若嶋津 六夫

所属部屋

二子山部屋

本名 日高六夫
生年月日 昭和32年1月12日

出身地

鹿児島県熊毛郡中種子町諸田

四股名改変 日高→若島津→若嶋津
所属部屋改変  
初土俵 昭和50年3月場所
十両昇進 昭和55年3月場所
新入幕 昭和56年1月場所
大関昇進 昭和58年1月場所
最終場所 昭和62年7月場所
幕内在位 40場所
幕内通算 356勝219敗13休
勝率 0.619
優勝 2回
三賞 敢闘賞2回、技能賞3回
身長 188cm
体重 122kg
得意手 左四つ、寄り切り、上手投げ
年寄名 松ヶ根
没年月日  
 南国鹿児島から出た南海の黒ヒョウ。初土俵は兄弟子大関貴ノ花(故人)が優勝した昭和50年3月場所。「体の小さい者でも、一生懸命稽古をすれば強くなれるんだ」と思い自身をつけて猛稽古を積んで大関へ昇進した。長身で体には恵まれなかったものの新入幕から13場所目にして大関へ昇進と横綱も夢ではなかった。綱取りの最大のチャンスに昭和59年春場所に横綱北の湖(現親方・前理事長)との大相撲の末の優勝、その2場所後も横綱北の湖に勝って優勝を決めて千秋楽に大関琴風(現尾車親方)を倒して全勝優勝となるもその後の同年秋場所蔵前最後の場所に多賀竜(現鏡山親方)に負けて平幕優勝を許して横綱の夢は2度と訪れる事なく、また千代の富士(現九重親方)には分が悪く更には糖尿病を患い力士生命を絶たれた。当時の二子山親方(元横綱初代若乃花)との引退記者会見で「親方に悔いはあるか?と聞かれてありませんと答えました」というコメントが記憶に残る。
 引退後は松ヶ根部屋を起こし10年越しの平成11年に待望の初の関取、若孜が誕生。続いて12年に若光翔、春ノ山を育てた。

明治以降大関一覧へ戻る