こんな本を書いています     
(ミニ解説は表紙の写真をクリックして下さい。)


   ついに発売!

       書店でお求めください。
     
無明舎出版ホームページでも注文できます。 
       新聞の書評は『秋田内陸縦貫鉄道を助けてください・資料編』へ



 秋田の出版社・無明舎出版から、ついに発売となりました。。国鉄が輝いていたころの、鉄路の響きをまとめました。私の青春の記憶でもあります。ぜひお買い求めください。
 なお、この続編の「とうほくローカル線旅日記」(仮題)は来年刊行予定で、内容はこのホームページに掲載が始まっています。


 横浜線 大都会(八王子)発 田舎(横浜)行き
 横浜線は、不思議な線区である。横浜市と八王子市を結び、その間に町田市、相模原市を縫い合わせているのだが、どの都市の住民からも、その都市を代表する交通機関としての扱いを受けていない。
 かつて「国電」という言葉が使われていたとき、ぼくは、横浜線を「国電」に入れていいものかどうか、迷っていた。しかし、かつては茶色の電車が単線区間を走っていた横浜線も、今は全線が複線化され、205系電車が疾走している。
 八王子市に住み、八高線で通勤しているぼくは、中央線を挟んで存在する横浜線には、意固地なライバル意識を持っている。そのぼくが、横浜の出版社から、「横浜線の話を書いてほしい」と依頼された。「ようし、それなら、横浜市民を挑発してみようか」と、八王子側から見た横浜線のあれこれを好き勝手に書いたのが、この本である。(まえがきより)

「横浜線 大都会(八王子)発 田舎(横浜)行き」
    163ページ  ¥1,500
    230クラブ新聞社 1998
ニイサンマルクラブ
 〒230−0012 横浜市鶴見区下末吉5−31−11
             п@045−582−2308


 八高線は北風に負ケズ
 1969年夏、池袋から東武東上線の一番電車に乗ったぼくは、終点の寄居の駅から地図を手に荒川の橋を渡り、鉢形城址の横を通って踏み切りに出た。
 草いきれのムンムンする線路端に座り込んで待っていると、遠くから汽笛の音が聞こえてきた。寄居の駅を発車した貨物列車の汽笛だ。数分ほどして、力強いドラフトの音とともに、D51型141号に引かれた上り貨物262列車が音真っ黒な煙を吹き上げて、切通しの坂道を、ぐいぐいと上ってきた。それが、ぼくと八高線の、最初の出会いだった。
 それから20年以上の月日が流れた。蒸気機関車が消え、ディーゼルカーの色が変わり、国鉄がJRになった。そして、1995年3月、八高線の南部、八王子−高麗川間が電化され、八王子から川越までの直通運転になり、高麗川−高崎間には新型ディーゼルカーが走り始めた。

 八王子に住み、今、八高線を通勤に使っているぼくは、長いつき合いの八高線の、電化前の姿をまとめる機会を得ました。他の本と同じく、写真をふんだんに交えたエッセイ。発行は1993年です。

「八高線は北風に負ケズ」 1,600円
  まつやま書房  п@0493−22−4162


 秩父鉄道新風土記
 「秩父鉄道には、人が生きている。輸送を担い、見守るたくさんの鉄道員がいる。埼玉県、そして秩父の風土とそこに暮らすたくさんの人たちが秩父鉄道とつながっている。鉄道が、鉄道として生きている。」(あとがきより)
 「秩父鉄道新風土記」は、「八高線は北風に負ケズ」に続く鉄道エッセイとして、まつやま書房から発行されました。秩父鉄道株式会社に全面的に協力していただき、貨物を引く電気機関車にも乗せていただきました。
 秩父鉄道の、武骨で素朴な現場の人たちに触れて、ぼくは、ここに鉄道本来の姿を見たような気がしたのです。

「秩父鉄道新風土記」   1,600円
  まつやま書房  1996年発行


 駅前旅館は生きている 改訂版 
    駅前旅館に泊まるローカル線の旅  
 好評発売中!
 「駅前旅館」と聞くと、井伏鱒二の小説「駅前旅館」を思い出す年配の人もいると思います。井伏鱒二が描いたのは、1950年代の東京・上野の駅前旅館です。旅館の番頭の思い出話の形で描かれたこの小説は、森繁久弥主演の喜劇映画としてヒットしました。
 1996年に出版された「駅前旅館は生きている」は、井伏鱒二以来の駅前旅館の本として(一部で)注目されました。「関東甲信越ローカル列車の旅」というサブタイトルにあるように、この本は、駅前旅館を訪ねる鉄道旅行記です。ぼくはこの本で新たに「鉄道民俗学」という分野を(勝手に)確立しました。
 しかし、今、この本は古本屋でしか見つけることはできません。出版社である「のんぶる舎」が自己破産してしまったからです。ぼくは、のんぶる舎から、「峠を越えたヤマメはイワナになった」、「サケはシロザケ、ヤマメはサクラ」、「風は僕の案内人(人と甲州街道と中央本線)」、「クマの村へ行った3年2組」を出版していたのですが、出版社在庫本はすべて流失してしまいました。

 幸い、「駅前旅館は生きている」は、加筆分を含めた改訂版を
「駅前旅館に泊まるローカル線の旅」として筑摩書房から文庫本として刊行してもらえることになり、ちくま文庫の10月の新刊として、全国の書店に並んでいます。



  春の小川でフナを釣る
 父に教わった、ぼくのフナ釣り。1960年代の葛西水郷へ、浦安へ、そして行徳、印旛沼、新利根川へ……。開発に追われるように、釣り場は遠くなった。小学生のとき、小石川植物園小学生のとき、小石川植物園の池で、友だちや近所の子といっしょに、ザリガニを釣った。中学生のときは、市ヶ谷のお堀で、フナやクチボソ、テナガエビを釣った。
 中学時代の後半から、趣味の中心は鉄道写真の撮影に移り、釣竿は、たまに使われる程度になった。だが、小学校の教員として、東京の八王子市郊外の学校に赴任すると、学校の子どもたちといっしょに、すぐそばの川で、釣り糸を垂れた。
 そのぼくが、しばらくフナ釣りと離れていたのは、ブラックバスが幅を利かす釣り場から逃げていたから。木更津のハゼ釣り、三浦三崎の海の小物釣り、そしてヤマメ・イワナの釣りに、没頭していた。
 そのぼくが、再びフナ釣りにもどってきたのは、イワナ釣りに通うルートが、圏央道の開通によって、埼玉県の東松山から羽生まで、水田地帯の県道を走るようになったから。春の小川のすてきな景色を車の窓から眺めたぼくは、子どものころのフナ釣りの風景を思い出してしまったのだ。
 だが、ぼくを待っていたのは、コンクリートの用水路と、農薬たっぷりの田んぼ、そして、日本にいないはずの魚……。ぼくは、エビやメダカや小ブナの群れがいる、春の小川を探して、旅に出た。

「春の小川でフナを釣る」   1,600円
  まつやま書房  2001年発行


 こちらもご覧ください。地域に根ざす出版社です。
  http://www.matsuyama-syobou.com/   (まつやま書房のホームページ)