月輪寺の秘密
              

 空のほとんど真上から、強い日差しが山の木の葉に照りつけている。だが、幹と枝を大きく伸ばした、イタヤカエデやミズナラ、それに、大きな葉っぱのトチノキは、山道に涼しいトンネルを作ってくれている。茂った葉からもれた光が、道端の小さなバラの枝を、音もなくゆらしている。
 すてきな景色の山道なのに、ヒロコは、口をとんがらせて、ときどきため息をつきながら、もりよし温泉から、くまのたいら村へつづく山道を、登っていた。ヒロコの背中のかごには、さっきのモミジイチゴの代わりに、ひたちない村の「ちいさな木」のタツおじさんにあずかった、ヤマメのくんせいが入っていた。
 30分ほどで、ひたちない村と、くまのたいら村の境の、大きなミズナラの木に着いた。ここには、ひたちない郵便局と、くまのたいら郵便局が、郵便物を交換するポストがある。
 ポストを過ぎて、しばらく坂を登ると、やがて道は、ゆるやかに下って行く。すると、大きなブナの林が広がり、その真ん中に、赤い屋根の小さな建物が見える。ヒロコの学校、くまのたいら小学校だ。
 今日は日曜日なので、学校には、だれもいない。ヒロコは、校庭の横を過ぎて、十字路に出た。村のクマたちは、「くまのたいら十字路」と呼んでいる。ここから右に行くと、くまのたいら郵便局がある。まっすぐの道を行くと、村役場と、旅のクマのための村営宿舎がある。
 ヒロコは、この十字路を、左に折れた。
 左の道は、モミの木が茂る坂を下って、こぐま沢という谷川を渡る。こぐま沢から、また坂道を少し登った、大きなカツラの木の下に、ヒロコの家がある。ヒロコが家に着くと、玄関の横のテラスで、ヒロコのおじいさんが、アケビの手かごを編んでいた。
 「ただいま」
 ヒロコが声をかけると、おじいさんは、かごを編む手を休めずに、ヒロコを横目で見て言った。
 「お帰り。ケーキは、おいしかったい?」
 「うん、とてもおいしかったよ。だけど、タツおじさんに、お使いをたのまれたんだ、あーあ。」
 「何だ、どんなお使いだ?」
 「それがね、月輪寺なんだ。ヤマメのくんせいを住職さんに届けてくれって。」
 とたんに、おじいさんは、かごを編む手を止めて、大きな声で笑い出した。
 「そうか、月輪寺か。ヒロコのきらいな月輪寺、か。」
 「ンモウ、笑わないでよ。」
 ヒロコは、ほっぺたをふくらませた。
 「いやなら、ことわればよかったでないか。なして、たのまれてきたんだ?」
 「だって、届け先を聞く前に、ケーキをもう一つ、食べてしまったから……。」
 「ムフ、ヒロコらしいわい。まあ、昼ごはんを食べたら、さっさと行ってくるんだな。」
 おじいさんは、また、アケビを編む手を動かしはじめた。

 ヒロコの家は、ヒロコとお母さん、お父さん、おじいさんの四人家族だが、お父さんは、今、福島県のクマの村に、大工の仕事に出かけていて、秋の終わりにならないと、帰ってこない。お母さんは、くまのたいら村の役場に勤めている。
 くまのたいら小学校1年生のヒロコは、けさ、ふもとの、ひたちない村のケーキ屋さん「ちいさな木」に、山で採れたモミジイチゴを届けに行った。
 「ちいさな木」のマスターのタツおじさんは、くまのたいら村の出身で、月輪寺のチリョウ住職とは、くまのたいら小学校の同級生だ。くまのたいら小学校で2年間勉強したあと、人間の姿になって、ひたちない小学校に転校した。そして、ふもとの町の高校を卒業してから、東京でケーキやパンを作る勉強をして、ひたちない村に、小さな店を開いた。それまでケーキ屋さんがなかった、ひたちない村の人たちは、大喜び。くまのたいら村から届く山の幸を材料に使った、ケーキの評判が町にも伝わり、今では、もりよし鉄道の列車に乗って、町からわざわざケーキを食べに来る人もいる。
 その、「ちいさな木」に、山のくだものや山菜を届けるのが、くまのたいら小学校の1年生の仕事。きょうはヒロコがその当番、というわけだったのだ。(でも、こうした事実は、日本政府には秘密なので、読者の皆さんも、秘密厳守に協力してください。)
        
 月輪寺へは、ヒロコの家から、尾根を一つ越え、谷川を一つ渡り、ワラビの原を抜けて行く。
 6月の太陽は、ようやく西の空に移ったが、まだワラビの原は、まぶしい光に照らされている。ヒロコは、ときどき、大きくなったワラビの先っぽを、ちぎって口に入れながら、太陽の方角に向かって歩いていった。 
 ワラビの原を抜け、シラカバ林を過ぎると、やがて、太くて大きなスギの木が、何本も茂っているのが見えた。そのスギにかこまれた階段を上ったところが、月輪寺である。
 うす暗い階段の下で、ヒロコは小さく、ため息をついた。
 「ああ、神さま! 仏さま! 住職さんが、留守でありますように。」
 階段を上りきると、正面に本堂が見え、その後ろに、大きなブナの木が、本堂におおいかぶさるように、枝を伸ばしている。本堂の右側に、チリョウ住職の住む庫裏(くり)がある。
 ヒロコは、庫裏の玄関の前で、大きく深呼吸してから、小さく声を出した。
 「ごめんください。」
 返事がないので、しかたなく、もう少し大きな声を出した。
 「ごめんくださーい。」
 すると、奥から、
 「はぁい」と、女の人の声が聞こえた。
 (やった! おばさんの声だ。)
 ヒロコの顔が、ファッと、ゆるんだ。
 廊下の奥から歩いてきたのは、チリョウ住職のつれあいのナオコさんだった。
 「あら、ヒロコちゃん、久しぶりね。」
 ナオコさんは、かごを背負って立っているヒロコを見て、にっこり笑った。
 「あのう、ひたちない村の、『ちいさな木』のタツおじさんに、お使いをたのまれたんです。これ、ヤマメのくんせいだって。」
 ヒロコは、住職がもどってこないうちに、早く帰りたくて、あわてて、かごから包みを取り出した。
 「あらぁ、ありがとう。遠くまで、大変だったわね。」
 「いいえ、じゃあ、これで……」
 急いで帰ろうとしたヒロコが、かごを背負おうとしたとき、ナオコさんは、庫裏の奥に向かって、大きな声を出した。
 「住職!、住職! ヒロコちゃんが来たわよ!」
 とたんに、ヒロコの体は、固まってしまった。
 「タツオさんから、ヤマメのくんせいをあずかってきたんですって!」
 本堂に通じる廊下から、藍色の仕事着を着たチリョウ住職が、のっそりと歩いてきた。ヒロコは、固まった体を、やっとの思いで折り曲げて、あいさつをした。ヒロコが顔を上げたとたん、ヒロコの体は空中に持ち上げられた。
 「やあ、ヒロコちゃん、大きくなったなあ。」
 住職は、目をつぶって歯を食いしばったヒロコのほっぺたを、自分のヒゲに、ゴシゴシと、こすりつけた。ヒロコは、悲鳴を上げたいのを、必死にガマンした。

 月輪寺のチリョウ住職は、くまのたいら村の子グマに会うと、必ず自分のヒゲに、子グマのほっぺたを、こすりつける。
 くまのたいら小学校の大熊先生によれば、チリョウ住職のヒゲは、子グマの顔立ちや性格を記憶する、センサーの役目をしているそうだ。住職のヒゲにこすりつけられることで、子グマたちは、将来、人間の姿に変わることも、もとのクマにもどるときも、まちがいなく変身できるのだと、教わった。
 クマの子どもたちは、小学校の2年間を終わると、人間の姿に変わることができるようになる。月輪寺の大きなブナの木の根もとに立って、住職にフキの葉で、そっと頭をなぜてもらうと、クマから人間へ、そして人間からクマへ、変身ができるのだ。この施術は、月輪寺の代々の住職によって、引きつがれている。だから、月輪寺は、クマの対人間戦略にとって、必要不可欠な存在なのだ。もちろん、この事実は、人間の日本政府には、秘密である。
 チリョウ住職も、先代から、この役目を引きついでいる。住職には、つれあいのナオコさんと、3人の子どもたちがいるが、2人は、今、人間の学校で勉強中。1人は、東京の郊外の人間の寺で、やはり住職をしている。
 チリョウ住職は、くまのたいら村で一番の、お酒好き。どこのクマの村でも、山の木の実から果実酒を作っているのだが、住職は、それだけでは満足できずに、くまのたいら村出身で造り酒屋を経営している仲間から、ときどき日本酒を届けてもらっている。そんな住職の楽しみを知っている、ひたちない村のタツおじさんが、ヒロコにヤマメのくんせいを届けてくれるように、たのんだのだ。

 さて、くまのたいら村の、だいたいの子グマたちは、住職のヒゲにこすられるのが好きで、キャーキャーいって喜んでいるのだが、ヒロコは、ゴワゴワしたヒゲの感触が、大きらい。そんなことは知らずに、久しぶりに、久しぶりにヒゲのセンサーにヒロコをこすりつけたチリョウ住職は、ヤマメのくんせいに、大喜び。
 「まあ、お茶でも飲んでいけよ。ヨモギのようかんも、あるんだぞ。」
 住職は、まだ体がこわばっているヒロコを、居間に連れて行き、戸だなから、こい緑色のようかんを出して、3つに切った。ナオコさんが、お茶を入れて、ちょっと遅いおやつの時間になった。
 ヒロコは、ヨモギのようかんを食べるのは、初めてだった。ヨモギのようかんは、春に摘んだヨモギをゆでて干し、すりつぶして、はちみつといっしょに白あんに練りこんだもの。人間が作るようかんは、寒天を使って固めるのだが、くまのたいら村では、カタクリ粉を使う。春先に紫色の花を咲かせるカタクリは、花は「おひたし」に、根はデンプンにして、いろいろな食べ物に使っている。そしてナオコさんは、くまのたいら村で一番おいしいようかんを作るクマなのだ。
        
 一口、ようかんをかじったヒロコは、
 「おいしい!」
と、とび上がりそうになって、さけんだ。さっきまでのガチガチの体が、フワッと、いっぺんに軽くなってしまった。
 ヒロコは、となりでおいしそうにようかんを食べている、チリョウ住職のヒゲに、そっと、さわってみた。住職は、目だけをヒロコにむけて、にっこり笑った。

 月輪寺からの帰り道、ヒロコは、来るときの倍以上のスピードで、ワラビの原を横切った。 背中のかごの中では、お母さんとおじいさんへの、おみやげにもらったヨモギのようかんが、コトコトと音を立てていた。夕日が、ヒロコの前に、長い影を作っていた。 


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