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2008.4.28
トワイライト・ゾーン
今日の夕方、駅から家へ帰る道すがら、とても面白い本を読みながら歩いていて、ふと顔を上げたら全然知らない畑に挟まれた道を歩いていて焦りました。
「ありゃ? 道は間違えていないはずだけどなあ。ついさっき、いつもの居酒屋の角を曲がって来たんだから……。でもここはイッタイ何処?」
ちょっとした焦りと共に、微妙に心地良い浮遊感。何故だか解らないけれども、なんだか気持ちよい。今思い起こせば、自分の過去(例えば居酒屋の角を曲がってきた自分)と現在がフッと一瞬切れたような感じなのかも。
「過去を引きずる」
というけれども、そんなに悲しくない過去でも、あるいは誇らしい過去こそ、それは今の自分の足かせになっているのかもしれませんね。過去が「そんなことは私には無理」と思わせるほど本日只今の自分の可能性は狭くないゾと思えるようになりました。
とこれはウソでも何でもない今の心境なのですが、ちょっと柄にもないスピリチュアル臭がしてきたので止めましょう。
実は、子どもの頃、近所を何の目的もなく自転車で走り回っていた時期があって、その時に、
「よく知っている道を走っているのに、そのうちに全然知らない場所に出て、それを更に進んで、ある角を曲がると急によく知った町並みの中に飛び出る」
という不思議なルートを発見し、そこを飽きずに何回も何回も自転車で回った記憶があるのです。その時に地図でも調べればどういう仕組みなのか判っ たのでしょうが、そういうこともせず、町並みも変わってしまったので、今や「どういうことになっていたのか?」も判りません。不思議なまま。
まあ、そんな昔の記憶が蘇っただけなのかも知れません。
2008.4.27
大人の責任
乗ることが多い地下鉄の朝の電車で、本当に疲れ切った中学生の集団に会う。同じ制服を着ている。男子校らしい。実は「疲れ切った」というのはちょっと手加減した言い方で、可哀想に半分死んだような顔をして立っているのです。
中にはちょっと元気な子供がいるかも…と思い、必ずそこにいる全員を見るが例外なく表情を失くしている。何にこれほど疲れているのか。
生まれたばかりの赤ちゃんは、たとえ将来、人々に敬愛されるような人物になる子でも、あるいはとんでもないことをしでかす犯罪者になる子であっても等しく無垢の命である。ただ、無邪気に笑ったり泣いたりしていたはずです。
そして、この世の中で生きていく中での様々なものが、そのまっさらな心や体に刻み込まれ、それぞれの人生を歩んでいく。
私はある時、理由の無い差別を受けてきたと思われる年老いた女性の顔に刻まれたどうしようもない悲しみ、この世への恨みのようなものを観、そして生まれたばかりの彼女の可愛らしい笑顔を思い浮かべた時、その罪の重さを感じました。
その学校は進学校らしい。ホームページに掲載されている工場の品質管理資料のような進学実績表を見て、そこに通う彼らの表情の理由も理解できました。そこにいる教師たちは教え子たちの表情をおかしいと思わないのでしょうか。
私自身のことを思い起こすと、中学生の時分には「将来」などというものは全く見当もつかず、ただ周りで言われる価値観を丸呑みしていたように思えます。十分に大人になってからその洗脳に「はっ」と気づいたという有様です。
「将来のこの子のために」という時の、「将来」というものの幅、そして、「将来」のために犠牲にされる「現在」ということについての想像力を、大人がもう少し持つ必要が有るように思えます。
2008.4.21
初心
この春、井本整体の札幌講座に入学した生徒さんから、
「この間の授業(第1回目)に習った上・中・下丹田に導気をしたら、寝たきりだった母親(80歳代)が起きられるようになった」
との報告を受けました。なんと、50分間にわたって行なったとのこと。
整体の技術もさることながら、お母さんにどうか起きて元気で暮らして欲しいという真剣な気持ちがお母さんの心と体に響いたのだと思います。これは役に立たない精神論ではなく、整体というものはそういうものだと信じます。
整体に携わる年数が長くなってもこの気持ちを忘れずにいたいと思います。
2008.4.3
サクラサク…そして季節はまた巡るノダ
東京では、桜が散っています。
この時期には、天気が気になるし、気にしているとなぜか「今が盛り」というときに雨が降ったり、風が吹いたりしますね。やっぱり今年も雨が降り、風が吹きました。
「花ニ嵐ノタトヘモアルゾ……」
……が、実は「そんな気がする」だけなのかもしれません。
何か興味があることに集中すると時間があっという間に過ぎてしまう一方で、学校の授業や会社の会議でもつまらないものに引っかかっている時間はとても過ぎるのが遅く感じます。
思い出せば、今年、桜が咲く前にも雨や風がありました。でも、桜が咲くと、天気が気になる。天気の変化に集中すると何か特別な意味があるように感じる、ということなのでしょう。まあ、こんなことも人生の楽しみとなってくれているのでしょうけれど。
以前、会社員であった時期にやっていた仕事は、毎年桜の時期がとても忙しかったので、桜が何時咲いて、散ったのかもわからないし、その間の天気なども普段と違うなんてことは全く感じませんでした。お正月明けから、あっと気がついたらもう梅雨入りという感じ。
体というものは、元気な時は、存在を忘れます。「痛い」「かゆい」「動かない」という問題が起きてくると体の存在を意識するようになります。それが、体を正常な状態に戻そうとする体内システムが動き出すスイッチになるわけですから、本来は必要なことです。
でも、その体に起こっていることだけにあまり集中しすぎると、今度は、小さな変化がとても気になったり、回復にかかる時間がとてもゆっくり動いているように感じるのです。
病院で病人の真似をしているうちに本当の病人になる。
老人施設で老人の真似をしているうちに本当の老人になる。
新人アイドルが綺麗、綺麗と言われているうちに本当に綺麗になる。
少しでも動ける時、周りから求められた時、自分が動くしかない時には、全力で動いてみるといい。動いてみれば、その後は思いもつかなかったような心地よい休息が必ずあります。
思えば、その会社員時代も含めて若い頃は、
「この桜をあと何回観ることが出来るのだろう」
なんて全然考えませんでした。今はどうだろう、と考えてみると、やはりあまり思いませんね。
私の両親は、今月、金婚式を迎えます。先日、母と話をしたら、
「本当にあっという間だった。お父さんには心から感謝している。ありがたい。ありがたい」
ということで、良い結婚生活だったのでしょうが、あまりに仏様のようなことを言うので、かえって心配になり、今度会ったら何か新しい刺激を与えて、夫婦喧嘩の一つもするように仕掛けてこようかと思っています(まさか読んでいないと思いますが)。
桜が終わったら若葉、静かな梅雨の雨、朝顔、ひまわり、スイカ、桔梗、薄……
はたまた、
喧嘩、沈黙、和解、蜜月、倦怠、険悪、噴火……
毎年、「次」、「その次」、「そのまた次」と、一見ネガティブなものさえ味わい、楽しみつつ、ふと気がついたら静かな眠りに就いていた、というのが良いように思います。

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