となりの世情 (雑形短編集です。増結分はページの先頭に連結します。) |
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和田浦のツチクジラ (2008.5.10増結)![]() 和田浦の「キッチンハウスぴーまん」の「やきやき」。 ツチクジラの焼肉である。 千葉県南房総市和田。房州和田浦は全国でも有数の(というより、4ヶ所しかないうちの1つの)沿岸捕鯨の基地である。(あとの3ヶ所は北海道網走、宮城県鮎川、和歌山県太地。) 信じられないことだが、クジラは今では食べてはいけないことになっていると誤解している人が、少しだが存在する。クジラは南氷洋での「調査捕鯨」で捕獲するミンククジラしか食べられないと思っている人は、けっこう多い。 国際捕鯨委員会では、「クジラを殺すのは残酷だ」とか、「クジラは頭がいい動物だ」などという宗教的・感情的・非科学的な主張を繰り返すアメリカやオーストラリアなどの「反捕鯨国」や、独善的な実力行使を繰り返す反捕鯨団体の圧力で、日本などが主張する商業捕鯨の再開提案はいつも否決されている。(一方でアメリカは、アラスカの先住民族イヌイットによる希少種ホッキョククジラの捕獲を年間数百頭も確保し続けているのだ。) 最近ぼくは、反捕鯨国の主張の根底には「人間は万物の霊長として神がお造りになった」というキリスト教の発想があるのではないかと考えている。彼らが膨大な数を殺戮している牛や豚の命とクジラの命には、重さに違いがあると思っているのではないだろうか。 古来、日本では人間は自然界の中に他の生物とともに生きる一つの生命として認識されていた。だから、自然界には「神」がたくさんいて、人間は他の生命を生活のために奪うときに、祈りをささげ、「いただきます」と言って、その生命を自らの中に組み入れてきたのではないだろうか。 民俗や習慣、宗教の違いは違いとして認め、お互いを尊重してこそ世界は丸く収まるのである。そもそも仏教の中にはヒンズー教の神がいて、その仏教が伝来した日本では、古来の八百万の神と仏教が融合して広まった歴史がある。西洋のように、聖地をめぐってイスラム教とキリスト教が「宗教戦争」をするようなことは、日本ではなかったのである。(「一向一揆」は宗教同士の対立ではない。) それなのに、自分たちの主張を他国に押し付けようとする「反捕鯨国」やその団体には本当に腹が立つ。そもそも、江戸時代末期に日本近海で大量のクジラを殺戮して、油だけ採って肉を捨てていたのはアメリカなのである。そのために日本の漁師たちはクジラが獲れなくなってたいへんな思いをしたのである。あのエイハブ船長の「白鯨」はまさにその証であり、あのぺりーが1853年に日本に開国を求めたのは、捕鯨船の寄港のためだったのである。ああ、まったく腹が立つ。 ぼくの子どものころは、学校給食によく鯨肉が出ていた。鯨カツや鯨の竜田揚げ。そして家に来る魚屋には、品書きに鯨が書かれていた。ぼくが記憶している値段は、100g20円。もちろん豚肉よりも安く、鯨の赤身を切ってフライパンで炒めた「鯨のバター焼き」がぼくのクジラの味の記憶になっている。。テレビや子ども向けの雑誌では、南氷洋にクジラを追う捕鯨船団が紹介されていた。ぼくは図鑑を見るのが好きで、そのときに覚えたクジラの種類と大きさが、ぼくの今のクジラの知識のもとになっている。 そのクジラを南房総で捕獲していることを知ったのは、もう15年ほど前のこと。友人に頼まれて、友人と、友人のまだ小さかった子どもを乗せて南房総に出かけたときのことだ。久里浜からフェリーで金谷へ、そこから館山を回って千倉に出たあたりで、昼になったので寿司屋に入った。すると、「鯨料理」の看板が出ている。このときすでに20年ほど鯨を食べていなかったので、びっくりして店の主人に尋ねてみた。すると、和田浦で捕鯨をしていると言う。ちょうど、日本の沿岸でのミンククジラの捕獲が禁止されたころなので、ぼくは心配になった。 「あのう、獲っても大丈夫なんですか?」 主人はこともなげに答えた。 「ここの鯨はツチクジラといって、国際捕鯨委員会で禁止されていない種類なんですよ。」 なるほど、クジラと言っても、全部を国際捕鯨委員会で管轄しているわけではないのか。 壁に貼られているクジラのポスターを見ると、ツチクジラはイルカのような顔、というか口をしていて、全長10メートルほどにもなる、まるでイルカの拡大版といった雰囲気。これは知らなかった。 出された鯨汁の肉は、子どものころに食べた鯨肉よりはクセがあるものの、りっぱな鯨の味がして、懐かしかった。 その後、南房総へはなかなか行く機会がなかったのだが、2007年秋にUさんと「ハゼ釣り紀行」に出かけたときに和田浦のクジラを思い出し、「次は南房総クジラ紀行だ」と思い立ったのである。 3月1日、ぼくは千葉県在住の「鉄」仲間、鈴木さんと青春18きっぷの旅に出た。途中の詳細は別のページを見てほしいのだが、この日の旅は「南房総クジラ紀行」である。この旅の一番の目的は、和田浦で鯨料理を食べることである。 ところが、困ったことが起きた。きょうは外房線の勝浦から内房線の館山までを1往復する臨時列車「リゾート南房総」が、秋田からやって来た「リゾートしらかみ」用の「くまげら」編成(「リゾートしらかみ」には、いずれもキハ40系を改造した「青池」「ぶな」「くまげら」の3編成がある)で走っているの。「くまげら」はどうしても撮影したいのだが、そのためには和田浦での昼食時間を50分以内に収めなければならないのだ。ぼくと鈴木さんは和田浦駅の改札口で、駅から一番近い鯨料理の店を尋ね、そそくさと歩き出した。 教わった店は、「ぴーまん」という店で、駅から5分もかからなかった。小さい店だが、先客が2組、うち1組は若い「鉄」っぽい2人である。メニューを見ると、ここではツチクジラとともにミンククジラ(これは南氷洋産)も使っているとのこと。だが、ここまできたらツチクジラを食さなければ意味がない。そこで、ツチクジラを使ったメニューを尋ね、鈴木さんは「ヅケ丼」、ぼくは「やきやき」(焼肉定食)を注文した。 どうやら奥の座敷にも客がいるらしく、ぼくたちの鯨は注文してから20分以上も待つことになった。ぼくたちの乗る列車は13時21分発、鯨が出てきたのは13時ちょうど。 「写真、撮らせてくださいね。」 そう言って料理の写真を撮り、ぼくたちは慌しく鯨を口の中に入れたのである。 慌しく食べながらも、ぼくは鯨の歯ごたえと肉の味をしっかりと確かめた。タレの味がやや濃い目だが、これはツチクジラが歯クジラ類で、肉にやや臭みがある(らしい)ことによるのだろう。肉は思ったより柔らかい。そして、しっかりとクジラの味がした。これで双方の料理とも値段は1,680円。現代クジラ料理としてはお手頃な価格である。店のおかみさんの雰囲気もキッパリしていてよい。ぼくたちはきょうの旅の第一の目的をここ達成したのであった。 (旅の話は「関東ローカル線旅日記」の「内房線」のページへどうぞ。) 大多喜 とんかつ亭有家の「春のとんかつ」 (2008.5.6) ![]() 千葉県大多喜で、名産のタケノコ料理を食べたいと思って街中の資料館で尋ねたら、大多喜名物なのに街中にはタケノコ料理を出す店がないとのこと。大多喜城の下の駐車場にある店が一番近いと言われたが、空腹に雨が加わっているので、ここから徒歩20分はちょっときつい。「あとはとんかつ屋さんですね」と言われて、向かいの「とんかつ亭有家」(「ありか」と読むらしい)に入ることにした。 この店、まだ12時前なのに、車がたくさん泊まっている。入れるかなと心配になったが、テーブルが空いていたので、ホッと一息。それにしても、客はみんな車で来ているようで、外の傘立てには傘が1本も入っていなかった。 メニューを見て、びっくり。たくさんの種類と大きさがあり、さらに、「季節限定・春のとんかつ」という特別メニューまである。しかもこの「春のとんかつ」には、菜花、にんじん、そしてタケノコまで入っているではないか。これは頼まない手はない。「限定1日10食」とあるので店員に尋ねると、「まだ7人分ありますよ」といううれしい返事。ぼくたち4人が4人分注文してしまったので、残りはあと3人分になってしまった。あとから来るお客さん、すみませんね。 「春のとんかつ」は、タケノコなどの「はさみ揚げ」で、にんじんの赤、タケノコの黄、菜花の緑の色が鮮やか。これで1,200円は、食べ得。 それにしてもこの店、あとからどんどん客が来て、奥の「待合室」で何組も順番を待つまでになった。結構な有名店のようである。ぼくたちは十二分に満足して、この店をあとにしたのだった。 (旅の話は『関東ローカル線旅日記』の「いすみ鉄道」のページへ) 中央前橋美やこ食堂のロースソースかつ丼 (2008.5.5) ![]() 上毛電鉄中央前橋駅は、ガラス張りのしゃれた建物。駅の横には前橋市のシンボル・広瀬川が流れている。駅の前は不自然に広いのだが、これはかつて駅ビルがあったスペース。バス乗り場はきれいに整備されているが、古いビルもそのまま残り、今後の動向が心配される。 そのビルの1階に、「美やこ食堂」という駅前食堂を見つけた。ビル自体が古いので、もちろん店も古そうだ。中に入ると、右側に座敷、左に椅子席がある。椅子に座ってメニューを見ると、「ロースソースかつ丼790円」とある。 最近はあちこちでソースカツ丼がメニューに加えられているが、ぼくの旅経験では中央本線沿線の山梨、長野県内(飯田線も含む)と、ここ群馬県にローカル的に分布していた。昔は、ただ「カツ丼」と表示されていても、注文して出てくるのがソースカツ丼で、卵とじのカツ丼は「煮カツ丼」という店が結構あった。最近では「ソースカツ丼」の存在がメジャーになったので、誤解を避けるために「ソース」と明記されていることが多いようだ。 中央本線沿線のソースカツ丼は、とんかつ定食の皿をそのままご飯の上に載せたスタイルで、ロースカツにソースをかけ、千切りキャベツもいっしょに載っていることが多い。群馬県のソースカツ丼はヒレカツをソースベースのタレにくぐらせてご飯に載せたもので、キャベツは載っていない。 さて、美やこ食堂の「ロースソースかつ丼」はどんなものだろうと注文してみた。ほかに客がいなかったのだが、小さな食堂のカツ丼は肉を切ることから始める手作りなので、時間がかかる。ここまでだいぶ歩き回ってきたぼくは、「ランチグラス生ビール270円」の表示に誘われて、スーパードライだったけれど、これも注文。スポーツ新聞を読みながら、ゆっくり飲んで待つ。 出てきたのは、やはり群馬風ソースカツ丼。アツアツでおいしいカツの肉がロースだった。菜花のおひたしに、漬物、味噌汁もついている。これで790円はありがたい。十二分に満足である。 (『関東ローカル線旅日記』の「上毛電鉄」のページより) 神宮球場のエビス生ビール (2008.5.2 ) ![]() 生ビールは1杯700円。これを飲むのが神宮の楽しみの一つ。 2008.4.9 ぼくはエビスビールのファンである。宴会用のビールを買うときは、陳列棚の前で断固としてエビスを主張して譲らない。飲み屋で置いているビールに選択の余地があると、エビス、サッポロ、キリンという順である。スーパードライしか置いていない店には、あまり行きたくない。 ぼくはプロ野球のヤクルトスワローズのファンである。国鉄スワローズ時代からの年季が入ったファンである。ぼくの喜びの順位は、スワローズが読売に勝つことが一番で、次が、他のチームに勝つこと、その次が、読売が他のチームに負けることである。特に今年(2008年)は、読売にエースと4番打者を引き抜かれたので、読売への怒りは倍増しているのである。だから、開幕の対読売3連勝は、街中で大声で吠えたくなるくらいのできごとだったのである。 ぼくは神宮球場のファンである。子どものころは、東京六大学のリーグ戦をワセダの応援席でよく見ていたし、中学生になったころからは、友人たちとスワローズの試合をライトスタンドの芝生にねそべって見ていたのである。野球は空の下、芝生の上でするもの、見るものだと、人工芝になってしまった今でもぼくは思っているのである。 そんなわけで、神宮球場でスワローズの試合を見ながらエビスビールを飲むというのが、ぼくの大きな楽しみの一つなのである。 神宮球場には、他の球場と同じだと思うが(ぼくは東京ドームへは行ったことがない)、各社の生ビールのタンクを背中に背負った販売員がスタンドの階段を上り下りしている。大きな紙カップに消火器のようなホースでビールを「注入」して、700円。店頭価格が他社よりも高いエビスビールだが、ここでは同じ値段なので、もうこれは絶対にエビスしか飲まないのである。 神宮球場では、ぼくの弟に事前に外野指定席券を買ってもらい、弟とその仲間たちと並んで座るのだが、その仲間たちにはもう一つのこだわりがある。ビールを買う販売員がいつも決まっているのである。だいぶ以前から働いている古株の女性販売員で、もちろん氏名・年齢不詳なのだが、もうすっかり顔見知りになっているので、ビールを注ぎながら世間話までしてしまう関係なのである。エビスビールの販売員は他に何人もいるのだが、球場に着いてのどがかわいていても、彼女がやってくるまで我慢するという律儀さなのである。 まったく、しょうもない中年オジサンたちなのだが、その彼女は他にも常連客がたくさんいて、あちこちで笑顔の会話をしているので、さぞ売り上げも多いことと思う。 他の販売員の中にも、常連客を持っている販売員が結構いる。販売員の立場から見れば、自分が行くまで待っていてくれる常連客をどのくらい確保しているか(別に意識的に確保しているとは思えないが)が売り上げに反映されるのだから、ぼくたちは実にありがたい「上客」なのである。 神宮球場でエビスビールを飲んで、スワローズが勝てば言うことはないのだが、ぼくが観戦した日のスワローズの勝率は、5割よりもだいぶ低い。今年初めてのこの日も、カープを相手に完封負けを喫してしまった。次回は絶対勝って、祝杯を挙げたいものだと思っているのである。 東松山 とくのやの「やきとり」 (2008.4.20) ![]() 豚の頭肉を「ねぎま」にした東松山の「やきとり」。 2008.3.30 ぼくは「やきとり」が好きだ。「やきとり」で酒を飲むのが好きだ。もちろん、おいしい「やきとり」で。 他の食べ物と同様、「やきとり」も千差万別、玉石混交である。ちっともおいしくなくて、二度と食べたくないものもあれば、何度でも通って食べたい「やきとり」もある。 おいしくない「やきとり」の代表は、祭りの屋台の「やきとり」である。地元のやきとり店や素人が「お店屋さんごっこ」の雰囲気で出している店の手作りの「やきとり」には、おいしいものが結構ある。だが、テキヤのおじさんやおばさんが焼いている「やきとり」は、基本的においしくない。 ぼくの知り合いが、テキヤのやきとり屋でときどきアルバイトをしている。その話によると、そのやきとり屋の食材は中国産の冷凍食品で、しかも、花見のときなどは大勢の客にすばやく対応するために、一度あぶって冷ましておき、注文があると、その「あぶり冷まし」を再びあぶって出すとのこと。これでは絶対においしくないとは、当人の弁である。 ただ、中国産の冷凍ものでも、自然解凍してじっくり焼けば、それなりにおいしいやきとりになるそうなので、これは営業環境にも左右されると言えよう。それに、夜桜の下で花見の宴を開いている客にとって、「やきとり」は「やきとり」であればそれでいいのかもしれない。。 居酒屋チェーン店のやきとりも、ぼくは敬遠している。自分からは絶対に注文しないのだが、同行者が平気で注文してしまうと、仕方なく手を伸ばさざるを得ない。だが、1本食べて味がわかると、もう食べないことが多い。八王子に何軒もあるやきとり店「金太郎」は、「やきとりチェーン」だけあって、なかなか満足できるのだが。 八王子でぼくが気に入っているのは、八王子駅から高尾方に少し行った陸橋(八王子では「りくばし」と呼ばれている)の北のたもとにある「鳥久本店」である。昔ながらの、今風に言えば「昭和レトロ」のやきとり屋で、「やきとりを食べたい」という知人がいると、ここに連れて行く。このあいだは職場の花見の二次会に7人で遅くに行って、奥の小上がりを閉店まで使わせてもらった。 何度かイワナ釣りにいっしょに行っている「NPO昭和の記憶」のせいけゆうほさんの馴染みの「頂(いただき)」という店がこの陸橋の南のたもとにあって、何度かいっしょに飲んでいるが、ここもとってもおいしい。 さて、「やきとり」の定義である。1979年発行の三省堂新明解国語辞典によれば、「鳥の肉を串に刺して焼いた料理」とあり、「広義では牛・豚のもつのそれをも含む」とある。それとは別に「やきとん」の項もあり、これは「豚肉を焼鳥に似せて焼いた料理」としている。インターネット百科事典ウィキペディアでも、「鶏肉などの肉を一口大に切ったものやニワトリの様々な内臓を、数個竹串で刺し通しあぶり焼きにした料理」とある。つまり、串に刺して焼くものなら、鶏肉でなくても「やきとり」と通称される。ただ、串が長いものは「やきとり」ではなく「串焼き」といっているようだ。 ![]() 「とくのや」の店内。やきとり屋はカウンターに座るのが楽しい。 2008.3.30 埼玉県東松山市は「やきとり」の街である。宇都宮の餃子、富士宮の焼きそばといった、その地方都市になぜか多い生活密着型固有料理店が最近脚光を浴びていて、町おこしにも使われているが、東松山の「やきとり」も宇都宮の餃子に知名度では負けるものの、その魅力では宇都宮の上にあると、ぼくは思っている。 とは言っても、ぼくが東松山の「やきとり」のことを知ったのは、『八高線は北風に負ケズ』(1993年)の執筆打ち合わせのために、まつやま書房を訪れてからのことだから、まだ20年も経っていない。 地域出版社であるまつやま書房は、その名の通り東松山市にある。なぜ「ひがしまつやま書房」ではなくて「まつやま書房」なのかと言えば、もともとここは埼玉県松山町という名前で、市に昇格するときに、愛媛県松山市との混同を避けるために「東」をつけたとのこと。これも、まつやま書房の山本正史さんに聞いて初めて知った。 東松山には、やきとり屋の組合、「東松山やきとり組合」があり、現在33軒の店が加盟している。「やきとり組合」という組織があること自体が全国唯一だそうである。組合加盟店のほかにも飲食店組合加盟の店もたくさんあり、市内には100軒以上のやきとり屋があるそうだ。 東松山のやきとりは、店の数が多いだけではない。「やきとり」自体が独特のものなのである。肉は、鶏ではなく、豚の頭(かしら)肉。それを「ねぎま」にして塩味で焼き、辛味噌のタレをつけて食べる。これがとてもおいしいのだ。初めて山本さんにこのやきとりをごちそうになって以来、ファンになってしまったぼくは、まつやま書房との打ち合わせには必ず電車を乗り継いで東松山まで出かけ、打ち合わせのあとはやきとり屋に行くことにした。初めのうちは「遠いところまで来てもらうのは申しわけないから」と言っていた山本さんも、ぼくの希望を理解してくれ、ぼくは交通費を、山本さんはやきとり屋の払いを負担するという暗黙の了解が成立しているのである。 ![]() まったく大衆酒場の雰囲気の「とくのや」である。 東松山のやきとり屋は、肉に特徴があるだけではなく、店のシステムにも大きな特徴があった。それは、やきとり屋のカウンターに座ると、注文をしなくてもやきとりが出てくることである。最初に行った「若松屋」でそれを体験したときにはびっくりした。ビールを注文して乾杯をすると、目の前の皿に、やきとりが2本、スッと置かれる。ビールを飲みながらやきとりを食べていると、ころあいを見計らったようにまた1本。それを食べ終わるころにさらに1本。酒のお酌をするように串が置かれるのだ。もういらないときには、「やきとりはもういい」と断らなければならない。店のメニューは多くなく、「やきとり」と言えばその「豚の頭肉のねぎま」。会計は、食べたやきとりの串の数を数えて計算する。東松山の多くのやきとり屋でこのシステムがとられていたそうだ。 残念ながら、今では、東松山まで市外からやきとりを食べに来る新人が増えたために、注文に応じて出すシステムになってしまったとのこと。だからぼくは、過去の東松山やきとりシステムを知る数少ない市外人、というわけである。 さて、とくのやである。もうだいぶ年配の女将さんの名前を店の名前にしたというこの店に、ぼくはこの日初めて入った。もちろん山本さんは市内のやきとり屋をほとんど網羅しているので、「きょうはここにしよう」と案内してくれたのだが。 店は質素なつくりで、床はコンクリートの昭和の大衆酒場風。カウンターが「コの字」に囲む真ん中に、炭火の焼き台(というのかな)が置かれている。この日は千葉の鈴木信雄さん(「関東ローカル線旅日記」の久留里線、内房線のページにも登場)も加わり、3人で生ビールを注文して、もちろんやきとりを焼いてもらった。 鈴木さんも鉄道ファンなので、鉄道の話題でぼくたちが盛り上がっていると、話を聞いていた主人(女将さんの息子で、ぼくたちと同じ世代)が、少しずつ話に入ってきた。そのうちにぼくと鈴木さんと主人の歓談となり、何と、この主人、韓成洙さんの口から、「北海道の栗山―栗丘」とか、「九州の大畑(おこば)」などという、蒸気機関車現役時代の撮影名所が飛び出してきたのである。 びっくりしたぼくたちが聞くと、韓さんは若いころ、蒸気機関車の撮影にのめり込み、泊りがけで何日も撮影に出かけることがしばしばだったという。このあたりでは女将さんも話に加わり、「まったくこの息子はどこへ行っているんだろうと思っていたよ」などと笑うのである。 鈴木さんを相手に熱い思い出を語る韓さん。 2008.3.30 とくのや いくらブームだからと言って、蒸気機関車現役時代に撮影に歩いていた人間は、日本の人口の1%にも満たない(あたりまえか)だろう。鉄道趣味を公然化している「鉄道居酒屋」ならともかく、それらしい雰囲気が何もないやきとり屋で、それも「鉄」が2人そろった客の前で、主人が同じ思い出を語り始めるなどということは、ぼくの人生でも初めてのことである。 残念なことに、当時のネガは趣味がゴルフへ移ってから全部処分してしまったとのことで、もったいないことだとぼくたちは言ったのだが、本人は一つのけじめをつけたようにさっぱりしていた。 この日、ぼくたちはビールから日本酒に移り、予定よりも時間も量も超過してしまった。ふらふらと歩いて帰る山本さんを見送ったぼくと鈴木さんの足元も、ときどき怪しくなる。電車の中での記憶は、半分もない。よく乗換えを重ねて八王子までもどれたものだと思っている。鈴木さんがこの日無事に帰れたかどうかは、定かではない。 ![]() もう止まらない、飲ん兵衛の夜である。 ネパールキッチンのタンドリーチキン (2008.4.5) ![]() 八高線拝島駅(青梅線、五日市線、西武拝島線拝島駅)北口から徒歩4分の「ネパールキッチン」の、ぼくは常連である。 「常連」といっても、年に数回しか行かないのだが、友人のUさんが月に数回、ネパール語の勉強(と称して飲んでいるが、ほんとうにネパール語がネパール人と話せるようになっている)に通っている本物の「常連」で、ぼくはその友人、という立場なのだが、でも、ぼくが店に入ると、シェフのクリシュナさんが、 「ああ、オオホジィ(爺さんではなく、「おおほさん」という意味)、いらっしゃい。」 と迎えてくれるので、やっぱりぼくも常連なのである。 上の写真は、そのネパールキッチンのタンドリーチキンである。ネパールキッチンのタンドリーチキンは、本物のタンドリー(縦長の炭火の釜)で焼いているので、とてもおいしい。このときは3人で飲んでいたので、一人1個ずつ焼いてくれたのだが、1個だけ、色が違う。実はこの色違いの1個は、ぼく用なのである。 ぼくの口の中は、トウガラシの辛さに対する耐性がとても弱いのだ。だから、ほかの人と同じ辛さのものをここで食べると、とんでもないことになってしまうのである。 ぼくの口の中が「弱トウガラシ耐性」だということを知ったのは、30年近く前のことだ。辛さの調整ができるカレーの店で、たしか、1番から10番まであった辛さ段階の3番を友人が頼んだので、ぼくも同じ3番を注文した。ところが、出てきたカレーを食べているうちに、ぼくの口の中はどんどんヒリヒリ、体はどんどん熱くなってしまったのである。目の前の友人はおいしそうに食べているのに、なぜぼくだけがこんな目に遭うのだろうと不思議に思ったのが、最初の体験である。 それまでぼくは、自分の味覚がふつうの味覚だと思っていた。ところが、それ以後、何度トウガラシの辛さを体験しても、ぼくの口の中は熱くなるばかり。そんな体験を何度も繰り返し、ぼくはぼくの「弱トウガラシ耐性」を認識したのである。 2種類のカレーと2種類のナン。カレーは左が豆、右が羊。右のカレーがぼくには辛い。ナンは、手前がチーズ、奥がプレーン。 だが、ぼくはワサビの辛さは我慢できる。鼻に抜ける刺激は一過性だからである。マスタード(西洋辛子)も辛子菜(和辛子)も、それなりに我慢できる。だが、トウガラシ(唐辛子)の辛さは、口の中で蓄積され、しだいにその辛さを増してくるのである。虫歯がしだいに痛くなるように、口の中が辛さ痛くなり、しかも、水を飲んでも砂糖をなめても中和されることがないのだから、どうしようもない。 だが、ぼくはトウガラシがきらい、というわけではないのである。少量のトウガラシの辛さは、他の人たちと同様、おいしく感じるのである。おいしいのに、それなのに口の中が言うことを聞かないから困るのである。 キムチもぼくは大好きである。ところが、パクパク食べているうちに悲惨な事態に陥ったことが一度ではないのである。そこでぼくは、キムチの赤いタレの部分やトウガラシの固形分を皿の縁でできるだけそぎとってから口に入れることにしている。辛子明太子でもそれは同じである。 そんなぼくを尻目に、ネパールにはまったままのUさんは、 「青唐辛子をかじると、頭にズキーンとくるのがいいんだよね。」 などと、とんでもないことを言うのである。そして、 「おおほさんの味覚は異常だ。」 などと、青唐辛子をかじる自分を基準にした悪口雑言をぼくに浴びせるのである。だからぼくも、 「Uさんには辛味を感じる神経がないんだ。不感症なんだよ。」 と、悪態を返すのである。 そのぼくが、トウガラシを多用するネパール料理店の常連になれているのは、シェフのクリシュナさんと奥さんのセツコさんの心遣いがあるからである。トウガラシに弱いぼくのために、ぼく用のカレー、ぼく用のタンドリーチキンなどのぼく用の料理を作ってくれ、みんなでつまむ料理のときには、ぼくに辛さの情報を事前に教えてくれるからである。まったくありがたい、「注文の多い客のための料理店」なのである。 新宿中村屋の中華まん (2008.4.1) ![]() これが大好きなあんまん。「はつかり号」の車内にあたたかい匂いが広がる。 ぼくは、新宿中村屋の中華まんのファンである。 新宿中村屋は、新宿にある。子どものころ、母親に連れられて、母親の仕事であった洋裁の得意先に仮縫いや納品に行った帰りに、新宿中村屋で冷蔵の中華まんを買い、家に帰ってからふかして食べるのが、とても楽しみだった。 そのうちに家の近くの菓子屋などで、蒸し器の中に中華まんを入れて、買ってそのまま食べられるようになったのだが、その中華まんは新宿中村屋の中華まんではなく、肉まんの味も違うし、特にあんまんは、餡が決定的に違っていた。 新宿中村屋の餡は、ごま油を練りこんだ、トロリとした餡なのだが、他のメーカーの餡は、ふつうのつぶし餡だったのである。ぼくは汁粉や和菓子のつぶし餡は大好きだが、中華まんの中のつぶし餡は、ちっともおいしくなかった。だから、ぼくは蒸し器に入って売られていた中華まんは、ほとんど買うことがなかったのである。 そのぼくが蒸し器に入った中華まんを買うようになったのは、セブンイレブンのおかげである。店舗を増やし始めたころのセブンイレブンが店内に置いた中華まんの蒸し器に、「新宿中村屋」とあるのを見つけてすぐに買い求めたぼくは、なつかしいあんまんの味を久しぶりに味わってしまった。そのときからぼくは、セブンイレブンで中華まんを買うようになったのである。 ![]() 肉まん。ぼくはピザまんやカレーまんなどは邪道だと信じている。 しかし、セブンイレブンの中華まんは、季節限定商品だった。秋になると売り始め、翌年春のゴールデンウイークが終わるころには、蒸し器がしまわれてしまったのである。だからぼくは、夏の暑い日にも、秋の訪れを心待ちにしていたのだ。 中華まんの販売期間は、しかし少しずつ拡大し、今では一年中売っている店舗もある。だが、いくらぼくでも、夏の昼間に熱い中華まんを買うのは遠慮したい。そのときの体感気温に応じて決意する、という具合である。 ぼくがセブンイレブンで中華まんを買うパターンは、車で出かけたときの朝飯代わりがほとんどだ。そして買うのは、あんまんと肉まんを一つずつ。それに缶コーヒーを買って330円というのが定番である。買い込んで車にもどり、運転しながらコーヒーと中華まんを賞味するのが朝の楽しみなのである。 ところが、ぼくが休日に車で出発する時間が夜明け前であるために、蒸し器があっても中に中華まんがまだ入っていなかったり、 「すみません、入れたばかりなんです」 と店員に断られることもある。最近では、どこの店舗が夜明け前から中華まんを買えるのかが、わかってきた。国道沿いの、行楽の車や仕事のトラックがよく入るような店舗は、ぼくが走り始めた時間にも中華まんが熱くなっているのである。 しかし、どうしても中華まんを買えない地域がある。それは、ぼくがたびたび出かける青森、秋田、岩手の北東北三県である。岩手県の南部、一関から北にはセブンイレブンが店舗展開をしていないからだ。 セブンイレブンは、「全都道府県展開」をしているローソンと違い、配送の効率を維持するために、まとまって決まった地域に店舗を作るという方針なのである。だからぼくは北東北に出かけたときは、最後のセブンイレブンで中華まんにしばしの別れを惜しみ、数日間の我慢のあと、帰り道に再び中華まんを買うのである。 そんなぼくの「中華まん生活」だが、最近はほんの少し買い控えをしている。なぜなら、日本の食料自給率を上げるためには、米で作られた食料を買うのが基本だと反省したからだ。そこで、中華まんを買いたい10回に1回くらいは、おにぎりで我慢することにしたのである。 たかだか10回に1回ではないかとバカにしてはいけない。これによって食料自給率は概算で10%も上がるのだ。だから皆さんも、小麦製品を10回買いたいとき、そのうちの1回は米製品を買っていただきたい。これで日本農業の未来は明るくなるのだから。 ……何か、計算が間違っているような気もするが。 牛丼に関する初心者的考察 (2008.1.30)
はじめに断っておくが、ぼくは牛丼のファンではない。 ぼくは国産牛と飼育農家の応援団なのだが、自分では牛肉を買うことも外食することもほとんどない。たまに、団体で出かけたときに提供された場合に食べるくらいなものである。 そのぼくが、全国展開しているチェーン店の牛丼を食べてみようと思ったのは、行きつけの整骨院の院長との治療中の会話がきっかけなのである。「どこの牛丼がおいしいか」という院長の問いかけに、食べ物にうるさいことを自負しているぼくが答えられなかったのが原因なのである。「牛丼を食わずして牛丼を語る」のは、フィールドワークの大切さを説いているぼくにとって、してはならないことだと気づいたからなのである。 ぼくは、吉野家の牛丼を食べたことは、ある。人生50余年で10回に満たないが、ある。だが、最後に牛丼を食べたのは10年も前のことで、あとはBSE(狂牛病)騒ぎで吉野家から牛丼が姿を消したときに、ためしに「豚丼」を食べに行った(おいしくなかった)1回だけなのである。 だが、ぼくは去年、吉野家ファンの外食産業研究者が書いた「吉野家」という本を図書館で見つけて読み、ただ単に「吉野家は日本の畜産業を破壊するケシカラン会社だ」と言っているだけでは皮相的な主張に留まることを認識したのである。吉野家は、言わば「敵ながらあっぱれ」な会社だと知ったのである。 「敵を知り己を知らば百戦危うからず」は勝負の鉄則である。この鉄則を無視したために、日本はアメリカに戦争を仕掛けて負けたのである。そこでぼくは、食べたくないアメリカ産牛肉を、自らの闘いの糧とすべく、がまんして試食することを決意したのである。 さて、10年ぶりの牛丼である。ぼくの自宅から徒歩3分の吉野家へ行く。味を確かめながら食べるのは初めて。味つけは思ったよりもシンプル。肉はアメリカ産のバラ肉とのこと。薄くスライスされた肉は食べやすい。ご飯が炊かれてから時間が経っていたようで、ちょっとニオイが気になったが、それを除けば、さっぱりとして毎日食べてもいいような「後を引く」感じがした。(もちろんぼくはそんなことはしないが。) それから数週間後、こんどはやはり自宅から徒歩3分の「すき家」へ出向いた。数週間も間が開いたのは、休日の昼に自宅にいることが少ないためと、夕食に丼を食べる習慣がないためである。 初めて食べたすき家の牛丼は、味つけが吉野家よりも濃く、肉は硬かった。バラ肉ではない、ちがう部位の肉かもしれない。ぼくの評価は、吉野家よりも下。だがこの店、メニューがやたらと多い。「牛丼屋」というより、丼主体の和風ファストフード店といったところか。でも、他のメニューもあまり食べたくないなと思いながら店を出た。 さらにその数週間後、八王子駅北口の松屋へ。ここは食券制で、券売機にはセットメニューが目立つ位置に並び、単品の牛めし(松屋はなぜか「牛丼」とは言わず「牛めし」である)のボタンを探すのに少し手間取った。これも戦略か。それにしても、松屋もメニューが多い。牛丼では吉野家にかなわないということか。 出てきた牛めしは、吉野家の牛丼に似て、味つけがすき家よりも薄い。肉もスライスしたバラ肉のようで、吉野家のようにやわらかい。切り身が長くつながっていて、口に入れて噛み切るのに少し手間がかかったが、これはたまたまなのか? ぼくの評価は、しかし吉野家と同レベルであった。 3軒の牛丼を食べ比べてから整骨院の院長に報告すると、院長、 「すき家の牛丼もカレーも、どうも薬品臭いんだよね。何か入っているんじゃないのかな。気がつかなかった?」 などと、ぼくよりも味を分析したような言い方をされてしまった。さらに、 「カレーも吉野家のほうがうまいね。」 とも言う。ムムム、まだ院長のレベルに追いついていないのか。 「じゃあ、またすき家に行かなきゃいけないな。吉野家のカレーも食べてみよう。」 ぼくは苦しまぎれにそう答えたが、いくら敵を知るためとはいえ、自分の趣旨に反した食物をこれ以上自分の体に入れるのは、どうも気がすすまない。ぼくにとって、まるでブラックバスを食べるようなものなのだ。(ブラックバスはかわいい魚だからリリースすべきだということではなく、日本の在来種を絶滅に追いやるような悪い敵の体をぼくの体の中に入れたくないということ。) 悩みは深く、道は遠いのである。 幸は大衆食堂にあり (2008.1.17) ![]() 秋田内陸縦貫鉄道阿仁前田駅前の前田食堂のカツ丼。 カツ丼は大衆食堂になくてはならない一品である。最近は「ソースカツ丼」がだいぶ幅を利かせていて、ぼくはそれも好きなのだが、トンカツを玉ネギと卵でとじてご飯の上に載せたカツ丼が全国区である。 カツ丼は、その食堂の料理人の腕と良心がストレートに反映される一品である。多くの食堂の定番としてメニューに掲げられているカツ丼には、しかし、店によって大きな落差があるのである。 カツ丼の味を決めるのは、単に煮汁の味つけだけではない。まず、素材の豚肉によって大きく規定されるのである。 ぼくが一番カツ丼に適していると思うのは、ロース肉である。適度なやわらかさと脂身の組み合わせがトンカツに最適だし、カツ丼にもそれは当てはまると思う。だが、ロース肉を使ったカツ丼はどちらかというと少数派かもしれない。とんかつ屋のカツ丼はロース肉が多いのだが、他の種の店ではモモ肉などが多いようだ。中には、切り落としを集めて再整形したと思われるようなひどい肉もある。丼に載ったカツがきれいな楕円形を描いているようなものは、見ただけで幻滅してしまう。 素材の次は、冷凍食品かどうかが分かれ目となる。冷凍庫から出してそのまま油の中に入れて揚げたような作品は、これも幻滅である。とくに、衣の部分が厚くて、変にニチャニチャしているようなものは最低である。だが、注文が来てから肉を切ったのでは時間がかかるのはたしかだ。高速道路のサービスエリアの軽食コーナーやファミレスなどでは、冷凍モノが多いのではないか。 最良のカツ丼は、注文があるたびにロース肉のブロックを冷蔵庫から出して包丁でスライスして、刃先で肉をたたき、薬味をふって衣をつけて揚げ、包丁で切って卵とじにしたものだ。こうしたカツ丼に遭遇すると、多少の汁の味の良し悪しは気にならなくなってしまう。そしてこの最良のタイプ(一部を省略することもあるが)のカツ丼は、小さな大衆食堂に意外と多いのである。 ぼくが今まで出会って記憶に残っているカツ丼は、秩父鉄道皆野駅近くの魚勝食堂、横浜線相原駅近くのあやめ食堂、そして秋田内陸縦貫鉄道阿仁前田駅前の前田食堂のカツ丼である。前の2件はだいぶ以前のことなので、いまも営業しているかどうか……。だが、前田食堂は、2007年9月の豪雨による災害にもにも負けずにがんばっているので、ぜひ一度出かけてほしい。幸は大衆食堂にあり、である。 ![]() 「大衆食堂」の暖簾がうれしい前田食堂。 ホームページのトップにもどる |