2009.5.29
古い傷
今日は一日中雨続きで空気が湿っております。
今話題の(というか急速に話題にならなくなった)新型インフルエンザが蔓延しないためには乾燥よりも適度な湿気がある方が良いとのことですが、雨が嫌いなものでどうも気が滅入ります。
「うぅっ、古傷が痛む。明日は荒れるぜ…」
こんな老船長、よく話に出てきましたね。気圧や湿度の変化で普段は隠れていた古い傷が表に現われてくる、というわけですが、これに限らず暑さでも寒さでも、外からの刺激によって普段より体が硬直するとこういう現象が起きやすいのです。
普段はからだ全体の余裕でカバーしながら眠らせているものが、ちょっとした体の変動で目を覚ましてしまうんですね。
私は中学生の頃よく右肩を脱臼していたので、これは「加齢硬直」のせいか知れませんが最近時々痛むことがあります。
一方で古い傷が表に出てくるということは、この際それを治してしまおうという体の要求でもあるわけですから、反対に気合を入れて利用してしまうという手もある。
古傷っていうのは、なにしろ古いものだから本人も忘れていることも多くて、体のみならず心理的な古傷などは、何かのきっかけで驚くほどの排泄反応を出すことがあります。突然どっと涙が出たりとか……それですっきりする。
力があるうちは鎮められる。力が少し衰えると中にある古いものが噴き出す。
最近のニュースで騒がしいあの国やあの会社にしても、最終的な崩壊にならないまだ力のあるうちに大掃除しなきゃいけない(かった)わけですよね。
自分で感じて、動けるかどうかだ。
あなたはどうですか?わたしも今書きながら考えています。
2009.5.19
心という器官
「こころとからだはひとつである」
この一言で、
「わかった(っている?)」
となる人はそれで良し。
「そうかな?」
と思う人はこんな風に考えたらどうだろう。
日々使い続けて、存在感ばっちりの胃袋。毎日、毎日、「腹へった」「もう食えない」「吐きそう」なんて情報を持ち主に投げかけてくる。
この胃袋、シンプルに考えれば食べ物というソトからのモノに対して消化、吸収あるいは排泄というはたらきをウチに表現していると言える。
さて、「こころ」は?
ソトからの情報、これは視覚、聴覚、触覚はじめその他さまざまだが、そういう刺激に対して「思い」「思考」というようなはたらきをウチに表していると言えないだろうか。
つまり「刺激に対する反応器官」という意味では、胃袋も「こころ」と呼ぶようなものも同じカラダの器官の働きなのだ。
しかし、「こころ」は何となくその他大勢に無い「大物感」がある。そう単純じゃないぞというような…。
確かに単純じゃ無いようではある。こころには今までの人生で得た知識、情報、成功・失敗体験なんかが一杯張り付いているからだ。そして、それがこころの働きの癖になっている。確かに生活上これらは必要ではあるけれど、こだわり、囚われるほどの代物ではない。もうちょっと心の奥にある「芯」はシンプルのように思える。それが、整体で言うところの「生きる要求」というものではないだろうか。
気難しそうな人でも一緒にお風呂に入ったりすると、なんだかけっこう心が許せる感じになりますね。「なんだ、裸になりゃ同じ人間じゃねえか」というような。
「こころ」に張り付いた重い鎧やきらびやかな飾りを無理やり剥ぎ取るのではなく、「からだ」を通してシンプルな「こころ」の芯に語りかける。そして、「ああ、これから先のあれこれは抱え込むほど大事なものじゃなかったね」とふと気がつく、というのが整体の道筋ではないかと思っています。

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