DIARY

1999.02


1999/02/28

■HAPPY BIRTHDAY DEAR JUNICHI!
淳くん、27回目のお誕生日おめでとうございます。
いつ見ても笑顔の淳くんで、年齢を感じさせないので27歳という数字に驚いています。だって卒業の時に内海光司が流されていた時の年齢になったわけですから。
淳くんの「夢は言葉にすれば叶う」という言葉がとっても好きです。何を無謀なことを言ってるんだとか、希望だけじゃどうしようもないんだよとか思ったりすることって多いと思う。でも淳くんは口にしてくれるから待つ方としては辛いこともあるけど、淳くんが言ってくれてるからちゃんと待ってるよ、って言えると思う。言葉に出来るのが淳くんの強さなんじゃないかなあと思ってます。
叶えられるようなことは夢じゃないと思う人もいるかもしれないけど、口にすることで逃げられなくなるから、自分を追いつめることになるはずなのに、ちゃんと逃げないで一歩一歩、進んでいる淳くんって素敵だなあと思っています。
最後に重ねて、ハッピーバースデー、ディア、淳くん・・・。


1999/02/27

■内海光司の心労
6月に内海光司が『渡る世間は鬼ばかり』の舞台に出演すると決まってから、以前よりテレビの『鬼ばか』が気になって仕方がない。昔はなんとなく流してみていたドラマであったが、最近では真剣に話を把握しようと努力している。そして、見れば見るほど『鬼ばか』ファミリーの結束力、のようなものを感じてしまうのである。何年も前からずっと一緒にやっている仲間だからであろうが、とにかく隙間がないのだ。よそ者が入る場所がない。まあ新しく仲間入りしたり出ていったりする人はいるにはいるが、メインの人々はずっと固定である。

さて、舞台であるが、内海光司以外の役者さんたちはみんなドラマの方でその役を演じている方々ばかりである。その役者さんの中に「五月」や「大吉」「長子」がちゃんと息づいているのである。普通のお芝居なら再演などではない限り、ほとんどの役者さんが一斉にその舞台の役に取り組むことになる。だが今回の舞台ではテレビもあるし、舞台も過去にあった、お馴染みのものなのだ。やる方も観る方も「お決まり」があって、長い間に肌で触れ合って培ってきた空気のようなものがあるだろう。そこへ、『鬼ばか』初登場の内海光司である。新しい役ならまだいい。それなりに慣れていなくて当たり前だからである。しかし内海光司はとんでもない。ずっとドラマの中で居続けている「本間英作」である。『鬼ばか』家族の中に一人だけ居候状態なのに、役柄は「家族」の親しさを求められるのである。おそらく今までで一番内海光司が演じにくい役になるのではないだろうか。『恋風』で前に違う人が演じていた役をしたこともあったが、飽くまで舞台だ。テレビでいつも見慣れている客を相手に『英作』にならなければならないというのは辛いものがあるだろう。役作りの面で大変である。

それに舞台の稽古や舞台中もなにかと大変であろう。他の役者さんたちはそれは呼吸はぴったりであろうからだ。単身『鬼ばか』ファミリーに乗り込む内海光司。波は荒く、険しいだろう。でもだからこそ私たちは期待している。内海光司がどんな演技をみせてくれるのか。

役者「内海光司」の評判は6月のこの舞台にかかっているといっても過言ではないだろう。ガンバレ光司。是非みんなをあっと言わせてくれ。


1999/02/19

■ウサギの目
今日は朝から本当に泣きに泣きました。全部もらい泣きなんですけれど。人は死んだ時に、どうやって生きてきたかがわかるものなんだなあ、と強く感じさせられた時間でした。

全く会ったこともない、テレビの向こう側にいる人なのに、テレビの速報で亡くなられたのを知った時に、「うそ・・・」と思わず呆然としてしまいました。いつも元気で気丈ではきはきしてて、見ていて気持ちがいいほどの演技は、山岡さんの人間性を本当に表していたのですね。みなさんが「山岡さんにしかられた」と言っておられましたが、「しかる」というのは相手をきちんと思いやっていないとできないことですよね。どうでもいい相手にはなにも言わない。それを誰にでも「正しいことは正しい」ときちんと言っておられたとか。人間として、女性としてなんて素晴らしいかたなんだろうと、尊敬の気持ちでいっぱいになりました。多くの人を愛された山岡さんだから、周りの皆さんに愛されたのでしょうね。ご冥福をお祈り致します。
内海氏も山岡さんに怒られたのでしょうか?昨日のお通夜には顔を出していたようですね。山岡さんとお仕事をした内海さんが羨ましかったりもしました。

会ったこともない人の死を悲しいと思い、泣くことは「嘘」なんだろうか、と考えてしまいました。でも感情は「悲しい」という部分にあって、「涙」が溢れてきたことも事実でした。これは単なるもらい泣きなんだろうかと思ったときに、わからなくなってしまいました。心理学的に見るとどういうことなんでしょうね。

人への愛とか、思いやりとか。考えさせられることがいっぱいの今日でした。


1999/02/18

■風邪注意報
本当に鼻がつらい。喉は一日ぐらいで痛くなくなったと思ったら鼻に来た。鼻に来ると目が痛くなるから嫌だなあ。くれぐれもみなさま、風邪にご注意下さい・・・。

コンサートのビデオって本当に元気をくれます。見ているだけでこんなに楽しい気持ちにさせてくれるものって余りないような気がします。テレビでカメラに向かって笑ってくれる姿ももちろん好きだけど、やっぱりコンサートでの姿が一番輝いてる。彼らのステージのスピード感と構成がやっぱり好きです。

そして、元気をくれるついでと言っては何だけど、強烈な渇きもくれます。生の声に飢えた身体が「コンサート」を望んでしまいます。歌い踊る姿が一番大好きだったから、もう一度、もう一度、と求めてしまいます。
こんな風に思ってること、ちゃんとわかってくれているのかなあ。


1999/02/16

■とうとう御用。
折角皆より早く風邪を引いて免疫力をつけて逃げていたはずなのに、どうやら風邪さんに捕まってしまったようだ。咳がコンコン止まらない・・・。またもや喉をやられてしまった。まあ。うがいをしようが何をしようが風邪を引く時は引いてしまうのだなあ。この風邪がインフルエンザでないことを願うばかりである。

今日想い出の場所に行った。行ったと言うより、見た、といった感じでしたけど。いつも良く利用する駅ではあるけど、いつもは行くことのない方向。昔友達と時間をつぶすために歩いた場所。なんとなく懐かしくて、ちょっとだけ痛いような感覚に、思わず苦笑してしまった。道も店も人の流れも変わらないけど。一緒に笑った日々をこんなに早く懐かしく思う日がくるなんて思いませんでした。
場所も、想い出がよみがえる大切なアイテムですね。


1999/02/14

■バレンタインデー
義理チョコさえあげることなく今年も終了。自分のためにチョコは買ったけど(笑)一応父にあげたのですが「早く開けて。ほら。おいしそうでしょう?」と一番乗りで食べ始めた私・・・(^^;)しかも一日を待ちきれずに昨日あげた(食べた)という・・・。でも神戸の生チョコ美味しかったです〜(*^^*)。基本的に甘いものは苦手なんですけど、パクパク食べてしまいました。肌荒れが怖いです・・・。

昔はバレンタインになったら「4トントラック○○台分のチョコレート」とか話題になってましたよね。チョコレートに囲まれて笑うメンバーの姿なんかが雑誌に載ったりして。自分は一度も贈ったことがないのですが、なかなか面白かったのに、と思ってます。「この分を恵まれない子に贈るとかすればいいのに」と昔言われていましたが、今はそうしているんですよね。本当はその方が社会のために役立つし、どうせ贈っても本人に食べてもらえないんだからその方がいいと頭ではわかっているんですけど、なんだかつまらないなあ、と思ったりしています。

今年は日曜日だったから義理チョコの売り上げは減ったのでしょうね。でも本命チョコの予定金額の平均が1万3千円(プレゼント込み)だったらしいですから、チョコレート・お菓子業界は笑ったのか、泣いたのか・・・。


1999/02/11

■ローラースケート
ローラースケートを見るとどうしても浮かんで来てしまうのがやはり光GENJIのお姿。今日はテレビで偶然にも2度もローラースケートを見てしまい、思わず笑ってしまいました。
一回目は火曜サスペンス劇場の再放送。内田康夫の「浅見光彦シリーズ」で、水谷豊さんが浅見さんの役でした。最後のシーンで買い物袋を下げた水谷さんがなんとローラースケートを履いていらっしゃったのです。ローラースケートでお買い物〜!?とびっくり。エンディングソングが竹内まりやさんの「シングル・アゲイン」の頃って一体何年前の話なんでしょうね。確か家にSCDがあったような。光GENJIが流行っていてローラースケートが流行っていた頃かとも思ったのですが。
それから2度目が、木曜8時から放送中の「京都迷宮案内」でのこと。新聞記者役(ってほとんどの人がそうなんですが・・・)の橋爪功さんがなんとローラースケートで滑っていらっしゃるではありませんか。本当に橋爪さんが滑っていらっしゃるのでしょうか?とっても上手なんですよね。しかもブーツタイプのもので、黒でしたから余計に「GENみたい〜」とはしゃいでしまいました(^^;)

それから。大阪では名前の売れている女流漫才師の「トゥナイト」が解散するというのを知りびっくりしました。10年もやっていたのにねえ。「解散」という文字を見るといまだにちょっと痛い感じです。トゥナイトは一人が語学留学をするから解散になるらしく、一人は芸能界に残るそうです。最後の仕事までまだあるのまだ終わりだとかそういう気持ちはない、という言葉になにかがかぶってしまった夜でした。


1999/02/09

■腹筋痛
今日は一日中寝ていた私。
昨日から今日にかけての追いコンは本当に疲れました(^^)

特に夜通しのカラオケが酷かったです・・・。二部屋に別れてカラオケをしたのですが、一つは静かででも歌の予約だけはいつもいっぱい、みたいな変な部屋で、もう一つがひたすら有名な曲(新しいものからナツメロまで)を歌いつづけ皆で大合唱をし続けた部屋でした。私がいたのはそう、「大合唱部屋」。夜11時から朝の5時半までテンションはずっとHighでした(^^;)。

「先輩、光GENJI歌って下さいね」と私を喜ばすためかもしれないけど言ってもらえてすごく嬉しかったです。『ガラスの十代』を歌いました。いつも一緒にカラオケに行っている友達がみんなに「2番は主線を歌いましょう」と言ってくれてますます嬉しかった私・・・。元内海ファン&元大沢ファンがいたのでおそらく想い出は「光パート」の方にあるだろうなあ、なんて考えながら、でも現役ファンだからいいよね、と光パートを歌わせてもらいました。今日の所はあったけど、いつもは光パートの歌詞が書いてないんですよね。それでももちろん光パートを歌いますから(^^;)
AKIRA&KOHJIの『MR.MIRACLE』、林田健司の『Crazy Funky Down』があったので歌いたかったのですが、みんなが知らないので歌えませんでした〜。くう。何度も「AKIRA&KOHJI」の文字を眺めつつチェック柄の服を着た晃くんと光司くんを思い出してました(^^;)
それから後輩が歌った『想い出がいっぱい』には危うく涙しそうになりました。駄目ですね、やっぱり。歌は想い出を連れてきちゃいます。私の目の前には赤い服を着た淳くんが歌うコンサート会場が広がっていました。実際には見れなかったけど、ビデオで見た淳くんの涙が浮かんで来て泣きそうでした。またその歌った子の声が綺麗で悲しかったんですよね。

まあ後はもうずっとずっと歌いつづけでした。なんというか疲れた、眠い、とか言えないというか、言っても寝かせてもらえないというか、とにかく凄い部屋でした。笑いすぎと歌いすぎで腹筋が痛くて痛くて堪りません。自分の歌う番よりも他の人が歌っている時に歌う方が疲れました。マイク無しで生声ですからね。カラオケの大音量に負けない声ですから凄かったです。『Y・M・C・A』を歌った時は思わず「秀樹」になった気分でした(笑)掛け声が凄いの何のって、まるでコンサート会場のでしたから。
しかし今日起きてびっくりしました。おい。カラオケで腹筋が痛くなったのかい?と。なにはともあれ楽しい追いコンでした。たくさんの人に感謝感謝の一日でした。


1999/02/07

■7不思議・・・?
今日の昼間に両親と私とでテレビを見ていた。その番組でクイズをやっていたのだが、その問題にこのような問題があった。
「・・・・・・テレビや映画で話題の『リング』の原作者は誰か?」
私が「鈴木光司っ」と元気よく答えた。両親は知らなかったらく、わからないという顔をしていた。答えがテロップで出る。もちろん「A.鈴木光司」と。途端に「あー、お前『光司』だから覚えていたんだろう」と父親に言われた。何故だかそう言われてとっても悔しかった私は「違う!毎日本屋に通う女だし、この間鈴木光司が『花まるカフェ』に出てた時も見てたもん!」と訳の分からない理由で反論した。
何故あそこまで熱く反論したのか冷静になると自分でも首を傾げてしまうのだが、どうやら「内海光司と名前が同じだから覚えていたのだろう」というのが許せなかったらしい。実際に鈴木光司氏の名前が「宮西正則」や「本間幸人」(もちろん仮名)だとしたら果たして私は覚えていたかと言われると自信がなかったりする。やはり父親の言う通り「光司」という名前だったから覚えていたのかもしれないと思うのである。
どうして素直に「そう。光司くんと同じ名前だから覚えていたの」と言えなかったのだろうか。世界の7不思議のひとつにして置こう。


1999/02/05

■豆まきの日の二日後
3日の節分の日には雪が降りましたね。寒かった。
そんな寒い夜はぱーっと騒ぎましょう、ということで(実際は前々からの予定通り)後輩の家でお鍋をしました。アルコール類も結構飲んで楽しかったです。
鍋の前に忘れてはならない巻き寿司の丸かじり。スーパーにはたくさんの種類の巻き寿司がズラリと並んでいました。普通の巻き寿司だけじゃなくて、かにキューとか明太マヨ、とかありました。関西の方だけらしいですけどね、節分に巻き寿司をかじるのは。
みんなで「今年は東北東」と言いながら東北東をむき、「食べ終わるまでは話をしたらだめなんだよ」と言って、よーいどんで食べました。食べ終わるまでひたすらムシャムシャと食べる音が響き、おかしくて吹き出しそうでした。それに私の巻き寿司はワサビが利いていて泣きそうでしたし(笑・ネギトロ巻きでした)。なんとか食べ終えての第一声。「おしゃべりの私には無言はきつかった」

昨日も雪が降りましたね。雪が珍しい私は雪の中を歩きたがりました(笑)積もるまでは降らなかったんですが、それでもうれしくて白い雪の中を歩いていました。まるっきり子どもです(笑)
今日は幾分寒さも和らいでいたようですね。もう寒さの峠は越したとか。今年の冬は本当に温かいですね。本当に寒いと思ったのが昨日と一昨日ぐらいでしたもの。いつもだったらこの位の寒さが何日も続いていたのに、地球温暖化の影響なんでしょうか?寒い冬こそが日本の冬という感じがするのですが。といっても関西の比較的温かい所に住んでいるので雪国の方にしてみれば「何言ってるのよ!全然寒くなんてならないくせに」といった感じでしょうか。

暦では春でもまだまだ「暖かい」には遠いのでしょうね。


1999/02/02

■内海光司時間
今日「大好物」を書いていて思ったこと。
日付を見て驚いた。当然といえば当然のことなのだが「風はオレンジ」をテレビでやった時からもう8年半も経っていたのだ。年月日を並べてみて気付いた自分がお間抜けだ。

昔のビデオを何度となく見て今まで過ごしてきた。自分の中では常にビデオを見た瞬間にその当時へとタイムスリップしているので月日の流れが感覚として分からなくなっていた。何度もビデオを見た時点で時計がリセットされていたわけである。恐ろしいことだ。
ビデオの中の内海光司を見、そして、最近の内海光司を見る。老けたなと思う。それが当然のことなのに、当然のこととして受け止めにくい自分がいる。自分だってどうだというのだ。当時中学生だったのにもうすぐ大学を卒業しようとしているではないか。そう。自分も老けたのだ。
光GENJIの時間が止まった時点で自分の時間が止まっている部分がある。感覚でわからなくなっているのだ。「Bye−Bye」が光GENJIで最後の曲だったから、つい最近。なんていう感覚を身体が平気で覚えるのである(ちなみに3年半前)。この間のコンサートが「KYO TO KYO」などと思い込んでいる(1年半前)。新しい何かがないと時間が前に進んでくれないのだ。私の中の「内海光司時間」とでも言えばいいのか。

はやく前に進めたいものである。だから光司くん。早くコンサートをやってくだされ(結局それか・・・)


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