モアイ製造工場ラノララク |
ごつごつした山肌にぽつんぽつんと黒い点の様な物が見え、だんだん近づいて行くとそれらが、全て置き去りにされたモアイ達であることが分かる。ここから、島にある殆どのモアイが切り出され海岸まで何十kmも運ばれたと言われている。しかし、山に立ち入ると製作途中の物や、倒れた物が数百体もそのまま放置されている。このラノララクは旧火山で、火口には湖が出来て葦が群生し、馬が散歩している姿は表のモアイの墓場(?)とは異なり、のんびりとした雰囲気であった。
イースター島へ最初に暮らした人達は、ポリネシア(トンガ、タヒチ等)の方から海を渡って来たと考えられている。モアイ文化の始まりは9〜10世紀にかけて、小型のモアイの建造から始まったと言われている。10から11世紀頃になると、権力者達は競い合って大型のモアイを作りはじめ、13から14世紀頃プカオ(帽子)を乗せたモアイや超大型のモアイが造られていった。しかし、モアイが大型化するに連れて島の労働力がモアイ製作に注がれ経済状態は悪化していった。その結果、村どおしの戦いが起き村の象徴であるモアイを崩すモアイ倒し戦争が起こったと考えられている。
初期の素朴なモアイ
半分土に埋もれたモアイ
葦が群生するラノララクの火口湖