのよく知られた逸話について批判し、粗雑に過ぎる、としています。そしてアルキメデスははるかに精密な方法を使ったに違いなく、自分はそれと同じ方法を発見したと考える、と述べています。
論文の書き出し
「古代の著者のものを読む注意を払った人にはよく知られているように、アルキメデスはヒエロンの金でできた王冠を盗んだ金細工師のごまかしを発見した。しかし、この偉大な人がそれを発見するさいに用いた方法については、今も知られないままになっているように思われる。何人かの著者は次のように書いている。彼は、等量の純金と純銀を前もって別々に水に浸した後、問題の王冠を水につけ、水面の上昇あるいはこぼれの差から、その王冠をつくっている金と銀の混合(ミスティオーネ)の割合を認識することができた、と。しかし、これはいってみれば非常に粗雑で精密さからはほど遠いものである。この神のような人間(ディヴィーノ・ウォーモ)が行なった精妙極まる発明を彼自身の書いたもので読み、かつ理解した人にとっては、なおさらそう思われるのである。それらを読むと、他のすべての人々がいかにアルキメデスより劣っているか、そして、彼の諸発見に匹敵するような発見をそれらの人々が行なう望みはいかに少ないか、非常にはっきりするであろう。私は、アルキメデスが水を用いる方法で盗みを見つけたという噂が広がり、たぶん当時の誰かある著者がそのことを書き残し、その中で、彼が噂で聞いたほんのわずかなことにいくらかつけ加え、それが後で一般に信じられるようになった方法でアルキメデスが水を用いた、というようになった、のであると考える。しかし、これは全くの虚偽(ファラチェ)であり、数学的な問題(コーゼ・マテマティケ)において要求される精密さ(エザッテッツァ)を欠いていることを私は知っているので、水を使ってわれわれはいかにして二つの金属の混合(ミストーネ)の割合を正確に決定できるか、何度も考慮をめぐらしてきた。そしてついに、アルキメデスが彼の著書「水の中にある物体について」および「平衡状態にある物体について」の中で証明していることを綿密に読み返した後、われわれの問題を精確に解く一つの方法が私の頭にひらめいた。この方法はアルキメデスが用いたものと同じである、と私は考える。」
次いで
「この方法は、次のような天秤(ビランチャ)を用いるものである。その天秤の製作法(ファブリカ)と使用法を説明する前に、それを理解するのに必要なことがらを詳しく述べておこう。」
と述べていて、ガリレオは天秤の製作と使用が主眼であるとしているようにおもわれます。私自身の感覚ではむしろ、この論文の最も重要な点は、これから解説するように天秤の腕の上に物体の密度が直接に現れる、という点にあって、天秤の制作と使用は、そのことの技術的な実現に過ぎない、と感じられます。ただ、ガリレオにおいては、常に、議論だけではなくそれが具体化されてこそ意味がある、という理論と技術の一体感が強く強調されていますので必然的なことなのでしょう。
続いて、アルキメデスの原理を次のように説明します
「まずわれわれは、水中に沈めた固体(コルビ・ソルディ)は、空気中で測ったときより、その物体と同量の水の重さ(グラヴィタ)だけ軽い、ということを知らなければならない。」
「例として、一つの金のボールが水につかっているとしよう。もしそのボールが水でできているとすれば、それはまったく重さをもたないであろう。なぜなら、水の中の水は上がりもしなければ沈みもしないからである。それゆえ、われわれの金[のボール]は、水中では、金の重さ(グラヴィタ)の(うち)水より重い分だけの目方(グラヴィタ)をもつことは明らかである。」
「金の重さ(グラヴィタ)は、水の20倍であると仮定しよう。そうすれば、金は明らかに水中では空気中におけるより、その全体の重さ(グラヴィタ)の1/20だけ重さ(グラヴィタ)が少ない。」
以下の私の議論では、密度ρ[g/cm3]と、体積V[cm3]で進めたいと思います。また重さには[g重]を使います。
(ρGはGoldから、ρWはWaterというつもりです。先で、ρSがでますが、これはSilverです)
金の密度をρGとし、金のボールの体積をVとしましょう。水の密度ρW=1とします。
このボールにかかる重力は、ρGVです。またこのボールが水から受ける浮力は、ρWV=Vです。
すると、水中でのこの金のボールの重さは
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となります。これが、「全体の重さの1/20だけ重さが少ない。」といっていることの意味です。
現代では、V(ρG−1)のような書き方のほうがポピュラーかなとも思いますが、内容は同じです。
これ以降の議論のために必要な図を下に掲げます。この図は、豊田氏の訳文中にある図を再現しましたが、異なる点が2点あります。
1:オリジナルの図では支点cは天秤のほぼ中央にあります。ですが、一般的に議論した場合、腕の長さが等しくなくても議論は成立しますので、敢えて誇張して支点cを中央からずらしました。
2:結果として、左右の腕の長さが異なりましたので、それを「L1」「L2」としました。
この2点以外は、豊田氏の図、ひいてはおそらくガリレオの図と同じものです。

こんな議論が始まります
「例えば、天秤をab、その支点をcとしよう。そして、なにかある金属片がbに吊るされ、それが分銅dで釣り合わせられているとしよう。もし錘り(ベーゾ)bを水中に浸すならば、aにおける空気中の重さdはbより重くなるであろう。それゆえ、同じ分銅を使って釣り合わせるためには、分銅を支点cの近くに、例えばeに移動しなくてはならない。距離(ディスタンツァ)acが距離aeの何倍になっているかという割合で、その金属は水より重いことになる。」
この議論の中身を吟味しましょう。
分銅dの質量はm[g]であるとしましょう。金属片bの密度をρ、体積はVとします。
空気中で天秤がつりあうためには、「腕の長さ×力」が左右で等しくなければなりません。したがって
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物体bを水に浸した時、分銅をeに動かして釣り合いが取れたとします。aeの長さをxとしましょう。

つりあいの条件は
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元の記号法に戻ると

最後の式が、ガリレオの言う「距離acが距離aeの何倍になっているかという割合で、その金属は水より重いことになる。」といことと対応しています。
つまり、「天秤の腕の上の位置に物体の密度が直接示される」ことが分かったわけです。(「水より重い」という言い方は「比重」というべきかもしれませんが、私の議論では一貫して「密度」を用いることにします。)
あるいは、腕の長さL1はいつも同じままで使うのですから、この長さL1=1とおいてしまえば、
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と書いてしまうこともできます。いずれにせよ天秤の左右の腕の長さが等しいことは必要のないことです。
「天秤の腕の上の位置に物体の密度が直接示される」このことが「小天秤」という論文の最大のポイントだと私は思います。
続く議論は、このことを利用します
純粋な金を使ったときに分銅がeまで移った。
純粋な銀を使ったら分銅はfに移った。
金と銀の合金を使ったら分銅はgに移動した。
「私は今やその混合物を構成する金と銀は距離fgとgeの比と同じ割合で存在するということができる。しかしながら、われわれは銀の目じるしで終わっている距離gfは、金の分量を示し、金の目じるしで終わっている距離geは銀の量を表示することを注意しておかなくてはならない。すなわち、もしfgがgeの2倍であるならば、上に述べた混合物は金2と銀1から成り立っているだろう。」
これが、ガリレオの議論です。直感的には問題ありません。金100%のときがeで、銀100%のときがfだ。だからfg:ge=2:1ならば、金と銀の混合比も2:1だ。
ガリレオ自身の密度に関する議論はこれで終わりなのですが、私としては直感的にはよいとして、本当にそうなのかどうか確かめてみたいのです。
そこで、以下に私の議論を書きますが、ここでm:nという比を、
と書くことにします。この場合、分数と同じに取り扱うことができます。

ガリレオは「fgがgeの2倍であるならば、上に述べた混合物は金2と銀1から成り立っているだろう。」と言っていますので、一般化して
fg:ge=m:n の場合に、合金の密度が、金・銀の密度と、m、nを用いてどう表されるか式を書いてみましょう。

合金の密度ρはこのように表されましたが、これが本当に、金:銀=m:n でできた合金の密度なのでしょうか。
金と銀がm:nで混合された合金の密度を考えてみましょう
(以下の議論では、合金の質量は成分金属の質量の和になることは当たり前として、合金の体積が成分金属の体積の和になることを前提としています。)

上の、天秤の腕の上に現れる長さを用いた合金の密度を示す式Bと、下のC式は同じものですね。
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ここまできて、やっと私はガリレオの議論に納得しました。
ガリレオの論文はここから後半に入ります
「この天秤を製作するには少なくとも2ブラッチャ(116.8cm)の長さの棒を用意せよ。棒が長ければ長いほど、この装置はより精密になる。その棒を中点で吊るせ。そして、それが平衡状態になるよう両腕を調節(アジュスティーノ)せよ。」
「次に、純粋な金属が水中で測られたとき、それと釣り合う[分銅が達する]点を一方の腕に印づけよ。」
「(二つの)純粋な金属に対する目じるしのあいだの距離が混合物に対する目じるしで分割されるその比(プロポルツィオーネ)を容易に求める方法を発見するということが、まだわれわれに残っている。」
「純粋な金属に対する目じるし(テルミニ、複数)の上に非常に細い鋼鉄の針金(コルダ・ディ・アッチャイオ)を一回だけ巻け。次に、それら目じるしの区間に、やはり非常に細い、真鍮(オットーネ)の針金を巻きつける。そうすれば、その距離はたくさんの非常に小さな部分に分割されるだろう。例えば、私は目じるしeとfの上に鋼鉄の針金を二回巻き(それは真鍮と区別するため)、次いでeとfのあいだ全部を非常に細い真鍮の針金を巻きつけて埋める。そうすれば、区間efはたくさんの小さな等しい部分に分割されるだろう。私がfgとgeの比を知りたいときは、fgの中にある巻数とgeの中にある巻数を数えればよい。例えば、もしfgの中にある巻数が40で、geの中にある巻数が21であることを私が見出したとすれば、その混合物には、金が40と銀が21の割合で含まれている、と私はいうであろう。」
金と銀の場合の位置決めをし、その間に細い針金を隙間なく巻きつけて目盛りとして使う、という方法です。巻数を数えにくければ、ナイフの刃を滑らせて、音と感触でカウントせよ、とも言っています。
私には、この後半部分はさして原理的に重要ではない、と考えています。金と銀と合金の場合の位置が決まったら、それを別の「細かい目盛りを持つもの」に写しとって数えても構わないでしょう。細い針金をびっしり巻いた別の棒を添えて測ってもよいはずです。直読する必然性はないと思います。あるいは、自分はこのような工夫をしたが、どのような工夫をしても構わない、それが精度を落とすようなものでなければ、とか、将来的に何か技術が向上したらもっと良い方法が出てくるかもしれない、とか・・・。
技術的な変化はひょっとして起こりうるかもしれないが、すでに述べた「天秤の腕の上に密度が距離として現れる」という原則自体に変更はありえないのです。
以上で、ガリレオの論文「小天秤」の紹介と吟味、付随する議論を終わりにします。
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さて、ここまでお読みいただけたら、このページの冒頭で私が言ったこと、「『小天秤』という論文は、市販されている『ガリレオ温度計』とは関係がない」ということは自明でしょう。
アルキメデスの原理についての逸話をガリレオに精密化して見せてもらいました。合金の成分比を知る方法が正確に述べられています。でも、液体の密度が温度で変化するというようなことは、一切触れられていませんでした。
ガリレオが実際には関与していなかった、ということはいわゆる「ガリレオ温度計」の価値を損ねるものではありません。インテリアとしての美しさ、ガラス球が浮いたり沈んだりすることの不思議さには変化はありません。
自然科学の楽しさは、ネームバリューなどで変化することはなく、現象そのものが自然の秘密を私たちに語りかけてくる、というところにあるのです。