2008年9月の「整体生活のヒント」 of Seitai-Kumpusha

2008.9.22

老人と子供


 少し前にNHK「プロフェッショナル」で宮崎駿監督(祝!「崖の上のポニョ」大ヒットby薫風舎)の特集がありました。いろいろ興味深い内容でしたが、その中での宮崎監督のこんなコメントが印象に残っています(語句は正確ではありません)。

(今までの作品の中で登場した少女たちは、監督の心の中では実在して成長し続けているというような話の中で)
「……サツキやメイなんかはもう年頃の娘でしょう。そこから先はもう知ったことじゃない。なんだか生ぐさくてね……あとはおばあちゃんになってからでしょうか…」

 子供と老人、いわばゴタゴタグチャグチャの人生劇場に入場前と退場後の人々が興味あるテーマというのが面白く感じたのです。

 一方は、無垢であるが故の純粋さ、もう一方はあらゆる経験を経て無駄なものが研がれて出来上がった単純さ。いずれも人生の根幹にあるものを描いていて、それが生臭い人生劇場の真っただ中にある大人が宮崎アニメを観て惹かれてしまう理由なのかもしれません。

 からだの面からみると、子供の方は「やわらかくて壊れやすいけど、元に戻りやすい」、老人は「硬くて壊れにくいけれど、壊れたら元に戻りにくい」という一般的な傾向にあります。

 そして、それと一体である心もそんな傾向にあるように思います。

 子供の頃の悩みなんて、大人の目から見たら「何だそんなこと?」というようなものだったように思えますが、そんな小さな悩みを自分で解決しつつ、その後の人生劇場に備えているのかもしれませんね。
 そして、前にも書いたように思いますが、元気なお年寄りのからだは、なかなか変化しづらい面はあるものの、その中にある風雪に耐えてきたような強さを感じると、診ているこちらが元気になってくることがあります。心の面でも、頑固さの中に何とも言えない味、かわいらしさがあるような老人になりたいと、私は思っています。

2009.9.18

自分の体をいじめてみた

 ここのところ、エネルギーが余り気味なのか、朝早く目が覚めてしまうので、自宅近くの井の頭公園まで散歩したりしています。今まで近くに住んでいてもあまり立ち寄ることがなかったのですが、ちょっとした林の中は朝もやなどかかってなかなか良いものですね。

 それで、その散歩の帰り道、ちょっと路地に入ったら道に迷ってしまい、帰るべき時間に間に合わなくなりそうになって、ほんのちょっと走らなければならなくなりました。ほんのちょっとです。たぶん1キロ以下でしょう。
 ところが、帰ってみると左足の内くるぶしのちょっと上が大きく腫れたようになっています。触ると痛い。
 これは我ながら驚きました。あれくらい走っただけで腫れてしまう足など……

 「一(いち)動物として恥ずかしい」

 という気分になったのです。

 よく普段以上に運動したり、特別な修行みたいなもの(山籠りとか)をして調子を崩される方がいらっしゃいます。体の癖(左・右どちらかなど、体の ある部分を余計使って動いているというような)をそのままにして体をいじめるようなことをすると、その癖がさらに強調されて、鍛えるよりも、体に疲労が蓄 積してしまうのです。ですから、そういう方には、ご自分の体の特徴をお伝えして、

「そういうわけがありますので、運動は無理のない程度、または、ちょっと無理する程度位までに」

 と指導することも多いのですが、今回は自分の体ですのでね、なに、かまうことはないゾ、いっちょう壊れるなら壊れてみろ、というつもりでさらに日を変えて走ってみました。

 とは言いながらも、一応専門家ですので、何故左足にだけそういう症状が出たのかも冷静に分析してみたわけです。すると、どうも左足の使い方に癖が見つかりました。書くと長くなるので省略しますが、

「以前から意識的に調整していた動きが、長い間のうちに無意識的になっていたために、体のほかの部分が変化しているのに、その癖はそのまま残っていた」

 というようなことで、ちょっと意識的に、体の無意識の調整に任せてみました。
 今朝はそれでも2キロくらいは走ったでしょうか。体が燃えてきたので、さらに締めくくりに「たあー!とおー!」と気合を入れつつ、冷水をざぶざぶかぶってみました。この辺がエネルギー過剰なところですかねえ。

 それで足を見てみると、これが見事に腫れが引いているわけです。ま、引いていなかったら書かなかったかもしれませんけど。

 整体の理論は立派なもので、大変に価値があるものと思っています。ただ、受け取る側の受け取り方によって薬にも毒にもなるもののように思います。

 「体の感受性」の問題にしても、「敏感」と「過敏」は紙一重ですし、そもそも整体で問題にしている感受性などというものは、あくまでも無意識に働 くようにできているものですから、「体の存在を忘れてしまう」ような日々の活動の中で、放っておいても働くもののはずです。ですから、体のことがいつも気 になって仕方がない「からだオタク」だけは絶対に作ってはいけないと思っています(整体に向かう過程としてはそういう時期もありますが)。

 そう言えば、「こころ」なんてものも、自分の心にばかり集中している時などというのは、ロクなものじゃありませんなあ。

 さて、今回の自分のからだについていえば、無理な使い方を「腫れ・痛み」で知らせてくれたことは良いとして、それくらいのことは、何もなかったよ うに吸収してしまえという体の余力というか弾力には欠けていたわけで、これを気づかせてくれたお礼ごころに、さらにいたぶってみることにしました。今後の 報告、乞うご期待! 

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